第6話 王都3
タゥエンドリン宮殿、北別棟
重厚、と言えば良い言い方だが、明らかに老朽化して打ち捨てられたと思われる北別棟を見て、昌長達は苦笑を漏らす他なかった。
破れた鎧戸に、破損した石壁、石の抜けた階段。
全体的に見て美観には十分気を付けていると思われるタゥエンドリン宮殿において、昌長達が案内されたその建物は、昌長達同様、この宮殿において大いに異相を主張していた。
呆れ気味のカフィルから昌長達を案内するよう命じられたフィリーシアに続く昌長は、その建物を一頻り眺めてから言った。
「これは、戦う為の建てもんやな」
昌長の言葉に背後の雑賀武者たちが頷くと、フィリーシアが申し訳なさそうに答える。
「はい、かつて戦乱がこの王都にまで達した時、宮殿の守備施設として作られたと聞いています。尤も、今はこの通りですが……」
破れているとはいえ、鎧戸は厚手の青銅か何かの金属を使用して作られており、また石壁も破損してはいても、その中に更に石をのぞかせており、極めて頑丈に作られていることが分かったからだ。
「まあええわ、ほなはよはよ掃除するで、いらん荷物まとめて置いとけ……見張りは1人でええで」
「ほいよ~」
昌長の指示で、雑賀武者達は荷物を解き始め、兜を取り、火縄銃を背中から下ろした寝筵の上へ丁寧に置いてゆく。
見張りに立つのは鈴木重之で、それ以外の者達はフィリーシアの案内で建物へと入り、清掃を始めるのだった。
タゥエンドリン宮殿、最奥の間
太陽が出ている限り、その光がいずれの時刻においても、緑色の玻璃を介して部屋に入るよう計算された最奥の間。
今も目映いばかりの緑色の光が、この部屋に満ちている。
しかし、そんな清々しい光の中で、暗い顔をした森林人の貴族と思しき豪華でありながらシンプルな衣服を身につけた男や女達が、ひそひそと密談を交わしていた。
「……カフィルめは何と申してきた?」
「陛下、カフィル殿下が仰いますに、フィリーシア王女の連れてきた平原人の武人、その実力侮りがたし、と」
上席に置かれた、宝石や宝飾がふんだんにちりばめられた豪華な椅子に座る痩身の老人が問うと、右手にいた恰幅の良い穏やかな顔をした40がらみの男が応じる。
しかしその回答に不快感を感じたのか、その老人、現在のタゥエンドリン王は鼻を鳴らして言う。
「ふん、下賤な者共を我が誉れある宮殿に招き入れるとは……カフィルめ、判断を誤りおって。レウンデル、卑しい平原人共を我が国から叩き出せい!」
「それは些か……王女の命を救い、この王都まで送り届けに参った者達です。如何に褒美目当ての平原人と言いましても、しっかりと礼を尽くさねば思わぬ非難を受けましょう」
指示を受けた40がらみの貴族、レウンデルは、王の言葉に苦慮しながらも何とか角が立たないように反対の言葉を述べた。
王は意に沿わない意見を述べたレウンデルをじろりと一瞥するが、それ以上何かを言い出すこと無く口を開いた。
「ふん、フィリーシアか……廃棄氏族の娘など今更抱えておっても仕方ないと思って戦場に出したが、存外しぶといのう。おまけに厄介ごとまで持ち込みおった!」
「王、しかしこれは結果的には我が国にとって良い事でした。北東を荒らしていたリザードマンの戦士長が死んだのですから」
「シーリーン、本当にそうなのか?平原人の傭兵共が大嘘を言って我らをだまそうとしている可能性は無いのか?」
国情について解説を加えた30がらみの貴族、シーリーンにねっとりと絡みつくような視線を向け、偏見と憎悪に満ちた質問をする王。
シーリーンが用意していた書類を思わず握りしめて身を退き、悪意に満ちた言葉を受け止めかねていると、レウンデルが助け船を出した。
「陛下、件の傭兵共はあの蜥蜴人の戦士長、カッラーフの首と剣を持参したとか……それもひどい有様で」
