第72話 熱走王との戦い1
昌長はシルケンス率いる小人族の兵に先導させ、灌三丈率いる蚕興国の兵達が撤退した平原と湿地の境目へ慎重に進出した。
鳥の化け物が敵であることに変わりは無いが、どの様な能力を持っているかも未知数である上に、襲われている敵軍の動向も気になったからだ。
蚕興国軍を率いる敵将が一廉の武将であろう事は、その指揮振りを見ていれば分かる。
敵将が鳥の化け物に対して組織だった抵抗を見せているのであれば、うかつに近付くと本来の敵として攻撃を受ける恐れがある。
しかし、昌長らのそんな思惑を余所に、目的地に到着した彼らは広がる異様な光景を目の当たりにして戸惑いを隠せない。
「んん?わいの目、何ぞおかしなったんか?」
小さく震える小妖精を肩に乗せた宗右衛門が顰め面のまま目を擦るが、昌長は同じモノを見て取り、小さく、しかしはっきりと言った。
「……おかしないわ、これはほんまもんの化け物じょ、統領」
蚕興国の軍は既に軍隊の体を為しておらず、兵達は武器を捨ててそれこそ必死に逃げ惑っていたのだ。
兵士達を追うのは巨大な駝鳥の群れ。
しかしその駝鳥は異様な風体をしている。
昌長らも駝鳥という動物を見るのは初めてだが、鶏の大きなものと理解することは出来る。
しかしながら疾走している人面を有した巨大な鳥を見せられては、存在そのものを疑い、存在を認められても化け物と形容する他ない。
昌長が率いる、小人族や森林人、坑道人、平原人の兵達も、全員その異様な光景を目にして戸惑いと恐怖を隠せずにいる。
けけけけけと甲高い鳥の鳴き声が人の顔から発せられ、ぎょろりとした目を剥きつつ、周囲の様子を探理ながら疾走する妖鳥、熱走王。
不気味極まりないことに、全てが同じ顔、つまりはカンナビスの顔をしている。
「た、助けてくれ!誰か助けてくれエエっ!」
「く、来るなっ、来るなああ!!」
「いやだああああ、喰われたくないいい!」
「ああ、うわ……うわあああああ!」
「ぐえええ、あごう!?」
「うがあ、あああああ、化け物おおおお!」
「誰か、誰か化け物を……ふげえ!?」
「ひいいいいいい!」
あちこちで助けを求める声や悲鳴が上がるが、誰もが人を食う巨鳥から逃げるのに必死で、他人に構っている暇などない。
むしろ、他人が襲われていれば、その隙に自分が逃げられる。
仲間を助けよう、ましてや抵抗しようなどという考えを持てる者は、もはやこの地獄に誰1人としていない。
きぐえええええ
巨大な人面鳥が奇声を発する。
そして凄まじいまでの眼光と速度で人を追い、襲いかかる様子は、正に地獄と呼ぶに相応しい光景だ。
また1人、逃げ遅れた蚕興兵が蹴り倒され、巨鳥の人面が開いた大口に呑み込まれる。
絶叫と悲鳴が入り交じり、喰われた人の残骸が大地のあちこちに散らばっている。
草に覆われた平原は赤茶色に染まり、逃げ惑う人とそれを追う巨鳥の足に踏み荒らされて練られ、地面は汚泥をまぶしたような異様なものとなっていた。
小人族が自分達の伝承にある、しかもその伝承の中では小人族が餌となるような、そんな伝承に登場する巨鳥、熱走王を目の当たりにして震え、森林人や坑道人、平原人が余りの惨状に顔を青くしている中、義昌らはごく平然と配下の兵を率いて配置に就く。
「わいらも、まあ……ようよう化けもんと行き会うわ。難儀なこっちゃのう」
「まあ、奇っ怪やが、なんぼ大きいかて所詮は鳥ですやん。気遣い無いですわ」
宗右衛門が自分の言葉に反応すると、昌長は苦笑を漏らしてから言った。
「ははは、まあ、いっちょやっちゃろうかえ」
蚕興国や聖教徒は敵であるとは言え、文字通り化け物に食い散らかされている姿を見ては、同情も湧く。
しかも相手は真っ当な敵などではなく、正真正銘の化け物である。
