18.邪悪魔
それからまたしばらく歩いた。
どんどん足元が悪くなるけれど、絶対にルウには頼らないと決めている。
ビートたちにはまるで平気なことでも、私にとってはトレーニングなのだ。
それが私たちの実力差を表しているようで本当に悔しい。早く追い付きたい。
「わぁ……綺麗――」
険しい道を越えると、目の前に青々とした木々が生い茂る洞窟の入口が見えた。
洞窟と言っても小さなもので、所々上から差し込んだ光が水面に反射し、キラキラと幻想的に輝きを放っている。
こんな所に、邪悪魔なんて――
つい見蕩れてしまったけれど、その直後だった。
ピリピリとしたものを肌に感じ、背中に氷でも押し当てられたような悪寒が、ゾクリと身体を突き抜けた。
私にでもわかる。何かとても大きな魔力を感じる。
「……コイツはヤバいぞ」
ビートがそう呟いた矢先、何か黒い塊がビートに降り掛かってきた。
「クッ……!」
瞬時に反応して太刀を抜き〝それ〟を斬り捨てるビート。
「身体保護!!」
ワンテンポ遅れながらも、すかさず保護魔法をかけてくれるオルガンスさん。
緊張感が走るけど、ビートの足元に猿と蝙蝠を混ぜ合わせたような形体の化物が倒れていた。
焦げたような黒い身体に、同色の角。人のような、猿のような顔の中に、鋭い牙。蝙蝠を連想させる翼に、上半身に比べて小さめの細い下半身。
少し気味が悪い。まじまじとは見ていられない。
「チッ、首を刎ねたつもりだったんだがな」
そう言いながら、そいつの前に立ち、手を翳すビート。
やったのか……。これが、邪悪魔なのだろうか。いつものような余裕がなかったにしろ、案外簡単に仕留めた。さすがは、ビート。
「ん?!」
手を翳しているのに魂の回収ができない。それに、いつものように魔力さえ浮かび上がってこない。
そのことに疑問を感じたとき、私の身体が何かに掴まれ、ふわりと宙に浮き上がった。
「いや……ッ、ビート!!」
咄嗟に叫んでビートを呼ぶ。
「カナデ!!」
鷲の爪のようになった足で器用に肩を掴み、私の身体を持ち上げていたのは今ビートに斬られたのと同じ姿をしたヤツだった。
「二体!? 普通、邪悪魔は群れないはずですが……」
「かなり殺してるな……。多くの魂を喰ってそうだ」
オルガンスさんと人型になったルウの言葉を背に、ビートが飛び上がる。
「お前、分離したな」
太刀を横に振ると、私を掴んでいた邪悪魔が「ギギギ……!」と頭に響くような声を上げて私を離した。
「きゃーー!!!」
「おっと」
このまま地面にぶつかる――!
そんな恐怖からはビート自身に救われ、思わずその身にしがみつく。
今日はよく持ち上げられて落ちる日だ。
「やったの……?」
「いや、まだだ」
その言葉にビートと共に上を見る。いつも一刀で魔獣を倒すビートの刃に、そいつは耐えたようだ。腹から血を流しながら、こちらを睨み付けている。
「ひっ」
「ハッ、愉しませてくれそうじゃねぇか」
まさに、私が当初抱いていた悪魔のイメージを具現化したような化物だ。
「お前は隠れてろ。オルガンス!」
「承知!」
私をオルガンスさんの隣に下ろし、自らは邪悪魔に向かっていくビート。オルガンスさんは鉄壁之守護を張ってくれた。
見れば、先ほどビートに斬られて倒れていたヤツはやはりまだ生きており、今はルウとキーナが相手をしていた。
「炎之弾丸!!」
魔法で攻撃するキーナだけど、どうやら効果が薄い。相手の魔力がキーナを勝っているようだ。
「大人しく寝てろ!!」
ルウも氷の剣を握ってキーナが攻撃を与えている隙に向かって行く。けれど、決定打にはならない。それに、空を飛び回られるので厄介そうだ。
不安な気持ちで三人を見守っていると、隣でオルガンスさんが何かを呟き始めた。そして指で空中をなぞると、ビートたちに向かって何かを飛ばした。目に見えるものではなく、魔力のような、感じるものだ。
「ビイトさんたちの身体強化と、敵の弱体化です。少しは役立てば良いのですが……」
オルガンスさんも共に戦っている。こうして離れたところで傍観している私とは違う……。