「……何ですって、それは誠の話でしょうか?」
「カフィル殿下は直に首を見たそうです」
妙齢の女貴族、メゥリンクが大きな釣り目がちの目を見開いて驚くと、レウンデルは努めて平静を保って答えた。
今までどうしても排除出来なかった、マーラバントの打ち込んできた楔の一つが砕かれたのだ。
これはタゥエンドリンにとって大きな朗報で、その事実だけでも件の傭兵団は貴族に取り立てられてもおかしくない程の功績を挙げたと言える。
尤も、今のタゥエンドリンにおいてそれは大凡叶わない夢物語に過ぎない。
「とても信じられんが、首を検めたというのであれば信ずるに値するな。しかも奴の剣までも手に入れたのであれば……まず間違い無いだろうな」
「陛下、いずれにしても“使える”者達である事は間違いありません」
レウンデルの言葉で、他の貴族達も口々に傭兵達を肯定的に捉える発言をする。
「……弘昌国との繋がりは無いのか?間諜、あるいは我が国への攪乱工作の可能性は?」
「今のところ、傭兵達と繋がりを見いだせる国や都市、部族は無いようです」
「ふん……そうか」
王の質問を予想していたシーリーンが、今までの調査結果を記した羊皮紙を見ながら報告する。
弘昌国とは、タゥエンドリンと西で国境を接する平原人の国だが、現在は国境地帯で頻繁に小競り合いを起こしている、人口が多く、国力も大きい侮れない厄介な相手だ。
王がようやく理解し始めたのを見て取り、レウンデルが身を乗り出して言う。
「各地の諸侯も動きが怪しゅうございます。ここは辺地を与えて本人達はもとより、諸侯の動きや様子を窺うのが得策かと……それにマーラバントへの牽制ともなりましょう」
「そうか……良きに計らえ」
「ありがとうございます。では、明日の謁見を準備致します」
王の承諾を得たレウンデルが、愁眉を開きつつ言うと、再び王が口を開く。
「……どうしても会わねばならぬか」
「先程も申しましたが、王女を救われたのですぞ?王がさしたる理由も無く直に礼を述べないというのであれば、我が国の名声は地に落ちます。それに、父親として娘を救ってくれた者に礼も言わないというのは……」
「分かった分かった、うるさい奴らだ……しかたない。しかし要らぬ王女を救われたからと言って、下賤な平原人共に礼を言わねばならぬとは……」
さすがに見かねたメゥリンクが苦言を呈すると、渋々ながらようやく王が謁見を受け入れる。
しかし余りにもあからさまな侮蔑の気持ちを表わす王に、シーリーンが呆れ、レウンデルが少し強張った顔で王を呼ぶ。
「陛下」
「分かっておるわい、当日は上手くやる……しかし平原人と一緒の部屋になど、入りたくないものだのう!」
同日夜半、タゥエンドリン宮殿、廃城砦
その夜、借りた鍋で湯を沸かし、焼いた握飯を放り込んで雑炊を作った昌長達。
芋縄と干魚を加えれば、立派な戦場食である。
自分達が休む場所の清掃はとっくに終えており、今は各自が思い思いの場所に寝筵を広げて荷物を置き、木椀によそった粥を掻き込んでいる。
「まあ、これでもしゃあないか」
「まだどうなるやら分かれへんよってにな」
口をもぐもぐと動かしながら話す、月霜銃士隊の雑賀武者達。
本当は豪華な食事を期待した雑賀武者達だが、自分達の立場の微妙さはよく承知しているので、それ以上の文句を言う者は誰も居ない。
全員が傭兵として日本各地で働いた事があるだけに、部外者である自分達が戦功を上げ過ぎた時の厄介さはよく理解しているのだ。
持ち込まれた燭台に設置された蝋燭に火が点され、昌長の居る部屋とその周囲を照らし出す。
また元々壁に設置されていた燭台にも各々蝋燭が置かれ、廃城砦の中を数十年ぶりに隅々まで明るくしていた。
