第100話 アンデッド討滅戦1
長らくお待たせしまして申し訳ありませんでした。
ウェンデルア中央部、月霜銃士爵軍、本陣
夜のとばりが下りようとする時刻。
ウェンデルアの中央部、王都オルクリアから北に延びるエンデ街道の結節点にある関所は、昌長率いる月霜銃士爵軍に敢えなく占拠された。
王都側の衛兵は戦わずに降り、この場で戦闘が起きなかったこともあって、兵達は野営の準備に余念がない。
あちこちで天幕や陣幕が張られ、周辺には部隊ごとに見張りや斥候が立てられていた。
気の早い者は石を組んで竃を造り、傍らを流れる川から水を汲んできて鍋で沸かしたり、輜重から配布された干し肉や乾し野菜、麺麭を使って夕飯作りを始めている。
暖を取るためにも火は必要であるので、隊ごとに周辺で薪を探したり、火を起こしたりする許可が既に出されていた。
そんな兵達のいる中央部。
月霜の紋の旗指物がはためく一群に、一際大きく立派な陣幕が張られている。
それこそが此の軍を率いる月霜銃士爵的場昌長の本陣だ。
その本陣に向かって、小走りで向かう一団がいるが、誰も咎めようとはしない。
一団はそのまま巡回の兵をすり抜け、見張りの兵の目をかすめて本陣内へと入って行ってしまった。
「マサナガ!死体の群れがやって来るぞ!元が見えないくらいだ!」
斥候に出していた配下の猫忍達を引き連れて、ユエンが陣幕の中、昌長の居る場に入るなり叫ぶように言う。
昌長率いる月霜銃士爵軍は既に王都オルクリアと指呼の間といって良い程の場所、すなわちウェンデルア中央部に軍を進めていた。
ここで一旦腰を据え、兵を休めると共に斥候や猫忍びを放ちながら周辺の情勢を探っていたところへ、ユエンが慌てた様子で現れたのだ。
日の本風に作られた陣幕には、草葉染で緑色に月霜の紋が染め抜かれており、グランドアース世界にはあまりない造りの大布に、居並んだ諸将は物珍しそうに眺めるのが常だ。
そんな陣幕の中へやって来たユエンは、最初の勢いのまま諸将が止める間もなく最奥の昌長とフィリーシアが並んで座る場所に小走りでやって来る。
「ユエンよ、死体ちゅうのは何じゃい?」
傍らの上席に座る義昌が問い掛けると、ユエンはちらりと横に控える猫忍を見てから言う。
「それが……実際見たんだけど、人の死体が南から歩いてこっちに向かってきてるんだ。しかも数がもの凄く多い。見渡す限りの死体だ!」
「ふうむ、動く死体と言えばアンデッドかのう?」
義昌が絶句しているのを見てから反対側の上席に座るアスライルスが言うと、ようやく諸将達が言葉を発し始める。
「アンデッドだと?今の此の世にそのような邪法を使う者が居るのか?」
「しかし、ユエン殿が見たモノが本当であれば、アンデッド以外に考えられまい」
「信じられんが、猫忍の情報だしな」
口々に言うのはグランドアース出身の将帥達で、義昌を始めとする雑賀武者らは互いの顔を見合わせるばかりだ。
「こっちへ来るのはどのくらいになりそうや?」
「すっごく遅いから……多分まだ7日はかかると思う」
昌長の問いにユエンが答え、将帥達がまたざわめく。
昌長は周囲の地勢や状況を思い出そうと、目の前の地図に視線を落す。
ウェンデルア中央部は開けた平原で、エルフの国であるタゥエンドリンでは珍しく小麦や大麦といった穀物が育てられている。
緩やかな丘陵はあるものの、山や森、大きな川といった遮蔽物は少ない場所だ。
しかし小川や用水の類いは豊富にあり、如何にも穀倉地帯といった風情を見せていた事を昌長は思い出した。
「難儀やな、あと7日ではまともな備えは出来やんぞ」
誰にも聞こえないようにつぶやき、昌長は平然を装いつつも焦って思考を巡らせる。
「死体が……動く、などと言うことが……あるのか?」
そんな昌長を余所にして、照算が傍らに居たリエンティンに小さな声で尋ねると、リエンティンは一つ頷いてからこちらも小さな声で回答する。
「はい、かつて邪法と言われた妖術使い達が編み出した闇の技法です。死体であれば、腐っていようが骨になっていようが、人であろうが獣であろうが、それこそ闇の者であろうが意のままに操ることが出来るそうです」
「……然様なことが、あるのだな」
「尤も、そのような強力な邪法の使い手はほとんどおりません」
唸るように言う照算に、笑顔を向けてそう言うリエンティンだったが、はっと何かに気付いたようにフィリーシアの居る方へと目を向けた。
視線を向けられたフィリーシアが頷く。
どうやらフィリーシアもリエンティンが気付いた内容に気が付いていたようだ。
フィリーシアはばが落ち着くのをしばらくじっと待ってから、昌長に向き直りつつゆっくりと口を開く。
「マサナガ様、この邪法の使い手に心当たりがあります」
「ほう、誰や?」
「カランドリン女王、メウネウェーナ様です」
