第38話 水族との宴
しかし事態は動かない。
ヘンリッカの乱入という手段を以てしてもユハニが動かなかったのだ。
昌長はあくまでも頑なな水族に呆れていたが、逆にここまで頑なならば裏切る事などまず万が一にもあるまいと考えを変える事にした。
彼らを味方にすれば、ほぼ無条件で大河中流域の航行は安全となる。
ならば策略あるのみである。
「そんな難し顔しててもあかん、まあ……ここはわいらに全部任せちゃれよ」
ヘンリッカの必死の訴えの後にも口を開かないユハニを見ていた昌長は、突然そう言うと近くに居た獣人の若者へ指示を出す。
「船倉に上等の酒があったやろ?あれ持って来ちゃらんか」
「は、はい」
それまでの膠着状態で身動きできなかった獣人達は、昌長の指示を聞いて一斉に動き出す。
酒ならば、船倉にたんまりある。
もちろん獣人達とて酒のおこぼれを期待しての事であるのは言うまでも無いが、昌長は当然ながら長旅で疲れているであろう獣人達の慰労もちゃんと考えていた。
「心配せんでも皆飲んでええで」
「良いのですかマサナガ様?あの酒は坑道人への土産だったのではありませんか」
歓声を上げて船倉に駆けて行く獣人達の背中を見送ってから、フィリーシアが心配そうに言うと、昌長は笑みを浮かべて応じる。
「坑道人との交渉はもちろん一番大事やが、まずはこの大河を何とかせなあかんみたいやろう?ここでええもん出し惜しみして、その結果で坑道人の都市までたどり着けやんようになったら意味ないわいしょ。今はここで全力出してまうことや。その為には物も人も出来るだけ出すほうがええで」
フィリーシアが渋々ながら納得して引き下がると、小躍りしているユエンを窘めつつ昌長はユハニに顔を向けた。
「……何か?」
「まあそう頑なにならんでもええわ、ちょっと旨いもんでも食いもて話ししょうらい」
「話す事など無い」
「まあそう言わんと、言いたい事やら頼みたい事やらあるやろ?何でもええっちゅうてんのやさけに、遠慮せんでええよし」
あくまでも頑ななユハニの肩をぱんぱんと気安く叩き、昌長は砕けた口調でそう言う。
しかし昌長は自分が最後に発した言葉が彼らに効果のあった事を察した。
それというのも水族の目つきが変わったからだ。
「何でも……とな?」
「おう、武士に二言は無いわ、何でも言え」
ユハニが言葉尻をとらえるかのように食いついてきた。
誇り高さに凝り固まった連中は往々にしてこちらから与えた提案や方法には乗ってくる事が多い。
畠山やら言う没落守護大名もそうだったと、昔を思いながら昌長は水族達を見る
本当は自分から求めている事なのだが、相手の提案に仕方なく乗ってやるという形で自分の矜持を保つという浅い誇りを持っている者達なら尚更だ。
昌長はしめしめと思いながらもそんな様子は微塵も表情に出すことなく、空とぼけてはぐらかすような言葉を発する。
「まあそがいに急がんでもええやろう?酒の準備ももう少しで出来るよって」
その昌長の言葉と同時に、上質のエルフ酒がたっぷり詰められた木樽が獣人達の手によって関船の甲板に運び出されてきた。
早く用件を伝えたくなったユハニの渋い顔を横目に見て、昌長は笑みを浮かべつつ拳を握りしめると、目の前に置かれた樽の蓋板に思い切り叩き付ける。
派手な音と共にたたき割られた蓋板は数枚に割れてはじけ飛び、辺りに甘みのある酒精の強い臭いが立ちこめた。
ゴクリと咽を鳴らす水族の戦士達と獣人達。
昌長は濡れた手を振って酒を飛ばすと柄杓を取り、その樽からがばりと酒を掬って一気に飲み干した。
長い、そして酒臭い息を吐きながらその柄杓で更に酒を掬い、戸惑いを隠しきれないユハニに差し出しながら昌長は言う。
「まあ、まずは飲みよし。話はそれからやで」
しばらくすると場はすっかり出来上がってしまった。
水族は元々酒の原料となるような作物を育てていない。
加えて水中で醸造は出来ないので酒を飲むと言う風習がそもそも存在しなかったのだが、古来より酒造をしている陸棲人との交易で酒や酒精は手に入れる事が出来た。
