第78話 ハーオンシア川流域制覇2
聖教の上神官カンナビスの手によって復活した熱走王が、的場昌長に降される。
この知らせは、昌長の手配りもあってすぐさまグランドアース大陸中を駆け巡った。
闇の勢力に属した熱走王の伝承は古くから広く知られており、新月の闇夜に首の無い駝鳥の群れを目撃したという証言とともに、その存在は確かなものとされてきた。
その、禍々しい闇の勢力に属する熱走王が的場昌長によって討たれたのである。
タゥエンドリンに近接した国々や地域だけでなく、闇の勢力の伸張をそれとなく感じ取っていたグランドアース大陸の民人達はこの知らせを大いに歓迎した。
ただ、闇の勢力に属する熱走王が討たれたという情報に、気になるものが混じっていることに気付いたものは少なくない。
そしてその本当の意味を悟り、大いに怒った者もいる。
聖都トゥエルンスレイウンの中枢、聖教大神殿の奥殿にある、大儀典室。
大神官グレゴリウスは、報告を受けてから上席に掛けたままぴくりとも動かず、静かに怒りを発散させており、その怒気を受けて居並ぶ高位神官達は全員が発言を封じ込められていた。
しんと静まり返った大儀典室。
件の報告、つまりは上神官カンナビスがあろうことか熱走王という闇の勢力に属する怪物を蘇らせたばかりか、その統制に失敗して蚕興国を中心とする1万もの兵と自身の命を失ったという知らせをもたらした使者は、脂汗を滲ませて跪いている。
聖教はグランドアース大陸に於いてそれ程古い勢力ではない。
エルフやドワーフ、そして闇の勢力に属するオークやコブリン、去就の明らかでないリザードマンや小人族などよりはるかに新参であり、小勢力だ。
文化的に劣る平原人の中ではそれなりの勢力を有するようになったが、そもそも発祥が平原人の宗教である上に他人族を排除する教義が大陸での勢力伸張を妨げているからである。
平原人の大統一を目論んだ教祖がこの宗教を啓いたのだが、未だ平原人はグランドアース大陸において優勢とは言えず、足踏み状態が1000年以上続いていた。
そこに降って湧いたのが平原人の強力な傭兵隊、月霜銃士隊と月霜銃士爵の情報である。
すぐさまこれを聖教へ組み込もうとしたがなかなか上手くいかず、ようやくその本拠地を後ろ暗い方法を含む様々な手段を用いて手に入れようと画策したものの、上手くいかない。
今回は聖教に封じられていた秘宝を使用してまでの策であったが、それも失敗した。
グレゴリウスからしてみれば、密約を結んで抵抗のないはずのタゥエンドリンを踏破し、カレントゥ城へ軍を送り込むだけの簡単な作戦のはずだった。
しかしその目論見は外れ、あろう事か聖教が闇の背力に荷担しているような噂や情報がまことしやかに、しかも大陸中で囁かれる事態に陥ってしまった。
これでは雷杖の秘密を解き明かし、聖教が大陸制覇に乗り出すどころの話ではない。
それどころか周辺の聖教に従う国家群にさえ疑念や不審を抱かせ兼ねない状態だ。
はっきりと伝わってきてはいないが、ひょっとすると聖教に見切りを付けた平原人国家では既に離反行動が始まっているかも知れない。
「……周辺の動揺の具合はどうか?」
「は、はい。特に今のところ表立った離反の動きなどはありません。しかしながら……」
使者が脂汗を垂らしたまま言い淀むと、グレゴリウスの視線が厳しくなった。
「どうした、続きを話せ」
「は……ははっ、今回の件で兵を失った国々では、防衛力の欠落による政権の動揺が起こっており、国内が不安定になっているようです」
「……そうか」
グレゴリウスはそう短く答えただけだったが、怒気が増したことで使者が気圧されたように顔を下に向けた。
聖教に従う小国家群は、普段聖教の統制に従っている。
しかしながら当然国を率いている者達には欲もあれば野望もあり、今回有力国であった蚕興国の没落で次点となっていた国々がどう動くか分からなくなってきた。
加えて没落したのは蚕興国だけではなく、蚕興国の強い影響下にあり、その要請に応じて兵を派遣した数カ国も軍兵を根こそぎ失い大いに力を落としている。