昌長の問いに、フィリーシアはゆっくりとその名を告げる。
しかし昌長は驚くことなくさもありなんといった風情で頷くと、言葉を発した。
「すぐにここを防御陣へ変える」
「おい、昌長、それは無理と違うか?」
昌長の言葉を窘めるように義昌が忠告するが、昌長は首を左右に振って言葉を継ぐ。
「下手したらこっちの10倍ではきかん数や。迎え撃つ他無い、後退は危険やしな」
相手が大軍である事を理由に撤退するとなると外聞も悪い。
無理をして出兵したのは相手の意表を突くと共に、タゥエンドリンの民人達に月霜銃士爵の勇名を更に轟かせる目的もあったのだが、大軍を前にしっぽを巻いて逃げ帰ったという評判が立てば、その策も瓦解しかねない。
昌長が思案している間に、アスライルスやフィリーシアといった邪法や魔術に詳しい者達が話し合いをしている。
「王都前で召喚して、単に北へ向かえとだけ命令してあるのではないかの?」
「間近に術士が居なければ細かい指示は出来ません。足の遅さから考えて恐らくそうでしょう」
「恐怖も怠慢も倦怠もないアンデッドじゃ、放っておいてもそのまま北に突き進むだけじゃろうな」
相手は足の遅いアンデッドなので追討ちを心配する必要はないだろうが、諦めることもしないし、飽きるという事もない。
いずれかの時点で迎え撃たなければそのまま昌長の根拠地に雪崩れ込んでくるということなのだろう。
「雑賀川の再現じゃ」
「……ほう」
昌長の言葉に反応したのは、それまでじっと皆の会話を聞いていた照算。
それに続いて義昌が唸り声を上げた。
「ううむ、そういうことか……」
「義昌、南側の川の普請は任せるで」
昌長の言葉に義昌は即座に応じる。
「おう、任せちゃれ……わいはあれについてやったら誰よりも詳しいわえ」
「照算は柵を作れ、重之は土塁じゃ」
「……おう」
「はっはっは、さすが統領じゃ。わいに任せ!」
次いで発せられた昌長の命令に、照算と重之が応じる。
命令を受けた雑賀武者達が準備のために外へ出て行くと、慌てた諸将を代表してフィリーシアが尋ねる。
「マサナガ様、このままアンデッドの大軍と正面切って対峙するおつもりですか?」
「当たり前やないか。どうせやるんやったら、王都や周辺の民の目の前で死体の群れをばど派手にいてこましちゃるわ」
「マサナガ様、遠隔操作の邪法には期限があるはずです。ここは一旦カレントゥへ退いて再挙しませんか?」
翌日の昼ごろ、急遽迎撃戦を行うことになったために、陣営を砦に変える突貫工事の指揮を執る昌長へフィリーシアが不安そうに言う。
「それはせえへんて、昨日言うたやろ?」
「……どうあってもここで迎撃する御積りですか?」
「当たり前やよし、わいらは王都へ入るためにここまではるばる来たんやないか。ここで退く理由はないわえ」
「しかし……あのメウネウェーナ女王の邪法です。ここは邪法を使った場所からまだ近く、その力は強く残っています。そう簡単にいくと思えないのです」
昌長は不敵な笑みを浮かべて応じたが、フィリーシアは不安を訴える。
しかしそれでも昌長は不敵な笑みを崩さず、再度フィリーシアに言う。
「気遣いないわ」
「えっ?」
「堀もあるし土塁もある、そう簡単に陣へ乱入されるようなことは無い……それにここには少し大きめの川があるよってな」
土塁や堀、そしてすぐその先にある兵士達が水を汲んでいた川を指揮棒で示し、訝るフィリーシアにそう自信たっぷりに言う昌長。
土塁は鈴木重之が指揮を執り、その周辺に逆茂木や柵を設置している。
その柵や逆茂木は、少し離れた場所にある森から細い木を切ったり、太枝を使ったりして照算が兵を指揮して作らせ、ここまで運ばせている。
川では佐武義昌が指揮を執って、何やら兵達が股辺りまである水の中で作業をしているのが見えた。
「まあ見ちゃれ」
昌長はフィリーシアを安心させようと言葉を継ぐが、そこで今まで黙っていたアスライルスが不機嫌そうに口を開いた。
「妾もそう思うぞマサナガよ……アンデッド共は術士を仕留めぬ限りは生半なことでは倒れぬ。メウネウェーナは恐らく王都じゃから、これを仕留めるのはユエンらであっても至難の業じゃ。他に策があるのならば早めに知っておきたい」
「まあ焦らんでええよって、わいらの戦振りをばよう見ちゃれ」
アスライルスにそう応じつつ、昌長は近くの見張り台へ上る。
一陣の南風が見張り台の昌長を撫でる。
不安そうに自分を見上げるアスライルスやフィリーシアに笑みを向けてから、昌長は王都オラクリアのある南を見つめる。
うっすらと王城の尖塔や城壁が見えるが、畑地が途切れ、中間にある森林が視界を遮っているので、城門までは見ることが出来ない。
それに加えてアンデッドの大群は見えないが、不穏な空気が南から流れてくるのが昌長には分かった。




