第19話 青焔山の話
「竜やて?」
「……ほんまに居てるんですか?」
日の本でも竜は確かに存在するとは言われていたが、大雨や大嵐の中にその存在を感じる事はあっても、実際に見た事は無い昌長と宗右衛門は半信半疑で問う。
鉄砲をいち早く導入するなど進取の気性に富み、その使用方法や鉄砲武者の運用方法に工夫を凝らし、火薬の精製や鉄砲の製造に取り組むなど、科学的で合理的な思考を好む傾向の強い紀伊の人間である昌長達。
一方で雄大な南方系の自然環境に囲まれた紀伊の人々は、熊野三山など神仏の存在やその加護を頼み、一向宗を信仰する者も多いなど、超自然の人にあらざる者の存在を信じてもいる。
竜の存在を頭ごなしに否定する事はしないが、それはあくまで人の目に触れない信仰の対象としてであり、現実世界に肉体を持ち、目の前に存在して人に害をなすような存在としては認識していないのだ。
故に若干懐疑的になる昌長と宗右衛門。
そんな2人の微妙な心情を読み取ったのか、フィリーシアとユエンは極めて真剣な様子で言葉を継いだ。
「ウソじゃないぞっ、マサナガ!強い竜が居るんだ」
「マサナガ様の居た場所で竜がどういう位置や立場にあったかは分かりませんが……この地、グランドアースでは、極めて有力な種族として認識されているのですよ」
ユエンが身振り手振りを交えて真剣な顔で言うと、フィリーシアもそれに類する真剣さで言葉を継ぐ。
キミンやフィリーシアお付きの兵達がうんうんと頷いているところを見れば、あながち嘘でも、また昌長らを担いでいる訳でもなさそうだ。
これはまた厄介な種族が居るものである。
「種族て言うたか?種族っちゅうことは、話も出来るのやな?」
「出来ますが……それは先程も言ったとおり止めておいた方が良いですよ。リザードマンとは比べものにならないほど危険ですから」
昌長の再度の問いにフィリーシアが窘めるように答えると、宗右衛門は顔をしかめる。
戦闘前の蜥蜴人が開こうとしていた会合を目の当たりにしている宗右衛門は、蜥蜴人の狂乱振りと肉食を思い出して辟易としてしまったのだ。
「蜥蜴人より危険て、どんだけですか……あれより上がまだ居てるんですか」
宗右衛門のつぶやきにフィリーシアは静かに頷きながら答えた。
「はい、蜥蜴人は体格が大きいとは言っても森林人や平原人とそう体型は変わりませんし、言語や思考形態もある程度共通部分があります。しかし竜は異質で、私たちと全く違います。山の様な身体に桁外れの力、町を焼き払えるほどの高熱と威力を持った竜炎といった攻撃力に、刃を通さず、神術や魔道に耐性のある竜燐による防御、それを戦術に生かす高度な知能を持ち、あらゆる言語を話す超長寿の種族です。それに……」
「それに、何や?」
先を促す昌長にフィリーシアはちらりと宗右衛門の顔を見る。
彼が何かを言いたそうにしているように感じられたのだ。
そこへ佐武義昌がやって来た。
「統領、火縄銃の手入れ終わったで」
「おう、ご苦労さんやったな」
「……何の話してるんや?」
訝る義昌にほっと胸をなで下ろす宗右衛門。
その様子には気付かず、昌長は言う。
「竜の話を姫さんから聞いてたんや」
「竜?」
「おうそうや、姫さん、話の続き頼むわ」
遮る気配を見せた義昌の機先を制して昌長がいうと、少し躊躇いながらもフィリーシアが語る。
「竜は自分の領域と思っている場所に他の人種や部族が入り込む事を好みません。まあ、太古の昔には気に入られた人族が竜から宝物を与えられたという話もありますが、真偽の程は分かりませんから……近付かないのが一番良いと思います」
フィリーシアの説明に昌長は目を輝かせた。
フィリーシアの気遣いはどうやら無駄になったようである。
