第66話 聖教軍進撃2
しかしそれでも無言のままのフィリーシアに呆れを含んだ視線を向け、アスライルスが言う。
「お主が言えぬのならば妾が言うてやろう……マサナガよ、ハーオンシアには平原人や小人族と呼ばれる者達が多く住まうのじゃ。森林人が彼の者共より少ない地域もあろう。聖教の影響は大きいとは言えぬが少なくもなく、またタゥエンドリンの支配は必ずしも浸透しておらぬ。聖教とやらの軍がそれなりに進んでおるのはそういう訳よ」
「ほう……そうやったら、わいらが調略を掛ける隙もあるっちゅうこっちゃな?」
アスライルスの説明に昌長が興味を示して言うと、ようやく踏ん切りを付けたフィリーシアが言う。
「私としては残念なことですが、タゥエンドリンのハーオンシア川流域に対する支配は緩んでいます。彼の地の民はリザードマンを撃破し、タゥエンドリン王から官爵を得てエンデの地を回復し、マーラバントを降して今なお勢力を拡大しているマサナガ様を英雄視しておりますから」
「わいからの誘いには乗ってくるかも知れやんな?」
「聖教が物資の徴発を行っている様子ですし……成功の目は大きいかと思います」
フィリーシアが昌長に頷きながら答える。
昌長はその言葉を聞きながら調略の手順を考える。
「マサナガよ、ハーオンシア川流域の小人族を束ねるシルケンスという妾と旧知の者が居る。実は妾が竜王会議から帰る途中、この者を連れてきているのじゃ」
「えっ?」
「ほほう」
「まあ、以前から妾の復活を知って書状を送ってきておったのだが、その中でマサナガのことを知りたいというておったのじゃ。まあ、もののついでじゃと思うて竜王会議の後に寄ってみれば、聖教やらの軍が進撃してきておったから、本人の望みもあったので連れてきたのじゃ」
「お初にお目に掛かります。ハーオンシア小人族の長を務めるシルケンスと申します」
カレントゥ城の会議の間で、小人族の長のシルケンスと会う昌長。
アスライルスにフィリーシア、義昌とユエン、更にはリンデンが同席しているが、その多彩な面々にシルケンスが目を丸くしながら挨拶の口上を述べる。
シルケンスは身の丈が四尺(120センチメートル)程で、正に小人族と呼ぶに相応しい体躯をしている。
茶色の巻き毛に茶色の目をしており、耳を除けばエルフの子供とも思える整った容姿をしている。
シルケンスは綿で出来たズボンにシャツを身に着け、その上から茶色い毛織物の外套を身に纏い、木靴を履き、革のベルトを腰に締めている。
剣は短いながらも立派な鞘に入った直剣を腰に差しており、小柄ながら俊敏に動いて敵を倒す姿が容易に想像できる出で立ちだ。
「ようおいでになったの、わいが月霜銃士爵の的場昌長という」
昌長の応答に頷くと、シルケンスはすぐに本題に入る。
「青竜王アスライルス殿から紹介頂いたが……何でも今ハーオンシアを蹂躙している聖教と事を構えられるとか?」
「そのつもりや。どうにも聖教はここを目指しちゃあるみたいやしな」
「ではその後は?月霜銃士爵様はハーオンシアをどうするおつもりか?」
シルケンスの言葉にフィリーシアが顔をしかめるが、昌長はそれに構わず言う。
「お主らが馳走してくれるんやったら、行ってもええで」
「それは……月霜銃士爵の支配に服せと言うことか?」
「そうやな、まあ知ってるかもしれやんけど、お主らに頼むんは納税と兵役やな、然程きついことは言わんわ」
「ふむ、子供並みと馬鹿にされる我ら小人族を、一角の兵として徴すると?」
「そのとおりや」
昌長の答えに、それまで硬い表情を崩さなかったシルケンスが笑い声を上げる。
にまにまと笑みを浮かべるアスライルスと不敵な笑みを浮かべる昌長以外の面々は驚きを隠せないが、シルケンスは一通り笑うと、ぞんざいな口調で言う。
「あんた、なかなか話せるねえ。気に入ったよ。良いだろう、聖教の連中を仕留めてくれるなら、ハーオンシアの小人族は全てマサナガ殿の配下に加わる」
「そ、それは……」
シルケンスの言葉はタゥエンドリンの枠組みを崩しかねない。
思わず言葉を発したフィリーシアに、シルケンスが鋭い視線を向けた。
「タゥエンドリンは聖教軍の暴虐に何も対応してくれないからな。村が焼かれようが食い物が奪われようが、小人族が殺されようが関係ないらしい。それはリンヴェティのニレイシンカも同じさ。毎年税を攫っていくくせにな」
