第27話 黄竜玉継承
「……其れは是非検めねばならぬな」
昌長から掛けられた外套の襟を握りしめてアスライルスが言う。
しかしその身体には力が入らず、昌長から離れて立とうとするも果たせないで再び昌長に縋り付いてしまった。
そしてその当世具足で鎧われた胸に再び抱かれる事となり、アスライルスは小さく謝罪の言葉を発する。
「す、済まぬな……身体に力が入らぬのだ」
「しゃあないしゃあない、長いこと柱に埋まっちゃあったんやろう、力消えるのも無理ないわ……どれ!」
謝るアスライルスを労うと、昌長はかけ声と共にその大柄な身体をひょいと持ち上げて横抱きにした。
「な、な、な、なあっ!?」
「騒ぐなや、連れてっちゃるよって」
慌てて昌長の腕から逃れようと、アスライルスは顔を真っ赤にしてじたばたと暴れるが、それも果たせずにがっちりと昌長の腕の中で押さえつけられてしまう。
それを見ていた義昌は呆れ顔となり、吉次と宗右衛門は目を輝かせている。
「ええことすらいしょ!」
「統領は男前ですっ!」
そんなはやし立てる声の一方、フィリーシアとリエンティンはあまりの所作に顔を青ざめさせている。
「き、貴様っ!如何に妾が人の身に姿をやつしているとは言え……あ、あんまりの仕打ちではないかっ?」
「仕打ちもクソも無いわえ、こうせな連れっちゃれやんやろう?荷物あるよって背負えんさけにな」
それこそ顔をゆでだこのように真っ赤にしたアスライルスが言い募るものの、昌長は全く意に介した様子も無くしれっとした様子でそう答える。
昌長自身が言うとおり、その背には他の雑賀武者同様に糧秣や火縄銃用の工具等を詰め込んだ背嚢があり、火縄銃本体も今は革紐で肩に掛けている。
確かにアスライルスを背負う事は出来ない。
アスライルスは口をぱくぱくとさせて何かを言おうとするが、言葉にならない。
昌長はアスライルスを抱いた状態で振り返ると、跪いたまま目を丸くしているフィリーシアとリエンティンへのんびり声を掛ける。
「おい、青竜王殿がババ竜の死骸をば見たいて言うてるで」
「は……はあ」
「あ、あの……」
こくこくと頷くばかりのリエンティンに対し、フィリーシアはもじもじとしながら昌長の腕の中のアスライルスをちらちら見ている。
「ん、何や?」
「い、いえ……その、その抱え方は無いのではないかと思いまして……」
「そ、そうじゃ!妾は仮にも青竜王なるぞっ!」
不思議そうに問う昌長に、意を決した様子で言うフィリーシア。
腕の中のアスライルスも真っ赤な顔でそれに乗じ、声を上げるが昌長の首に回した手を解こうとはしない。
それでも昌長は首を傾げるだけだ。
「そうは言うてもなあ……ほな他の奴に頼むか?」
「それは断る!」
「え?」
昌長の発した言葉に賛同しようとしたフィリーシアに対し、アスライルスが勢い込んで拒否の意を伝えた。
フィリーシアが驚いて昌長の腕の中を見れば、顔を赤くしながらも昌長に抱かれている状態がまんざらでもない様子のアスライルス。
それを見た義昌の顔が益々渋くなり、宗右衛門と吉次の顔は笑み崩れる。
驚いているフィリーシアの視線に気付いたアスライルスは、ぷいっと顔をそらせてから言葉を継ぐ。
「わ、妾は青竜王なるぞ?ま、マサナガと申したか?お主のような高潔の士以外に高貴なる妾の身体を触らせる気は毛頭無いわ」
「ほうか、ほな行くで?」
相変わらず顔を真っ赤にして、掛けられている外套を掻き抱いて身体を必死に隠そうとして言うアスライルスを不思議そうに眺めて言うと、昌長はゆっくり歩き出すのだった。
「うむ、差し許すぞっ」
顔は真っ赤なままだが、どこか嬉しそうなアスライルス。
そんな2人の背を見送りながら、フィリーシアがめらっと何かを燃やした。
「う、く、悔しい……!」
「む、むむむっ、あれ良いな!今度マサナガに頼んでみよう!」
石柱の後方から事が終わった事を察して外の照算や獣人達と一緒にやって来たユエンが昌長とアスライルスの後ろ姿を見て元気よくそう言うと、フィリーシアはユエンを振り返り、キッと目を吊り上げて言った。
「許しません!」
