第36話 碧星乃里からの出帆
碧星乃里の池の畔。
現在ここは大きな港湾施設に生まれ変わろうとしていた。
池の縁は深く掘り下げられ、更に石を積み上げた埠頭が作られている。
東側の大河に通じる小川は拡張され、掘削が進み石造りの堰や護岸が大河からの水流の逆流を防いでいた。
また池の南側の河川口にも堰と、それに加えて砦が設けられ、エンデの地に入り込んだ蜥蜴人からの襲撃に備えている。
規模は小さいながらも先だって岡吉次率いる部隊が周辺のリザードマン居留地を襲撃し、相次いで打ち破ったことでリザードマンは力を落とした。
かつてタォルが碧星乃里の守護方を務めていた頃と比べ、リザードマンからの襲撃は激減している。
そうして蜥蜴人の脅威が減少し、平和の訪れた碧星乃里の港には大陸各地から獣人達が集まり始めていた。
小型船舶で大河を昇り、あるいは流れ下って行商をする獣人商人達。
遙か遠くマーラバントなどの蜥蜴人国家から、迫害や弾圧を免れんと筏同然のボロ船を並べ、集落ごと逃れ出てきた者達。
タゥエンドリンなどの森林人国家の窮屈さと杓子定規さに嫌気がさし、自由を求めて家族単位で小舟を連ねてやってくる者達。
遠い平原人国家からも獣人主体の集落や町が出来ているという噂を聞きつけて、獣人達が家族ぐるみで荷馬車を伴いやって来ている。
碧星乃里は元々猫獣人と犬獣人が協力して作った里だが、今や雑多な種類の獣人達が大陸各地から集まる、一大獣人集落へと成長しているのだ。
そのため里では従来の犬獣人居住区と猫獣人居住区に加え、兎獣人居住区や鼠獣人居住区など、増えた獣人ごとに居住区を新たに設けている状態。
溢れた獣人達や、集団移住してきた獣人達は碧星乃里の周囲に広がる原野や荒原、蜥蜴人が放棄した集落を積極的に開拓して新たな村や集落を作り始めてもいる。
もちろん、昌長の拓いたカレントゥ城周辺にも多くの獣人達が、森林人と共に住み始めているのは言うまでも無い。
集落の規模として考えれば、碧星乃里が一番大きく既に町の規模に達しており、その次がカレントゥの城下町。
後は新たに設けた基準で言えば村や邑ばかりであるが、それでもその数は増え、人口は確実にそして急激に増加しているのだ。
いずれは城下町と一続きの町となることだろう。
そんな取引と移住者でごった返す、未だ建築途上の喧噪も激しい碧星乃里の岸壁に、一際大きな人集りが出来ていた。
そこには周囲の小舟や獣人達の作る川船とは全く異なる、大きな異相の船が接岸中。
そしてその船を前にしているのは、現在新たな国を形作ろうとして周辺各地を切り取りにかかっている、的場昌長とその配下の月霜銃士隊。
人集りも出来ようというものである。
「これはまた懐かしなあ!」
「懐かしいてなんよう……まだここへ来てから1年もたってへんやんか」
統領である的場源四郎昌長の上げた感嘆の言葉に、湊惣左右衛門高秀が半ば呆れながら応じる。
昌長の目の前には、惣左右衛門高秀が監督して完成させた船がある。
小型化し、またこの世界の船舶構造に合わせて若干変化させているものの、基本形はかつて昌長らも紀伊国で乗り込んだことのある関船と呼ばれる船。
船舶の基本構造の上に盾板と呼ばれる木製装甲を四角形に張り巡らせた総矢倉と呼ばれる構造物を設けている物だ。
盾板には矢狭間が設けられており、更に総矢倉の上には平甲板がある。
帆柱は取り外しが可能で、戦闘時には帆を取り外して仕舞い込み、帆柱は倒して平甲板の上へ掛け渡すようにして載せておく。
戦闘時の推進力となる櫂は左右に10ずつ、合わせて20。
本格的な関船になればこの倍から3倍程の大きさと櫂があるが、大河とは言え川を航行する事と、乗り込む人数が余り多くないことを勘案して数は少なくなっているのだ。
そう言う理由から総矢倉も本来なら2段設けるところを1段のみとしている。
言うならば大きな垣盾に銃眼を穿ち、船の上に四角形に並べ、おまけに屋根を付けたような形態だ。
「これがマサナガの故郷の船なのか?」
「変わった形をしていますね」
ユエンとフィリーシアがしげしげと小型関船を見ながら言うと、昌長に代わって湊高秀が腕組みをし、心持ち胸を反らして応じる。
