第48話 戦乱前夜
昌長一行がシントニアの防衛戦に手を貸し、その都市丸ごとの脱出作戦を敢行している頃、グランドアース大陸各地でも動きが活発化し始めていた。
黄竜王に備えて軍事力を溜めていた平原人国家では、その脅威の大元である黄竜王が討たれたことでかえって軍事的な緊張が高まった。
それまでは黄竜王に備えていた軍事力が宙に浮き、周辺の勢力に対する軍事的な圧力を増すことが出来るようになったのだ。
一部の平原人国家は余剰分となった軍事力を削減する方向には向かわず、その軍を領土拡大と勢力拡大に向けて使おうと画策し始めた。
その動きに対抗すべく、特に領土的野心を持たない国も軍事力を維持、あるいは増強せざるを得ず、緊張が高まり始めていたのである。
いくつかの国家間で軍事的な動きが起こり、国境付近で小競り合いが頻発するようになると、平原人国家は黄竜王に対する緩い軍事同盟関係が完全に消滅、きな臭い雰囲気が漂い始めた。
宗真国主都、広栄府
宗真国は平原人国家の中でも精強富裕で知られ、東部の森林人国家タゥエンドリンやカランドリンとも対等の外交関係を結ぶ、列強の1つである。
その国柄は、まさに尚武。
武人が身分上位に位置し、歴代の王は全て武を国家の基本方針としてきた。
主都である広栄府もその特色が良く出ており、季節は冬という事もあって、その灰色具合に一層磨きが掛かっている。
高い城壁、頑丈な鋼鉄製の門扉、ハリネズミのように備えられた防御用の固定機械弓。
軍事的な要素の強い王宮で、宗真国王のタン・エンテンは、北方の国境で黄竜王に備えていた軍を指揮していたイン・シンキン上将の報告を受けて、大きく溜息をつく。
「青竜王がいては、北の地への進出は無理か……」
「は、確かに軍という物は持っておりませんが、青竜王は我々平原人国家に青竜王領の復活を宣言しております。これと事を構えるのは不可能です。我が国は黄竜王の竜撃に匹敵する……いや、それ以上の打撃を受けるでしょう」
イン・シンキンから献上された黄竜王の指を見て、エンテン王は再び溜息をつく。
その王にイン上将は言葉を継ぐ。
「……しかしながら、備えは怠れません。青竜王はタゥエンドリンのフィリーシア王女や月霜銃士爵のマトゥバマサナガと強固な繋がりを持っております。あの野心家のタゥエンドリン王がこれを利用しないとも限らりません。備えは対人のものへと変える必要がありますが、以前よりは軽減できるでしょう」
「南の豪藩国の動きが怪しいのだ。出来れば北の兵は全て南に回したい」
「では、方法は1つしかありません」
エンテン王の言葉に、笑みを浮かべたイン上将が言葉を継ぐ。
「青竜王に絶大な影響力を持つと思われる、月霜銃士爵と誼を通じるのです」
「なるほどそれも手か……間諜の報告や使者達によれば、月霜銃士爵はタゥエンドリン王とは距離を置いているらしいしな」
「では?」
「うむ、宰相や官吏共の説得は我に任せよ。イン・シンキン上将は使者として月霜銃士爵領へ赴け。利害関係にもよるが、出来れば月霜伯と攻守同盟もしくは不可侵協定を結べ」
「はっ、承知致しました」
マーラバント首府、ヘルカ
大河の支流の中でも大きなものの1つ、マーラバント川の西側に広がる大湿地帯の中央部にある、石垣の基礎の上に木材で作られた巨大な町が、マーラバントの首府ヘルカと呼ばれる大都市である。
船や泳ぐ他にヘルカへ行き着く術はなく、道路や街路の類いは一切整備されていない。
外部からの接続も同様で、道路や街道らしきものは湿地帯である事もあって見当たらないのは、リザードマン達がその様な物を必要としていないからだ。
町には街路の代わりに水路が張り巡らされ、船や泳ぎのリザードマンがその水路を所狭しと動き回っている。
家や建物の玄関には広い石畳の上がり口が階段と共に設けられており、用件の有る建物へ入る前にリザードマン達はそこで軽く水を振り落としてから中へと入る。
