第41話 大湾処の戦い3
昌長が直近に投じた宗右衛門と高秀の制作した万人敵の威力は凄まじく、関船がその衝撃で激しく揺さぶられた。
「うわあ!」
「きゃあっ?」
「姫様!」
ユエンがたたらを踏み、弓を引き絞っていたフィリーシアが体勢を崩してリエンティンに支えられる。
甲板で戦っていた獣人の水手達が大音声に驚いて槍を取り落としそうになり、森林人の兵士がその余波を受けて転倒する。
更には関船の上には跳ね上げられた水が大量に振り注いだ。
「昌長よ……ちっともの考えよし。下手打っちゃあったら鉄砲使えやんようになるところやったやんけ」
「ちゃんと考えとったわ、どうせ鉄砲は効けへんのやから焙烙と万人敵で勝負するより無いわいしょよ」
ぷるぷると首を振って水を飛ばす妖精を見ながら高秀が顰め面で言うと、昌長はそう嘯いて水面を見る。
確かに全員が鉄砲を撃ち終えたことを確認もしていた。
甲板に居た重之の抱大筒は損傷してしまっており、何時暴発するかも知れないようなものはうかつに使えないので、妙なことだが数に入れなくともよい。
確かに昌長は周囲の状況をよく見ていた。
しかし高秀としては危険性を指摘せずにはおれない。
ましてや自分で製造した武器がどれ程の威力を持っているのかはよく分かっているだけに尚更だ。
「効くかどうかも分かれへんのに無茶すんなや」
「やかましいわい、効くか効かんかやってみやんかったら分からんやろ……まあ、よう効いたみたいやけどな」
高秀の文句にそう反駁しつつも、昌長は笑みを浮かべて水面を指さす。
そこには力なく浮かび上がってくる深海王の姿があった。
『き、貴様あっ、い、一体何をしたっ!?』
水中爆発の衝撃を身体全体でまともに受け止めてしまったと見える深海王オルクトバルクスは、切れ切れに怒りに満ちた声を発する。
それまで関船の中をのたくっていた章魚足は全て引き上げられており、当然ながらそれらはオルクトバルクスの周囲にある。
オルクトバルクスは相当な打撃を受けると共に、精神的にも衝撃を受けたらしく、弱々しくも少しずつ関船から遠ざかろうとしていた。
加えて少しずつ水面に身を沈めつつある。
「高秀っ!惚けてる暇ないでえ!早う水手共に船漕がせえや!追え!逃がすな!」
「お?おう!」
突然の展開に戸惑っていた高秀は、昌長から活を入れられてようやく我に返る。
そしてすぐさま自分の周囲の状況を確かめにかかった。
あちこち章魚足で穴が開けられたり、割られたりしているものの船自体は何とか動きそうである。
水手も負傷したりオルクトバルクスに掠われてしまった者が居るが、それは他の船員を充てれば何とかなる。
しかし、昌長の投げ込んだ万人敵によって船の構造材がかなり痛めつけられていることが見るだけで分かった。
あの場面ではおそらく他に手は無かったのだろうが、それでもこの関船の設計から製造、果ては運行にまで関わってきた湊高秀。
自分達の乱暴な頭領に一言だけでも言わずにはおれない。
「分かったけどよ、折角の船をば駄目にする気いか!」
「やかましい!さっさと動かさんと今度はほんまに沈められてまうで!」
そう言い返してくる昌長の指さす先、関船の分厚い船底を見れば、そこには大きな凸状の亀裂が発生していた。
じくじくと水が滲んでいるその穴は、もちろん新造船である関船には今まで無かったものだ。
昌長が示した明確な痕跡を見て息を呑む惣太夫。
それは正に大穴の兆し。
オルクトバルクスが自分の口吻を使って空けようと試みたものだろう。
「こ、これはっ」
「あの大章魚のクチバシの痕やろ?もうちっとで船底をば囓り込まれて穴空けられる所やったんじょ」
驚愕する惣太夫に昌長が余裕を持って言う。