「これは戦う為の船や!普通の船とは一味も二味もちゃうでえ!」
「そ、それは分厚い置き盾を何枚も重ねているのですから分かりますが……」
フィリーシアは高く帆を前と後ろの2枚上げた関船を見て心配したのは、上部の構造物が重すぎて航行が不安定になるのではないだろうかという事だ。
確かに関船は不安定だが、それを補う航行能力がある。
「心配せんでも櫂がある」
そう言う高秀が示すのは、総矢倉の下。
そこは船舶構造から少し水上にはみ出した部分で、よく見れば下向きに穴が開いている。
「あそこから櫂を出して漕ぐんやで」
「はあ、なるほど……帆走と櫂走の両方が出来るのですね?」
「そうや!おまけに帆は帆柱ごと外せるようになっちゃある」
高秀の追加の説明に、フィリーシアは納得して頷く。
確かに安定航行に適しているとは言いがたいが、こと戦闘に関しては櫂走能力と重装甲が合わさって相当の威力を発揮するに違いない。
加えて乗り込むのは火縄銃を装備した的場昌長以下の雑賀武者達だ。
極めて強力な戦闘艦になるのは確実だった。
「ソウザエモン様、準備が出来ました」
「おう、ご苦労やな」
この関船の漕ぎ手となる犬獣人達のリーダーで水手頭のワゥンが声をかけてくると、高秀は鷹揚に頷いてから昌長らに向き直る。
「ほな行くかえ」
「よっしゃ、乗るわ」
昌長の言葉で、彼を先頭に佐武義昌と湊高秀、鍛冶師でもある芝辻宗右衛門、更に鈴木重之が乗り込み、フィリーシアとその護衛役の剣兵長リエンティン、更にはユエンが船に乗る。
今回カレントゥ城を守るのは岡吉次と津田照算。
「随分手薄になってきたわ」
「……あかん事やろう?何でそんない嬉しそうなんや」
昌長の独り言を聞き咎めた義昌に、昌長はその笑顔を向けて応じる。
「こないに嬉しい事はあらへんでえ!人が足らんちゅうことは、わいらの領地が広なった証左やないか」
確かに雑賀武者は如何に強力無比とはいえども僅か7名。
それぞれが鉄砲武者としての能力もさることながら、それぞれに地元で培い、身に付けた経験や技術を持つ一廉の技術者や経験者としての仕事もある。
広くなった月霜伯領の各地に技術者として派遣される事も多くなり、また各地の盗賊や敵性勢力の討伐の指揮官として現地の兵を率いる機会も多い雑賀武者達。
その分一所に集まる事は少なくなり、今や全員が揃う事はほとんど無い。
いや、揃う事が出来なくなったのだ。
現在の拠点はカレントゥ城、碧星乃里、青焔山の3カ所。
従って来た村邑は数多あるが、今のところ軍勢を置いているのはその3カ所だけとなっている。
戦や用事がある度に編制を昌長が考えて雑賀武者が動くのだが、元々かなりの人手不足であったところに領地が広がった。
状況に応じてエンデ兵の長を派遣したりしてはいるが、昌長自らが動くことも多くなってきている。
しかしそれは昌長が言ったとおり、的場昌長率いる月霜銃士隊、今は月霜銃士爵とその一党の支配する領域が広がり、同時に彼らに従う兵が増えている事も同時に意味する。
実際に碧星乃里を守っているのは犬獣人の槍兵と猫獣人の軽装兵に密偵兵であるし、カレントゥ城を守っているのは森林人の剣兵と弓兵が主体だ。
更には月霜銃士爵名で各種獣人と森林人の募兵が行われてもいる。
雑賀武者は今や指揮官的立場にあり、正面戦力として機能するばかりではなくなってきているのだ。
昌長は自分の勢力で鉄砲を独占するつもりでいるが、雑賀武者だけに限定した武器にする考えは無い。
7名の雑賀武者だけで国を切り取るのが無理な事は最初から分かっている。
昌長がこの大陸に覇を唱えるには、在地勢力の協力は欠かせない。
その為には昌長ら雑賀武者達による支配が他の国々より良いものである事を広く大陸中へ知らしめると同時に、月霜銃士隊を拡充しつつその精強さが普遍的なものである必要がある。
それには鉄砲の大量生産と正面配備が必要だ。
鉄砲の製造技術は遅かれ早かれ盗まれるだろうが、幸いにも鉄砲の使用経験や射撃技術も含めた鉄砲武者による用兵には昌長達に一日の長がある。
それに加えて経験豊富な指揮官も揃っており、細かな火薬調合術と合わせれば、まだまだ当分の間は優位を保てるだろう