そのヘルカの中心部には、一際高い石造りの建物がある。
天頂にはマーラバントの国章が掲げられており、それがこのリザードマン国家の王宮である事を示していた。
その王宮の更に中心部にある王の間では1人の巨体を誇るリザードマンが水を張った室内の中に設けられた玉座に座り、配下の戦士からの報告を受けている。
「フラーブフやラークシッタからの応援要請が届いておりますが……」
「国を出て行った者どもが今更私に救援要請か?ふん、カッラーフめがやられてからは負け続きのようだからな、無理もない」
「如何なさいますか?」
戦士長の問い掛けに、マーラバント王レッサディーンは首を傾げる。
そもそもカッラーフは国の方針に逆らい、自分の配下の戦士達を率いてタゥエンドリン王国へ攻め入り、エンデの地に侵攻したのだ。
上手くいっている間は傍観してやっていたが、その肝心のカッラーフが謎の平原人傭兵隊、月霜銃士隊に討たれてからカッラーフの郎党は体勢を立て直すことも出来ずに押し込まれていると聞く。
派遣している間諜の報告でも、月霜伯となった的場昌長率いる月霜銃士隊厄介さは際立っていた。
しかも黄竜王、深海王と人族にとって厄介極まりない太古の神族の流れを汲む化け物共を倒し、封じられていた青竜王を解放して同盟を結び、大河においてはマ-ラバントに友好的であった大河水族の協力を取り付けて大陸南岸までの交易路を押さえてしまった。
このままタゥエンドリンの先兵として月霜銃士隊に出てこられては苦戦は免れない上に多大な犠牲が生じる恐れがある。
かつては自分と王位を争ったカッラーフが討たれたことによって、レッサーディーンは昌長達が思う以上に警戒心を強めていた。
故にエンデの地に進出した戦士達の救援には動かず、兵は湿地帯の入り口に集めて防御的な姿勢を取っているのである。
「さてさて、どうするか?」
レッサディーン王は長い二股の下をちろちろと口から覗かせつつ嬉しそうに言う。
周辺の獣人や平原人の集落を攻めたり、支配下に治めたりしているレッサディーンだったったが、未だ大国との戦いには踏み切っていない。
別のリザードマン国家であるコーランドや森林人国家のタゥエンドリン、それに獣人の大族ライオネルと国境を接するマーラバントだが、うかつにどれかを攻めれば周囲の国から袋だたきにされる恐れもある。
大湿地帯の中に国を構えるリザードマン国家を他の人族国家が攻め取るのが容易ではないのは言を待たないが、不可能なことではない。
レッサディーンとしてはリザードマン領域を二分するコーランドの征服を最初にしたい所だが、周辺国の動向も不安定になってきており開戦に踏み切れないでいた。
しかしこのまま逼塞していては何も出来ない。
幸いにして救援要請という名の大義名分は、エンデの地からやってきた。
「まずはタゥエンドリンと一当てしてみるか、そのついでに馬鹿共を助けてやろう」
「承知致しました」
ゴルデリア坑道王国中枢鉱山都市、ゴルデリア
深く地の底まで広がる大坑道。
本来暗く、日の光の届かない闇の世界である場所だが、現在は昼夜を問わず魔術光で煌々と照らし出されており、ここが大山塊の地下深部である事を忘れさせる。
縦横無尽にしかれたトロッコのレールと水道、それに水力式の起重機や滑車が大坑道の中で盛んに人や物を上下させていた。
そこかしこから響くのは岩を穿つ槌音と金属を打つ音。
水車に連動した自動槌が大岩を砕き、熱せられた各種の金属を打ち鍛える。
もうもうと湯気を立てながら側溝を流れるのは、融かされた金銀銅などの貴金属。
これらは精錬所から側溝によって繋がれた鋳型に流し込まれ、インゴットにされるだけでなく純度の高いドワーフ金貨やドワーフ銀貨へと生まれ変わる。
働いているのは、背丈低く足腕太い、強力にして繊細なる手を持つ坑道人達。
彼らが生み出す武具や工具、治具や金属器、それに宝石、装飾品、金銀銅貨は大陸随一の精度と精緻さ、それに加えて頑丈さを以て知られ、各種族の国々はそれを求めて止まない。
