第12話 出陣
数日後の朝、カレントゥ城の門前にみすぼらしい獣人達が10人余り集まっていた。
「よく来たな、勇士達」
「ユエン……族長の呼び出しには応じるが、理由を説明してくれ。こっちはトカゲ共の目を盗んで行動するのは非常に骨が折れたんだ」
出迎えたユエンの元気溌剌さに目を奪われつつも、勇士と呼ばれた者達の先頭に居た若者が少し強い口調で問う。
汚いフードを取った顔を見れば、ユエンと同じ猫型の耳が付いている。
男ではあるが、毛の色や年齢、背格好はユエンとそう変わらないだろう。
その言葉を聞いて、ユエンが嬉しそうな顔を向けて答える。
「カンか、そうだな……まあ、そうだ、機会がやって来たんだ」
「キカイ?」
「そうだ、マサナガ達が里を開放してくれるそうだ!」
怪訝そうにユエンが発する言葉の意味が分からないのか、カンと呼ばれた獣人族の男は周囲の者達と顔を見合わせる。
「……マサナガって誰だ?何処の村の者だ?」
「マサナガは平原人だぞ、スゴク強い月霜銃士隊の隊長なんだ」
「平原人?」
胸を張って言うユエンに、獣人達がざわめく。
森林人や平原人は程度の差こそあれ獣人達を差別している。
獣人を餌か家畜としか思っていない蜥蜴人よりはましだが、平原人が未だかつて獣人を助けたなどと言う話を聞いた事は無い。
むしろ奴隷にされるだけではないのか?
そう思った獣人達の思いも無理からぬ物であるが、昌長達と直接、しかもずっと接しているユエンにその気持ちは理解出来ない。
「平原人なんか信用出来ない」
「何だと!」
カンのきっぱりと発した言葉にユエンが激高したが、カンの後ろから現れた年かさの男が静かに言う。
「……族長の命だ、協力はしよう。だが信用は出来ない」
「タォル叔父……分かった、それで良い」
牙をむいて、同じく牙をむいたカンをにらみ付けていたユエンだったが、その言葉にひとまず怒りを収める。
そしてカレントゥの城門に向かって歩き出すと、ユエンは獣人達を手招いた。
「こっちだ、直接会ってくれ」
「えっ?城の中に入るのか?」
「そうだ、当たり前だろう」
カンの驚きや恐怖を意に介さず、ユエンはそのまま門の中へと入ってゆく。
門衛に立っている森林人の剣士達も何も言わない。
カンは後方のタォルを途方に暮れた顔つきで振り返るが、タォルは黙って首を左右に振る。
差別されている獣人達は平原人や森林人の都市に入る事を禁じられている場合がほとんどで、城砦や関所においてもそれは準用されている場合が多い。
故に、商売をどうしても町でしなければならない時や、外せない用件が有る時は、外套のフードをしっかり被って町に入るのだ。
獣人達の間でフード付きの外套がよく用いられるのは、その獣人の一番の特徴である耳や、尾を隠すのに都合が良いからである。
衛士や兵士も、姿をしっかり隠していれば獣人と分かっていても取り締まりや排除は敢えてしないのだが、今のユエンの様子は明らかに見逃すといったものではない。
ユエンは何の気負いも無く、そのままの姿でカレントゥ城の中に入り込み、門衛もそれを咎め立てしないという事は、獣人に対して差別的な政策をこの城は取っていないという事である。
「そんな馬鹿な」
「……ぐずぐずしていても仕方が無い、度胸を決めていこう」
カンが呆然としていると、タォルがそう言ってフードを被りつつ背中を押す。
他の獣人達もフードはしっかり被ったままであり、カンも決心して、それでもフードはしっかりと被ってカレントゥ城へと向かうのだった。
昌長に率いられた月霜銃士隊の面々も既に準備を終えて城内で整列していたが、持参する食料を取り分けている内に現れていたその獣人達の集団に顔をしかめる。