このままでは利権や領土を巡って聖教の統制下にある国家間で戦争が起きかねない。
「すぐに聖教派の国々に軍兵を集めるように伝達を出せ、再度カレントゥ城へ攻め込む」
「そ、それは!」
怒気を孕んだグレゴリウスの言葉に、白い顎髭と口ひげを生やした老年の上品な上神官の1人、アンブロシウスが思わず声を上げるものの、グレゴリウスに一睨みされて力なく席に就いた。
周囲の戸惑いと懸念を察したグレゴリウスは深い溜息を吐き、まず使者を下がらせる。
這々の体といった風情で儀典室から退出する使者を見送った後、グレゴリウスはもう一度深い溜息を吐いてから口を開いた。
「今のままでは聖教派の国家間で争乱が起こりかねない。それを未然に防ぐためにも全国家に兵を出させてタゥエンドリンを通行し、これを踏破して月霜銃士爵領を手に入れる。そうして混乱を起こす暇を与えず、月霜銃士爵の力を奪い、雷杖の秘密を得るのだ」
グレゴリウスの説明を聞き、先程声を上げかかった上神官が勇気を振り絞って意見を述べる。
「し、しかしそれでは聖教派の国々で争乱は起こりませんでしょうが、兵を派遣して守りが手薄となった国を狙い、周辺の騎馬部族や他人族国家が攻め入る事態となりましょう」
その尤もな懸念を聞き、グレゴリウスは薄ら笑いを受け部手言葉を発した。
「心配は要らぬ。騎馬部族や周辺の亜人国家とは先に不戦協定を結ぶ」
「ふ、不戦!?」
別の上神官が悲鳴じみた声を上げた。
周辺地域の騎馬部族やドワーフ、エルフ、小人族などの小国家とは、長年にわたって抗争しており、今は小康状態であるもののとても不戦協定を結べるような間柄ではない。
そもそも聖教が平原人以外の人族を亜人と蔑視し、奴隷化している上に、戦争自体も常に聖教側から仕掛けているのである。
これで不戦協定など結べようはずも無い。
それに対等の協定を結ぶと言うことは、今まで蔑み、人と認めてこなかった人族を対等の交渉相手として見るということにも繋がる。
聖教の教えに背く行為となるばかりか、つきつめて今までの教えを否定することになってしまった場合には、聖教の根幹である教義そのものに対する不信を招きかねない。
「協定は秘密協定にする。もちろん相手にも秘密にさせる」
「それだけで相手が納得するでしょうか?」
疑問を呈するアンブロシウス上神官に、グレゴリウスはふっと鼻で笑いかけた。
鼻白むアンブロシウス上神官から視線を外し、アンブロシウスと同じ疑問を抱いているであろう上神官達に向かってグレゴリウスは厳かに言い放った。
「アンブロシウス上神官は余程の心配性であると見えるが気にすることは無い……秘密にすれば未来永劫続く協定だ、こちらから手を出すことは二度と無いとでも言えば、奴らは安堵する。そして……月霜銃士爵の力を手に入れた後に、全て滅ぼしてしまえば良いのだ」
「そ、それは!」
アンブロシウス上神官が驚きの声を上げる。
聖教からの攻撃や嫌がらせに辟易している彼らは、応じてしまうかも知れない。
しかしそれをすれば聖教は交渉相手に対する信義や、協定の信頼性を無くしてしまう。
アンブロシウス上神官が意を決して諌言しようとするが、他の上神官達は納得したといわんばかりの態度で口々に言い始めた。
「な、なるほど……協定を結んだ相手が滅びてしまえば、協定を結んでいたかどうかなど分かるはずもございませんな」
「そもそも人ではない者といくら協定を結んだところで相手は人でないのですから、協定を守る意義もありますまい」
「獣相手に、信義など必要ありませんからな」
「無茶苦茶な……そんなことをしたら我らは信用を完全に失ってしまう」
上神官達の会話を聞いたアンブロシウス上神官は、全てを諦めて席に就いた。
神の教えを受け入れる者に上下や貴賎、種族の違いなどあるのだろうか?
それに、ここにいる者達の心根の醜さは言葉に尽くせない。
そんな常日頃から抱いている疑問が、普段は抑え付けている疑問が、上神官達の言葉を聞いていると再び頭をもたげてくるアンブロシウスだった。




