第44話 シントニアの危機
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火炎に包まれつつある都市、シントニアの中央部。
本来であれば黄みがかった美しい光沢を保つ大理石で覆われた石畳は、炎の熱と光を映し込んで禍々しい赤となり、磨き抜かれていた種々の建築物の壁面は敵の投石機による攻撃で凹損やひび割れ、果ては穴を穿たれて見る影も無い。
その穴ぼこの壁面に時折設けられた窓は、今や採光の用を成さず猛烈な火を噴き上げ、建物を一個の焜炉と見立てた際の火口と化していた。
各地から船で運び込まれる産物が所狭しと並び、この地においては偏見の対象ともなる獣人や森林人、主役たる坑道人や平原人の別なく行き交う自由都市。
シントニアはその盛時の姿を完全に失った。
街路にはあちこちに老人女子供を問わず焼け焦げた無残な死体が転がっており、この火災がただの災害では無く、紛う方無き戦災である事を示している。
生き残った民は難を逃れんと海岸を目指すが、その途中で火炎に巻かれた町並みを右往左往しては、力尽きて事切れ、付近に転がる黒焦げの死体の一つとなりはてた。
ほんの数日前まで、緑あふれる物産豊かな街路を歩いていたはずの人々の、それが今の姿なのである。
シントニア市中心部、官公庁街区の正に中央。
平時であれば数多の商人が集い、官吏が忙しく行き交うこの場所も例に漏れず戦場と化していた。
商人に変わって行き交うのは傭兵であり、官吏の代わりに走り回るのは兵士や伝令。
未だかろうじて火の手も敵弾の飛来も無いその場所には、シントニアの数少ない都市衛兵が集結していた。
都市衛兵は装飾のほとんど無い、黄味がかった光沢のある丸い簡素な形の兜をかぶり、縦長の樫材の大盾、短めではあるが穂先の長い槍、ミスリルという希少金属を打ち鍛えて作製した鎖で編んだ帷子を装備している。
背丈こそ低いがどっしりとした体型の坑道人都市衛兵。
その姿は典型的な南方諸都市国家群の坑道人兵の兵装である。
彼らが守りを固めるのは、執政官公舎。
城館の形をした政庁に南方風の鎧兜で身を固め、戦槌を杖代わりにして立つのは、この平和だった交易都市の執政官を務めるバイデン。
南方の諸都市より若干距離を置いた地点に都市を構え、森林人や獣人との中継交易を取り仕切る事で栄えてきたシントニアの3代目執政官である。
彼は困り果てたように黒々とした長い顎髭を右手で撫でながらつぶやいた。
「もはやこれまでか……私の代でこの都市の歴史を閉じねばならんというのは、断腸の思いである」
「執政官。敵があの英傑ネルガド王では致し方ありません」
職長のナルデンがその勇ましい武装とは裏腹に、諦めた様子で応じる。
この都市のみならず、坑道人都市で職人や工人を取り仕切るため大きな権力を持つ職長の地位に就く者は気性の荒い者が多いのが常であるが、このナルデンは珍しく大人しい性格をしている。
「いきなり何の理由も無く攻め込んでくるとは!ネルガド英傑王の名が泣くわ!」
翻って衛兵長のリンデンは憤懣やるかたない様子で手にしていた斧の柄を床石に叩き付け、鼻息も荒く大声で応じる。
リンデンが言うとおり、この自由都市シントニアは現在近隣に威を張る坑道人と平原人の混合国家を率いる、坑道人のネルガド王の攻撃を受けていた。
シントニアは自由都市。
しかしながら純粋に独立自尊を果たせられると考える程、シントニアの政治家達は夢想家では無い。
近隣の強者とは結びつきを作り、基本的にはネルガド王の国の庇護下に入る形にして都市の存続を図ってきたのだ。
ネルガド王が最近近隣の諸都市に服属を迫り、周辺村落の支配を強めている事は情報として入ってきていたが、シントニアからネルガド王の国までは距離がある上に中継交易の利を一部提供もしている、いわば準服属状態であったので、まさか自分達がその支配の対象になるとは夢にも思わなかったのである。
ある日突然寄越された使者から、シントニアの指導者達はネルガド王がシントニアに服属を望んでいる事を知る。
しかしシントニアは干渉を嫌って今までどおりの関係を望み、貢納を若干増やす事で対処しようとしたのだったが、ネルガド王の答えは今のこの現状が如実に表わしている。
