第51話 カレントゥ城下町の発展3
鈴木孫三郎重之は、抱大筒の技のみならず戦場での組み討ちの名手でもある。
背丈はそう高くないが、筋骨隆々の身体。
太い眉が意志の強さを感じさせるものの、口元や目元に何とも言えない愛嬌があるためか強面には見えない。
しかし彼は素手での格闘においては、雑賀においても1、2を争う武芸者であった。
今は愛用の抱大筒が修理中という事もあって、放ち稽古は暫し休み。
代わって積極的に行っているのはもう一つの得意である組み討ち稽古であった。
今も豪快な笑い声を上げつつ、訓練に参加している猫獣人や犬獣人をいなしている。
「わははははは、そんなんやったら猫の子も転がせんでえ!」
「くぬうっ、もう一度!」
「やあっ!」
膂力も強く、身体能力も平原人より遥かに高いはずの猫獣人や犬獣人達だったが、重之にかかってはまるで風に煽られる落ち葉のような有様。
掛かっていってもすっぱりと投げ飛ばされ、足を掬われて転ばされ、担ぎ上げられては地に投げ落とされと良いようにあしらわれている。
掴みかかった途端に手と足を払われて宙を舞い、殴りかかれば腕を絡め取られて地面に投げ落とされる。
体当たりすらもどこをどうやっているのか、気付けば地響きを立てて天を仰いでしまっているのは、何故か体当たりをした獣人の方。
「くそう!」
ばっと筋力のみで跳ね起きた獣人が悔しげにうめいてみれば、正に隙ありの状態。
片膝を付いた姿勢で別の獣人を押さえ込んでいる鈴木重之の背後目掛けて襲いかかる。
しかし……
「ああっ?」
掴みかかった肩口が衣服ごとずれたと思った瞬間、宙を舞う獣人兵士。
背中から地面にしたたかに打ち付けられ、声も出せずのたうち回る様を見てようやく獣人兵達の動きが止まった。
鈴木重之は自分に押さえ込まれたままじたばたしていた猫獣人を、きゅっと捻って締め落とすとゆっくり立ち上がる。
その気勢に呑まれて後ずさる獣人兵達を眺め回し、ゆっくりと言葉を発した。
「ええか!力や勢いだけで掛かっていくと隙しか出来やん。そこを上手く突かれるからお前らは全くちっとも戦いで勝てやんのよ!まずは基礎からやる、くだらんと思うかも知れやんけど、まずはおまんらに身体の使い方を覚えさすよってな!」
そう言うと鈴木重之は、締め落とされてだらしなく舌を出したまま白目を剥いている猫獣人の上半身を起こして背中に活を入れた。
「鋭っ!喝!」
「……はっ?」
気合いを掛けられて息を吹き返した猫獣人を見た周囲がどよめく。
今まで頬を何度も張り飛ばすか水を掛けるぐらいしか気絶した相手にしていなかった獣人達が、鈴木重之の妙技に驚いたのだ。
「おう、おまんは素質あるけど乱暴やな。力の使い方をしっかり身に付けえ」
「は、はあ……?えっ?」
蘇生したばかりで訳の分からない猫獣人は、目を白黒させながら重之の言葉に応じる。
その肩を叩きながら重之は再度口を開いた。
「まずは防御の術からや!」
鉄炮奉行と合わせて焔硝奉行にも任命された芝辻宗右衛門は忙しい。
先程までドワーフの鍛冶師と散々にやり合いながら鉄炮を張り立てていたが、今度は火薬の製造と調合である。
もちろんそれには木炭の購入や硫黄の移送だけでなく、硝石の製造も含まれる。
青焔山から硫黄と硝石を導入する目処は立ったが、硝石はいくらあっても困る物ではないし、製造場所や保管場所は危険分散の観点からも複数あった方が望ましい。
硝石製造所に駆けつけた芝辻宗右衛門は、牛馬の糞尿や人の糞尿を大いに集め、更にはサラリエル族から導入した蚕の糞を藁や雑草と合わせて土と混ぜ込んで泥土化を図ったものを観察する。
目には見えない臭気が漂い、思わず宗右衛門は顔をしかめた。
臭くてたまらないこの汚物の混合物をかき混ぜ、随時追加し、数年掛けて汚泥化するのだ。
出来上がった泥土を最後に煮詰め、上澄み液を抽出してから乾燥させれば硝石が出来上がる。
そして宗右衛門が閉口する凄まじい臭気を伴うこの作業を行うのは、何と森林人の勇士達。
分厚い布で口と鼻を覆い、目に涙を浮かべながら金髪碧眼の森林人が汚泥を掻き回している姿は何とも滑稽だ。
しかし、一度大規模な爆発事故を起こして被害を出している雑な獣人達に作業を任せるわけにも行かず、宗右衛門は高給をもって繊細な作業が出来る彼らを雇い入れたのである。
ただ定着率が良くないのは言うまでもないことで、1月保たずに止めていく者がほとんどだった。
併せて古屋の床下から採取した土を使い、煮詰めて硝石を抽出する方法も行われているが、こちらも同様に作業をしているのは森林人ばかりで獣人は1人もいない。
いずれ硝石造りを含めた火薬製造の分野においても職人を育成し、硝石の生成を任せたいと考える昌長だったが、その道のりは遠いとしか言いようがない状態だった。
「ああ臭い臭い。こればっかりは何時までも慣れへんですわ」
愚痴ろうが文句を言おうがこの作業を代わってくれる者はいない。
火薬の調合と精製においても鉄炮の製造同様に名人である芝辻宗右衛門の目には、未だその本質を持った火薬は出来ていない。
間もなく大規模な戦乱が訪れる事は誰もが感じており、かく言う宗右衛門自身も感じ取っている。