何時しか分からぬ古い時代のうちに水族も陸上や水上で火を使った料理を嗜み、酒を飲む事が遊興の1つとなっていたのだ。
そして彼らは酒が入ると、普段閉鎖的であるが故に開放的になる。
昌長は意図した訳ではなかったが、今は遠い故郷となった紀州や日の本でも有効な仲直りや友好的な交渉の際に開催される酒宴の効果を改めて思い知ったのだった。
「要はでかい章魚が大河に入り込んどるっちゅうわけかえ?」
場所は既に関船の甲板に移ってから長い。
昌長は大河水族の族長であるユハニとその娘のヘンリッカを加え、更に水族の戦士や獣人達も一緒になった酒盛りの真っ最中だ。
「むう……章魚は章魚でも普通の章魚ではなく、我らの天敵であるクラーケンと呼ばれる化け物なのじゃ。身の丈は、そうよの、この大船2艘分程もあるか?」
カレントゥ城で受け取ったタゥエンドリンからの援助物資の中から持ってきた蒸留酒の特級品、エルフ酒をあおりつつそう言い、顔を赤黒くさせたユハニは酒臭い息を長々と吐いて言う。
そこには先程まで見せていた傲慢さや頑なさは無く、やるせなさと無力感が酒の臭いと共に漂っていた。
それに応じて若い戦士達も声を上げたり、どんどんと甲板を踏みならしたりして怒りの声を上げるが、その顔は全員赤黒いのは言うまでも無い。
彼らは天敵と精一杯戦ったのだ。
そして敗れ、今もまだその脅威に晒され続けている。
神出鬼没なクラーケンの襲撃に翻弄されて戦士達は疲弊し、民は次々に掠われている。
一度に全員が食われてしまわない事は分かっていた。
この世界のクラーケンは見かけは緑色をした大蛸そのもので何とも言えない不気味さなのだが、外見はともかく知恵ある生き物である。
掠われた女子供を主体にした水族は、おそらくどこかに食料として飼われているに違いない。
ユハニは最初友好関係にあるリザードマン国家のマーラバントに支援を求めたのだが、大きな期待を背負って送られた使者は良い返事を持って帰ってこれなかった。
何でも大戦士長カッラーフがエンデの地で討たれ、マーラバントはその大戦士長を討った敵が本国に攻め寄せるのではないかと戦々恐々の有様らしく、防備に忙しくてとても大敵であるクラーケンを討つような質と数の戦士を派遣する事は出来ないと言うのだ。
森林人とはそれ程強い友誼や交流がある訳でない上に、どちらかと言えばエンデの地を巡る戦いでは蜥蜴人側に立った水族。
各地の部族や人族と交流があると言っても大河の航行に関する程度で、マーラバントとのような友好関係にある勢力は持っていなかった水族はここで窮地に立たされた。
クラーケンの災難を避けて移住するにしても、南の海には水族の本流にあたる者達がおり、北には海驢族や海獺族といった海獣人の国がある。
唯一空白のエンデの地に属する水域は、マーラバントの残存勢力と得体の知れない平原人勢力、月霜銃士隊が戦闘状態にある。
それにクラーケンは一度見定めた獲物には強く執着する。
ユハニはその魔の手から容易に逃げ切れるとはとても思えなかったのだ。
訥々と語られるここ最近の水族の災難に昌長は同情を禁じ得ないが、それでも出来る事と出来ない事がある。
やり方にもよるだろうが水中にいるものと戦うのは骨が折れるし、第一火縄銃の優位性が十分に生かせない。
何時しか水中のクラーケンと戦う事を考え始めていた昌長は、自分の酔狂さに思わず苦笑を漏らす。
しかしここで水族に恩を売っておくのは悪い選択肢ではない。
加えてここは改めて考えるまでも無く、昌長の本拠にしているカレントゥ城や碧星乃里から極めて近い。
こんな近場で妖物の跳梁跋扈を許せば昌長自身の沽券に関わるし、何より安全が確保できない。
当初は中立もしくは敵対的でも直接戦闘をしないような立場に立たせれば良いと考えていたが、ここでクラーケンを討てばマーラバントに友好的であった大河中流域の水族勢力を丸ごと寝返らせる事が出来る。
「悲惨という言葉ですら生ぬるいわい……我が一族の置かれた立場は今正にその状態なのじゃ」
「ほう、それは大層難儀したんやな?」
ユハニの吐露に昌長が真剣に応じ、酒杯を傾ける。
そんな昌長に身を乗り出すように話しかけてきた者がいた。
