第30話 空からの帰還
その同日の夕刻、カレントゥ城・城代執務室
修復と拡張の完了したカレントゥ城の城代執務室で、レアンティアはサラリエル族の使者を迎えていた。
椅子にゆったりと座るレアンティアの背後には剣兵と弓兵が1名ずつ付き、一方の使者も兵士でこそないものの、5名のサラリエル貴族がそれぞれレアンティアの用意させた椅子に座っている。
そして不思議な事に、場は奇妙な緊迫感に包まれていた。
「ではどうあっても承諾頂けぬと仰せか?」
中央に腰掛けた年嵩の使者が、詰め寄るような眼差しで、まるで詰問するかのような口調で問うと、にこやかなレアンティアはさらりと答えた。
「先程から申し上げているとおりです。同盟の要請があったというサラリエル族からの申し出は、確かにマサナガ様にお伝え致します」
「そうではないのです!王妃であり、エンデの族長の娘でもある、そして現にこのカレントゥ城を宰領しておられる、あなた自身に聞いているのです!」
その隣に居た年若い使者の1人が真剣な眼差しで訴える。
しかしその言葉の内容はレアンティアに何の感銘も与えない。
まるでこの場でレアンティアが同盟を承諾する事こそが大事ともとれる、酷く歪な要求だ。
エンデ族出身という事もあって比較的排他性の薄いレアンティアであったが、それにしてもこれは酷い。
解釈の仕方によっては、この城の城主である的場昌長を排除し、レアンティアが簒奪、押領する事を後押ししていると受け取られかねない。
的場昌長の武力と影響力を嫌ってとった行動であろうが、果たしてこの使者を派遣した者の本当の目的は何であったのだろうか?
サラリエル族長トリフィリシンのことはレアンティアも知っている。
少し偏屈な所もあるが、決して物事の本質を見誤るような人物ではなかったはずだ。
蜥蜴人を排除出来る武力を持つのは、あくまでも月霜銃士隊のみ。
であれば、自ずと答えは出てくる。
おそらくトリフィリシンはカレントゥ城のフィリーシアかレアンティアを通じて月霜銃士隊との同盟を模索しようとしたはずだ。
しかし使者達は森林人の悪しき排他性を強く出して勝手な解釈をしたのだろう。
思案しているレアンティアに、別の使者が畳みかけるように言う。
「我らが組めば蜥蜴人など恐れるに足りません!フィリーシア殿を説き伏せ、我らと共同戦線を!」
今の言葉で答えが出た。
この者達は月霜銃士隊の存在と実力から目を逸らし、トリフィリシンの意向を曲げてフィリーシアを従えるレアンティアという幻想と同盟を結ぼうとしている。
余りに愚かで身勝手な勘違いは、タゥエンドリンの病巣を浮き上がらせた。
彼らの中で月霜銃士隊は存在せず、フィリーシアが蜥蜴人を打ち破った事になっているのだろう。
思わず溜息を吐くレアンティア。
頭が痛い事だがこれが今の自分の国の真実だと受け止めねばなるまい。
そんなレアンティアの様子を見て、若い使者は何らかの効果があったと勘違いしたらしく強く言葉を継いだ。
「我ら誇り高き森林人の誉れを取り戻すべく、高貴な同輩としてレアンティア様には是非ともご協力頂きたく、今すぐにご検討頂きたい!」
レアンティアは聞き分けの無い子供を教え諭すかのように、ゆっくりかみ砕くようにして答える。
「そうおっしゃいましても……私は今や実質的に王妃ではありませんし、今や一介の城代に過ぎないのです。この地の領主であり城主であるのは的場昌長様であって、私の裁量権はの意向次第となりますので」
「そんな馬鹿な話は知りませんな!月霜銃士隊の武名などお伽噺に過ぎませぬ」
「……ああ」
思わず溜息と慨嘆の声を上げるレアンティア。
余りにも傲慢で身勝手な理論。
これが現実に正面で蜥蜴人と戦っているサラリエル族の貴族から出た台詞なのだ。
頭に手をやったレアンティアの様子を不思議そうに見るサラリエルの使者達。
どう論すべきかレアンティアが知恵を練り始めた時、見張りに就いていた弓兵が飛び込んできた。
