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第77話 ハーオンシア川流域制覇1

「何と言うことか、最早軍の体を為しておらぬ……」


 カンナビスを取り込んだ熱走王によって、文字通り食い散らかされてしまった聖教軍。

 何故か湿地帯へと去って行った熱走王達の隙を突き、本陣の混乱を何とか収拾し、残った兵をそれこそかき集めて編制をし直した灌三丈であったが、その無残な風景を見て嘆きを抑えられない。

 10000以上いた聖教軍の兵は今や傷兵を含めて4000余り。

 逃げてしまった者もいるだろうが、そのほぼ全てが熱走王に食われてしまった。

 敗残兵としか言えない有様に灌三丈は兵をまとめてはみたものの、方針を決められずに呆然とする。


 これでは月霜銃士爵領まで進出するどころの話ではない。


 タゥエンドリンの残党勢力どころか付近に盤踞する小人族の土豪ですら打ち払えまい。

 しかし灌三丈は帰国することも出来ない。

 たとえ無理を押してこのまま蚕興国に戻ったところで、聖教のグレゴリウスから糾弾を受けることは灌三丈どころか蚕興国という国家としても免れないだろう。

 加えて兵をほとんど失ってしまった蚕興国はこの戦乱を乗り切る力を失った。

 聖教に使嗾され軍兵を灌三丈に預けた国々も同様だろう。


「……我らに道は失われた」


 つぶやく灌三丈に前線の兵の叫び声が耳に届いた。


「月霜銃士爵軍だ!」


 力なく顔を上げた灌三丈や副官達の目に、泥にまみれながらもから強く前進してくる戦列が入る。

 前段に小人族の大盾兵、中段に人種混成の槍兵、そして後段に同じく雷杖兵を置き、隊列を整えて湿地帯から現れる月霜伯軍。

 その姿を見た灌三丈は、全てが終わったことを悟った。


「月霜銃士爵へ降伏の軍使を……いや、私自ら出向こう」


 灌三丈はそう言いながら剣帯から剣を外し、手に取ると昌長の率いる月霜銃士爵軍へと向かうのだった。






 聖教軍の降伏を受け、昌長は熱走王を打ち破った湿地帯の畔に本陣を置き、すぐさま周辺地域の土豪を招集して慰撫し、所領の安堵と月霜銃士爵への忠誠を誓わせ、ハーオンシア川流域地方の平定に取りかかった。


 今回率いてきた兵は少ないが、聖教軍を壊滅させた上に熱走王を撃破したという話は既にこの流域に住まう小人族全体に広く、しかも正確に広まっており、シルケンスとの事前協議と彼による根回しもあって、月霜銃士爵の傘下へ入ることについて小人族に異論は無い状態となっている。

 そうして集められた30名余りの小人族の土豪達を前に昌長は機嫌良く言葉を掛ける。


「シルケンス、おまはんにこの地の取り纏めを頼むわ」

「承知致しました。マサナガ殿の家臣として、全力で務めさせて頂きましょ」


 土豪達の先頭にいたシルケンスが頭を下げると、小人族の土豪達が一斉に頭を下げた。

 それを満足そうに眺めた昌長。

 しかし次の瞬間には一転して厳しい表情と口調で言葉を発した。


「わいらの召集には兵を率いて必ず応じる事、それから裏切りはいっこも許さんで、やったら攻め滅ぼすど」

「……無論、承知している。他の長も同意見だから心配は要らない。俺達小人族はマサナガに従う」


 シルケンスが再度頭を下げながらそう応じると、背後にいた小人族の土豪達も頷いて再度頭を下げ、恭順の意を表わす。

 昌長はその礼を受けて表情を和らげて口をゆっくり開いた。


「ほんなら、ええ。煩いことは言わん、軍兵のこと以外は今まで通りやったらええわ。年貢も安うしちゃる」


 熱走王を撃破した昌長の武名は高まり、それまで日和見をしていた土豪や有力者は広くハーオンシア川流域全体において昌長への恭順を誓った。

 昌長と敵対的であったハーオンシア州のフェレアルネン政権の高官達は、身の危険を感じるとこぞってこの地を捨てて逃走した。

 またニレイシンカ族長率いるリンヴェティ族に従っていた者達も、聖教軍に一切の抵抗をせず本拠に閉じこもるだけであったことで見切りを付けて昌長方に参じ、ハーオンシア地方の勢力形勢は一気に月霜銃士爵側へと傾いている。

