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第39話 大湾処の戦い1

 酒宴から3日後、大河中流域、大湾処


 大河中流域でも複雑に流路が交わるこの場所は、大河水族も十分にその流れを把握しているとは言い難い難所でもある。


 周囲から集まった小川が中規模の河川へと成長し、大河のあちこちに流れ込み、また大河は増水時や渇水時に流路をいくつも分岐させてそれらと混ざり合う。

 周辺の豊富な水量を誇る地下水脈は、大河の付近で飽和状態となって湧水をあちらこちらに生じさせ、小さな泉や沼地、湖沼を形作る。

 そしてそこからあふれ出した水は、小川となるのだ。


 そんな複雑で幾重にも水が生じ、混ざり合う大河中流域の大流域。


 その内の1つ、大湾処と呼ばれるかつて大河の主要流路であった淀みは、ちょっとした湖くらいの広さがあった。

 周囲を芦原に囲まれた滑らかな水面は、それでも普段ならば多少なりとも大河の影響を受けて流れがあるものだが、昌長が乗り込む関船の入ってきたその時は、波1つ無い静かな様子。

 酒宴の後3日を準備に宛て、いよいよ深海王と戦うべく敵の住み家に乗り込んできた昌長も、僅かながら殺気の籠もる静けさに肌を粟立てた。


「これは難儀な事や……相当のもんが潜んじゃあるで」

「流石に大章魚の中でも老練なと謂われるだけの事はあるわ」


 昌長の漏らしたつぶやきに重之が顰め面で応じる。

 次いでエルフィンボウを担ぎ、護衛のリエンティンを従えたフィリーシアが口を開く。


「クラーケンは本来ならば深海に潜み、船や水族の集団が近くを通ると浮上してきて襲いかかってきます。この淀みの深さは相当あると思われますので、正に彼の化物の住処に相応しい状況かと……」