「すみません、本来なら神術燭光を用意すべきなのですが……」
「あ~いや、明かりをこんない貰えるんや、全然文句ないで」
フィリーシアの謝罪に、昌長は笑って応じる。
いくら王女を助けたとは言え、これほどの物を用意するのにはそれなりに手間暇や金銭が掛かるのは間違い無い。
しかしそれを為し得るのは、タゥエンドリンが経済的に並外れて豊かであるからに他ならない。
フィリーシアの話では、神術燭光という物を使えばもっと手間を掛けずに明るく出来るというのだが、それは高価でもあると言う。
フィリーシアの考えではそれを使うだけの値打ちが自分達月霜銃士隊にあるというのだが、昌長としては蝋燭で十分。
あまりに室内が明るいと外から丸見えで不用心な上に、目が闇に慣れにくくなる。
「あんまり気い遣わんでええで、姫さん」
「はあ……」
昌長の言葉に渋々引き下がるフィリーシアであった。
「譜代衆はどう出てくるかいなあ?」
「その譜代衆がどんな奴か分からんのじゃ、判じ様ないわえ」
「いきなりやられへんとは思うけどの」
そう言いつつ、借りた鍋や自前の木椀の汚れを汲み上げた井戸水で洗い落とす吉次達。
しばらくしてから、彼らは闇夜に聳え立つ重厚な建物へと戻る。
そこには、破れた鎧戸を繕われ、外れた石を填め込まれて蘇った建物があった。
ちらりとその屋根を見た照算であったが、何事も無かったかのように建物の中へと入っていく。
中では、王に対する報告を終え、服を地味な緑色のスカートと半袖上衣に変えたフィリーシアが、昌長達に一生懸命グランドアース大陸について講義をしている最中だ。
大きな毛織り絨毯に織り込まれている模様は、何を隠そうこのグランドアース大陸の全土を表わす、貴重で持ち出し禁止の大地図である。
大地図を照らすのは左右に置かれた燭台と、室内の蝋燭。
その前で、手や指を使って部分部分を示しつつ、フィリーシアが補佐役の森林人の手を借り、精一杯声を張って説明しているのだ。
一通りの説明が終わり、用意された椅子に深く腰掛け直し、腕を組み替えながら昌長がつぶやくように言う。
「この大陸のおおよそ西側がワイらとよう似ちゃある平原人とか言うんが住んでて、逆の東側は蜥蜴人が多いんやな。そんで中央部が姫さんみたいな森林人、東端部と西端部が獣人っちゅう、猫やら犬やらと混じったような人が住んでんのか……よう分からん」
昌長がフィリーシアの講義を聴き終えて感想めいた言葉を吐くが、それはここに居る雑賀武者達全員の気持ちを代弁していた。
南蛮人の国かと思いきや、どうにもここは不思議な民族が多数存在するようである。
獣人と言われても、昌長達は猫又や川獺、はたまた犬男のような、妖怪とされているものしか想像出来ない。
尤も、リザードマンだけは直接目にしているので、そういった者達が現実に存在しているという事については理解した。
「はい、因みに南には本当に小さな妖精族、東南には小柄で頑健な坑道人が都市や部族単位で暮らしています。獣人も部族や町単位で生活していますから、国を作っているのは私たち森林人と平原人、それから蜥蜴人です。まだ他にも種族としては沢山居ますけれども、概ねは今お話ししたとおりです」
フィリーシアの補足説明を聞きながら、鈴木重賢が一生懸命自分の帳面に書き物をしている。
因みに今この部屋にいる昌長達は、書き物を一生懸命している宗右衛門を含めて全員鎧兜を脱ぎ、脇差しだけを差した素襖直垂と呼ばれる着物姿だ。
紺色や淡黄色、緑色、白色など様々な色の直垂姿は、石造りの城塞においては異相を放っている。
フィリーシアはともかくとして、補佐にやって来た森林人の衛士と官吏は、その珍しい平原人の装束や風体に目を丸くしていた。
一方の宗右衛門は、ようやく書き物が終わったのか鉛筆を懐へ戻し、満足そうに大きく息を吐くと自分の帳面を手にとって眺める。