「宝物!まるで竜の神さんやなあ、はあ、ほんまに竜は居てるんか……」
「あっ、統領っ……やっぱりか!」
義昌があろう事か舌打ちをする。
幼い時分のことを思い出したのだ。
「止めといてくれ!」
「あん、何でや?まだ何も言うてへんやろう」
義昌が発した制止の言葉に、怪訝そうな表情で返す昌長。
その昌長の顔を見て、苦い顔になる宗右衛門と義昌。
統領、完全に行く気になってる……硫黄の話はどうしたんや
そう思いつつ宗右衛門。
そして義昌は渋い顔で言葉を継ぐ。
「統領、小さい時に龍をば探す言うて行方くらました事があったですやろ!」
「おう、あったな。あれ、龍住んでるて聞いた龍神郷へ行こうとしたんやで、行けやんかったけどな!えらい懐かしいやんか」
さも懐かしい、良い思い出話のような体で話す昌長。
それを聞いて義昌が盛大な溜息を漏らした。
まだ幼かった義昌だったが、的場家の嫡子がいなくなったということで雑賀の荘を上げての騒ぎになったのだ。
何かを察したのかフィリーシアは面白がるような、それでいて労うような目を宗右衛門に向けている。
ユエンとキミンは、昌長の事を心配している様子がうかがえた。
しかし義昌は周囲に気を回している余裕は無かった。
危険から昌長を出来るだけ遠ざけなくてはならない。
今やこの世界にやって来た雑賀武者達の頭領と言うだけでなく、本流から遠ざけられているとは言えタゥエンドリンの王女らと実質的な同盟を結び、獣人の里を治める領主でもあるのだ。
その思いが募ったのか、これまでの気苦労による不満が爆発したのか定かではないものの、義昌は珍しく声を荒げた。
「懐かしいとかええ思いでみたいに言うないや!エライ騒ぎになってんぞ!」
「おいおい……何をいきり立っちゃあるんや?懐かしいやろう?」
本人は本気であの出来事を、子供の頃の懐かしい思い出と捉えているようだが、一緒にその頃を過ごした重賢にとっては一大事であった。
小とは言え領主の総領息子が居なくなったのだ、騒ぎにならないはずが無い。
隣接する郷の出身とは言え同じ立場の重賢は、無茶で突拍子も無い行動を多々取る昌長に、幼い頃から随分と振り回されてきた。
この龍探しの騒ぎも義昌は昌長同様よく覚えている。
尤も義昌にとっては苦難の幼少期の一大事の1つだった。
今でこそ統領としての自覚もあり、また戦場での指揮官、時には傭兵隊長として部下の雑賀武者を率いている昌長は思慮も深くなり、経験と齢を積み重ねて慎重に行動する事の大事さを知っている。
しかしながら、思い立ったら即行動が信条だった幼少期の昌長の決断と思い切りは、他の子供達の追随を許さなかった。
郷を抜け出した昌長の足は速く、あっという間に雑賀荘を抜け出して東へと向かう。
そして隣接の宮郷を駆け抜け、日前宮の門前町を通り龍神街道を直走ったのだ。
もう少しで深山に入るというすんでの所で、的場家の郎党が馬で追いつく事が出来たので事なきを得たのだが、その時の昌長の目を未だに覚えている義昌。
今しているような、きらきらと輝く目をしていた。
それと言うのも何を隠そう、昌長に引っ張られて一緒に食料や弓矢、脇差しを持ちだして龍探しの供をさせられたのは義昌であるからだ。
その時の目と同じ目をした昌長を見て焦る義昌。
悪い予感しかしない、いやむしろこの場合は確信か……
「おし、じゃりの頃から夢にまで見た竜や、現物を見に行くでえ!」
「待たんかい!」
それにそもそもは硫黄を探す為の方策を練るべく、現地の事情に詳しいフィリーシアやユエンから話を聞いたはずだった。
それが何時しか竜見物にすり替わってしまっている。
「あかんぞ源四郎!竜なんぞいう危ないもんに関わるな、硫黄探しが先やで」