マーラバントの侵攻、黄竜王の北の地への飛来、エンデ族領の滅亡。
それに加えてタゥエンドリンの王と諸部族の関係が崩れつつあるのは、獣人や森林人との交易を通じて知っていたし、北方では月霜銃士隊という謎の平原人傭兵隊がエンデの地で暴れ回っているという。
彼の傭兵隊はエンデの再復を目指してタゥエンドリン王の配下で戦っているとも、自立を目指しているとも聞いていたが、ともかく北の地で戦乱の夜が明けてしまった事は理解していた。
それが自分達に降りかかってくるとは思わなかった、バイデンらの油断と言えば油断。
まさかこの様な形で南方の地でも戦乱が起こるとは……
差別は軋轢を生む。
自由都市としてのシントニアの利用価値を考えれば、他人族に対して偏見の強いネルガド王配下の坑道人や平原人をこの町の支配者に据えるより、バイデンらのような偏見の薄い都市出身の坑道人に運営させて利益を吸い上げる形にした方が良いし、物事も上手く運ぶに決まっている。
森林人や獣人との交易が主体のこのシントニアの利用価値は、ひとえに中継交易。
シントニアの都市人が仲介する事で、偏見の対象同士が直接触れ合う事が無いという事にこそあるのだが、ネルガド王の行動はその特性やうまみを丸ごと消し飛ばしてしまう事になりかねないものだ。
バイデンは審議会にこの件をはかった。
そこで出た結論は、シントニアにより多くの貢納を求めているか、支配権の強化を認めさせる事をネルガド王は目指しているのではないか、というものだった。
要するに貢納金を増加させ、自分の支配権を認めさせる為に強い要求をしてきたというのだ。
バイデンもシントニアの特性を考えればそれが妥当な所だと考えていたので、その意見を容れてネルガド王との交渉に当たってきた。
「見込み違いを今更言い立てても仕方ないか……」
バイデンのつぶやきの通り、それは見込み違いであった。
ネルガド王はこの南岸諸都市国家群の完全征服を目指していたのである。
しかしそれが分かった所で今更どうしようも無い。
戦備を整える暇も無く包囲された上、激しい攻撃に晒されたシントニアの被害は正に甚大。
辛うじて城門を閉じる事は出来たものの、僅か2日で敗亡は目の前であった。
ふうっと大きく溜息を吐くバイデンに、衛兵から何事かの報告を受けていたナルデンが告げる。
「ザイルガード、バリテオン、シンゲリオン、ハリウシュテッド、オルゴニア、レイントニアの各都市も同時にネルガド王の軍から攻撃を受けているそうです」
「そうか……もう逃げる場所も無いな」
流石に力なく応じるバイデン。
辛うじて開かれている海側からの情報網が、さらなる凶報をもたらした。
近隣と言える程も近くないが、いずれもネルガド王の服属要求を断ったり代替案を出したりしてその意思に逆らった諸都市が攻撃を受けている。
どれも中規模の都市で、南岸諸都市連合からは少し距離を置いている自由都市であることからしがらみも無く、攻め滅ぼすには適当なのだろう。
「やはり船の用意は出来ないか?」
「戦災を恐れて何れの船も逃げ去り、また入ってくる船もありません。我が方の戦艦は既に民を乗せるだけ乗せて出航しておりますが……行く宛てがありませんので、沖合に停泊しています」
バイデンの質問にナルデンが直ぐに答える。
分かり切っていた答えではあったが、質問せざるを得ないほど、他に何も妙案が浮かばなかったのだ。
幸いにしてネルガド王の率いる国、ゴルデリア坑道王国は発祥が南部山塊の鉱脈地帯であり、真性の陸軍国家であるため、現在に至るまで海岸線を領有した事は無く、海軍やそれに類する軍船は持っていない。
大河はどうやら艀のような物を組み立てて渡河してきたようだが、海に出るまでの船は持っていない様子だ。
海軍が無ければ航路の封鎖は出来ないので、包囲網としては不完全な態勢しかとれない。
故にネルガド王は自分に反抗的な都市を同時に、しかも強攻策で攻めたのだろう。
南岸諸都市連合はネルガド王と融和的で、しかも武器を大量に輸出してもいる。
他に助けが来る見込みも、逃げる先も無い。
シントニアとバイデンは正に進退窮まったのだ。
「内門はどれ程敵の攻撃に耐えられそうか?」
「そう長くは保たぬわ」
バイデンの質問に衛兵長のリンデンが素っ気なく答える。
