第2話 名も無き草原の遭遇戦 前編
光神歴4317年5月、グランドアース大陸、名も無き草原
頬をなでるさわやかな風に、昌長はゆっくり目を開く。
目の前に広がるのは水色の空に白い雲。
初夏のちりっとした暑さに、草いきれが風に混じっているのが分かる。
「う……ここは何や?」
空の青さが、紀州の深い青色とは違い、色合いが優しい。
それに季節も妙だ。
自分達はまだ春になったばかりの紀州で戦をしていたはず。
ここは既に夏の入り口になっているようだ。
昌長がゆっくり上半身を起こすと、自分の右手にしっかり火縄銃が握られている事に気が付いた。
「はは、身に染みたクセっちゅうんは大したもんやなあ」
そう言いながらあぐらをかき、自分の身体や装備品を点検する昌長。
身体は少し寝起きの怠さを感じるものの怪我は無く、装備品も全て無事のようだ。
あれほどの大爆発に巻き込まれたとはとても思えない。
しばらくすると、むしろ身体の調子は良いくらいになった。
「おっと……これも見とかなあかん」
昌長は火縄銃の引き金や銃口、火蓋を作動させて確認してから、槊状を引き抜いて異常が無い事を確認する。
そして銃口に泥などが詰まっていないかどうかを確かめると、ほっと溜息をついた。
「どっこもおかしなってないな……うおい、起きやんか!」
火縄銃を肩に担ぎ、周囲で伸びたままの配下の雑賀武者達に声をかける昌長。
その大声で、岡吉次、津田照算、佐武義昌、芝辻宗右衛門、鈴木重之に湊高秀と言った面々がようやくもそもそと起き出す。
全員先頃まで話をしていた者達だ。
昌長は彼らが意識をしっかり取り戻す事が出来た事に安堵すると、周囲の風景を改めて見回す。
「ここはどこやろかい……」
ざっと強い風が昌長達の前進を撫で上げて行く。
見渡す限りの草原。
遙か遠くには青々とした山脈があるが、見慣れた紀伊の山や海は無い。
そもそも雑賀城にいた昌長達。
いきなりこの様な平原に移動する訳が無いし、所々に森や丘はあるとはいえ、紀伊にはこの様なだだっ広い、見渡す限りの平原や草原は存在しない。
思案する昌長の後ろで、佐武義昌達が昌長と同じように身体と装備の点検を終え、ようやく周囲に目を向け始めた所だった。
「昌長、ここどこやろかえ?」
腑に落ちない様子で周囲を見回しながら義昌が言うと、吉次がとぼけたように問う。
「わいら雑賀城に居ったんやけどな、何でこんなとこにおるんやろ?」
「生えてる草やらも紀伊とちゃうみたいです」
「そもそもこんなトコ紀州にあるかえ?」
宗右衛門の解説に、重之が同じ草の葉を見ながら言う。
「やたら暑いわ……季節までかわっちゃあら、わいらそんな長に……寝とったんやろか」
「昌長よ、ほんまに分からんか?」
津田照算に続いて湊高秀がそう言うと、昌長は苦笑を返すほか無い。
自分自身もどうしてこの様な場所にやって来たのか皆目見当も付かないのだ。
なので、昌長はそれを正直に口に出した。
「わいも分からんわ!」
「大概やないか!!おまんが敵本陣狙うとか言うよってに!」
吉正の抗議に昌長は憮然として答える。
「分からんもんは分からん、わいかておまはんらとそう変わらん時に起きたんや」
その回答に不満そうな雰囲気を漂わせる吉次達。
しかし、そうは言っても戦場を何年も往来してきた雑賀武者でも指折りの彼らは、さすがに肝が据わっていた。
宗右衛門とて元々は雑賀の地侍の倅であり、若いとは言え数々の戦働きはしてきた。
すぐに気持ちを切り替える事にした彼らは、周囲を見回し、建物らしき物や道らしき物が無い事に気付き、いずれにしてもしばらくこの周辺で過ごす以外に手段が無い事に気付いたようだ。
「おい、とりあえず頭決めようや……おまんやってくれるか、昌長?」
「おう、気遣い無いで、やっちゃあそう」
「皆もかめへんやろう?」