「レアンティア城代様!竜が接近してきます!」
「距離は?」
「飛行速度が速く、もう間もなく到着してしまうかと……」
半ば諦めの表情の弓兵。
竜撃と呼ばれる各位の竜による襲撃はそれ程多くはないが全く発生しない訳でもない。
それは正に天災だ。
地震や大嵐のような災害と同様の威力を持ち、大きな被害をもたらす竜撃。
大半は下位竜によるものなので何とか軍兵の力で撃退できないこともないが、100年前にあったような竜王による竜撃は国を亡ぼす。
レアンティアは普段の温厚さをかなぐり捨て、キッと眦を釣り上げると勢い良く椅子から立ち上がり、すぐさま指示を飛ばした。
「商人や住人は城に避難させ、兵は直ちに全員配置に就きなさい!」
レアンティアはお付きの弓兵と剣兵を従え、カレントゥ城の最上階で指揮を執るべく部屋の出入り口へと向かった。
報告を聞いて慌てふためく使者をかき分け、飛び出してゆく弓兵を追ってレアンティアも城の上階へと駆け上がった。
どう行動して良いか分からない使者達も、愚かしい事にレアンティアに続く。
舌打ちでもしてやりたい気分だったが、今はそれどころではない。
最上階にたどり着く寸前、配置に就いている弓兵の悲鳴が上がった。
「無事ですか!?」
飛び出すように最上階へ出たレアンティアの正面に、緑青色の鱗を持つ大竜が立つ。
その四肢の下には、生気の無い黄色の鱗を持つ竜の遺骸が抱えられていた。
弓兵達は圧倒的な竜の存在感に、矢を番える事も出来ないまま固まっている。
そして緑青色の竜、青竜王の背中からひょいと現れたのは、今正に話題の主と言って良い人物、月霜銃士隊の隊長、的場昌長その人であった。
「おう、久しいな母御殿、何、気遣いないわ」
『……ふん、些か年を取ったなレアンティアよ』
続いて青竜王アスライルスが言うと、ようやくレアンティアの呪縛が解けた。
「こ、これは青竜王アスライルス様……一体どう言うことですか?」
『どうもこうも無い、“妾の為”にマサナガが討ち取った黄竜王ガラルネイドスの遺骸を運び来ただけだ』
「おい、それはちっと違うやろ?」
『おや、違ったか?妾はそう解釈しておるぞ、マサナガよ』
「お前なあ……」
青竜王の言葉に気安く応じて遣り取りをする昌長の様子に、レアンティアを始めとして兵やサラリエルの使者達も度肝を抜かれる思いで見ている。
心なしか昌長と遣り取りしている青竜王は楽しげで、レアンティアらに向ける威圧感はそこに無い。
しかしその言葉の遣り取りの中に、重大な事実が含まれている事にレアンティアは気付いていた。
「ま、マサナガ様が……討った?」
その言葉に青竜王が頷いて反応する。
『ああ、雄々しく正面から戦い、見事に黄竜王を打ち破って邪なる呪を解き、無様にも囚われておった妾を自由の身にしてくれたのじゃ。感謝しても仕切れぬよ』
「そういうわけやな」
青竜王の背から降り立ち、得意げに胸を張る昌長の姿を思わず凝視するレアンティアと使者達。
青竜王が嘘をつく理由は何処にもないし、現にここには黄竜王と思われる大竜の死骸がある。
おまけにその止めとなったと思われるキズは小さく、鏃や礫によるものであろう事が予想出来た。
それに、正真正銘竜の王である青竜王の背に乗って現れたこの異相の平原人。
少なくとも青竜王の庇護下、下手をすれば同格の存在として扱われているのは紛う方無き事実であろう。
青竜王に対するその気安い態度を見れば、過去数千年を見ても数える程しか成り得なかった同盟者となっているかも知れない。
半ばひれ伏しながらレアンティアを始めとして、その場に居た使者や兵達がそう考えていると青竜王が鼻を鳴らした。
『ふふふん、マサナガは其の方らの思惑の範囲に収まる者ではないわ。マサナガこそ我が伴侶に足る者よ!』
「うおい、そんな話は聞いてへんで」
昌長が青竜王の鼻面をぺしりと叩く。
カレントゥ城の最上階の時間が止まった。




