第1話 転移
再びの出直し投稿となります。
未だ十分時間が取れず、不定期投稿ですが何卒よろしくお願い致します。
天正13年(西暦1585年)3月末早朝、日本、紀伊国雑賀郷、雑賀城北門脇
眼前に広がる足軽や武者の群れを眺め、火縄銃を肩に担いだ鎧兜の大柄な武将は自分が居る城の外郭を見回して溜息を吐く。
既に紀伊の各地に侵攻した豊臣秀吉配下の各軍は、紀伊を焼け野原にしている。
ここから見えるのも、敵兵以外はほぼ焼け野原。
本来あるはずの水田も、畑も、村も、町も、漁船も、水路も全て失われている。
僅かに味方の籠もる小さな城だけが、あちこちに点在しているのみだ。
「やっぱり8年前とは様子がちゃうわ、こりゃあ、どうもしようがあらへんなあ!」
30歳代後半と見える武将は、愚痴っぽくつぶやいてはみたものの、声色は極めて明るい。
彼は青漆を主に使った当世具足に、雑賀鉢と呼ばれる独特の形状をした兜をかぶり、腰にはこれまた青色で拵えた大小の太刀を差している。
肩には6匁筒と呼称される火縄銃を担ぎ、腰には鉛や鉄で出来た弾の入った玉入れに、黒色火薬のたっぷり入った薬箱と口薬入れと火縄挟み、火縄銃の予備部品や余分な火縄などを入れた雑嚢、また早合という弾と火薬をあらかじめ纏めた紙筒を胴乱に入るだけ入れてあった。
もちろん、背嚢には米や味噌など数日分の食料や寝筵もあるが、どれもこれも野戦の準備に他ならず、普段であれば籠城戦においては必要ない物ばかりだ。
そして同じ格好をした武者が他に4人。
「源四郎よ、これはちっと戻るという訳にはいかへんでえ」
明るく言うのは、これまた40過ぎの中肉中背の雑賀武者。
無骨ながらも愛嬌のある顔は、笑顔になると一層親しみやすさを感じさせた。
「おう、岡の」
昌長が声を掛けると、その武者は灰色の具足を揺らして人なつこい笑顔で応じる。
彼は雑賀衆の棟梁の1人で、かつて石山本願寺における合戦で手勢を率いて活躍し、あの織田信長に手傷を負わせたと専らの噂の岡吉次だ。
「わいらの故郷が……くそっ」
絶句しつつも闘争心を失わずに言うのは、名工芝辻清右衛門の弟子の1人である、芝辻宗右衛門。
自分の故郷の危機に居ても立ってもいられず堺の工房を抜け出してきた小柄な若者は、具足に身を固めた身を怒りに震わせ、唇を噛み締めている。
そんな彼の肩を叩いたのは、短めの総髪を背中に流して撫で付けた30過ぎの男。
身に付けている鎧は皆と同じ当世具足だが真っ黒で、鉢金だけを付けた頭廻り。
鎧直垂は真っ白の木綿が用いられており、銃身の長い火縄銃を肩に担いでいる。
この格好こそ、戦国の世界に鉄炮をもたらした根来寺の行人方、つまりは根来寺の軍事部門に所属していることを示している。
長い鋼の銃身を肩にもたれかからせているその大柄な男に、若者が声を掛けた。
「津田様」
「栄華を極めたあの荘厳な根来の寺も……焼き尽くされてしもうた。正に……諸行無常やな」
自領72万石、鉄砲3000丁、兵1万を誇った根来衆も既に秀吉によって滅ぼされた。
その生き残りである津田照算は、長い銃身を手の平で叩くとにやりと笑みを浮かべる。
「まだやりようはあるわえ」
背丈は低いががっしりとした分厚い身体の雑賀武者がのっそりと現れてそう言うと、津田照算の反対側に立ち、芝辻宗右衛門の肩をドシンと音が鳴る程叩く。
思わず咳き込んだ宗右衛門に笑みを向けたその雑賀武者は、雑賀鉢と称される兜に赤漆を塗重ねた重厚な具足に身を包み、真っ黒な黒い髭を生やしている。
「鈴木様、痛いですよっ」
宗右衛門が抗議の声を上げるのを笑っていなし、鈴木孫市重秀の一族でもある鈴木重之は方に背負った抱大筒を揺すり上げながら言う。
「どないも気遣いないわ、こないなくらい。挨拶じょ」
「馬鹿力なんやから……」
ぶつくさ重之に文句を言いながら肩をさする宗右衛門を見て笑う昌長に、また別の声が掛かる。
「船は概ね熊野へ逃がしたわ」
「雑賀水軍は最早手じまいかえ?」
昌長が軽く応じると、声を掛けてきた湊高秀は顰め面で言う。
「何の、まだ一戦する余地はいずれあるわい。それまでの辛抱よ。それよりも今は本陣の場所を探り出して一気に方をツケやなあかん。どんな塩梅や?」
「なかなか敵本陣へ近付くんは正味(正直なところ)難しかろな……太田の城も囲まれたらしわ」
昌長が湊高秀にそう応じると、その後方から更にもう1人武将がやって来た。
「おい、源四郎よ」
「ん?何じゃ、伊賀か……どないしてん?」
声がした方を振り返れば、同輩の佐武伊賀守義昌が居て、呆れたように源四郎こと的場源四郎昌長とその仲間達を見つめていた。
そしてその格好を見て得心がいったのか、義昌は数度頷いてから口を開く。
「どないてよ、おまはんら、まさか外へ討って出るつもりやあらへんやろな?」
「つもりも何も、格好見りゃわかるやろ?」
しかし昌長は特に気負った様子も見せずに応じる。
「おいおい、本気かいよ」
驚いて目を丸くする義昌に、昌長は苦笑しつつ担いでいた火縄銃の台尻で他ならぬ義昌の格好を示しながら言う。