「何言うちゃあるんよ、硫黄やったら竜の住む山にあるて姫さんが言うてらいしょ。それとも他に当てがあるんかえ?」
「しかしですぞ!件の青い鱗を持つと言われる竜は、100年ほど前に鉱物資源に目を付けて攻め寄せた平原人の軍を滅しただけでなく、丙正と称した平原人随一の強国その物を10日で滅ぼしてしまったのですじゃ!手出しをしてはなりませんぞ、手出しをせねば竜は山から下りてきませぬわい」
「そうです、竜なんてもんに手え出してる暇はないですよっ!」
義昌、次いでキミンが、最後に宗右衛門勢い良く諫めるが、昌長は竜の威を気に掛けた様子も無く言う。
「手え出すも何も、硫黄を取らねばわいらは立ち行かん。襲って来るんやったら返り討ちにせな、どうも出来へんわ。さっきも言うたけど、他に当てあるんか?」
昌長が言うと、義昌は渋い顔をしてフィリーシアを振り返った。
「姫さん、他に竜が住んでへん火山や温泉はあらへんのかいな?」
その粘つくような恨みの籠もったような妙な視線と言葉を受け、一瞬びくっと身を震わせたフィリーシアであったが、義昌の希望に応えるべくうんうんとしばらくうなりながら考える。
しかし思い当たる場所は無いので、結局フィリーシアは残念な事実を告げるべく口を開く他なかった。
「ありません……他にも今は噴火していない物も含めて火山はいくつかありますけれども、いずれもこの地からは少し離れ過ぎています。それに火山には名の有る無しはありますが、普通は必ず竜が住んでいます。」
「左様か……」
がっくりと肩を落とす義昌を申し訳なさそうに見るフィリーシア。
昌長はあのきらきらとした目でフィリーシアを見て言う。
「行くで、姫さん」
「えっ?」
「えっ、やないわ、姫さんしか道分かれへんのやから案内してもらわなあかんやろ」
驚きの声を発するフィリーシアに、昌長はさも当然だというばかり言う。
「え、ええっ!?」
「なんだ、エルフは来ないのか?じゃあ仕方ない……死ぬかも知れないが、死ぬ時は一緒だ!私が行くぞマサナガ!道案内ぐらいなら私にも出来る!」
驚き狼狽えるフィリーシアを不思議そうに見てから、ユエンが胸を張って事も無げに言った。
それを聞いてはっと思い直したフィリーシアが言葉を発するより早く、キミンが驚きの声を上げる。
「ゆ、ユエンっ?何を言い出すのじゃっ?」
「エルフが行かないんじゃ、私が道案内するしか無いだろう?キミン爺も来るか?」
「い、いえ……わしはその腰が……」
一旦はユエンを止めようとしたものの、そのユエンから同行を持ちかけられたキミンは途端に尻込みする。
名も無き平原の先に住む竜の話は、キミンも遙か昔の子供の頃に聞いた事がある。
特に近接している平原人の国、今は無き丙正国がこの地の鉱物資源を求めて攻め寄せた事があったのだが、その軍兵を全滅させてしまったのみならず、怒って丙正国自体を滅ぼしてしまったのだ。
独立峰の名前は青焔山。
竜の名前はアスライルス。
青竜王とも称される、緑青色の竜鱗を持つ稀代の大竜だ。
丙正国を滅ぼして以来、種族問わず人族は誰もが恐れて青焔山には近寄らなくなった事から、青竜王アスライルスの姿は100年以上目撃されていない。
しかし、数千年の寿命を持つとも言われる竜がそう簡単に死ぬ訳も無く、住み処を変える理由も無いので未だ青焔山の頂にあり続けている事は間違い無いだろう。
そしてその青焔山こそ、今正にカレントゥの城から見えるあの火山のことだ。
完全に青焔山へ行く気になっている昌長に、道案内として付いて行く気のユエン。
それを見たキミンが溜息をつくと、同時に横で溜息が聞こえた。
ふと見れば、義昌と宗右衛門が疲れた様子でこちらを見ていた。
「……お互い」
「気苦労が絶えへんなあ……」