佐武義昌の提案に呆気なく昌長が応じ、再度の義昌の問いに他の5人も頷きこれに賛意を示したことで、この場での統領は的場昌長とすんなり決まった。
「ほんで統領、早速やが物見は出すんかいな?」
「悪いけど一つ頼むわ……照算と吉次、高秀と義昌で手分けしてこの周り調べちゃれよ。わいと重之、宗右衛門はあそこの丘で野宿の準備しとくさけよ」
「あいよ」
「物見の大将は義昌に頼むわ。他もやけど、変なことあったら一発撃って報せ」
「承知したわえ」
昌長は佐武義昌の提案に乗り、4人に物見を命じると同時に残った2人を引き連れ、石が折り重なるように剥き出しになった小さい丘へと向かう。
「森も近くに無いよって、石垣に土重ねて土塁作るしかあらへんなあ」
「何か野営地の跡かいの?」
東西南北に散る吉次らを見送りつつ、昌長達は丘に着くと雑嚢に入っていた小型の鋤を使って円形の鉄砲構えを作り始める。
鉄砲構えとは、塹壕や柵で敵の接近を防ぎ、安全且つ正確に射撃を行う為の野戦築城全般の事を意味する。
昌長達は空堀を掘り、その残土で土手を作る形の簡単な鉄砲構えを作る事にしたのであるが、幸いにも土は軟らかく、作業は割合すぐに終わることとなる。
恐らく昔に積まれたものであるのだろう、石も程よく高く、昌長らは石積みの間に崩れた石を詰めたり土を盛ったりして形を円形に整えていく。
今の状況を考えるに敵が居るとは思えないが、それこそ自分達がどこにるかも分からない状態では用心に越した事は無い。
幸いにも敵本陣へ奇襲をかけようと色々準備をしていた所であったため、兵糧や弾薬は十分に持っており、物見が帰ってくるのを待ってから行動を開始しても遅くはあるまい。
昌長が土を掘っていると、重之が話しかけてきた。
「統領、ここやっぱり紀州とちゃうなあ、1本も知ってる草生えてへんよって」
「さよか……」
掘った土にまみれている手で、一本の草をつまんで見せる顰め面の重之に、昌長は言葉少なに答える。
昌長は鉄砲傭兵として西日本の各地を渡り歩いているが、重之の手にする丸っこい葉の縁に鋸歯が並び、濃い緑色に薄い緑色の斑紋があるその草は、確かに紀伊やその周辺どころか日の本で見た事のある草ではない。
「ここは一体どこなんや……」
そう言いつつも作業の手は止めない昌長。
重之も草をぽんと放り投げて、宗右衛門と一緒に石積みに戻る。
義昌は普段の生真面目さを十分に発揮し、既に石垣を積む作業に取りかかっていた。
昌長達は、丘の頂上部分に丸く並ぶ石積みを基礎にし、積み上げた土を台形に整え、表面を鋤で叩き軽く固める。
次いで2カ所、出入り口となる土手の切れ目を作ってから、簡単な食違小口を設えた。
石積みは人の胸ぐらいまでの高さが残っており、とりあえず雨さえ降らなければそれなりに過ごせる場所にはなった。
時間の経過は紀伊と同じようで、3人で始めた土木作業は元々の石積みがそれなりにしっかり残っていたことと、雑賀武者らの剛力と体力に任せた作業量もあって程なくして終了する運びとなった。
手や身体をはたいて土を落とす宗右衛門や重之の姿を見て、昌長は自分も同じように土を払い落としながら労いの言葉をかける。
「ご苦労さんやなあ」
「統領、ここの土は掘り易うて難儀はせなんだよって」
案外簡単に作業が終わったせいか、そう言う重之と宗右衛門。
昌長は満足そうに頷くと、新しい指示を出す。
「少し休んどけ、水は飲み過ぎんな」
昌長の指示に頷くと、宗右衛門は見張りを始めた昌長の反対側に座って竹筒の水筒から一口水を飲む。
重之は立てかけてあった抱大筒を手に取ると、その近くにゆっくり腰掛ける。
本当は薪や水も手に入れたい所だが、それは物見の活躍に期待する他ない。
いずれにしても周辺の状況が分かれば移動するつもりの昌長は、この時までは特に物資の入手には焦っていなかったのだ。
しばらくして宗右衛門が寝筵を延べて居眠りを始めた頃、突如それは起こった。
遠くから1発の銃声が聞こえてきたのだ。