「何故だ!?横暴だぞっ、フィリーシアっ」
青竜王の座所である洞窟を出て程なく下った、山道の途中にある平坦地を目指す一行。
山道は先程の戦いの時と同様に薄い靄に包まれていたが、アスライルスが昌長の腕の中で人差し指を天に突き出し、数度くるくる回すと静かに晴れていく。
「おう、凄いやんか!青竜王殿は天候を操れるのかえ?」
「ま、まあ、軽い靄や霧を掛けたり晴らしたり程度であれば、容易で有るかの」
そんな会話を交わしつつも歩く昌長、その先に黄色い巨体が横たわっているのが見えてきた。
やがて平坦地に到着すると、アスライルスは周囲を見回して溜息を漏らした。
次いでその中央に大量に流血しながら横たわる巨体を怒りの視線で見据え、アスライルスは言う。
「此所は妾が各国の使節を饗応する為に設えた場所なのだが……黄竜め、折角造らせた四阿を焼き払ってしまって居るわ、忌々しい」
「ほう?」
「まあ、仕方有るまい。少し落ち着いたら建て直そう」
感心する昌長に得意げに言うアスライルス。
しかしその腕から降りる気配はない。
「青竜王様、そろそろ降りては如何でしょう?」
「ふん、森林人の指図は受けぬわ!」
「いいな、私もマサナガに引っ付きたいのに……代わって欲しいぞ?」
「駄目じゃな」
フィリーシアやユエンからの言葉ににべもないアスライルス。
そんな3人の様子に苦笑を漏らしながら昌長は再び周囲の警戒と検分にあたる雑賀武者達を頼もしげに眺めつつ、黄竜王の死骸へと近付いた。
そしてその頭のある場所で立ち止まる。
だらしなく目と口を開き、血液と唾液を止め処なく流し続ける黄竜。
その身体には既に魂はなく、生気は完全に失われていた。
「見事に死んでおるわ黄竜の奴……因果なものよな。しかしマサナガよ、貴様の持つ魔道杖は凄まじき威力よのう、どういう絡繰りじゃ?」
「はははは、それは秘密やで」
「そうか」
質問しておきながらも昌長の返答に特に反応せず、アスライルスは黄竜王ガラルネイドスを見る。
しばしその死骸を見下ろし、侮蔑と憐憫、そして怒りと諦念の混じった複雑な視線を向けるアスライルスは小さくつぶやくように声を発した。
「愚か者めが……」
かつてはこの世界の調整役として共に働いた事もある、同輩の竜王。
それが役目を果たし終え、目的を見失ってしまったのだろう。
強大な力と永遠に近い寿命を与えられ、この世界の守護と育成を使命とした竜達。
守り育てた者が、物が、自分達の庇護を必要としなくなった時、竜達は目的と使命を失い、自分を見失ったのだ。
他の竜達も、役目を果たし終えた後の身の振り方には相当悩んだろうと思う。
他ならぬ自分がそうだったのだ、よく分かる。
自分は人の創り出す文化や文明に興味を見いだし、かつて守り育てた各種の人族が作り出し、昇華させたそれらを楽しむ術を身に付け、各国を通して人と積極的に交わった。
しかし他の竜達は力と寿命を持て余し、未だ目的や存在意義を失ったまま生き存えている者も居る。
その最たる者が、黄竜王ガラルネイドスであった。
自らを大竜王と称し、人族に対し強権と威圧を持って接して支配した。
隙を見せれば同輩の竜すら屠る事を厭わなかった。
しかし彼も知らず知らずの内に人族に影響を受けていたようである。
まさか自分の子孫を欲するとは、人に感化されていると自覚のあるアスライルスですら考えなかった事だ。
もちろん子孫を残す事自体は可能であるのだが、竜の身であれば寿命は永遠に近い物があり、子孫を残す必要はそもそも無い。
しかも弱った雌を見つけて無理矢理孕まそうと言う、実に身勝手で泥臭い人族的な方法でその目的を果たそうとした。
弱ったアスライルスを我が物に出来ずにその身を呪いによって封じた黄竜であったが、今この地を目的をもって訪れた不思議な平原人の傭兵達の手によって討たれ、ここに屍を晒している。
同情の余地はないが、かつては一緒にこの世を育てるべく働いた身だ。
哀れみの心ぐらい、受けた仕打ちを考慮しても持って良いだろう。
アスライルスは過去の様々な出来事を思い出し、しばし感傷に浸る。
