第64話 聖教軍進駐
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カレントゥ城城下、サリカの町
物々しい雰囲気で町を歩く一団。
それが最近復興著しいサリカの町で炊き出しに施しと精力的に動き回っている聖教の神官達である事を見て取り、目を丸くする人々。
「神官様?どうして?」
「何があったんだ……?」
「どけどけえええいい!」
続いて走り込んできたのは、タゥエンドリンの騎乗兵。
馬の前掛けには緊急の連絡である事を示す、タゥエンドリンの紋章の入った布がある。
そして、更に月霜銃士爵軍の騎兵達が相次いでカレントゥ城へ駆け込んでいくのが見えた。
聖教の神官達と前後してカレントゥ城に向かう、急使と思しき騎兵達。
町の住人達も、詳しい経緯が分からないなりに、これから何かが起ころうとしていることに気付き始めていた。
そしてようやく復興がなりつつあるときに、再び混乱の種が舞い込んでしまったことに不安を隠せずにいた。
「それはできやん」
昌長の回答にエウセヴィウスが応じるより早く、その傍らに控えていたエクセリアが怒声を上げる。
「おのれ無礼な、聖教の正神官に向かって傭兵如きがっ」
「控えよ、エクセリア」
慌ててエウセヴィウスが制止するが、既に遅くエクセリアは柳眉を逆立てて立て続けに怒声を放つ。
「恐れ多くも聖教の大神官様が前回の非礼を無かったことにし、再度誼を通じようと仰せられたにも関わらず、それを有り難いとも思わず、無礼暴言の数々許しがたいっ!」
「……それが本性か、坊主やらはやっぱり信用できやんな」
嘲笑と共に言う昌長をぎっと眼光鋭く睨み付けるエクセリア。
それに怯むこと無く昌長は言い放つ。
「とにかく、わいらはお前ら聖教とか言う胡乱な連中とは付き合わん。交易はともかく、布教は許さんで」
昌長達雑賀衆は、かつて宗教で酷い目に遭わされている。
織田信長の10年戦争、石山本願寺との戦いに度々本願寺側として参加したのだ。
そもそもは大名権力に類似した世俗の権利を持った宗教勢力を排撃したい織田信長が、各地の宗教勢力に恭順を強いたことが原因のこの戦い。
日の本の様々な種類の政治勢力を武家に一本化する為に、織田信長は比叡山を焼き、一向宗徒を虐殺し、石山本願寺を攻めた。
昌長自体はそう熱心な一向宗徒でもなかったが、領内の宗徒に押し上げられる形で戦いに参加せざるをえず、その結果手酷い打撃を受ける。
勝ちの見えない防衛戦に金銭や米穀を費やし尽くし、熟練の雑賀武者が数多戦場に散ったのである。
おまけに業を煮やした織田信長によって、雑賀は大軍による攻撃を2度も受けたのだ。
民衆の熱狂や盲信は領主にとって利用できる部分もある反面、いきすぎると制御不能に陥ってしまい、挙げ句の果てに関わった者全てを滅ぼしてしまう。
石山戦争で雑賀衆は大いに名を高めたが、失った物も多かったのである。
「残念ですが、また交渉は持たせて頂きたく存じます」
「何遍でも同じやで」
昌長の頑なな態度を見て取り、エウセビウスは脈無しと察して退きの態勢を取る。
にべもない昌長の態度にいきり立つエクセリアを抑え、聖教神官達の拠点となっている館へと戻る。
館へ戻ると、憤懣やるかたない様子のエクセリアが地団駄を踏み、エウセビウスが顔をしかめるのも構わず、穏やかな神官らしからぬ雄叫びを上げた。
「神を恐れぬ不信心者が!平原人でありながらなんという不敬!なんという不遜!」
「……落ち着けエクセリアよ。カンナビス上神官がもう既にここに向かっておられる」
エクセリアの言葉を聞いて何とかなだめようとエウセビウスが言うが、エクセリアは止まらない。
「あんな惰弱な地位だけの上神官が来てなんとしますか!ここは私めがあの不信心者のマサナガの首を獲って参りましょう!」
「あまり大きな声でその様なことをいうものではない……心配は要らん。カンナビス上神官は軍勢を率いてくる」
「……ほう?それは誠ですか?」
エウセビウスの言葉にエクセリアはぴたりとそれまでの乱暴奇矯な振る舞いを止め、話を聞こうとその前に座る。