「ふむ、深く静かな殺気も納得じょ。確かに待ち伏せして獲物を得る獣に多い殺気やな」


 フィリーシアの説明に納得した様子でそう言いつつ頷く昌長。

 その後方から油紙に包まれた長い紐付きの球体を手に持ったスウエンが、殺気を感じ取っているのか震えながら現れて問う。


「ま、マサナガ様?」

「気遣い無いわえスウエンよ、おまんは間違うても川へ落ちやんようにせえよ」

「は、はい」

「おい、スウエンよ。投げ焙烙はまだ出番やないで」

「はいタカヒデ様、わかりました!」


 昌長の言葉に素直に頷き、続いて現れた湊高秀の指示に元気よく応じて船室へと戻るスウエンに続き、ユエンが犬獣人の水手頭を連れて現れる。


「マサナガ!漕ぎ手の準備は大丈夫だぞ」

「おう」


 自分の言葉に昌長が手を上げて応じるのを見て、嬉しそうにユエンが笑顔を返す。

 昌長はそんな周囲の仲間達を見回してからゆっくりと号令を発した。


「ほな大章魚退治にいくでえ!」




 大湾処に入り込んだ昌長は、急速に濃くなる殺気を感じ取ると鋭く命じる。


「船戦の準備せえ!」


 おう


 雑賀武者を始めとする関船の乗組員達は、その瞬間動き出す。


「漕げや者共!漕がねばその身は化生けしょうの腹の中ぞ!」


 再度昌長の檄が飛び、犬獣人の水手達が顔を引き締め、腕の筋肉を膨れ上がらせて汗だくで櫂を胸に引きつける。

 それまで止まる寸前まで速度を落としていた小型関船が力強く進み始め、更に水手達が力を込めて櫂を数回漕ぐと、それにつれて関船の速度がどんどん上がる。


 そうしている間に雑賀武者は自分の火縄銃に火薬と弾を込め、漕ぎ手以外の船員達は関船の帆を外しにかかった。

 関船の白い帆はあっという間に取り外されて畳み込まれ、帆柱が台からすっかり抜かれて置き台に倒される。

 油を撒いたような滑らかな水面は、川の一部とは思えない程静かで流れが無く、一言で言い表すならば、異様、であろう。

 その異様さはこの水域に入った時からずっと昌長達を追っている殺気と同様だ。


「さっきからしつこいの、この粘つくような気配はええ気いせえへんな」


 そんな静かで泥か油のように変わった水面を見ながら昌長が言うと、その後方で水面の異様な有様を見て血相を変えていた者が叫んだ。


「マサナガ様!これはあいつが来る前兆だ!どんな力を使っているのか知らないが、あいつは流れと風を消して船や人を自分の巣に引き込むんだ!」

「落ち着けえヘンリッカ。分かっちゃあるわ、おまはんの話はよう聞いたよってによ」


 大河中流域に根を張る大河水族族長の愛娘であるヘンリッカが息急き切って言うのを制し、昌長は悠然と構えて応じた。

 ヘンリッカは手にしている三叉槍の石突をどんと関船の床で打ち鳴らし、焦った様子で長い金髪を編み込んだ頭を激しく左右に振る。


「いいやマサナガ様はあいつの恐ろしさを分かちゃいない。気が付いた時にはもう間近にまで来ているんだ!」


 小振りながら整った顔立ちを必死の形相にし、三叉槍を胸に抱いて昌長へ迫るヘンリッカ。

 その出で立ちは水中での暮らしを主にする水族らしく、ほぼ裸体に近い物である。

 お付きの水族兵達は、昌長達の知らないミスリルという希少金属で製造された鎖帷子に兜を身につけているが、ヘンリッカは薄衣だけで非常に目のやり場に困る格好をしている。


「まあ、いっちょやっちゃるわえ。あかんかったら逃げたらええんじょ」

「せやなあ……まあ準備もあるし、大方は気遣い無いわえ」


 その昌長の言葉に応じたのは、関船の船長を務める月霜銃士隊船舶方の湊高秀だ。

 高秀の後方には丸い油紙で包まれた物体があり、スウエンがその内の1つを手にしている。


「こっちも準備は出来ちゃあります」


 更に言うのはいつもどおりの笑顔の芝辻宗右衛門。

 彼の後方には、四角い木枠に囲われた大きな泥球が7つ。

 それぞれの天頂部には穴があり、ずらされた蓋の脇から中を覗けば導火線が仕込まれているのが見える。


「ほやけど数はあんまりないんで、確実にやってください」

「おう、任せえ」


 宗右衛門の注文に昌長は男臭い笑顔で応じると前を向いて言葉を継ぐ。


「ほないっちょやるかえ!」




 昌長の言葉で船の上の全員に気迫が漲り、船が戦闘態勢に入ったと同時に、前方から大きな吸盤の付いた触手が2本、ものすごい水しぶきを上げて飛び出した。

 その高さは関船の甲板を優に越え、おそらく帆柱と同程度。


「逆櫂!」


 目の前に現れたその足を回避するべく、惣太夫が青筋を立てて水手達に命じると、獣人の水手達は必死に櫂を逆に漕いで関船を何とか停止させる。


「き、来たあああ!クラーケンだああああっ!!」


 ヘンリッカが恐怖で叫び、そのお付きの戦士達が恐れおののく中、昌長は大音声で呼ばわる。


「章魚の者に告げる!わいは月霜銃士隊の頭領、的場源四郎昌長である!」

「ま、マサナガ様!?」

「く、クラーケンに呼びかけるなんて無駄です!」


 驚くヘンリッカとフィリーシアを余所に、昌長は言葉を続ける。


「言葉を聞き分ける頭があるならば聞けい!」


 その言葉を聞いたのかどうか、クラーケンの差し出された足がぴたりと止まった。

 昌長はそんなクラーケンの様子に満足したように頷くと、更に言葉を継ぐ。


「この地での乱暴狼藉を止め、元の海に去るならば良し、成敗せずに今までの罪は不問と為す。但し!掠い置きし者共を尽く返せい!返さねばわいはおまはんをば容赦のう征伐するでえ!」