その方角は東、岡吉次が物見に出た方向だ。
居眠っていた宗右衛門と重之は飛び起きると即座に自分の火縄銃を手に取って火薬と弾を装填し始める。
それを横目に昌長は既に弾薬を装填してあった火縄銃の火縄に点火し、火挟みへ装着を終え、西側の土手に折り敷く。
熟練した雑賀鉄砲衆の早装填の業前が遺憾なく発揮された瞬間である。
もちろん宗右衛門らとて例外ではなく、程なく弾込を終えた宗右衛門と重之が周囲の警戒をしつつ昌長の反対側に折り敷いた。
そこで何かを目の端に捉えた宗右衛門が言う。
「統領!物見に出た4人が帰って来ました」
「どっちからや?」
「早いんは北の照算様!ほいでから南の高秀様、次いで西の義昌様です。東は……あ?岡様っ、何で女なんぞ連れてくさるんっ、て、ええ?蜥蜴が立って歩いちゃある!?」
「何やて?」
昌長も思わず耳を疑う内容の報告に、宗右衛門は警戒している東から僅かにずれた方角を示し、重之が続けて言う。
「おう、ほんまやの、あれ何やえ?トカゲみたいなもんが追っかけちゃあらいしょ!」
西側と南側の安全を確認してから急いで東にとりついた昌長の目に飛び込んできた光景は、果たして宗右衛門が報告し、重之が驚きの声を上げたものと同じであった。
金髪の長い髪を翻し岡吉次に手を引かれて逃げてくる南蛮人の女、この容姿からすれば紅毛人だろうか。
その後方から緑色の肌をしたトカゲ人間ことリザードマンが、50余り追跡してくるのが分かった。
緑色の鱗膚に色とりどりの腰蓑や貫頭衣を纏い、頭には鉢金や頭鐶を着けている。
また手には大鉈とも呼ぶべき片刃で肉厚な剣を持ち、中には丸盾を持っている者も居るようだ。
日の本では見る事の無いその異様な外見と無骨な武装、それにしゅうしゅうという不気味な呼吸音とも笑声ともとれる物音を、その鋭い乱杭歯の覗く長い口から断続的に発している。
戦場往来幾数年を誇る雑賀武者の昌長や重之でさえ、見た事も無いその怖ろしげな姿形に動揺を隠せない。
「落ち着け……よし」
昌長は強くそう念じて動揺を押さえ込むと、冷静に思案する。
リザードマンの風体は余りにも異相で、見るからに言葉も通じなさそうな者達だが、その装備を見ればそれなりの文明を持っている者達である事は分かる。
岡吉次らの報告次第だが、食料や弾薬の補給や今後の行く当てもない今、訳の分からないまま無闇矢鱈と戦端を開いてしまうのは危険に過ぎた。
昌長がその光景をどう判断して良いか迷っている間に、小口から別の場所へ偵察に出ていた佐武義昌と津田照算が駆け戻って来た。
「おう、大事ないかえ?」
「こっちは何も無い。帰る途中に鉄砲の音聞いてん、めちゃくちゃ慌てたわ」
昌長の問い掛けに、息を切らしたままそう答えるのは、佐武義昌。
また次いで戻ってきた津田照算は昌長と宗右衛門が火縄に火を点じているのを見て、改めて尋ねる。
「何ぞ……あったな?」
「おう、おまんの方は何ぞあったんか?」
「何も……無い」
「ほなお前らも戦支度せえ。蜥蜴人間が吉次を追いかけ回しちゃある」
昌長の言葉に東側を見た義昌と照算の顔が強張る。
「……なるほど?」
「奇妙なこっちゃ」
そう言いつつも火薬と弾を火縄銃に装填し、口薬を込めて火縄に火を点じる義昌と照算。
ここで奴らと戦うのは容易いし、おそらくこちらが勝つだろう。
武器や防具を手にしているという事、特に防具を装備しているという事は、切られたり突かれたりすればあのトカゲ人間も傷付くという事を意味している。
たった7人とは言え昌長らは火縄銃を装備している。
ましてや鉄砲構えの中に居る自分達がこの一戦で負けるという事は考えていないのだ。
しかし思案すべきはその後の事だ。
あのトカゲ人間に後詰め(援軍)はあるのか?
あの女の正体は何か?
自分達が支援を求められるような者達が居るのか?
トカゲ人間と会話は出来るのか?和議は結べるのか?