オルクトバルクスは自分の足を使って昌長達を牽制しつつ、関船を沈没させるべく船底に齧り付いていたのだ。
しかし普通の川船とは違い、関船は装甲を重視した分厚い木板で船底を構築しており、更に船底には石塊の錘までもが詰められている。
これは他の船とは違って高さがあり、安定性にやや欠ける関船の姿勢を安定させる為に設けられている構造であった。
「おい、手空きの者は直ぐにあの穴をば塞げ!」
「は、はい!」
湊高秀は手空きの獣人船員を捕まえると、凄まじい剣幕で命じる。
命じられた船員は慌てて周囲の仲間を誘って船倉の後部に設けられている木材置き場へと走った。
「……昌長よ、操船は任せえ、ついでにやっつけ修理は直ぐにさせるさけ、思う存分かましちゃれ!」
「言われるまでもあらへんわ!」
大事な船を沈められかかった高秀の怒りは頂点に達しており、頭から今にも湯気を出しそうな程顔を真っ赤にし、奥歯を噛み締めるようにして言う。
昌長はその様子を見て面白そうに笑みを浮かべて直ぐに応じると、先程とは打って変わって力を失ったように、何とか水中に潜ろうともがくオルクトバルクスに関船を寄せさせる。
「宗右衛門!」
「よっしゃ分かりました!」
昌長の号令で宗右衛門が自信作の万人敵を容赦なく深海王の上に投げ落とした。
今度はオルクトバルクスの上で派手な破裂音を響かせて爆発する万人敵。
思わず関船の獣人達や重之が耳を塞ぎ、フィリーシアやリエンティン、ヘンリッカがその凄まじい音の暴力に悲鳴を上げる。
空中に衝撃波が伝わり、関船の船体を左右に揺さぶった。
その爆発の余波が収まると同時に、水中に沈みつつあったオルクトバルクスが無残な姿を現した。
『貴様ああああ!何をしたと聞いている!答えろ人間!!』
水中爆発、次いで身体の上で万人敵の衝撃波をまともに受け止めてしまったオルクトバルクスは、軟体の皮膚を破られ、その巨大な身体から青い血を流しながら絶叫するが、昌長は飄々とした態度で応じる。
「直ぐに分かるわえ……尤も骨身に染みた頃合いには、おまはんの命は無いけどなぁ」
オルクトバルクスの悲鳴を聞き、昌長は心地よさそうに答える。
『貴様あ!』
「おっと……スウエン!」
「はい!」
章魚足の1本を伸ばして昌長を掴み取ろうとしたオルクトバルクスであったが、その足目掛けて球形の物体が投げつけられる。
それは鋭く伸ばされたオルクトバルクスの足の先端にぶつかると、敢えなく割れてその中身を周囲に振りまいた。
その瞬間、くぐもった破裂音が連続すると共にオルクトバルクスの足が燃え上がった。
『ぬわあああああ!?』
「高秀作、雑賀水軍謹製の焙烙玉の味はどうじゃあ!皮が破れた後では効くやろうっ」
悲鳴を上げたオルクトバルクスに、船を傷付けられて怒りが頂点に達していた高秀が操船しながら激しい言葉を浴びせる。
しかしオルクトバルクスはそれどころではない様子で、慌てて火の付いた足を水中へと没した。
じゅうと言う音と共に足先の火が消えるが、ほっとしたオルクトバルクス目掛け、今度は方向転換の済んだ関船が正面から迫る。
その船上から犬獣人達やスウエンが次々に円形の焙烙を大章魚目掛けて投げ込んだ。
数発の投げ焙烙が投げ紐をくるくると振り回しながらオルクトバルクスに降り注ぎ、軽い破裂音と共にその身体を炎で包む。
『ぐあああああっ!?』
再び絶叫を上げるオルクトバルクス。
身体に着いた火を消そうと章魚足をくねらせ身体を擦るが、松脂や油が主体の焙烙による火災は容易には消えない。
堪りかねて再度水中へ身体を没し始めたオルクトバルクスの直近に、昌長は再び万人敵を今度は2発まとめて投げ込んだ。
