07.旅立つようです
この世界に来て、約二週間。
ちゃんとした服を買ってもらい、熱変動操作も上手に使えるようになった。
だからビートが捕ってきた魚や動物の調理も少しずつ私がするようになった。
まだ生きている動物に止めを刺して捌くのは厳しいので、それだけはビートにやってもらっている。
この世界で生きていくには、そういうことにも慣れないといけないのかもしれない。
そう思えるのは、悪魔であるビートが意外と優しいからである。
もちろん私はこの世界に望んでいるわけではないし、ビートが契約を結ぶために私を連れてきたのだけど、死にそうなところを助けてもらったのは事実だ。
それに、代わりにどんな辛いことが待っているのかと覚悟したけれど、ここでの暮らしは思いの外快適だった。
私に不満が出ないようにしてくれているのがわかる。
服だって、お風呂だってそうだし、初日以来夜になるとビートは野生の動物の狩りに出たり、家にいても壁にもたれながら床に座って眠る。
床で寝ろと言ったくせに、結局私にベッドを譲ってくれているのだ。
そうなれば少し、心苦しい。
だからと言って一緒に寝ようとは口が裂けても言えないし、私が床で寝る、なんて言っても、
「俺はそんなに睡眠を取らなくても平気なんだよ。人間は弱ぇんだから、しっかり寝ろ」
とか言ってくる始末。
なんだかんだ、優しいのよね。
本当に、そういうところは悪魔らしくない。
まぁ、私の勝手なイメージの中での話だけど。
さて、しばらくそんな日々が続いていたけど、ペットと戯れるようにルウを撫で回していた私に向かって、ある日突然ビートは言った。
「そろそろ頃合だろう。出発するぞ」
――と。
はい? どちらにですか?
惚けた顔をする私の隣で、ルウは全てを察したように立ち上がった。とても凛々しい表情をしていた。
そういえばビートの目的は魔王になることである。
……決して忘れていたわけではない。
やはりこんなところでのんびり暮らしていて、魔王になれるとは思えない。
そもそもの話、下級悪魔は寿命が短いらしい。
なので、長生きしたければ昇級は必須。
ビートは私との契約で中級悪魔に昇級したので慌てることはなくなったはずだった。
けれど、ビートは長生きしたいから昇級したかったわけではないのだ。
悪魔は段階を踏んで進化していくらしい。
悪魔の階級は、下級悪魔、中級悪魔の魔騎士、魔伯爵、上級悪魔の魔公爵、魔君主――そして魔王となるそうだ。
上級悪魔にもなると、都で仕えている者もいる。
悪魔が都で仕えるなど違和感があるけれど、そこには私と同じ異世界の人間もいるらしい。
上級悪魔がこっそり連れてくるのだそうだ。
神は人間をこの世界に連れてくることを禁忌としているのだが、悪魔のやることだ。黙認されるに決まっている。と、ビート。
言い換えれば、だからこそ、悪魔を飼っている者がいるのかもしれないと思える。
神の怒りを買ったとしても、悪魔のせいにできるのだから。
この世の悪を背負うもの――それが悪魔なのだ。
悪もいいように使われているということだ。
やはり人間と同じように、悪い考えの者もいるようである。そうなってくると、どちらが悪なのか、わからない。
まぁ、そうは言え人間界には簡単に行けるものではないらしい。
行くには物凄く魔力を使うし、危険も伴う。
要は疲れるし大変。とのこと。
神にバレたら堕天使にされてしまうので天使はまず勝手に行かないし、並の魔物や下級悪魔では耐えられない。途中で消滅してしまう可能性もあるらしい。
中級悪魔になれば能力によっては行ける者もいるらしいけど、それでもリスクが無いわけではないようだ。
それに、中級までなれれば、わざわざ昇級のために人間を攫って来ずとも、こっちの世界で魂の収穫をした方が効率が良いらしい。
人間との契約は相性次第では非常に良い強化となるが、それは契約してみなければわからないのだ。
結果、大したことがなくても、契約するにもかなり魔力を使うし、解除するとなると自分の魔力が回復しないこともあるらしいので、一か八かの賭けみたいなものなのだとか。
それでもわざわざ人間界に行くのは余程の馬鹿か、物好きである。
……つまり、私の契約主は物好きなのか。いや、馬鹿の方かな。
私がそんな視線を向けると、
「俺は勘が良いんだよ、だからお前は大正解だっただろ?」
と、ドヤ顔で答えられた。凄い自信家である。
でもビートは下級悪魔だったはずなのに、どうして人間界で耐えられたのだろうか。
その疑問には、
「……それは俺も不思議なんだよな。普通堕天されると天使だった頃の魔力の大半を奪われ下級悪魔に落ちるはずなんだが……俺は空間操作も物質操作も使えた。下級悪魔には有り得ないほどの力があったんだよ。そうじゃなきゃ、さすがに俺も人間界に行ったりしねーよ」
と、返しが来た。さすが、俺。とも言っていたけど、それは無視した。
あの時、時間が止まったように見えたのは実際に時を止めたわけではなく、私とビート以外の周りの者たちを止める力を使ったのだとか。
悪魔だからといって誰にでもできることではないようで、ビートが天使であった頃から持つ特別なスキルなのだとか。
天使の頃はそれなりに強かったと自負するビートは、そのままの力を持って下級悪魔になったらしい。
なぜだかわからないけど、強いのなら問題ない。ラッキーである。
あとはまぁ、契約した人間が覚醒すれば尚良いらしいのだけれど、残念ながら私にその気配はない。
となると、強くなるには魂を狩っていくのが一番妥当だ。
但し、上級になるにはそれなりに強く、多くの魂が必要。
つまり、上級悪魔はそれだけでその強さが窺える。
だから同じ悪魔でも、下級と上級の者ではまるで扱われ方が違うのだ。その点は王都等に上級悪魔がいることも納得できる。
上級悪魔になるにはまず絶対に力が必要。
魔王化への条件は明確にされていないが、過去の出来事から推測するに、幾つか説があるらしい。
ともかく、まずは上級悪魔である。
そのためにはこの小さな森では昇級するのに時間がかかる。
ここから離れればもっと大きな森もあるし、より強い魔獣が多くいるらしいのだ。
もちろんそれを狩って売ればお金にもなる。討伐依頼が出ていたら更に高く売れるようだ。
あの日村に行ったとき、ビートは住民たちから明らかに媚びを売られていた。
それは彼が強い魔人であると認識されていたからのようである。
強い者がいればその村は安泰。たくさん魔獣を狩り、町に素材を売れば村は潤う。
そんな期待に応える気がなかったから、ビートはあえて深く付き合わないようにしていたのだろう。
というわけで、いつまでもこの森にいるつもりはビートにはなかったようだ。
私がこの世界での生活や魔力の扱いに慣れるのを待ってくれていたのだ。
だから私も、覚悟しなければならない。
ビートが用意してくれたバッグに荷物を押し込み(と言っても着替えとお手製の歯ブラシだけだけど)肩から提げて気合を入れた。