一方の岡吉次は、とうとう辛抱しきれずに紅毛人らしき女を肩に担ぎ上げると、一気に昌長らの籠もる鉄砲構え目掛けて駆け始める。
追うリザードマン達は、明らかに吉次と紅毛人の女に対して敵意を持っており、咆哮と共に無骨な片刃の直剣や大斧、槍を振りかざしては威嚇を繰り返し、攻撃の隙を狙っているのが分かった。
一方の吉次は汗を周囲に散らしながら昌長の陣取る小さな丘の上に駆け上がり、紅毛人の女を昌長の前で放り出すと、自身も倒れ込む。
「おい、気遣いないか?」
「はあ、はあ、はあ、き、気遣い無い」
何とか周囲の呼びかけに答え、ほんの僅かな時間仰向けになってから、吉次はゆっくりと上半身を持ち上げた。
そして粗末ながらもきっちり造りの行き届いた鉄砲構えの内部を目にし、更には周囲に配置された土手と、4人の雑賀武者達を頼もしく見上げて言う。
「統領、後ろの青トカゲ共は人喰いかもしれやん。この女子はどうやら狩られたらしんや」
外見も異様なリザードマンはそれ程足が速くないのか、未だ丘の麓をのそのそと駆けており、もうしばらく考える猶予がありそうだ。
息を切らしつつ吉正も手早く弾込を終えると、東の石積みに寄りかかって鉄砲を構える。
昌長がリザードマンとの距離を測っていると、いつの間にか立ち上がっていた紅毛人の女がそっと昌長に近付く。
「お、おい」
それまで紅毛人の女の存在を意識の外にやっていた昌長だったが、義昌の言葉が発せられた事により、ようやく昌長らの意識が女に向いた。
見れば、細身の身体に白絹の透けるような一続きの衣服を纏い、髪の毛の色は金色で目は青い。
昌長も堺で以前見た事のある、阿蘭陀や英吉利の紅毛人とよく似た目鼻立ちと色だ。
木の彫り物を綴った首飾りに、蔦を編んだ腕輪を幾重も身につけ、少々汚れてはいるものの高貴な雰囲気を醸し出しているその女。
ぱっちり開いた二重瞼に鼻筋の通った高い鼻、歳は10代後半と言った所か。
女の顔立ちは非常に整っているものの、昌長ら日の本の武者達からすれば異相に過ぎるようで、雑賀武者達も興味を持ってはいるようだが余り女として見ている雰囲気は無い。
どちらかというと、珍しい南蛮人を見たいという願望で注目しているだけだ。
「……妙な耳やな?」
「はあ、とんがっちゃあるなあ」
昌長の言葉に、佐武義昌が応じる。
昌長の言葉通り、その女の耳は先端が人のように丸くなく、笹葉の様な形をしている。
2人の会話をきっかけに、吉正らが口々に言う。
「目え青いなあ」
「えらい色白いな、病気とちゃうか?」
「服は……絹か?」
一頻り女について発言した吉次らの物言いたげな視線を受け、昌長が声をかける。
「何ぞ用か?用件有ったら手短にせえ、すぐに戦始まるでえ」
「……あの、私を助けていただけるのですか?」
言葉が通じると思っていなかった昌長達は、女から理解の出来る言葉が発せられた事に驚く。
「何や、日の本の言葉しゃべれるんか?」
「ヒノモト……というのが何を指すのか分かりませんが、私はあなた方とは神術を使って言葉を解しています」
「シンジュツ?何やそれ」
「神の御業、とでも申しましょうか……神や精霊の力を借りて世の理を制する術です」
「ふ~ん、何やよう分かれへんけど、まあええわい。しゃべれるんやったら話早いわ」
紅毛人の女の口から発せられた説明を聞いた昌長は、内容は良く理解出来ないものの、とにかく何かしらの術か方法で言葉を翻訳しているという事は理解したが、それ以上の追求はしない。
それよりも昌長にとって今重要なのは、この局面に対する説明と、情報の収集であるからだ。
昌長は東の方角から迫るリザードマンの集団を指さし、紅毛人の女に尋ねる。
「あんた、名前なんちゅうんや?」
「タゥエンドリンのフィリーシアと申します」
「ほうか、わいは紀伊雑賀の住人で的場源四郎昌長ちゅうもんや……早速聞くけどよ、あれ何や?人か?獣か?話せるんか?」
「あれは湿原に住まう民、蜥蜴人です。会話は可能ですが……」
「ほう……蜥蜴人なあ、見たまんまやなあ……ほいたら聞くけど、おまはんは何で彼奴らに拐かされてたんや?」
「私が彼らと激しく敵対している森林人の国の高位者だからです」
「は~ん、なるほど。あんた姫さんかいな、道理でなあ」
昌長はうんうんと頷くと素早く思考をまとめる。
昌長の言葉に驚いている女の言葉には、蜥蜴人に対する根深い憎悪が感じられた。
ここで蜥蜴人と交戦しても、この女の所属する国に厄介になれば、少なくとも孤立したり、行き場の無くなる事はあるまい。
幸いにも自分達には一応の武力があり、それを生かす場もあるという事が分かった。
「ややこし話は後でしようらえ、とにかく!わいらが彼奴ら撚ったら、あんたの国で世話になれるんかえ?」
昌長の問い掛けに、女は戸惑いつつも頷く。
「それは……可能だと思いますが、リザードマンはとても手強い敵です。この人数で勝てるとは思えません」
「まあ、それはやってみいひんと分かれへんわ。あかんかったらあんたもワイらもここで死ぬだけやのし」
昌長はそう言うと、経緯を見守っていた義昌達に向かって気合いの入った声を飛ばす。
「おい、やるで!」
おう、とこれまた気合いの入った返事が6人から一斉に発せられ、昌長はその答えに大いに満足して言葉を継ぐ。
「射場に寄ったら、容赦せんと鉛玉で蜥蜴人をば射竦めちゃれ」