獣人達は一様にぼろぼろの外套を身に纏い、力なく下を向いているからだ。
元は色鮮やかだったであろう半袖の上衣やズボンも、今は色あせてかぎ裂きだらけで、おまけに裾や袖口は擦切れ、垢染みている。
そして……非常にくさい。
先頭を切って歩いていたユエンは、昌長の姿を見つけると、手を振りつつ駆け寄ってきた。
「おい、あいつら病気や無いやろな?」
「……あんまりだな、お前達の為にわざわざ呼んだんだ。彼らは力と技に優れた獣人の中の勇士達だぞっ」
思わず問うた吉次に、ユエンはきっと顔を振り向けて反発する。
確かに獣人達はやせぎすではあるものの、背は高く肩幅は広い、まさにがっちりした体格だと言う事は外套を通した姿形で十分に分かる。
それでも彼らの姿は酷すぎた。
「まあ、この格好で分るんは、そんだけ迫害されてた言う事やな」
「それは……間違いじゃない。蜥蜴人は私たち獣人族の事を大きな物言う家畜ぐらいにしか思っていないんだ」
今度は昌長の言葉に頷くと共に、少し悲しそうに眉尻を下げるユエン。
そんなユエンの頭を元気付けるように耳ごと乱暴な手つきで撫でると、昌長は雑賀武者達が取り分けた食料を示して言った。
「お前らに運んで貰うんはこれや、しっかり運べよ」
その言葉にようやく顔を上げた獣人達は、のろのろと雑賀武者達がおっかなびっくり見守る中、糧食の詰まった大きな背負い袋を背負う。
それでも獣人達の誰もが背負う時によろけたり、まごつくという事はない。
「獣人らには悪いけど、時間の都合もあるよって、今は飯食わしてやれんが、小休止の時には十分に振る舞っちゃれ」
昌長が宗右衛門に言うと、宗右衛門も臭気に顔を歪めつつ頷いて応じる。
「水浴びもさせちゃれ」
「……その方がエエな」
高秀と重之が言う。
ユエンのプライドを傷付けるようで申し訳ないが、確かに獣人達は……非常に臭う。
早めに小川でも見つけて水浴びをさせた方が良いだろう。
戦塵にまみれ、ましてや連戦ともなれば着の身着のままで何ヶ月も移動し続ける事もある昌長達ではあったが、それでも獣人達の体臭はきつく、いただけないようだ。
「服も洗濯させときますわ」
最後に宗右衛門が言って顔をそらせる。
昌長はその様子に小さく吹き出すと、自分も踵を返して隊の先頭へと向かうのだった。
「獣人達が到着しました」
「そうですか、分かりました」
警戒の兵士達から荷運びの獣人達が到着した事を知らされたフィリーシア。
彼らが昌長がユエン達獣人に依頼した要員である事を知っていたので、出発が近い事を悟り、自分も部屋から出るべく準備を始める。
昌長との話し合いで拠点の防衛はフィリーシアが担い、蜥蜴人への攻撃は昌長と月霜銃士隊が主体となって行うと言う事が決まった。
昌長に付いて行きたいと思う気持ちも強くあったが、王都との渉外や報告、防備は自分がする方が確かに効率も良いし、この地の勝手も分かっている。
なので昌長の後方担当をやって欲しいという要請に納得し、引き受けたのだ。
加えて昌長らが必要とする物資の入手を依頼されたフィリーシア。
焔硝、硫黄、木炭、鉛、鉄と言った、雷杖を使用するにあたっての触媒となる諸物資の入手は極秘かつ迅速に行って欲しいと昌長から念を押されている。
しかし硝石についてはその物がフィリーシアに理解出来ないし、硫黄もそれほど多く産出している訳ではない。
一部の者が薬剤として使用するだけなので、流通量も極めて限られている。
それ以外の物資は比較的入手が容易なので、既に手配を済ませていた。
確かに商人や職人との折衝も、フィリーシアの方が適しているだろう。