今までは物造りと商売のみで満足していた坑道人達だったが、グランドアース大陸が混迷の度合いを深め戦乱の兆しが見え始めると1人の英傑が立った。
ネルガド英傑王である。
彼はここゴルデリア鉱山都市の職長の地位にあったが、商売や製造では飽き足らず、自ら屈強な坑道人兵を募り、それまで独立割拠していた鉱山都市群を攻め落として回ったのだ。
商業色の強い南岸諸都市を除き、南部大山塊に住まう坑道人が建造していた都市の大半を支配下に治めたネルガド王は平原地帯にその勢力を伸ばし、その地に住まう平原人を取り込んでゆく。
そして坑道人と平原人を国の基本的人材と為す、ゴルデリア坑道王国が成立したのだ。
「なあにい!?ゲルトンがシントニア如きに後れを取っただとう!」
濁声でがなり立てるように言葉を発する赤髭を顔中に生やした、平原人で言う所の中年と見える大柄な坑道人。
豪華で大きな大理石製の椅子に座るその人物の頭には、金や銀、宝石をふんだんに使用したきらびやかな王冠が載せられており、手には周囲の風景を映し出す程にまで磨き抜かれた戦斧がある。
地下では手に入らない上質な絹製の衣服の上から魔法金属製の鎖帷子を身に纏い、更にはこれまた上質な毛織物のマントを装着している。
その前にかしずくのはミスリル製の兜と板金鎧を身に付けたドワーフ。
彼は怒声に近い大声を浴びせられても動じることなく跪いたまま報告の言葉を継ぐ。
「いいえネルガド王。ゲルトン将軍はシントニアを陥落せしめましたが多数の兵を失い、更にその際に怪我を負ったとのことです」
「それが後れを取ったと言うんだ!」
報告を行った職長補佐へ怒声を放つネルガド王。
しかしすぐに顔から怒りの表情を消し、ネルガドは思案に入る。
かつては敵都市の職長であったとは言え今やゲルトンは立派なゴルデリアの将軍であり、ネルガドの腹心の部下とも言うべき者である。
その武技と指揮能力を買ってネルガドは敵であったゲルトンを将軍へと抜擢しているのだ。
そのゲルトンを相手にして陥落したとはいえ弱小都市の防衛を行い、あまつさえゲルトンに怪我を負わせたというのだ、ただ者ではあるまい。
「相手は何者だ!」
「タゥエンドリンの月霜銃士爵とその配下の月霜銃士隊ということです」
「ゲッソウジュウシタイ?……おう、あれか、最近北の地を騒がしてるって言う、得体の知れない平原人の傭兵団だな?」
正体の名前に聞き覚えのあったネルガド王は、得心したように頷くと言葉を継いだ。
「どうせ北の地のいけすかねえエルフ共の誇張か、作り話の類いだと思ってたんだがな。なかなかどうしてゲルトンに手を焼かせるとは本物かもしれん!……それでシントニアはどうした?壊滅か?」
そうであったとしてもシントニアが滅んで、ついでに月霜銃士隊が壊滅していれば何も問題はない。
ネルガドの大陸南部制覇の邪魔をする者は、何人であったとしても滅ぼすのみ。
その最初の生け贄となったのであれば、多少の抵抗や損害はものの数ではない。
しかし職長補佐の口から出たのは信じられない言葉であった。
「シントニアは月霜銃士隊の働きで都市住民のほぼ全員が脱出に成功し、今は大河を遡上しております。おそらく月霜銃士爵の治める地へ移転するつもりであると思われますが……詳細は不明です」
「何だとう!?」
職長補佐の言葉にネルガド王は目を剥いて怒鳴る。
「やられっぱなしじゃねえか!」
「そのとおりです。我が方はシントニアの土地は手に入れましたが、人や財産は全て持ち去られてしまっています。見事に逃げられました」
「くそう!月霜銃士爵め!」
「しかし大陸南岸の6都市は我がゴルデリアの軍門に降り、その国勢は手に入りました。予定どおり海軍の編成を始めますか?」
悔しそうにうめくネルガドに職長補佐が淡々と告げる。
その言葉を聞いたネルガドはすぐさま頷く。