再び悔しい気持ちに襲われるけれど、正直武器を持っていたとしてもあんな化物相手に何かできたとは思えない。
結局私は、皆の無事を祈りながら見守ることしかできないのだ。
「グガガガガ……!」
ビートとやりあっていた邪悪魔が苦しみだした。オルガンスさんの魔法が効いたのかもしれない。
けれど――
「!!」
邪悪魔がこちらを睨んだ。そして、真っ直ぐに向かってくる。
不味い――そう思ったときには、苦痛の声を上げてオルガンスさんが倒れ込んだ。
「――オルガンスさん……!?」
何がなんだか、私にはついて行けない。
けれど理解できたのは、こっちに向かって来た邪悪魔が口から何かを発射し、シールドごとオルガンスさんを弾き飛ばしたということ。
それを呆然と見つめていた私に、今度は鋭い爪を振り上げた。
ヤバい――! 死ぬ……
「カナデ――!!」
ビートが私の名前を呼ぶ声を聞きながら、何もできずに死が頭を過った。
一瞬、時が止まったようだった。
恐ろしい顔で私に殺意を向けて腕を掲げる邪悪魔。
そいつと向き合って、〝死にたくない――〟そう思ったら、次の瞬間には邪悪魔の胸から血が噴き出していた。
「……え?」
胸から突き出た、黒い刃。ビートの、太刀だ。
「カナデに触んな」
「……」
太刀が引き抜かれると、邪悪魔はドタリ――と地面に倒れ、今度こそ青光りした球がビートに吸い込まれていった。
息を荒げながらそれを吸い取り、すぐにもう一体に身体を向ける。
「ビート……」
「大丈夫だ。弱ぇ人間やエルフと一緒にすんな。俺は中級悪魔だ。こんなヤツに負けるかよ」
言うと、ビートは怖いくらい真剣な表情を見せた。
途端、ゆらっと彼の身体を黒い影が包む。燃えるような、黒いオーラ。
「グガ! グガガガガ!!」
なんとか邪悪魔からの攻撃を防いでいたルウとキーナに、ビートはゆっくりと歩みを進める。
寒気のする鳴き声を上げながら、邪悪魔はすぐにビートを警戒した。
私にすら感じ取れる、隠すことのない強大なオーラなのだ。警戒されるのも当然だ。
「死ねよ」
そう呟いて、太刀に魔力を込めるビート。刀身がビートと同じように黒いオーラを纏う。
「グガァァーーー!!!」
邪悪魔が先に動いた。私が確認できたのは、そこまでだった。
次に目に映ったのは、ビートがその太刀で邪悪魔の胸を貫いたところだった。
ビートが瞬間移動したように見えた。
……早すぎて、目に追えない――?
「終わりだ」
唖然とする私たちに構わず、ビートは魂を回収する。
「オルガンスさん!!」
邪悪魔が始末されたのを見届けて、私は急いでオルガンスさんに駆け寄った。
体を強く打ち、苦しそうにしている。口から血も吐いている。
「どいてちょうだい」
同じように唖然としていたキーナが、私の声にハッとして近寄ってきた。
「外傷治癒――!」
そして、治癒魔法を掛けてくれる。オルガンスさんの身体が淡く光を放った。
「でも止血しただけだから応急処置にしかならないわよ。早く町まで運ばないと」
依然として苦しそうに顔を歪めて横たえているオルガンスさんに、私はあることを思い出してバッグを漁った。
「オルガンスさん、飲めますか?」
「なに、それ……?」
皆が見守る中、私はオルガンスさんが薬草から抽出したエキスで作り出した回復薬の入った竹筒を、彼の口に添えた。先程私が飲んだ解毒薬も即効性があったのだ。きっとこれもすぐ効いてくれるに違いない。
ゆっくりと口に含み、喉に流れ込んでいく液体。
オルガンスさんの身体に魔力が満ち、たちまち傷が癒えていくのがわかる。
「凄い……! それ、まさか上級回復薬!?」
「オルガンスさんが作ったのよ」
深く息を吐き、目を開けると、オルガンスさんは自らで上体を起こした。
「……貴方、なかなかやるわね」
「ええ、作っておいて正解でした。まさか自分に使うとは思いませんでしたが」
すっかり癒えたのか、笑顔を浮かべて言うオルガンスさんに安堵する。
「……気に入った。やっぱり私も仲間に入れなさい!」
そしてキーナは、益々目を輝かせてそう叫んだのであった。