外門は既に破られ、今は都市中心部と街区を区切る内門で敵の攻勢を食い止めているが、シントニアの都市衛兵は残りわずか50名で、負傷者も多い。
総勢500名以上のネルガド王軍に抗し続けられるはずも無かった。
「終わりか……」
最期を覚悟したバイデンだったが、その時1人の衛兵が駆け込んで来た。
「執政官!入港許可を求めている船があります!」
「ナニ?入港許可だと?」
その報告にうつむきかけていた顔を上げるバイデンに、衛兵が報告を続ける。
「獣人や森林人、平原人の混じった月霜銃士隊を名乗る一団の乗った異相の戦艦ですが、大河水族のヘンリッカ姫を伴っております」
「……何だと?」
リンデンが訝しげに首を捻る。
「ヘンリッカ姫は……大河水族はここから遥か遠い大河中流域を拠点とする部族のはずだぞ?見間違いか騙りではないのか?」
「いえ、水族の護衛が付いておりますし、間違い無いかと……」
リンデンの質問に淀みなく応じる衛兵。
おそらく彼自身も疑ってよく観察してみたのだろう。
シントニアを始めとする大河河口や大河近辺の諸都市と大河水族は、交易を通じて友好的な関係を結んでいる。
また大河水族がネルガド王の側に立って居るという話は今の今まで聞いた事もないし、バイデンは大河水族とネルガド王の間には、大河の航行権を巡って確執がある事を知っていた。
「何れにしても敗亡寸前の小都市に入港しようというのだ、大河水族がネルガド王に付いているはずも無いし、用件は分からないが入港を許可しよう」
「おう、おまはんがここの領主さんかえ?」
「如何にも、私がシントニア第3代執政官のバイデンだ……今や最後の執政官になりそうだがね。そう言うあなたは?」
「失礼致す。わいは日の本は紀伊国雑賀荘の住人、的場源四郎昌長や。こちらで貰うた官位は月霜銃士爵というやつや」
昌長の名乗りに驚くバイデン。
今北方で話題の月霜銃士爵が、この様な異相の平原人とは思わなかったのだ。
その姿形を物珍しそうに見る官吏や兵士達。
もちろんバイデンやリンデン達シントニアの首脳陣も例外ではない。
「なんぞ珍しか?」
「ああ、し、失礼……では用件を伺いましょうかな?」
昌長から声を掛けられて我に返ったバイデンが、引きつった笑顔を浮かべて言う。
にこやかな笑顔を見せようと思ったのだが、投石機から打ち出された大石が官舎の壁を撃ったので驚いてしまったのだ。
バイデンらの前に現れたのは、昌長と宗右衛門、それにヘンリッカとフィリーシアにユエンである。
また護衛や雑役役として鈴木重之、剣兵長リエンティン、水手頭のワゥンと平原人の子供スウエンがいる。
「……見れば見る程奇妙な一団ですな」
「いないのは坑道人だけじゃねえか?」
職長のナルデンと衛兵長のリンデンが昌長一行を見て感心半分、呆れ半分で言う。
その言葉を聞いて苦笑している昌長に苦笑を返し、バイデンが見上げるようにして話しかける。
「ご覧の通り戦いの最中でしてな、大したおもてなしも出来ずに申し訳ない……ヘンリッカ様はご無沙汰ですな」
「おう……まあそれは分かった上での話や、気にせんでくれ」
ちょこりと頭を下げるヘンリッカを横目に見つつ、昌長はぱらぱらと投石機の石が着弾した衝撃で落剥してきた壁面を見つつ言葉を継ぐ。
「見たところ負け戦みたいやが?」
「まだ負けてはおらん!」
その昌長の言葉にリンデンが噛み付くように応じると、昌長は人の悪い笑顔を浮かべて言う。
「ほう、そうか……ほなら勝つ時を教えてくれやんか?」
「それは……!」
「……」
絶句するリンデンに、溜息を吐くナルデン。
その動作だけでも十分に意味が通じる程だ。
昌長が黙って見つめてくるのを、リンデンは気まずそうに視線を逸らして回答とした。
それを見たバイデンがナルデン以上の深い溜息を吐いてから口を開く。
「マサナガ殿、帰りで構わないのだが、避難民をあなたの船に乗せるだけ乗せて、月霜銃士爵領へ逃してくれまいか?」
しかし昌長は無言で首を左右に振って言う。
「断る」
「……そうか。では一体何をしにここへ?」
落胆しつつもそう問い返すバイデンに、腕を組んだ昌長は不敵な笑みを浮かべて言った。
「難儀してんのやろう?わいらが外の兵をば追い払っちゃろう」
 