「……マサナガ様、私たちはもう他に手段が無い。あなた方がマーラバントと因縁浅からぬ関係にある事は承知しているし、私たちはそのマーラバント寄りの態度をずっと取り続けてきたのは事実だ。しかし、そのマーラバントは私たちの窮地を救ってくれない」
「……よさぬかヘンリッカ」
会話に割り込んできたヘンリッカの言葉を制そうとするユハニだったが、ヘンリッカは構わず黙って聞いている昌長に語りかけるように話す。
「どうか私達を助けてくれ……そうすれば、あの凶悪で陰険なクラーケンを討ってくれたならば、私達は月霜銃士隊から受けた恩を終生忘れないだろう」
「ヘンリッカ!」
赤黒い顔を更に怒りで濃くしたユハニの怒声が飛ぶが、ヘンリッカは萎縮するどころか逆にきっと父親を睨み付けて激しい口調で反発した。
「父上!今までの恩義や友誼を大事にするのは大切な事だが、私たちが大事にした恩義や友誼にマーラバントは報いてくれないじゃないか。彼らが私達のした事に対して何かを返してくれた事があったか?私達のこの窮地に援助の手をさしのべてくれたのか?」
「……むう」
「ならばその何もしてくれないマーラバントと敵対していたといっても、直接の敵じゃない別の者に援助を頼むのはいけない事なのか?」
「ぬぬ……」
激しいながらも正しいその主張にうなり、最後は思わず言葉を失うユハニ。
睨み合う親子に、昌長は至極真面目な表情で口を挟んだ。
「まあ、わいらはおまはんらと直接対立しちゃあった訳やないわな」
「マサナガ殿……」
「マサナガ様!それでは力添えして頂けるのかっ?」
救われたような顔のユハニに、顔を輝かせるヘンリッカ。
そんな2人と対峙する昌長の3人を、固唾を呑んで見守る水族の戦士達。
「その……協力してもらえるのだろうか?」
重ねて身を乗り出しつつ尋ねるヘンリッカに、再度注がれた酒杯をぐいっと呷ってから昌長立ち上がって力強く答えた。
「待ってたわその言葉をな。まあ見よれ。章魚如きはわいらが退治しちゃるわえ!」
おお!
水族の戦士達と獣人達がどよめき、雑賀武者達が目を丸くする。
昌長の宣言に、仕方なく酒宴に付合っていた高秀が慌ててその腕を引いた。
周囲は昌長の言葉に興奮しており、2人の遣り取りに気付いた者は居ない。
「おい、正気か?」
「クラーケンは竜並みに厄介な敵です。本当に大丈夫なのですか?」
次いでフィリーシアが心配そうに尋ねるが、昌長は胸を張って答えた。
「気遣い無いわ」
「おいおい……」
昌長の様子を見て近寄ってきた義昌が呆れたように言う。
関船の2倍もあるような章魚の化け物相手に火縄銃だけでは心許ない。
黄竜王に対してはオリハルコンの鏃を転用した弾丸があったし、あちらは空を飛ぶ事はあっても陸上の生物だったが、今度は水中生物が相手だ。
火縄銃にとっては相性が悪いことこの上ない。
昌長はあまり酒の入っていない宗右衛門の酒杯にエルフ酒を注いでやりながら言葉を継ぐ。
「策があるわえ……高秀、投げ焙烙と油、それに“万人敵”を用意しといてくれやんか」
「投げ焙烙と油はええけど、万人敵て……明国で見たあれかえ?」
「出来るやろう」
高秀の確認に昌長は知っているぞとでも言いたげな表情で見返す。
その視線を受けて高秀は居心地悪そうに眉をしかめて言う。
「まあなあ……前に倭寇に参加した時に手酷にかまされたよって、何発かくすねちゃったけどよ」
「おまんの事やから、分解して中見たやろ?」
「構造自体は簡単やったしな、確かに作れやんことは無い」
その言葉を聞いた昌長は満足そうに頷きながら、今度は義昌から注がれた酒を飲みながら応じる。
「あれを大きいにして中へ十分空気詰め込んじゃりゃ水中でもいけるやろ。宗右衛門もおるし、いけると思うんやわ」
「せやな、本職がおるし……分かったわ、しゃあない、それやったらいけるかも知れへんな……しかし、章魚が川に住んでんのかえ?つくづく妙な所やな」
「世が変わったら、章魚も変わろかえよ。同じ水やし、気遣い無いんちゃうか?」
高秀の言葉に昌長は何でもないと言った様子で応じるのだった。