「人のこと言えんのかえ?」
そこには昌長らと同じく完全武装した雑賀武者の姿があり、その雑賀武者こと佐武伊賀守義昌はばつが悪そうな笑顔を浮かべた。
その顔を見た昌長らが笑う。
一頻り義昌を笑った後、集まった5人を見て昌長が口を開いた。
「……と、思たんやけどな。まあ夜にならな、どうにもならん」
「まあ、そうやろ……しかし、時の流れちゅうんは恐ろしな、あの信長の下っ端部将の秀吉がなあ、まあ10万も軍兵引き連れて攻めてくるとは思わへんかったわ!」
昌長の言葉を聞き、義昌は納得したように頷くと、腕組みをして言う。
太閤関白となった豊臣秀吉が徳川家康と一戦を交えた際、紀伊の地侍連合は国を挙げて家康支援に回ると、尾張と美濃で家康と対陣する秀吉の本拠地である大坂を目指して攻めかかり、和泉国や河内国であちこちの城や砦を落として堺や大坂城に迫る勢いを見せ、秀吉の心胆を大いに寒からしめたのだ。
後代、小牧長久手の戦いと呼ばれる戦の舞台裏。
四国土佐の長宗我部元親、紀伊惣国一揆、それから越中佐々成政の活躍は余り世に知られていない。
家康と講和した後、豊臣秀吉は自分の後背を脅かした勢力を根絶やしにする事を決意し、苛烈な報復に出た。
四国征伐の前に紀州の地侍勢力を一掃すべく行動を起こした秀吉。
そして先頃、盟友であった根来寺や粉川寺は焼き討ちされ、高野山は降伏した。
更には紀州雑賀の惣国一揆の盟主となっていた太田左近太夫宗正の籠城する紀伊太田城も、秀吉が得意とする水攻めの憂き目に遭っている。
「千石堀や積善寺も早うに落城してしもたし、もうこりゃさすがに無理かも知れへんで」
千石堀城や積善寺城とは紀州勢が和泉と河内に築いた城であるが、期待したほども時間を稼げず敢えなく落城している。
「ああ、そうやな……どないするか……んっ?」
義昌の言葉に応じた昌長であったが、その言葉の後半が消える。
なぜなら突如として大音量の爆発音と共に雷光が周囲を襲ったからだ。
凄まじい音が轟き、強烈な光が周囲を覆う。
びりびりと空気が震え、圧倒的な衝撃が辺りの樹木や城壁、地面を揺らす。
白い煙が突如として立ちこめ、周囲を閉ざす。
自分の手すら見分けられない程の濃厚な白煙が、まとわりつくように昌長の周囲に満ちた。
一瞬、積善寺城の大爆発による陥落を思い起こした昌長だったが、硝煙や火炎の臭いがしないことに違和感を覚える。
「こ、これなんやっ……」
叫ぼうとした昌長だったが、襲って来た奇妙な眠気に抗えず、目蓋を落としてしまうのだった。
「うっ……なんやいきなりっ?ひでよしの攻撃かいっ?」
ぱらぱらと周囲へ細かい土塊が落ち、砂が舞う。
轟音を聞きつけた雑賀勢が駆けつけてきた。
彼らも積善寺城の煙硝倉が甲賀忍者衆の火矢攻撃で大爆発の末、一夜で落城してしまった事を知っているが故の言葉であった。
しかし火薬が爆発したにしては何かがおかしい。
その違和感の正体をつかめないまま、雑賀武者らは周囲に居たはずの昌長らに声をかけるが……
「おいっ、大丈夫かい」
返事が無い事に訝り、土煙舞う中をすかし見るが、果たしてそこには誰も居なかった。
「なっ、なんじゃあ?うおい!統領っ!どこ行ってん!?」
驚いて周囲に呼びかけつつ探し回る雑賀武者らだったが、あれほどの轟音と共に起きた爆発だったにも関わらず、きな臭い匂いもしなければ焼け焦げている地面や木々も無い。
人に雷が落ちた事も考えられるが、肝心の人間が今は自分以外に居ない。
昌長達全員が、跡形も無く消えてしまったのである。
最初は何が起こったのか理解出来ないまま闇雲に周囲へ呼びかけ、昌長達を探していた雑賀武者達だったが、その事実の重大さをじわじわと認識し、顔から血の気を引かせる。
「こ、こりゃえらいこっちゃ!」
的場昌長や岡吉次、湊高秀に佐武義昌、鈴木重之らは雑賀の族長会議の主催者であり、雑賀孫市こと鈴木重秀が信長、次いで秀吉方に奔って以来、特に戦術や指揮においては紀伊国においても有数の雑賀武者の棟梁である。
加えて芝辻宗右衛門や津田照算は火縄銃の扱いだけでなく整備や製造、火薬造りにも長けており、今回の戦いにおいても主力の1人として他の族長や雑賀武者達から大いに期待されていたのだ。
その彼らが、落雷と共に突然居なくなってしまったのである。
「か、神隠しか?こんな時にっ……!?」
しかし居なくなってしまったものはどうにも仕方が無い。
今は戦を継続する事が最も優先しなければならない、重大事である。
元々夜討ちを少人数で仕掛けようとしていた昌長達の事だ、失敗していれば全滅していたかも知れないのだから、今は事後の手当をしなければならない。
「う、くそ!ここでぼやっとしてられへん!手立て取らなっ」
雑賀武者達が慌てて走り出す。
その後昌長達が居た場所には、奇妙な円形の、しかも複雑な紋様の形が焦げ後となって地面に残されていたが、しばらくすると静かに消えていった。
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