この有能な鍛冶師はフィリーシアから譲られた鉛筆にいたく感心し、慎重に、しかし積極的にそれを使用して、得た情報をきっちりまとめているのだ。
「平原人で有力なんが、弘昌国、宗真国、候担国。森林人で有力なのが、タゥエンドリンとカランドリン、坑道人都市で有力なんが、スフィーラとパリエル、コルクント。獣人で有力な部族が、ライオネル、ウルフェンといったところですか」
お浚いのつもりか、宗右衛門が自分の帳面を見ながら顔を若干赤くして復唱している。
本当はまだ沢山の部族や勢力名が記されているが、フィリーシアから特に言及のあったものだけを並べてみたのだ。
「おい、宗右衛門よう。あんまい無理せんで覚えやんでもええんちゃうか?」
「いえいえ、そういうわけにはいきません」
湊高秀が軽く言うと、今度こそ宗右衛門ははっきり顔を赤くして叫ぶ。
「各地の土地柄や政情、有力大名は押さえておかなければなりませんでしょう?昔の日の本で武田に上杉、織田に毛利も知らんのでは、傭兵は疎か商売も出来ませんよ」
「そ、それなあ」
宗右衛門の理屈に圧倒され、軽い気持ちで発言した高秀が後ずさる。
確かに傭兵を今後も生業にしていく公算が強い以上、昌長達にとって情報は何よりも大切だ。
現時点で傭兵以外に金穀を得る術が無いので当然なのだが、事前にしっかり情報を得ておかなければ思わぬところで足を掬われる羽目になるのは、雑賀武者ならば全員が全員知っている。
なので宗右衛門が言うとおり、各種の情報を覚えようとするのは当然なのだ。
「お気楽では何時までもやっていけませんよ」
「や、やかましいっ」
「ははは、理屈屋の宗右衛門をば構うからそうなんのやいしょ」
「ぬうぅ」
まさにお気楽気分で発言していたので、今度は宗右衛門に痛い所を突かれた高秀が顔を真っ赤にして怒るが、その怒り方がひょうきんだったので昌長達はどっと笑った。
フィリーシアや補佐に来ていた衛士と官吏も、雑賀武者達の屈託の無い笑いと朗らかさにつられて笑みを浮かべる。
リザードマンを苦も無く撃破した屈強な異相の武人達。
しかし彼らも笑いを解する機知や感情を持ち、冗談や雑談に興じる人であったのだ。
フィリーシアの付き人を命じられ、怖ろしげな鎧兜姿の雑賀武者達と接しなければならなくなった事は、彼らにとって決して良い事ではない。
むしろ何をするのか分からない、文化や習俗、思考形態の異なる平原人であるだけでなく、このタゥエンドリンには余り居ない平原人という人種にどう接して良いのか分からないというのが正直な感想で、出来れば余り関わり合いになりたくないと願っていたのだ。
しかしその考えが間違いであった事に気付いた彼らは、俄然昌長達に対する興味が沸いて来た。
元来、悪戯好きで好奇心旺盛な森林人。
今は世相や政情が暗い事もあって、その闊達さは封じられているが、本来はおかしく楽しく長い人生を楽しむのが彼らの流儀なのである。
「姫さん、後でワイらにこの国の貴族の事をおせかえして(教えて)よ」
「よう頼むでえ」
昌長の言葉に続いて義昌が頼み込むと、笑いながらフィリーシアは頷いてその要望に応じる事を約束する。
「わ、わいも!」
すかさず高秀も手を挙げるが、呆れ顔の津田照算に肩を掴まれて押さえ込まれる。
そして神妙な顔付きで首を左右に振りながら、高秀の耳元へ囁く照算。
「湊……意地張んな」
「そ、そんな事無いわ!」
悲鳴じみた声を上げる高秀。
再びどっと笑いが起こり、最初は遠慮がちであったフィリーシアや補佐役の官吏と衛士も今回は堪りかね、声を上げて笑う。
フィリーシアらと月霜銃士隊の間に、良い雰囲気が醸成されつつあった、その時。
建物の屋根から腹に響く低い発砲音が轟いた。