「本当に……」
何故か一瞬で、しかし静かに意気投合してしまう3人であった。
昌長とユエンはあれこれと青焔山までの道順について話し合っている。
そんな2人を見て義昌は諦めて思考を巡らせた。
こうなれば何とか竜を撃ち倒す方策を考え出さなければならない。
竜が強力な力を持っていたのは周知の事実らしい。
であれば何らかの被害を受けた訳でもなく、ただ鉱物資源獲得という欲目だけで攻め寄せた丙正国には何か竜を討てるだけの準備があったと考えるのが妥当だ。
愚王に率いられてというのは些か腑に落ちない。
あるいは平原人国家随一の国力を誇り、自信過剰であったが故に勢いだけで攻め寄せたという事も考えられはする。
だが、仮にも精強富貴な国家である。強力な力を持つ竜に何らの策や事前準備も無いまま攻撃に踏み切ったとは考えにくい。
何か竜を討てるだけの装備や武具、人材を手に入れ、あるいは竜の攻撃や防御を無効に出来る戦法や策術があったればこその攻撃ではなかったのか。
ただそれが上手く機能しなかったのか、竜に方策そのものの効果が無かったのかは分からないが、その方策なり武具なり、人材なりが分かれば、竜に対して何らかの有効な対策が立てられるかも知れない。
この中で最も年かさなのは、驚くべき事にフィリーシアだ。
次いでキミンだろうが、王都で戦術戦略を修めたフィリーシアの方が手掛かりを得られる可能性が高い。
義昌はそう考えてまずフィリーシアに問う。
「姫さん、その滅びた丙正国が竜を攻めた時の兵士の装備やら、軍の編成やら知ってたら教えてくれへんか?」
「は、はい……」
義昌が目頭を指でつまみながら言うと、フィリーシアははっと我に返った。
しかし直ぐに先程まで視線をやっていた、その横を見てしまう。
和気藹々と青焔山までの旅程について話をしている昌長とユエンを、フィリーシアはそれまでぼーっと眺めていたのだ。
何も考えていなかった訳ではない。
自分の気持ちを隠そうともしていないユエンを羨ましく思っていただけだ。
母に背を押されてここまで付いて来てはみたものの、未だ何も進展はしていない。
戦いや統治に忙しいのは自分も同じなのだが、ユエンに水をあけられている。
「姫さんよ?」
「あっ、はいっ」
「気遣い無いかえ?」
「だ、大丈夫です」
義昌が顰め面のまま黙り込んでいる自分を訝るようにのぞき込んできたので、フィリーシアは慌てて手を振り、そう答える。
そして何度か深呼吸をした後、無理矢理視線を昌長から外し、義昌と宗右衛門に向き直った。
「青竜王と丙正国の戦いについて私が知っている事は限られています。丙正国が滅んだのは知っていますけれども、何分私が生まれて間もない頃の話ですので」
フィリーシアの年齢は100歳を少し超えた程度で、丙正国が滅びた時には既に生まれている。
しかし未だ幼かったのも事実だ。
確かに丙正国が滅びた時、大人達が盛んにその話をしていたことはよく覚えている。
森林人の間でも、平原人の国家とは言え当時大国であった丙正国の滅亡は十分な驚きと恐怖を持って受け止められていたのだ。
だがフィリーシアは騒ぎになった事は覚えていたものの、それこそまだ幼い子供であったので、騒ぎの元となった丙正国の詳しい軍陣や戦いの様子、滅亡の詳細までは聞いたような気もするが覚えていなかった。
それでも手がかりが無い訳ではない。
「しかしカレントゥ城の母なら何か記憶しているかも知れません。城には何れにしても一旦戻ることですし、聞いてみては如何でしょうか?」
「なるほど、左様か……」
義昌はフィリーシアの説明に納得して頷くが、ふと引っかかりを覚えて顔を上げる。
「ん……姫さん、ついて来るんかいな?」
「もちろんです」