エウセビウスはほっとため息をついてから、エクセリアを始めとした部屋に集まっている神官達に伝えるべく口を開いた。
「上神官のカンナビスは灌三丈将軍率いる蚕興国軍を引き連れている。もう間もなくタゥエンドリンに入るだろう」
上神官エウセビウスはマサナガの交渉が不調に終わることを見越して、既に聖教の総本山である聖都トゥエルンスレイウンへ早馬を飛ばしていた。
そしてその報告を受け取った聖教のグレゴリウスは、直ちに蚕興国の軍に付いている上神官のカンナビスへと使者を送ったのである。
マサナガとの今回の交渉は、聖教が我が軍を発していることを悟られぬようにするための言わば時間稼ぎと目くらましだったのだ。
既に聖教の中でマサナガは平原人の力ある同志から、平原人でありながら聖教に帰依せず、あろう事か他人族と合流して国造りを進める、度し難い異分子に変わっていた。
そして、聖教にとって異分子は許されざる存在であり、排除の対象でもある。
「まさかタゥエンドリンは……進軍を許可しているのですか?」
エウセビウスの言葉に驚いた神官の1人が問うと、エウセビウスは歪んだ笑顔を浮かべて答える。
「タゥエンドリン王から通行許可は割合あっさり得られた。余程月霜銃士爵が煙たいものと見える」
エウセビウスの低い笑声が聞こえると、神官達も不気味な笑顔を浮かべた。
「これでこの地を制圧し、獣人共を隷属させ、竜を追い払えば私たちの布教は成ったも同然ですね」
「うむ……カンナビスの進行に合わせて町中で騒ぎを起こせば良い。その折りにはエクセリアらの活躍の場も大いにあるだろう」
エクセリアの今にも笑い出さんばかりの口調で発せられた言葉に、エウセビウスが重々しく頷きながら言うと、さざ波のような嘲笑が広がるのだった。
タゥエンドリン=エルフィンク王国、メテルシセス州
一方の蚕興国軍はタゥエンドリン国境をあっさりと越え、メテルシセスに入ったところでとうとう聖教旗を掲げて進軍を開始した。
それまでは聖教の色を出すことなく蚕興国の旗印だけを掲げていたのだが、ここに来て聖教の影響下にある事を明らかにしたのだ。
それもこれもタゥエンドリンの上層部がマサナガの排除に同意を示したからだ。
道行く民人達は聖教の旗や旗印に嫌悪感を示し、また乱暴狼藉を恐れて隠れ見る有様だったが、タゥエンドリン王のフェレアルネンは民の危惧や怨嗟の声などどこ吹く風だ。
フェレアルネンとの密約が成立し、グレゴリウスは直ちに蚕興国へと影響力を行使、その軍勢を月霜銃士爵領へ進発させることに成功する。
またそれだけでなく、月霜銃士爵領全てを接収するべく周辺の聖教に与する国家に命じて兵を供出させ、蚕興国の援軍として送り込んだのだ。
平原人の騎馬兵が3000余りに、援軍の平原人歩兵が7000程の都合1万の軍勢、彼らが目指すのは昌長の居るカレントゥ城である。
先行する蚕興国軍は我が物顔でタゥエンドリンの街道を進み、各地で糧秣や燃料の徴発を行い、戦の準備を進めていく。
タゥエンドリン軍の監視や妨害は無く、それどころか徴発や労役に抵抗を示した森林人の民が虐待されても知らん顔の有様で、民人の怨嗟の声は増していくばかり。
しかも平原人や小人族の多く暮らす地域であり、現在昌長に対する人気と相まって、支配階級であったエルフへの反感が強まっている地域でもあり、フェレアルネン王への支持は最早無いも同然となっていた。
総勢1万の聖教上神官率いる軍勢は、抵抗する周辺の小人族や平原人の有力者を潰しながらメテルシセルから南ハーオンシア州を通り、ハーオンシア川の南岸へ到達した。
「汚らわしいエルフ共などすぐにでも焼き払ってやりたいところだが、今はその様なことに労力を使っている暇はない!すぐに進撃せよ!」
上神官の地位にありながら、かつて若い女神官を手籠めにしようとしたという咎で聖教の威光を大いに貶めてしまった上神官カンナビスは、ずっと必死だった。
寄せ集めとは言え1万の軍。
やり方は色々あるだろうが、カンナビスからすればこの戦いで月霜銃士爵を倒して新たな平原人国家建国までの道筋を付けなければならないのである。