「……数が大分多いわえ。今までの化けもんは、がいにでかい奴ばっかりやったが、今度はちと厄介じょよ」
餌となる蚕興兵を追い散らかし、平原のあちこちに散り散りになっている怪鳥を遠望した昌長がつぶやいたとおり、黄竜王や深海王に比べれば今度の敵は遥かに小さい。
とは言え、人の二倍ほどもある体躯を持っており、加えて数が多い。
ざっと見ただけでも50から100ほどは居るだろうが、多くはない。
「どないすんのよ?」
「おう、挑発してここいらへんへ誘い込むで。ほんでから狙撃で顔をば撃って目つぶししちゃれ」
義昌の問に、昌長は淀みなく頭の中で組み立てていた作戦を口にする。
昌長の説明が一旦途切れるが、他の者達に説明が浸透するのを待ってから言葉を継ぐ。
「ええか、動き止まったところを坑道人の抱大筒で足狙うで。足止まったら、後はどこでも構わんさけ撃ちまくりよし。盾持っちゃある兵は万が一にも突破された時の備えで、一番前で柵の代わりや」
昌長の作戦は、小人族や獣人族などの盾と槍を持った兵を柵となし、森林人銃兵と平原人銃兵で顔面を狙撃し、最後は坑道人銃兵の装備している抱大筒で足を撃ち砕くのだ。
普通の鉛弾がどれ程通用するか分からないが、とにかくあの足の速さは脅威である。
見ているだけでも分かるが、明らかに人が走るよりも遥かに速い速度で平原を疾走している。
幸いにも昌長達が居るのは湿地帯の入り口。
しかも平原と湿地が入り交じり、入り組んだ形の地形で、水気が多いためか、葉の多くて密生する形の草木が多い茂っている。
平原を疾走することが出来ても、二本足の怪鳥がこの湿地帯に入り込んでしまえば、さぞ移動に苦労することだろう。
偶然ながら地勢を味方にする事が出来る好機だ。
「うん、最初に足潰しちゃるんやな。騎馬隊と同じや、分かったわ」
昌長の作戦を理解し、頷きつつ伝令の獣人兵に指示を出しつつ義昌が言うと、昌長は苦笑しながら応じた。
「基本はそうや……万が一でも湿地帯に入ってここまで来るんは難儀やろう?まあ、今回は騎馬とは勝手が違う。形は似てなくもあらへんけどな」
義昌が伝令を出してから程なくして、陣換えのために兵士が動き始める。
シルケンス率いる小人族の戦士団が茂みの中を移動しつつ、槍と盾をしっかり地面に固定して構える。
その脇や合間に獣人族の槍兵が位置し、更にその影には坑道人銃兵が抱大筒に火縄を装着し始めている。
少し離れた茂みの中には、森林人銃兵が早くも弾薬の装填を終え、狙撃の準備に入っていた。
以前と比べてもかなり早い展開と陣換えに昌長は満足そうな笑みを口もと浮かべると、準備を終えて報告にやって来たシルケンスに声を掛ける。
「シルケンスよ」
「何だ、マサナガ?」
報告をしようとしたところへ先に声を掛けられてしまったシルケンスが怪訝そうに問うのを見て、昌長は不敵な笑みを浮かべてから言葉を継ぐ。
「あの怪鳥をこっちへ誘い込めやんか?」
少しためらってから、前方の惨状にちらりと目をやったシルケンスが忌々しげに答える。
「ふむ……熱走王はかつて小人族を好んで喰ったと伝承にある……俺が考えるに、恐らく身体が小さくて呑み込みやすかったのだろうな」
「ほう?」
昌長の面白がるような相づちに、舌打ちを交えながらシルケンスが眉間に皺を寄せた顔で言葉を継いだ。
「小人族を見つければ……追ってくるのではないかと思う。文字通り“美味い餌”としてだろうがな」
「ほんまもんの餌かえ。大分危険やと思うが、やってみてくれやんか?」
鼻を鳴らし、苦笑しつつ昌長が依頼すると、シルケンスはしばらく考えた後に意を決して頷いて言う。
「他ならぬマサナガの頼みだ、やってみよう。小人族の勇気と知恵と、足の速さをしっかりと見せてやる」