そう思いながら、フィリーシアは昌長らからの奇妙な依頼を思い出していた。
フィリーシアは、重賢から古屋の床下の土や壁土、便所周辺の土とアクの強い草木を集めるようにも言われている。
また、あろう事か人畜を問わず糞尿を収集するようにも言われていたフィリーシア。
流石に最初は顔をしかめたが、昌長と重賢があんまりにも真剣に依頼するので、取り敢えず周辺の偵察に出した兵が見つけた廃屋などから言われた各種の土を入手し、雑草を刈り取り、屎尿を廃樽に詰めて城の端にある倉庫で保管している。
必死に糞尿を集めてくれとフィリーシアに頼む、平原人の歴戦の傭兵隊長の滑稽な姿を思い出し、フィリーシアはくすりと笑みをこぼした。
そして、窓の外に視線をやる。
その視線の先で、昌長達雑賀武者と獣人達が会話している様子があったことから、慌ててペンを置くフィリーシア。
間もなく昌長達は出発してしまう、時間はあまりない。
カレントゥ城着任を知らせる手紙と、現状を報告する書類を作成している途中だったが、それを打ち切って粗末な椅子から立ち上がった。
せめて見送らなければ。
壁に掛けてあった洋服掛けから厚手の服を手に取るフィリーシアの足下に、まだ幼い森林人の子供達が隣の部屋から元気よく駆け寄って来た。
「お姉ちゃん、何処へ行くの?」
「お母さんも起きてるよ、ご挨拶していく?」
その10歳前後と思われる森林人の男の子と女の子の顔は、フィリーシアにとてもよく似ている。
子供達はフィリーシアの弟と妹で、今回フィリーシアに伴い、フィリーシアの出身部族である滅びたエンデ族に連なる者達や、王妃であるフィリーシアの母と一緒にこの地へやって来たのだ。
形式上は無位無冠、無産であったフィリーシアにとって褒美ではあるが、実質は放逐と同じである。
エンデ族が雲散霧消した時点で既にその芽は無くなっていたとは言え、王位継承権を実質的に奪うという王の意思の表れであり、証拠だ。
加えて王妃であるはずのフィリーシアの母をここにやったことも、放逐である事を意味している。
要するにタゥエンドリン王は今後エンデ族の代表者である母とは子を成さないということで、縁切りを宣言したのだ。
憤りと悲しみに心を向けつつもそれを表に表わさず、弟と妹に笑顔を向けてフィリーシアが言う。
「フィエル、シエリア、2人とも知らせてくれてありがとう。そうね、準備が出来たら行くわ」
「そう?」
「あ、お母さんっ」
フィリーシアが丈夫な野蚕絹で出来た衣服を身に付けながら、弟のフィエルと妹のシエリアに笑顔で応じていると、奥の部屋から件の母、レアンティアが穏やかな笑みとともに現れた。
「フィリーシア、無理はしないで」
「お母さん……ううん、無理はしていないわ。お母さんこそ、無理はしないで」
元々一族が滅び、領土を奪われてしまった事で疎まれていたとは言え、ここへ放逐される決定的な原因となったのは自分の敗北である。
昌長達月霜銃士隊の力を借りた事や、その昌長達が王宮で戦闘を繰り広げた事などは些事に過ぎない。
王としては自分の怒りの対象となっているエンデ族の縁者であるところの、フィリーシア達の処遇に頭を悩ませていたところだったのだ。
王妃や王女を、それこそ私怨で追放や処刑する訳にも行かず、然りとて手元に置いておくには煩わしい。
そんな時にフィリーシアがリザードマン戦士に敗れ、下賤な平原人傭兵を王宮へ連れ込んだのだ。
王からしてみれば好機が訪れたと思ったに違いない。
これ幸いにとフィリーシアを名ばかりの守備隊長に任命し、その一族もろとも滅びたエンデ族の土地に追いやる事が出来たのだ、王からしてみればようやく肩の荷が下りたという所だろう。