タゥエンドリン南部には好戦的で有名なカランドリンの女王メウネウェーナがおり、今は未だ大きな動きは見せていないものの、グズグズしていては森林人の危機を理由に進路を塞がれる可能性があった。
一応聖教軍と言うことになったので、実質はともかくとして名目上の指揮権は上神官であるカンナビスにある。
実際の戦闘は蚕興国軍の司令官や兵を率いてきた聖教派の将軍達が行うにしても、その目的や基本方針は全て聖教の意向を受けたカンナビスが決定することになっている。
それまでは、ただ軍にくっついているだけのお荷物に過ぎなかったのであるが、これで名目だけとはいえ聖教の軍を率いる上神官となったカンナビスの名誉は向上した。
そのカンナビス。
馬に乗れないために聖教の神官戦士に担がせた不格好な輿に乗っての進軍である。
騎兵の多い蚕興国軍の進行速度について行けずに今まで後方で屯するばかりだったが、最近になって聖教派の諸国から歩兵主体の兵が送られてきたことでその進行速度が鈍り、面倒なことにこのいけ好かない上神官の相手をしなくてはならなくなったのだ。
「将軍!すぐにでもカレントゥへ進軍せよ!」
カンナビスが金切り声を上げるが、蚕興国軍の軍司令官である灌三丈は頭を振ってから、騎乗のままゆっくりと噛んで含めるように言う。
「それは出来ません上神官殿。我らは未だ後背も定かならず、今むやみやたらと進軍すれば、後方を遮断されてしまう恐れがあります」
蚕興国軍ではこの人ありと名の知られた将軍であるが、蚕興国自体が小国である事と、今まで対外的に戦をしたこともないことから国外では知られていない将軍だ。
年の頃は50ほどで、初老と言って良い風貌に騎兵出身らしく細身の身体をしている。
目は黒いが頭髪は白髪が多く、顔の皺も深い。
ただ目の輝きについては未だ衰えた様子はない。
そんな熟練、熟達を地で行くような灌三丈に、臆面も無くカンナビスが無遠慮な視線を向ける。
「あん?それがどうした?」
そして灌三丈の説明を理解した様子もなく、カンナビスは再び金切り声を上げる。
「良いか!カレントゥ城を手に入れれば全て解決するのだ!前に進み、カレントゥ城を落して手に入れさえすれば物資も兵も全て手に入る!」
「カレントゥ城に到着するまでに、我々は飢えと攻撃で全滅してしまうでしょうな」
「なに?」
ようやく灌三丈の説明を聞き咎めたカンナビスが鋭く問うと、灌三丈は再びゆっくりとした様子で口を開く。
「後方が遮断されればまず補給が受けられなくなり、兵の士気が落ちます。カレントゥ城まではまだまだ距離があり、しかも敵の勢力圏を抜けていかなければなりません。ただ行くだけの旅行をするのとは訳が違います。周囲の敵に注意を払い、偵察を放ち、見張りを置いて警戒し、そして敵の攻撃をはね除けていかなくてはならないのです……後方を警戒しながら」
「うぐぐ……」
灌三丈の正論にぐうの音も出ないカンナビスであったが、いくら自分に戦場の知識が乏しいといえども、下位にあるとみなしている者からそのような侮蔑の言葉を投げ付けられる謂われはないはずだ。
灌三丈はごく普通の指摘をしただけなのだが、能力に欠け気位だけは高いカンナビスにとっては自分以外の全てが敵であり、潜在的な脅威と映ってしまっている。
たとえ味方であろうとも、自分の足を引っ張るであろう者は敵なのである。
それが本人の意図した行為であるか否かは関係ない。
灌三丈としては、カレントゥ城までたどり着けるとは思っていない。
たった1万程度の兵では、国境に近いメテルシセスを征圧して維持するのが関の山だ。
それに最初から聖教の差し金があったことは間違い無いにしても、初期の目的は国境周辺地域の強掠のみで、タゥエンドリンの奥深くまで攻め込むことは全く想定していなかったのである。
蚕興国だけでなく四担国や概山連合などの諸国も兵を出してきたが、歩兵主体で機動力に欠けるばかりか、騎兵主体の蚕興国とは何かと足並みが揃わない。
