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トランスpt.  作者: 夢のもつれ
第2章 旅は道連れ
7/14

7.幽谷黒百合はとてもいい子です

 熱海を出てちょっとすると丹那トンネルに入る。

「このトンネル長いね」

 思わず『これが出来たお蔭で御殿場回りをすることなく』と蘊蓄したくなったが、怪しまれるに決まってるからやめた。

「うん、長いね」

「何考えてるの?」

「東北に旅行した時のこと」

 言ってからしまったと思った。

「やっぱり変な人だ」

 そのとおり、震災直後に被災地を訪れたなんて言えない。もう10年も前のことだ。


「旅行はよくするの?」

「ううん、したことない。これが初めて。…どこにつれてくの?」

 誘拐みたいに言うな。

「家族旅行も?」

「それはあるよ。でも、決まったレールに乗って行くのは旅じゃない」

「これもレールに乗ってるじゃん」

「うまいこと言ったと思ってる?」

 すみません、オヤジくさかったです。


「そう言えば名前は?」

 またしまったと思う。ぼくの下の名前はなんだ?

「黒百合。幽谷黒百合(かくれだにくろゆり)

 わあ!すごい名前付けたね。わざわざ窓に字を書いてくれる。苦労した自慢の名前なんだろうな。

 今度はこっちの番か。ちょっと深呼吸して新たな名乗りをする。我こそは…

美原美月(みはらみつき)

「ラノベっぽいなぁ」

 確かに。でもサイモンとガーファンクルの「アメリカ」の一節"And the moon rose over an open field."から取ったんだよ。

「でも、韻を踏んでて素敵」

「ありがと。ねえ、お腹空かない?」

 居心地の悪い話題から逃げたい。

「空かない。1日1食でもいいくらいだし」

 これだから最近の子は。ぼくは朝ご飯食べないとエンジンかからないんだけどな。

「スナックばかり食べてるんじゃないの?」

「そんなことないよ。ダイエットしてるし」

「する必要がある?」

「あるよ。あんただってしてるでしょ?」

「そう見える?」

 つい自分のお腹を見る。つまんでみるのはさすがにはしたないからしない。

 なんかムッとして黙っちゃってる。女の子同士でもスタイルの話題は微妙なのか。


「ジェンダーフリーなんて言ってもさ」

 沼津で静岡行に乗り換えて座ると、いきなり言う。

「うん、何?」

「学校の先生なんて世間知らずだから、あんなこと言えるのよ」

 確かに世間に出てみると、教師の能天気ぶりがよくわかる。

「話が見えないんだけど」

「男子が女子は!って言うのに、女子が男子は!って言い返したって話」

「かわいいな」

 ぼくの学生時代とあまり変わっていないのかな。

「生徒としてやるべきことがあるでしょ?って言えばいいのに、ジェンダーを持ち出すわけよ」

「無関係じゃないかもしれないけど、そんな大上段にふりかざさなくても…先生は言いたくてうずうずしてたのかな」

「そんな感じ。ジェンダー論なんて、それで儲けてる人だけやればいいのにね」

「儲けてる?」

「学者は論文や本を書いて儲ける。議員は役所や与党を追及して票を稼ぐ」

 確かに。それにあまたの女性センターやNPOが連なっているんだろう。

「でも、女性の社会進出には役立ってきたんじゃない?」

「知らない。学生時代は甘やかされてるけど、就職すればジェンダーフリーなんて言うだけで…あ、富士山!」

 ぼくらの席は進行方向に向かって左側だけど、流れ去る住宅の向うに思いのほか大きな富士が見える。黒百合は手すりに手を置き、身をかがめて眺めてる。新幹線の車窓からの富士と違ってご近所さんって感じ。右側の席に移動してしばし富士山を眺める。


 さっき乗り換えた沼津から出てる御殿場線に昔乗ったことがある。途中まで姿を見せなかった富士山がいろんな方角に現われて楽しかった。

 なぜ御殿場なのか、由縁がありそうに思ってググると、徳川家康の遺体を久能山東照宮から日光東照宮へ移送する際に仮の御殿を建てて、遺体を安置したということらしい。今は高速のインターチェンジ近くのアウトレットで有名だろう。

 