どどんと腹に響く重々しい破裂音と共に、未だ火の消えきっていないオルクトバルクスの身体が水柱に持ち上げられる。
2回目の水中爆発による衝撃波は先程とは比べものにならない程キツイ2発分。
それを直近で受け止め、浮き上がってきたオルクトバルクスは無言で身体を水面に横たえる。
『き、貴様らっ……』
軟体であるが故に衝撃波をまともに受け、内臓を激しく、しかも立て続けに衝撃波で揺さぶられたのだ。
あれ程猛威を振るった章魚足は、あちこちに千切れ飛び、口吻と漏斗からはどろりとした青い血と肉片を断続的に吐き出している。
「降参するんやったらいまの内やでえ!」
そう言いつつも焙烙を次々に投げ込ませる昌長。
ぐったりしたままのオルクトバルクスの身体に新たな炎が次々と立ち上る。
『うぐあっはああああ!』
「ははは、章魚の丸焼きが出来るわ!これは相当食い出があるでえ!」
『ぐおっ……うがあ!』
力ない悲鳴を聞きつつ昌長が嘲るように言うと、オルクトバルクスが怒りの形相で最後の力を振り絞って水中へと没する。
「無駄じゃい!」
その痕へ関船を寄せさせ、再び1発の万人敵を投げ込む昌長。
ずんと腹に響くような爆発音が水中で鳴り、間近にいた関船を激しく揺さぶった。
吹き上がった水柱の色は章魚の血で青く染まり、その中には吹き飛ばされた足が2本。
しかしそれでも水中に没し続けるオルクトバルクスの姿を見て、ヘンリッカが青ざめた顔で叫ぶ。
「メイルシュトロムだ!」
その叫びを聞き、フィリーシアが顔を青くし全員に言う。
「皆さん!直ぐに船に掴まって下さい!大渦が来ます!」
「大渦?」
昌長が怪訝そうに尋ねると、フィリーシアは関船の船縁にしっかりと掴まりながら言う。
「クラーケンの魔術ですっ、水を操って大渦を発生させるのです」
フィリーシアの説明が終わると同時に、水中から青色の血交じりの泡が破裂してオルクトバルクスの声が響く。
『もう遅いわ……喰らえ』
同時に、周辺の様相が一変した。
それまで油を引いたかのように滑らかで流れの無かった湾処の水面に、突如として大渦が生じる。
その大渦は意思を持っているかのように関船へと迫って来た。
「漕げや者共!」
高秀の命令で犬獣人の水手達が必死に櫂を動かすが、渦はまるで関船の行き先を見ているかのような動きで追随してくる。
「こ、これはっ?」
「これがクラーケンの魔術です!」
昌長が顔を引きつらせて言うと、フィリーシアは必死の形相で応じた。
その時、宗右衛門の肩にいた妖精がその頬をぺちぺちと叩いてから重賢の鼻先を持ってある方向へと向ける。
「な、なんじゃ?」
場面が場面であるだけに宗右衛門は煩わしそうに小妖精を扱うが、周囲の面々の反応は違った。
「わ、小妖精だ!?何か言っているの?」
「こんな時に一体どうしたのでしょうか……?」
「かわいいですね……でも必死そう?」
「久しぶりに見たなっ」
驚くヘンリッカを筆頭に、小妖精の様子を見て口々に言う。
フィリーシアは心配そうにしており、スウエンは目を丸くしている。
ユエンが笑顔で小妖精の頬をその指でつつくと、くすぐったそうにしながらも小妖精はチカチカと身体を明滅させ、割合真剣な表情で重賢の耳に何事かを囁いた。
「うん?……あの深い川底に章魚がいてるらしい?」
「分るんか?」
宗右衛門の言葉に昌長が小妖精に尋ねると、こくこくと頷きつつ小妖精は関船を追う大渦の中心の水面を指さして再び宗右衛門に囁きかける。
「……あの大章魚の居場所は分かるらしいです。まりょく?ちゅうのが漏れとるらしいですわ、統領」
宗右衛門が小妖精の言葉を訳して話すと、昌長はぐいっと立ち上がった。
「高秀っ!面舵じゃ!渦を回り込めい!」
「お?おう!」
「重之と義昌、宗右衛門は弾込めて右銃眼につけい!」