 しばらく止まっていたクラーケンの触手は、しかし昌長のその言葉を聞くとまるで笑うかのように震えだした。

 そして周囲の水面がうごめき、盛り上がり始めたと同時に、ぬめりとした青い肌が水面の下からせり上がってくるのが、関船に乗る全員から見える。


 正にそれは巨体。


 軟体動物である事を示すかのように、水面から出た部分はだらしなく重力に負けて弛みを造り、水面に広がるかのようにして形がつぶれる。

 そして下から無理矢理持ち上げられ、水の入った皮袋のような形態を取って水面に楕円形の巨大な体躯を浮き上がらせてきた。

 ゆっくりと浮上してきたそれは、大きな頭をもたげかけさせ、その虚ろな目を水面に出して関船の甲板上にいる昌長をぎょろりと見据えた。


『我に話しかけるとは面白き者よ……尤もその提案は到底受け入れられぬがな』


 そして口に物を含んだような、粘つく声質でそれは言葉を発した。


「く、クラーケンが口を利いたっ?」

「な、なんということでしょうか!」


 ヘンリッカとフィリーシアが驚きの声を上げる。

 万を数える古来よりクラーケンに襲われたという記録には事欠かないものの、彼の化け物と会話をしたという記録は存在しないグランドアース世界。

 正にその初めてを成し遂げた昌長を見て驚愕で身体を固めているフィリーシアとヘンリッカを余所に、昌長は動じること無く腕組みをして言葉を放った。


「知恵有る者の言葉とは思えぬわい、乱暴狼藉を止める事すら出来ぬのか?」

『何を持って乱暴狼藉と評するのか、小さき者よ。我は我の糧を得る為にしていることなのだ、それを阻む者など此の世にありはせぬ』

「笑止!乱暴狼藉は乱暴狼藉よ、罪無き水族の民を掠い、食い荒らすを乱暴狼藉以外に何と表す?それを止めぬとあればわいが直に成敗してくれるわ!」


 嘲笑うクラーケンからの返答に、昌長は厳しく応じる。

 しかしクラーケンもさざ波のように身体を震わせながら、怒りと嘲笑を交えた声色で昌長の警告に応じた。


『無駄なことを……我の餌を仲間の元に取り戻せるというのならば、我の生の営みを破れるというのならばやってみるが良いわ!我こそは太古より海の災厄と恐れられし深海王オルクトバルクスであるぞ!卑賤な人族如きが我に意見するなど1000年早いわ!』

「深海王オルクトバルクス!」

「姫さん、あの大章魚をば知ってんのかえ?」


 青い顔でその大章魚の名乗りを叫んだフィリーシアに、惣太夫がのんきに話しかける。


「し、深海王と言えば、記録に残っているだけでも恐るべき被害を出し続けてきた南海の化け物ですっ」

「ほう?」


 フィリーシアの必死の説明に、昌長も興味深そうに言う。

 そして身体をぶるぶると気持ち悪く震わせ、8本の足を思うさまくねらせているオルクトバルクスを指さして問う。


「あんな章魚がその様な脅威となるんか?」

「大船を引き裂いて沈め、港を砕き、幾つもの海洋国家を壊滅させたと伝わる、真性の化け物です」

「なるほど」


 得心したように頷く昌長。

 どの世界にも人の意見に耳を傾けず、自分の力を無駄に使い続ける者はいるものだ。

 別に人など襲わなくとも生きていけるはずなのに、彼の深海王は人族の恐怖と絶望が何よりの好みと見える。

 人族の肉などあの体躯からすればたかが知れている。

 鯨や巨大な魚を食えば良いのだ、そちらの方が遙かに効率が良いだろう。

 それでも人族を襲うというのは、他に理由があるとしか考えられない。

 そしてそれは人族にしか無い者だとすれば、自ずと答えは導き出される。


『恐れ戦け!絶望に震えよ!小さき者共よ、我こそは海の災厄ぞ!』

「何とも浅ましいやっちゃな」


 吐き捨てるように小さく言うと、昌長は肩から火縄銃を下ろす。

 そんな昌長を見て、雑賀武者達もすぐさま火縄銃の用意を始める。

 水中ならいざ知らず、自分の力に酔い痴れているオルクトバルクスは、愚かにもその身を水面に出していた。


「深海王よ、退く気はないんやな?」

『ははははははははは、退くだと?我が何故弱き者を前にして退かねばならぬのだ!戯れ言に付合うのも疲れるわ、はははははは!この代償はお前達の肉で払って貰おうぞ!』


 再度の昌長の呼びかけにも応じる事無く、深海王オルクトバルクスはそう言うと水面を足で叩いて凄まじい水しぶきと音を立てる。


「あかんかったな、所詮は腐れ者か……聞き分けの無いやっちゃ!」


 そう言うと昌長は手にしていた火縄銃を素早く構えた。

 それと同時に鈴木重之も抱大筒を構え、湊高秀、芝辻宗右衛門は関船の左舷銃眼から火縄銃の銃口を突き出す。


『ははははは、平原人の魔道杖か?ははははは、そのような脆弱な武具は我には一切効かぬぞ!』

ち込め!」


 オルクトバルクスの嘲りの言葉を無視して発せられる昌長の号令。

 オルクトバルクスに向けられていた火縄銃が次々と轟発し、その筒先から閃光と轟音が迸り、白煙が吹き上がった。


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