そんな世界情勢であるからこそ、頼みであり命綱でもあるのが火縄銃。
そしてそれを強力な武器たらしめている、火薬と弾丸。
早急にしかも確実に高品質な火薬を大量生産する必要があったのだ。
「何とかこの臭気に耐えられる、繊細な民人をば探さんとあかんですね」
「繊細な者であればあるほど、この臭気に耐えられないと思いますが……」
配下の森林人が太郎衛門の愚痴に応じて恐る恐る言う。
確かに繊細な者が一番嫌う、汚さと臭さがふんだんに散りばめられた焔硝造り。
その作業に向いている者が、必ずしもその作業を好きであるわけではない。
獣人が失敗したが故に回ってきた役割だが、エルフ達からすれば給料こそ良いので続けているだけで、とても長くやる仕事ではない。
「何とかならんですか?」
「何ともならないでしょう。正直に申し上げまして、ソウウエモン様以外にこの作業を好んでする方がいるとは……思えません」
口と鼻の覆いをもごもごさせて口めいた言葉を発した太郎衛門に、同じ格好をした森林人が応じる。
「わいかてこんなん好きでやってんちゃうわ!」
その言葉を聞いて宗右衛門の肩が落ちたのは言うまでもない。
物静かな津田照算は、紀州人には珍しい大人しく口数の少ない人物である。
なにかとお祭り騒ぎが好きで楽天的、そして享楽的な気質の強い紀州人気質を色濃く表出させている雑賀武者達の中で、非常に寡黙である事で知られている。
そんな気質の中でも凝り性というものについては他の紀州人と同様な津田照算。
彼が得意とするのは根来寺で学んだ薬学や医術、それに製紙や墨造り、漆造り、布作りなどの素材を作り出す技術だ。
また漆器や陶器、織物にも詳しいのは、かつて所属した根来寺が、紀ノ川と紀伊雄之湊を使って海外と交易し、莫大な富を得ていたからでもある。
その莫大な富の源泉となった産物が、根来塗と後世呼ばれることになる漆器であり、油であり、刀剣などの武具などであった。
もちろん黒色火薬の配合改良、弾丸の形状や材質についての研究にも余念が無いのは、最早根来衆としての嗜みとも言えよう。
それ以外にも綿花栽培や養蚕、麻栽培の導入、製紙業の伝達、穀物酒やたまり醤油、味噌の醸造、漆の製造と漆器作りなど、吉次と照算の知識によってこの世界やこの地にもたらされた技術や産物は数多くある。
併せて射撃術も長鉄砲を使う長距離かつ正確無比な狙撃が出来る。
それは名人芸の域に達しており、津田照算は精緻精妙の極みにある玄人銃手なのだ。
正に凝り性の面目躍如であり、あまり外に出る形のものではないが、彼が数々の技能や知識を会得する事が出来た理由でもあった。
そんな彼は森林人の木工職人や坑道人の鍛冶職人達と話し合いの真っ最中。
1人のエルフの木工職人が照算の持つ器を示して問う。
「本当にそんな効果がこの黒樹木の汁にあるのですか?」
「間違い無い……わいのいてた所では……ウルシちゅう」
今、照算が手にした器の中には、近隣の森に生える黒樹木と呼ばれる樹木から採取した漆黒の液体が入っている。
津田照算ならば間違えようも無い、漆である。
「これを……鉄や木に塗り込むのだ……防水や防腐の効果を付ける……事が出来る」
「ふううむ、聞いたことも無い」
ドワーフの鍛冶職人が戸惑いを隠そうともせずに言うと、津田照算は自分が普段着用している、雑賀製の黒い具足を示す。
このためにわざわざ城から持ってきたのだ。
「……これ、見てくれ……わいの鎧やが……鉄の上に塗っちゃあるんが……この漆や」
「ほう?見せて頂こうかのう」
「これが完成品の実物ですか?」
鍛冶職人と木工職人が興味深そうに照算の鎧を観察し、手で触って確かめる。
小札や胴丸の部分に塗布された漆を手でなぞる職人達。
そして感心しきりに頷いたり、驚きの表情で小札を手で持ち上げたりしている。
「なるほど、優秀な防水塗料であるわけだな……それも鉄にまで使えるとはのう」
「塗料が乾燥した後の素材との間に浮きも無くしっかり鉄と接着しておるの」
「見れば木とも鉄とも区別の付きにくい不思議な光沢ですね……」
「幾重にも塗り重ねてあるのですね……なるほど、これは手の込んだ仕様だ」
「確かに鉄だが……錆は一切浮いておらぬな」
口々に感想を言う平原人やエルフ、ドワーフの職人達だったが、そこに否定的な響きは無く、賞賛に近い物がほとんどだ。
それを聞いて満足そうに頷くと、照算は静かに口を開く。
「辰砂(硫化水銀)を混ぜれば……赤く。鉄粉を混ぜれば……この様に黒くなる……ただ体質によっては酷くかぶれる……場合がある。製造過程、においては……極めて要注意なものや……子供は使わん方が……エエで」
「ふむふむ」
「興味深いものよの」
新たな産業が、新たな技術が伝承される瞬間。
鎧や武具の製造方法と共に、月霜銃士爵領では日の本風、しかも紀州は雑賀製の物に類似した鎧兜が製造されていくことになる。
加えて漆の技法伝承により、エルフは漆器や塗器、蒔絵工芸を自分達の文化に併せて発展させ、ドワーフは鎧の小札技法と共に金属の防腐、防錆処理の1つとして漆塗りを取り入れ、これまた自分達の文化に併せて発展させていくのだった。