その鋭い、しかも吐き捨てる様な言葉にフィリーシアの口が閉じる。
昌長にはあくまでもタゥエンドリンの枠組みの内においてエンデの地の領主として立って貰い、タゥエンドリン以外の地への進出を果たし、勢力拡大を図って欲しいフィリーシアからすれば、タゥエンドリンの領域において勢力を拡大する形になるシルケンスの意見に賛同する訳にはいかない。
しかしながらフェレアルネン国王が聖教軍の通過を認め、ハーオンシアを預かっているはずのリンヴェティ族族長ニレイシンカも動いていない。
それというのもハーオンシア川流域には小人族が主体で住まい、森林人がほとんどいないからである。
要するに小人族はタゥエンドリンから見捨てられたのだ。
「助けは求めたが得られなかった。だから立ち寄って下さった青竜王様におすがりしたのさ」
「なるほどのう、小人族も難儀よな。まあ、分かった。わいが聖教の連中を捻っちゃろ」
昌長が胸を叩きながら力強く言うと、義昌も無言で頷く。
昌長は次いで下を向いているフィリーシアに声を掛ける。
「姫さんよ、色々思惑はあるやろうが、ここで引いてはわいらも武名が廃るというもんや。それに折角復興成った町や城をまた兵火に晒すのも気が引ける。ここはシルケンス殿には悪いが、ハーオンシアへ踏み込んで戦を仕掛けた方がエエ……ユエン」
「何だ、マサナガ?」
「すぐに猫忍をハーオンシアへ放ってくれるか。聖教の軍勢のことを調べて欲しいんや」
「わかったぞ!」
昌長の命令に元気よく応じると、ユエンはすぐに部屋を飛び出していく。
「リンデンは兵を集めてくれるか、時間は掛けたくないよって、早めにな」
「お任せ下され」
次いで指示を下されたリンデンは、ゆっくり頷くと席を立ち、兵を集めるべく部屋を出る。
「義昌は吉次と高秀に使い出しといてくれ。それから宗右衛門と照算、義昌は一緒に来て貰うわ」
「おう、承知したわえ」
義昌は昌長の言葉に応じ、照算と宗右衛門に昌長の命を伝え、使いを送るべくリンデンの後を追うようにして部屋を出る。
「アスライルス殿は居残り頼めるか?」
「うむ、任せよ。妾がここに居れば滅多なことは仕掛けられん」
昌長の依頼にアスライルスは快く笑顔で応じる。
「シルケンス殿は、至急故郷へ立ち戻ってわいらの受け入れの準備をして欲しい。兵を集めてくれれば今回は傭兵扱いで銭を払うわ」
「おう、任せてくれ!」
「ではマサナガの出陣の前に妾がシルケンス殿をハーオンシアへ送り届けよう」
シルケンスが元気よく返事をすると、アスライルスがその送迎を申し出た。
昌長は最後に未だ下を見ているフィリーシアを見る。
「フィリーシア」
「えっ?」
初めて昌長から名前を呼ばれたことに驚いたフィリーシアが顔をお上げる。
その事実がしみこむにつれて戸惑いと共に別の感情から顔が赤くなるものの、昌長は至って真面目な顔で言葉を続ける。
「フィリーシアはどう思うてんのか知らんけど、わいはタゥエンドリンをとるで。それには今回のシルケンス殿の申し出は渡りに船なんや」
そして続けられた昌長の真意。
アスライルスが面白く無さそうにその様子を見ており、またシルケンスが興味深そうに2人の遣り取りを見つめる中、昌長は更に言葉を継ぐ。
「わいに付いてくるか?」
最初は命の恩人であった平原人の異相の戦士。
それが自分の故郷や母親、大切な同族達を守り導く偉大な領主となった。
人外の敵をも打ち破り、強大なリザードマン国家を撃退し、更にはその領土すら奪い取ろうという勢いをもって北の地に覇権を確立しつつある。
そして今また、その野望は留まるところを知らず、タゥエンドリンそのものを取る一環としてハーオンシアへ聖教軍と戦いに出るという的場昌長。
自身が弱く、母親の権威も弱く、更に出身母体となった部族も弱かったフィリーシアは、弱さというものには馴染みがあった。
それ故に、弱さを強く憎むようになり、心身を鍛えて部隊を率いることが出来るまでになったのだが、昌長らと関わるうちにその憎しみは次第に薄れてきていた。
フィリーシアはすっと立ち上がると、昌長に正対して言う。
「……分かりました。私も覚悟を決めます」
「決まりやな」
フィリーシアの言葉に笑みを浮かべて言うと、昌長も席から立ち上がって宣言する。
「ちょっと早いけどよ、遠征開始や!」