「「承知!」」
昌長の指示で高秀は舵を思い切り右へ切り、その指示を漏れ聞いていた犬獣人の水手頭の号令で水手達の漕ぎが力強さを増す。
昌長は抱大筒が破損した重之に自分の胴乱や火縄銃の装備ごと鉄炮を手渡し、発砲準備を急がせる。
雑賀武者達は揺れの激しくなった関船の上で、火縄銃に火薬と弾丸を込め、右舷側の銃眼に折り敷いた。
「わいが万人敵をば投げ込むでえ!」
「おう!」
「姫さんらは船員共集めて大きめの板切れをば集めちゃれ、スウエン!おまんはその板切れに焙烙を括り付けるんや!」
次いで出された昌長の指示でフィリーシアとリエンティン、ヘンリッカが慌てて周囲に散らばる関船の装甲や構造材であった木片を集める。
スウエンは犬獣人の船員から縄を受け取り、宗右衛門や高秀の造った焙烙玉をその板切れに次々と結びつけていく。
一方、他の犬獣人達は昌長の指示で、残った3発の万人敵を甲板上へ引き上げてきた。
全ての準備が整った所で、昌長は銃を構える宗右衛門の肩に掴まった小妖精に尋ねた。
「あの大章魚は渦の中心にいてるんか?間違い無いか?」
コクコクと頷く小妖精を見て昌長はにっと獰猛な笑みを浮かべると号令する。
「船の右に渦が来たらわいが万人敵を全部放り込んじゃる!」
「承知したわえ!」
「その後に板切れ付け焙烙をば渦に流し込め!」
「はい!」
大汗を掻きながら櫂を漕ぐ水手達に、高秀が必死の面持ちで舵を切る。
ぎしぎしと軋み音を立てながら関船が右に舳先を切った。
そして渦に対してようやく右舷側を晒す形となったそのとき、的場昌長の太い腕から導火線に点火した万人敵が放り投げられた。
「そうら!おうあ!くぉら!」
次々に投じられた万人敵は狙い過たず、渦の中心へ吸い込まれるように落ちてゆく。
「今じゃ!板切れごと焙烙を投げ込めや!」
「はい!」
獣人の船員達がスウエンと一緒に焙烙が投げ込まれ、板切れの上に結び付けられた焙烙は渦の流れに乗ってその中心へと落ち込んでいった。
そして次の瞬間、紅蓮の炎が渦の中心で立ち上った後、巨大な水柱が渦を断ち割って立ち上がった。
『うぐはああああああ!?』
吹き上がる水柱は次いで青く染まり、その中には元となった青い血を周囲に撒き散らすオルクトバルクスの姿があった。
しばらくして水柱と共に水面へと叩き付けられるオルクトバルクス。
オルクトバルクスの魔力が切れたせいか大渦は消え去った。
しかしそれ以前に油を引いたかのような滑らかな水面だったものが、普通の川面のようにざわめいている。
そしてそこには満身創痍の巨大な章魚の姿があった。
昌長は重之から返された火縄銃を構えると、雑賀武者達に指示を出す。
「いくら大きいっちゅうても章魚は章魚じゃ!おまんら章魚の急所は知っちゃあるやろ!それをば狙うちゃれ!……撃て!」
構えられていた火縄銃が一斉に火を噴く。
全ての銃口から轟轟と轟発の音が轟き、閃光と白煙が吹き上がった。
鉛玉は全てがオルクトバルクスの目と目の間、すなわち章魚の急所に命中する。
『ぐおほおおおおおおお!!』
びくびくと身体を振るわせ、破れ千切れた章魚足をくねらせて断末魔の叫びを上げるオルクトバルクス。
撃たれて白濁した左目に続き、右目からも急速に命の火が消え去る。
やがてオルクトバルクスの身体は、水面に長々と伸びた。
「銛をば打ち込め!陸に揚げるで!」
それを見ていた高秀が獣人の水手達に指示を出し、水中へ没してしまう前にオルクトバルクスの身体へ頑丈な綱付きの銛を打ち込む。
「ははは!大章魚が何じゃい!わいらの方が強いでえ!!」
昌長が宣言すると白煙を引く火縄銃を掲げた雑賀武者が続き、最後に関船から歓声が沸き起こった。