昌長も静かに立っているばかりで何も言わない。
自分の気紛れに付合ってくれているようだ。
アスライルスは昌長の腕の中で静かに目を閉じると、ゆっくりと歌を紡ぎ出す。
「な、なんだ?きれいな声がするぞ」
「これは古歌……青竜王様?」
ぎゃいぎゃいと煩く言い合っていたユエンとフィリーシアがぴたりと動きを止め、そう言うと、リエンティンと義昌が次いで気付いて動きを止めた。
「なんだろう……心が落ち着く……」
「不思議な声色やなあ……」
「エエ声ですねえ」
周辺に散っていた獣人や雑賀武者も不思議な旋律に気付き、相次いで動きを止めて、そのきれいでよく通る歌声に耳を傾ける。
アスライルスの発する旋律は山々にしみ通るように響き渡り、やがて名も無き平原や青焔山の周辺にも届く。
生活に疲れた獣人や平原人の心を癒やし、野の獣たちの歩みさえも止める竜の古い歌。
大地を癒やし、空気を洗い、水を清める竜の歌。
竜術と呼ばれる、不思議な業の一端を垣間見る昌長達。
「あれ、何か身体が楽になったで?」
「おう、腰が良なった……ような、変やな?」
「腕の張りがとれましたっ?」
抱えていた不調が癒やされ、口々に感嘆の声を上げる雑賀武者達。
フィリーシアやユエン、昌長も身体が軽くなったのを実感する。
やがてアスライルスの口が閉じられ、不思議な旋律はその役目を終えた。
だらしなく開き切っていた黄竜の目や鼻は穏やかに閉じられ、その喉元にはいつの間にか歪な形をした光沢を持つ黄色の玻璃の様な物が現出している。
大きさはそれ程でもなく、掌に包み込める位だ。
アスライルスは淡い黄色に光る竜玉を指さすと、黄竜王の竜玉はアスライルスの目の前にまで静かに浮き上がって来る。
昌長の腕からゆっくり降りるとその宝玉、黄竜王ガラルネイドスの竜玉を手に取り、すっと昌長に差し出すアスライルス。
「マサナガよ、此れを……黄竜の遺した竜玉を取るが良い」
「竜玉!?」
「ま、まさか……これが?」
竜玉という言葉を聞き、リエンティンとフィリーシアが驚きの声を上げた。
「おう、これが竜玉か?わいが手に取ってええ物なんか?」
「ああ、良い。黄竜王を討ったマサナガにこそ其の資格が有ろう」
そう言いつつ綺麗な笑みを浮かべるアスライルス。
アスライルスが感じるこの目の前に居る平原人、マサナガとやらの気配は異相だ。
おそらくこの世に生まれ育った物ではないだろう。
どう言う因果が有ったのかは最早分からないが、何らかの役目を果たすべくこのグランドアースの世界に呼ばれ、世界の理の輪に組み込まれつつ有る者達。
おそらくその比類無き武力にこそ秘密がある。
しかし比類無き武力の源で有る不思議な形状の武具からは、魔道や神威の気配は一切感じられず、かと言って闇の術でもなければ、竜の業に連なる物でもない。
正に異世界の者と物。
しかし其れだからこそ、アスライルスは興味を持つ。
この世界において強力無比な力を持つ竜を苦も無く倒し、この者達は何を成そうというのか。
人族の文化や文明に興味を持ち、自らそれを求めて楽しむ事を目的としたアスライルスに、もう一つ、新たな目的が出来た。
「遙々僻遠より此の青焔の地を訪い、類い希なる武を持って悪逆非道を成した黄竜を討ち果たし、青焔の正当なる領主で有り王である妾を呪いから救い出したる勇士よ!貴君をおいて此の竜玉を持つに相応しい者は居らぬ」
アスライルスは朗々とそう歌い上げるように言うと昌長に近付き、竜玉を差し出して言葉を継ぐ。
「さあ竜玉を取れ勇士よ、そして大いに誇り、喧伝するが良い!悪竜を倒し、この地に平穏をもたらした事を!」
「拝領仕る」
昌長が左手を差し出した。
アスライルスがその手に竜玉を載せたその瞬間、強い黄色の光が竜玉から吹き上がる。
そして光が収まるとアスライルスの手に竜玉はなく、代わって昌長の左手に黄金色の竜玉があった。
「かつて黄竜王が有した力は貴君が受け継いだ。其の力を此の世に役立てる事を願うぞ」
厳かに宣言するアスライルスに、昌長は笑みを浮かべて言う。
「まあ、任せちゃってよう」