敵が技術を入手して鉄砲に習熟する前に、あるいは鉄砲の弱点を突くような戦術を開発する前に大陸に確固たる地盤を築いておかなければならない。
「早う味方をもっと増やさなあかん。その為にも鉄砲はようけ造れるようにならへんとあかんさけな……今回の遠征は失敗できやんわ」
船室に落ち着いて座った昌長が決意を込めたつぶやきを漏らすと、義昌が船の指揮を執るべく船首に向かった高秀を見送りつつ応じる。
「……それはそうや、しかし大河や言うても障害は多いみたいやで」
「ああ、河川の賊か。それに妖物もおるらしいな?」
昌長は義昌の言葉でフィリーシアやユエンから聞いた、大河にはびこる蜥蜴人や平原人の賊徒の事を思い出した。
河川航路はかつてエンデの地があった頃は非常に重要な交易路として活用されていた。
大河を通じて北や南の海に出て各地へと向かっていたのだ。
もちろん大陸南方の坑道人都市とも、決して仲は良くないものの、交易に関しては盛んに行っていたエンデの地。
タゥエンドリンは南方の森林人国家カランドリンとも余り仲が宜しくないので、南方各地との交易は専らエンデの地を通じ、大河を使って行っていたのである。
蜥蜴人国家マーラバントにとっても大河は重要な道である事に変わりは無く、特にエンデやタゥエンドリンと争いが無かった時代から今に至るまで、マーラバントは大河という道を使って各地で交易を行い、時には略奪や侵略の手を伸ばしていた。
そんな略奪行の行き先がたまたま今回タゥエンドリンにされ、エンデの地が侵攻を受けただけの事なのである。
それにマーラバントの国内事情が絡み、いつもは略奪を終えれば引き上げるはずの蜥蜴人達が、大戦士長カッラーフに率いられて侵略の後に定着を試みたのが大きな動乱の引き金となったのだ。
そんな各国にとって重要な大河であるが、実は統一勢力によって支配を受けていない為に非常に境界が曖昧なのである。
しかも複雑な支流や湖沼の存在が賊徒の討伐を妨げており、境界線が曖昧な事もあって紛議の種になる事を嫌い、各国は追討の兵を差し向けないという悪循環に陥っていた。
国が交易隊を派遣する時は、その国の河川兵がしっかりと警護するという形を取ることから、国家公認の交易船などはあまり賊徒の襲撃を受ける事は無いが、獣人達はそうはいかない。
なので碧星乃里などは特定の賊徒と協定を結び、積み荷の幾らかを引き渡す事で航行の安全を保証して貰うという方式で航行の安全を確保していた。
しかし今回のマーラバントの侵略で河川の賊徒の方も混乱しており、マーラバント本国と繋がりのある賊徒や、交易や漁労を主な生業としている賊徒の間で諍いが発生しているらしい。
そのお陰でともいうべきか、マーラバントを始めとする各地から大河を通じて船で碧星乃里へあちこちから集まって来ている獣人達にほとんど被害らしい被害が無いのである。
事前に河川航路を使うにあたり、その辺の事情に明るいフィリーシアやユエンから河川の賊徒に関する講義を受けていた昌長がふうっと大きく息を吐いてから言う。
いずれ大河は月霜伯領にとっても重要な交易路となる予定だ。
河川の賊徒は排除する必要があるだろうが、今はゆっくり討伐している時間が無い。
出来れば今回については穏便な方法ですり抜け、その後戦力が整い次第討てば良いと昌長は考えている。
「交渉の余地がある連中やったらええけどな、あかんかったらそれこそただの邪魔もんやいしょよ、せやったら木っ端微塵に打ち砕いちゃら」
「まあ、それしかあらへんわな……承知したわえ」
「後は妖物やな……」
「何でも海から混乱に乗じて遡上してきたらしいわ……噂だけでしかとした正体は分からんらしいが、然程遠くもない場所におるて聞いたで」
昌長の言葉に難しい顔で頷く義昌。
まだはっきりとはしないが、水中に潜む妖物が深海から大河にやって来ているという噂がある。
移住してきた獣人達の中にも襲われた者がいるらしいが、正体は不明。
賊徒よりも厄介に思い、昌長らは警戒をしているのだ。
「出帆するでえ!」
そんな昌長らの考えを余所に、湊高秀の大きな声と共にバサリと帆がはためき、船首の碇が引き上げられる。
そして昌長らを載せた小型関船はゆっくりと岸壁を離れ始めるのだった。