 ちなみに昌長は熱走王を撃破した後、フィリーシアを通じてニレイシンカ宛てに使者を発している。


 その目的はずばり降伏を促すもの。


 ハーオンシア地方を月霜銃士爵が制したことを改めて伝え、その境界を画定させる必要があるからでもある。

 ニレイシンカから交渉に応じる意思はあるとの返答が来ており、フィリーシアを交えて昌長が交渉へ出向くことになっていた。

 しかし義昌は首を捻って問う。


「ここで降伏させて構わんのか?後ろを突かれる恐れがあるんやったら、潰した方がええんとちゃうか?」

「大丈夫や、気遣い無いわ」


 小人族の有力者達との謁見を終え、そう言いつつ床几型の椅子に腰を下ろす昌長。


「その自信の根拠はなんよ?」


 その脇に最初から座っていた義昌の発した再度の疑問に、昌長は手を左右に振りながら言葉を継ぐ。


「リンヴェティの連中はどうもカフィル王子の後詰めに動きたかったらしいんや、わいらとは見てるもんが違う」

「ああ、何や王さんの後継争いの真っ直中やちゅうてたな。そういうことかえ。しかし悠長なこっちゃな」


 昌長の言葉を聞き、義昌は納得したのか頷きながら言葉を発した。

 昌長は、王都で会ったカフィル王子を思い起こしながら言葉を継ぐ。


「そうや、カフィル言う王子もなかなかの人物みたいやが、劣勢らしい。ほんで王子の母御の出身部族であるリンヴェティをたのんだちゅう訳らしいんや……まあ、姫さんから聞いたんやがな」

「ほう」


 昌長の説明に義昌は思案顔で頷く。

 リンヴェティ族は未だ大きな戦いを経験していないまま勢力を温存している。

 蚕興国や騎馬部族が侵入しても戦わずに自領の守りを固めるばかりであったのだが、軍兵を集めていることは獣人達の諜報活動やハーオンシア川流域の小人族土豪の知らせで分かっていた。

 昌長は自身の支配領域を脅かされているにも拘わらず、リンヴェティが動かなかった意図を図りかねていたのだが、これで軍兵を集めて温存していた理由が分かった。

 王都での後継者争いに出身部族の後ろ盾が欲しいカフィル王子に頼まれ、いざという時のために勢力を温存しているのだろう。


 リンヴェティが健在であれば、大きな影響を王都に与えられる。


 フィリーシアとレアンティアが力を失ったのは、出身部族であるエンデ族がマーラバントによって滅ぼされてしまったからだ。

 しかしそれもここまで、リンヴェティは昌長の軍門に降ることになる。


「まあ、降伏せえへんのやったら、攻め潰しちゃろ」

「まあ、それやったら分かったわ」


 納得した義昌を見遣り、昌長は膝に頬杖を突いて不敵な笑みを浮かべた。


「わいらはわいらで掃除せなあかんもんがある……降伏してわいらに従うんやったら、カフィル王子の後詰めでも何でもやらせちゃったらええ。わいらは今回の武勲を大いに喧伝し、加えて守護代としてシルケンスに兵を与えてこの地に睨みをば効かせとく、ほんでから戻って害虫の大掃除よ」


 シルケンスには500の平原人銃兵と1500の小人族兵の計2000の兵を任せることにした。

 今この地には、昌長の武名が轟き渡るにつれて小人族や平原人、更には森林人の志願兵が集まり、また有力者からの兵の提供等もあって、有象無象ではあるが8000もの兵が集まっている。

 自身が率いてきた兵を併せて都合1万2千もの兵を擁する昌長は、ただ居るだけでその武名と相まってハーオンシアを制しつつあるのだ。


 いずれはカレントゥ城から兵を増派し、更にはハーオンシアで募兵もする予定だが、今集まっている兵の大半はカレントゥ城へ連れ帰って調練を施す必要があるので、兵糧の問題もあることからハーオンシアの常駐兵は2千とした。

「まあ、照算と宗右衛門は集めた兵を率いらしてカレントゥへ戻すわ。わいと義昌、それからシルケンスは姫さんが合流したらリンヴェティへ向かうで」

 フィリーシアがカレントゥ城の森林人兵1000を率いて、リンヴェティのニレイシンカとの交渉に参加するため昌長の下へ向かっている。


 昌長はこれを受け、カレントゥでの仕事が多い宗右衛門と照算に7千の兵を率いさせて戻す予定を組んでいる。

 そしてフィリーシアが合流した後、併せた兵5000でもってハーオンシア川流域を通ってリンヴェティへと向かうのだ。

 そこにはもちろん示威行動という面が大いに含まれていることは言うまでもない。


「ふふふふ、これでタゥエンドリンの北にある、エンデ、リンヴェティ、サラリエルの3地方はわいらが制したわ……」

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