 『歳月人を待たず』という感慨は誰しも抱くと思うが、世の変化に戸惑うということなのか、今という瞬間を楽しもうということなのか、どっちにしても旅にふさわしい言葉だ。


 静岡駅のプラットホームで、

「今日はここで泊まるつもりだけど、どうする?」と訊く。もう薄暗くなってきてる。

「一緒でもいい?」

「黒百合がよければ。ご飯代とかホテル代は気にしないで」

「ありがとうございます!」

 うれしそうに頭を下げる。目立つことしないで欲しい。

「でも、家には連絡しといたら?」

「了解っす!」


 改札口でピンコーンピンコーン鳴らしてる。ほれっという感じで千円札2枚渡す。

「…足りません」

「なぬ!」

 もう1枚渡す。大船・静岡間は2,310円だから、どうやらスイカにほとんどチャージされてなかったみたいだ。明日からは残った4枚の青春18きっぷを2人で分けよう。


「お魚、お魚」と口ずさみながら繁華街を歩く。

「おねえさん、なんかかわいい」

 おねえさんに昇格したのはいいけど、あんまりくっつかないで。移植受ける前にして欲しかったと痛切に思う。

「だって、お腹空いたし」

「そだね。あたしも空いた」


 そういうことに鼻が利く方じゃないけど、値段とお魚の質が釣り合ってそうな居酒屋に入る。座ると烏賊の塩辛がお通しで出てくる。飲み物は2人ともウーロン茶。ただのウーロン茶。クルマ運転してるわけじゃねえのにって思う。

「鶏の唐揚げ食べたい」

「やめなさい」

 お刺身の3点盛りと煮魚と鯵の南蛮漬けを注文する。

「これおいしい」と南蛮漬けを食べてる。子どもには揚げ物おいしいよねって思うと妹みたいに思えてきた。


「おねえさん、何してる人?」

 ほら、来た。

「なんだろ…しばらくは職探しかな」

「え?!そうなの?大学生だと思ってた」

 そう見えるのか。よかったね、朝比奈さん。

「あ、そうだよ。バイトの話」

 内藤君も大学生っぽかったね。

「そっかあ。あたしもバイトしたいな」

「学校はバイト禁止?」

「うん」

「どんなのしたい?」

「服売りたい。原宿にいいお店があるの。今度一緒に行かない?」

「いいね」

 この子の好きな店は合わないだろうけど、表参道まで含めればぼく好みの服がありそうだ。


「おねえさんって不思議な人だね」

「どうして?」

「だって時々見かけと言ってることがバラバラ」

 …ウーロン茶じゃ酔えない。でも、ぼくが言ったことは酔っ払いみたいだった。

「たぶん死にかけたからだよ」

 鋭い目線になって、でも黙ったまま見つめてくる。

「いや、本当は死んで生まれ変わったのかな」

「キャハ!異世界転生ですか。…前世は何?」

 彼女のノリに乗っかることにした。

「冴えないおじさん」

「ぷぷぷ!確かに言われてみればちょくちょくそんなセリフが…ぷぷ!あー苦しい」


 ひとしきり『過去の設定』としてぼくの過去を語る。

 鮫島にも真坂先生にも梯さんにさえ言えなかったことがJKのヤンデレに言える。フィクションってすばらしい。その嘘を黙って聴いてくれる黒百合はとてもいい子。

「ちょっと悲しいね」

「現世ってそんなもんだよ」

「そうかも…あたしの前世はなんだろ?」

「そんなの必要?」

「たまにはね」


 お店に入って来た時からやたら視線を感じてた。そりゃお嬢さまファッションとヤンデレがなかよくご会食。しかもタイプは違うけど、どっちも美人じゃあ目立つよね。美女のメリット、デメリットどっちがどうなんだろって、呑気なことを考えてた。


「ねえ、こっちに混ざらない?」

 へらへらと声を掛けてくるあんちゃん。後ろには物欲しげなおじさんが何人も。お店の人は忙しそうにしてて助けになりそうにない。いや、そういうタイミングを測ってたか。

「いえ、もう帰りますので」

「いいじゃない。奢るからさあ」

「帰るつってんだろ?田舎もんが!」

 その発言はおよろしくないけど、ドスも効いてて道を開けてくれた。

 お勘定の時に、

「すみません。不愉快な思いさせて」とかけ声だけ元気なホール君が言う。

「いえ、だいじょうぶです」

 黒百合が何か言いたそうなのを手で制しながら、言外に『あいつらによお言うとき』との意を含める。


 ホテルにチェックインして、

「疲れた、疲れた」と言ってお風呂に入る。

 女の子と2人きりというシチュエーションが恥ずかしいのもあるけど、この身体は疲れを知らない10代って感じがしない。健診ではいたって健康ってことだったのに。

 髪をバスタオルでうまく巻けずにもたもたしてたら、黒百合がドライヤーで乾かしてくれた。女の子同士っていいな。

 うん、2人の人間のあらゆる組み合わせの中でも知り合ってまだ半日なら、女の子同士がベストだろう。しかし、ツインルームなのに広いベッドに枕が2つ置いてあるのはさすがに気まずいんじゃないか?

幽谷の読みを「ゆうこく」から「かくれだに」に変えました。

黒百合との相性で音読みより訓読みの方がいいかなと。

訓読みは「かすか」「かそけし」「くらい」といったものがありますが、「かくれる」という意味もあり、「しずかだに」と読むよりは熟語のイメージに合うように思いました。


ネット辞書の文例にあるように、「幽谷」は泉鏡花が愛した語彙であり、さもありなんといったところです。1/2記す。

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