補給を考えないのであれば月霜銃士爵領まで騎兵のみで駆け抜ける方法も考えられたが、聖教の意図が月霜伯領で発生したマーラバント侵略後の混乱に乗じた月霜銃士爵領の乗っ取りであり、その為にまとまった兵力の派遣が必要とのことであったので、それも出来ない。
ただ、マーラバントのいきなりの侵略で政情不安に揺れ通しで、まともな索敵や侵入者の情報共有が出来ていないタゥエンドリンを駆け抜けることは、今ならやって出来ないこともないと灌三丈将軍は考えている。
尤も、偶発的な戦闘は防ぎきれないので、それなりの犠牲は必然だ。
しかしながら聖教から派遣されてきたお目付役の上神官カンナビスは、馬の扱いが下手などころではなく全くもって乗れない。
これでは聖教の指揮下である意味が無く、もちろんカンナビス自身もそんな過酷で危険極まりない作戦を認めはしないだろう。
様々な要因から灌三丈率いる蚕興国軍は、得意の騎兵を生かすことが出来ない状態に陥っていたのである。
相変わらず周囲の兵達に金切り声でヒステリックにわめき散らしているカンナビスを苦々しげに見つめ、灌三丈は周囲を見る。
この付近は既に通過したメテルシセスとは違い、起伏に富んだ地形となっている。
ハーオンシア川の流域であるため、洪水や支流の絡み合いで山や平原が削られ、土砂が堆積し、また洪水で取り残された流路やせき止められてしまった支流が池や沼をあちこちに形作っている。
騎兵には全くもって向かない地形であり、灌三丈としては出来れば南もしくは北の方角へ進路を変えてやり過ごしたい地形である。
ところが残念なことに、このハーオンシア川の流域を抜けるのが最も月霜銃士爵領に近い経路であり、また月霜銃士爵以外の勢力が及んでいない地域でもあるのだ。
加えて南に下れば強力なエルフ国家であるカランドリンの勢力圏に近くなり、北に上ればニレイシンカ率いるリンヴェティ族の本拠地に至る。
月霜銃士爵は既に聖教から敵認定されており戦いを避けることは出来ないのだが、ただでさえ強力な雷杖を備える月霜銃士爵と衝突する前に余計な勢力との戦いで戦力を消耗する訳にも行かない。
苦渋の決断でこの沼沢地へ進路を取ったのである。
「周囲の警戒を怠るな!奇襲には持って来いの地形だ!」
灌三丈将軍がそう周囲に声を掛け、騎兵が数騎、斥候隊として周囲に散り始める。
カンナビスはその掛け声の内容に激しく動揺する。
「き、奇襲があるのか将軍っ!?」
「いちいち騒がないで頂きたい、まだあると決まった訳ではありません。奇襲を防ぐための警戒です」
カンナビスは灌三丈将軍の言葉の内容ではなく、言い方に対して噛み付いた。
「貴様!聖教から派遣されている上神官たる私に何という口の利き方だ!慎め!」
周囲の兵達の顔が引きつり、灌三丈将軍の口が歪む。
しかし、誰もがこの上神官の相手をするのを面倒くさがって言葉を発しない。
「それでどうなのだ!奇襲はあるのか無いのかっ!?」
「あるかも知れないので備えをすると言うことです」
「あった時に備えれば良いではないか!総司令官の私を怯えさせるんじゃないっ!」
奇襲は受けた時に備えられる物ではない、言うまでも無い事だ。
奇襲を受けてしまった時はすなわち既に劣勢なのであるから、そう言う態勢に持って行かれないよう、有り体に言えば奇襲されないよう、劣勢に陥らないように斥候を放ち、奇襲を察知すべく周囲の警戒をするのである。
全く軍事の何たるかを分かっていないカンナビスに灌三丈の額の血管が浮き上がった。
灌三丈も今は年齢もあって丸くなったが、かつては騎兵突撃においては一家言ある勇士として名を知られていた。
本来は激情型の人間であり気は短いのである。
しかし、ここで聖教に目を付けられては更に面倒なことになる。
ぐっと手綱を持っている手で拳をつくり、握りしめることで何とか爆発しそうだった怒りを抑え込むと、灌三丈は静かに言った。
「奇襲を受ければとても上神官殿を守っている余裕はありませんので、そうならないために、上神官殿の身辺警固のために索敵をしております」
「……ふん、最初からそう言えば良い」
憎まれ口を叩くカンナビスの顔をそれ以上見ていられず、灌三丈は無言で騎馬を早足で進めるのだった。