それでも殺そうとまでは思っていないらしく、継続的な物資を始めとする援助は約束してくれたので、フィリーシアとしても居辛い王宮に何時までも居るよりはと許諾した。
しかし一族や母、弟妹の気持ちは分からない。
今は荒れているとは言え緑豊かで水気豊富な豊穣の森に母も弟妹も気持ちを和ませているようだが、今後は戦乱に真っ先に巻き込まれるに違いなく、そうした時の過酷な環境に一族の者が付いてこられるか心配だ。
そんなフィリーシアの心配を理解しているのか、レアンティアはやさしげな笑みをそのままに言葉を継ぐ。
「私は大丈夫、ここは故国にも近いもの……皆はもう居ないけど、大切な思い出はしっかりと残っているわ」
「そうですか……」
「それに、傭兵隊長さんはとても優しいし、実力もあるようだから、戦争になってしまったとしても私は心配していないの」
母の言葉に目を見張るフィリーシア。
王都からここに来るまで約1月あったとは言え、いつの間に母が昌長の人となりを知るまでになっていたのか、フィリーシアは驚いたのだ。
「月霜の隊長、くれた~」
「ジュズって言うんだって、これくれた~」
相次いで差し出してくる弟妹の手首には、黒く光る木球を組紐で繋いだ小さな数珠があった。
数珠の球は見た事も無い、この世界には産しない木材であるようだ。
よく見ると組紐の結んだ先の断面は真新しい。
おそらく昌長が自分の数珠を外して組紐を切り分け、フィリアとシエリアの手の大きさに合わせて作ってくれたのだろう。
嬉しそうにフィリーシアへ手に入れたプレゼントを見せるフィエル、シエリアの頭をそれぞれの手で優しく撫でながらレアンティアは言った。
「きっと新しい思い出も作られていく、私は何も心配していません。だから、行ってらっしゃいフィリーシア。あの人の背中を見失ってはいけませんよ?」
「お母さん……」
「よし、行くか!」
そろそろ出発しなければ、目的地は遠い。
短く応じた重之達が、昌長とそれに加えて何故か昌長の側に付いているユエンを先頭に歩き出すと、その後方から食料を背負った獣人達がぞろぞろと付いて来る。
カレントゥ城の門を出たその時、後方から声が掛かった。
「待って下さい!」
驚いて振り返ると、剣兵と弓兵を1名ずつ従えた完全武装のフィリーシアが立っていた。
「おう、姫さんか、なんかようかえ?」
「私も行きます」
「はん?」
フィリーシアは驚く昌長の側に歩み寄ると、歯を剥いて威嚇するユエンをさらりと無視し、力強い笑みを向けて言った。
「やはり後ろで椅子に座っているだけというのは性に合いません。私も行きます。足手纏いにはなりませんから」
「……姫。頼んだあれこれは終わったんでしょうか?」
「はい大丈夫です、母に頼んできましたので」
宗右衛門が困った様子でフィリーシアに尋ねると、今度は真面目な顔で言葉を発した。
「は、母あ?」
「あれ、言っていませんでしたか?私の母は元エンデ族の族長の娘ですよ。結婚する前は部族で渉外やまとめ役もやっていましたから、政務や兵の指揮は執れます」
「なっ……何ですってえ?」
驚く宗右衛門達と悔しそうに歯がみしているユエンを余所に、揺らぐ事の無いフィリーシアの視線。
それを受け止めた昌長は笑う。
「あははは、こりゃしてやられたやんか、宗右衛門。わいらの負けや。なるべく玉は外へ出さへんつもりやったけど、しゃあないな」
「では?」
期待に満ちた言葉に昌長が頷くと、フィリーシアは軽く飛び上がって喜ぶ。
その姿を見て義昌は難しい顔で獣人の先頭を歩くカンに言った。
「糧秣3人分追加や。悪な」
「……分かった」