「無論だ!その為に7都市同時攻撃をやったんだ……ふん、海軍を編成した暁には都市連合は元より、その周辺は無論のこと大河を遡って各地を征服してくれるわ!ついでに月霜銃士爵には直々にシントニアの落とし前を付けてやるぜ!」
タゥエンドリン王都、オルクリア
樹木の緑も濃いタゥエンドリン王都オルクリア。
相変わらず木々の間を通る風は、微香を含み肌や鼻に優しい。
しかし、そのさわやかな町並みとは真逆の策謀が、ここ王宮の中枢で練られていた。
「……今度はドワーフ共を都市ごと移転させておるじゃとっ!?」
タゥエンドリン王がカレントゥや昌長の近況報告を聞いて目を剥く。
それも道理、ただでさえ森林人とは余り仲のよろしくない坑道人を、事もあろうに端とは言えエンデの地に都市1つ分もの人数を呼び込んでいるというのだ。
エンデの地と大河、そして碧星乃里や名も無き平原との境目にあたるカレントゥ城を中心とした土地に、月霜銃士爵こと的場昌長が町造りをしているのは報告を受けて知っている。
住人はエンデの森林人を主体に獣人、それに平原人が少々であるので、それ程問題視していなかったが、ここに大量の坑道人が加わるのだ。
正に多民族、かつ多人種都市となる。
「その様な汚れた者共を認めるわけにはいかぬっ!」
「しかしながら、月霜銃士爵が町を築いておりますのは、与えてしまったカレントゥの城周辺でございます。これを制止するのは無理があるかと……」
腹心のレウンデルが申し訳なさそうに言うと、畏まっている彼の者を睨み付けてからタゥエンドリン王が問う。
「何とか出来ぬのか!」
「現状では如何とも……マーラバントの残党共は攻勢に出ることこそありませんが、現在も盛んに挑発してきているようです。オカヨシツグはマサナガの帰還を待つ構えのようで、砦に籠もったまま防備を固めて出ていきません、罠に填めるには無理があるかと……」
レウンデルの追加報告に、苛々した様子でタゥエンドリン王は王座から立ち上がる。
岡吉次率いるカレントゥ守備隊は守勢に回って停滞中。
獣人達が碧星乃里において硝石を製造する過程で爆発事故を起こしたてしまった影響により、黒色火薬の製造が停止しているのだ。
鉛はまだ在庫があるので弾丸の製造については余裕があるものの、火薬切れだけは如何ともしがたく、仕方なしに吉次は攻勢を一旦辞めて防御に徹して火薬を節約している。
その為攻勢が止まり、タゥエンドリン王の策略は上手く発動しなかった。
「忌々しい!」
「マーラバントの残党共は本国へも救援要請を行ったようでございますから、ひょっとしたらマーラバントが月霜銃士爵領へ攻め込むかも知れません」
「マーラバントの攻撃は何時あるかも分からぬ、それに、奴らが来ては再びエンデの地はトカゲ共の手に落ちてしまう」
王の言葉に腹心達も黙り込んでしまう。
現状では月霜銃士爵の勢力拡大を掣肘する理由がない上に、当の本人である月霜銃士爵、的場昌長自身にも隙が無い。
「忌々しい……」
恨みがましいタゥエンドリン王の言葉に、メゥリンクがおそるおそる提案を口にした。
「それでは逆に我らの戦いに月霜銃士爵を駆り出しては如何でしょうか?」
「何?どういうことだ?」
その言葉に王が食いつくと、メゥリンクはほっとしてから話し始める。
「たとえば弘昌国やマーラバントとの戦いに月霜銃士爵を招集するのです。月霜銃士爵は曲がり形にも我がタゥエンドリン王の直臣、戦時召集には兵を率いて参集に応じねばなりません」
「なるほど……その戦いで過酷な戦場に位置させるのだな?」
タゥエンドリン王がいやらしい笑みを浮かべて言うと、メゥリンクも顔を歪めて笑う。
「応じなければタゥエンドリン王の名をもって征伐、応じれば過酷な戦場にてその戦力をすり減らしてやれば良いのです」
「あい分かった!では油断無く周辺国を監視し、我が国に攻め入りそうな国があれば、その国との戦場に月霜銃士爵めを召集するとしよう」




