味覚障害 甘さがわからん。だから塩を舐める
珈琲を啜る。薄い感じがした。だが苦い。確かな苦みを舌の上で味わう。
「苦い」
しかし飲み終わる頃になるとそれはお湯との違いが分からないほどになってしまった。
ブラックを久しぶりに飲んだ。そもそも珈琲自体を飲まない。紅茶が主体だからだ。
前に飲んだのは一緒に同席していた女の子がダイエットしているということでブラックを注文したから真似たときだ。ほろ苦い思い出だ。いや、苦いの意味が違う。
なんでブラックをいつもは飲まないのに、今飲んだのか。それは苦みを知るためだ。
普段、苦いものなんてわざわざ口に入れたりしないので、何が苦いのか、よく分からない。薬も無意味に飲みたいとも思わなかった。それに薬は水を先に口に含み、その水の上に載せるようにして飲むようにしたため苦みをあまり覚えていないということもある。
なぜ、苦みを知ろうとしたのか。
それは味覚が感じられなくなったからだ。
あれは入院していた時のこと。
発熱していたために、家族がアイスを差し入れてくれた。
口に入れると冷たくてよかったのだが、すぐに溶けてしまった。
そこで異変を覚えた。
甘くなかったのだ。このときは熱があるからちょっとした異常だろうと思っていた。
入院当時は飯自体を食べられなかったため、食えるようになったことを喜んでいたのだ。
だからだろうか。薄味でも病院食だし、と考えていたのだ。
なので気付いたのは帰宅してからだった。退院祝いでケーキは甘くないし、シャケもしょっぱくない。唇が少し、塩気を感じていたぐらいだった。
でも旨味は分かっていたつもりだ。病院でも味噌汁は出る。その出汁は効いていたと思うのだ。
しかし旨味は薄い。少なくとも私にはそこまで濃厚に分かるわけではない。だから自信はなかった。
なら塩はどうだろうかと思い、掌に塩を振りかけて舐めてみた。
このときの絶望をどう表現すればよいのか、私の語彙力では表しきれない。
砂糖も手に載せ舐めても分からない。
辛みは退院当初は胃腸の様子を見て、控えていた。のちにカレーがあまり辛くないのに気付く。
酸味は苦手で、思いつくものがトマトしかなかった。これも弱かった。
旨味ももしかしたら喉の奥で感じていたのかも知れない。舌では味わうものだったのか記憶もあやしい。
味覚異常。
見た目じゃ分からない。
先輩にめっちゃ辛い物好きがいたが、元から壊れた味覚と途中から壊れた味覚は違う。
時間が経てば良くならないだろうか、と希望にすがる。
実際、2か月ほどで僅かに塩味が分かり、甘みもほんのり分かった。
このまま良くなるかもと楽観していた。
夏はメロンが水っぽい何かで、スイカもそうだ。塩を振ると塩味の何かに変わった。
そう、塩味は分かるのだ。塩だけが分かる。
幸いなことなのだろう。完全に失っているわけではないのだから。
病院食も薄味を元から好んでいたために、気付かなかったのだ。
薄味を好むようになったのには理由がある。
あれは学生の時だ。
寮に住んでいた私は、同室の人がいた。
あるとき食堂で食事を済ませた私に同室の人が言った。「今日の飯って何?」と。
私は「肉?」と答えた。
その後、同室の人に叱られたのだ。「肉じゃねーよ!」と。
そのときのおかずはすり身揚げだったのだ。
なぜこんな間違いをしたのかは、私が調味料を肉系にソース、魚系にはしょうゆを掛けていたからだ。
そしてこのとき食堂で私の前に座った人がソースをかけて私にそれを回してきたので勘違いしたのだ。
このとき以降、私は調味料を使わずに味わうようにした。
サラダなどにも塩だけにした。それも仕舞いに面倒になり、かけなくなった。
なので薄味には慣れている。
それでも甘党であった私には辛いものがある。
アイスもチョコレートもクッキーもタイ焼きも甘いお菓子はよく分からないものへと変化した。
アイスはまだ冷やすという目的もあるので食べてはいたが、甘みは感じていなかった。
寒くなって紅茶を入れて飲むときに、砂糖を3つも入れた。しかし春には分かった味が、分からなくなっていた。
即座に塩を舐めた。味がした。
辛みも辛いカレーには少し辛かった気がした。
酸味はよく分からない。パインのジュースを飲んで確認したが、どんな味だったのかすら分からない。
苦みはどうか。
いつも飲んでいる緑茶や紅茶の渋みというものは苦みの一種なのだろうか。だがお湯との違いが分からない。では普段飲まない珈琲では、と冒頭へつながる。
それから塩を掌に振りかけて、舐めることをたまにするようになった。
パンにも塩味がするなど、以前は気にもしない塩味に気付くようになる。
たぶん塩味だけがよく感知できる味だからだろうか。
入院中、病院食が美味しいと思っていたのは間違いだったのか。
腐ったりしたものは食べても分からないだろう。
他の味覚障害の人はどうしてるのだろうか。
酒なども嗜まないので、口さみしい時にはつい塩に手が伸びてしまう。
血糖値を気にするより、高血圧を気にしなくては。