5.ミニスカでママチャリに乗るのはまだ慣れない
お風呂を上がってドライヤーで髪を乾かしている時に、ふと思いついた。この子の着ていた服や靴をもらえないだろうか。親族だって、臓器提供を拒否しなかったんだから服や靴だってくれるだろう。すべては資源の有効活用だ。レシピエントが野垂れ死にしては寝覚めが悪かろう。できるだけの援助はしてくれるんじゃないか。今度の真坂先生の診察日に早速頼んでみよう。
名案が浮かんだところで、お腹が空いた。冷蔵庫にはビールと調味料しかない。食料品の調達に近所のスーパーまで行こう。自転車置き場から愛車を出したら足がつかない。大幅にサドルを下げないといけない。
さっき履いた時からやばいかもって思ってたんだけど、ミニスカでママチャリって視線がすごく来る。ビュン、ビュンってマシンガンで撃たれてるみたい。これまでチラ見ばかりしてごめんなさい。もうしません、てかそんな気は全く起きそうもない。
イケてる黒いスーツのおねえさんが向うから来るけど、何とも思わない。LGBTのLの人の方がもっとそういう想いで見てるんじゃないか。知らんけど。
…しかし、女の姿になったばかりのぼくが男としてのリビドーをなくしてしまっていいんだろうか。性欲と金銭欲が人間の本質じゃなかったのか? 何か大きなものが欠落してしまったような気がする。
衰えたりと言えども言葉を選ばずに言えば、若い見目麗しい女性に対しては肉食動物が草食動物に向けるであろう視線を投げかけてきたのに、端的に言ってさみしい。
これが女性の平常リビドーなのか? 女性のアクメは男性の何倍もすごいらしいけど、どうなんだなんて下ネタまがいのことを考えながら、野菜売り場に佇む。
スーパーの売り場の導線って、だいたいは野菜売り場が先で肉・魚は後、最後がお惣菜という風になっている。献立って主菜の肉・魚を値段や質見て判断して、それに合わせて野菜を決めるものじゃないのかな。ただ単にスーパーの側の都合で、野菜はかさ張るから入口の広いところに置いているだけのような気がする。スローガンだけじゃなくてお客様目線で店内のレイアウトも考えて欲しいものだ。
…要するに献立が決まらなくて、野菜売り場と肉・魚売り場を行ったり来たりしているということなんだが。おじさんだとうろうろ、熊のようだけど、かわいい女の子だからちょこまか、小動物のようかもしれない。
そう言えばこの身体はどんなものを、どれくらい食べるんだろう。まさか、ヴィーガンじゃないとは思うけど、アレルギーとかどうなんだろう。加工食品みたいに『卵、牛乳にアレルギーあり』ってシールをどこかに貼っておいて欲しかった。米やバナナがダメって人もいるし、蕎麦でアナフィラキシーショック起こすって人もめずらしくない。
ぼくは幸いと言うべきか、食物アレルギーはないし、何でも食べれて脂っこいもの、甘いものが大好きだから当然肥満気味で、フィットネスでも行こうかと思ってた。もしぼくの食生活をこの身体に持ち込んだら、無残なことになるかもしれない。
「まさか大食い女王ってことはないよね」といったんはカートに入れた豚角煮用の肉やアソートチョコを棚に戻す。
「あの、朝比奈さん?」
期限切れ直前の半額ワゴンを漁ってたら、呼びかけられた。
「は?」
「良かった。無事だったんですね。もう助からないって聞いてたから、ぼく…」
ははーん。この内気そうな坊やはこの彼女の知り合いのわけね。でも、彼女が死んだことは知らないと見えるから、深い仲ってこともないんだろう。
こりゃあ、ドナーの生活圏とレシピエントの生活圏が重なってるなんてことなのかもしれない。雑すぎるだろ、鮫島!…いずれにせよこの坊やを取材しておく必要がありそうだ。
「あの、今お時間ありますか?」
今どきの10代はこんな言い方しないかな。それにしても敬語と女言葉があるのは日本語の著しい特徴だ。悪しきとまで言えるかどうかは知らないが、直截なもの言いには邪魔だ。
「は、はい。あります!」
坊やも今どきじゃなさそうでよかった。
「じゃあ、お茶しませんか?」
「喜んで!」
なんか騙しているようで罪悪感を感じる。
自転車を押しながら並んで歩く。坊やの胸より下に彼女の頭がある。必死で話題を探そうとしてる。彼女の入院について訊こうとしてやめた。そういう彼の心の動きが手に取るようにわかる。
背の高い坊やを見下ろしてる気分だ。彼の性格もあるだろうけど、ぼくがかわいいことがある種の威厳となって、詰まらない質問を許さないのだろう。蓋し『カワイイは正義』なのだ。
ちょっと待てよ。このままで行くとこの坊やから、『朝比奈さんが生き返った』って噂が広まって、すんごくややこしいことにならないか? いや、確実になる。ゾンビにせよ、脳移植にせよ、話題騒然だよ。遺族が黙ってるわけがない。服や靴をもらうどころじゃない。
頭がくらっとしてきた。ぼくの脳みそが警報を鳴らしている。この坊やとの会話を急いでトレースして、言う。
「あの、あたし朝比奈じゃないんです。でも、この前もそんな風に呼ばれたことがあって、それであなたに尋ねようと…」
「内藤と言います」
あ、そ。内気の内藤ね。ぼくの名前はまだないの。
「それが急に用事を思い出したんで、失礼します!」
ぺこり。こけそうになりながらママチャリに乗って、内藤君を置き去りにして去って行く。パンツ見えたかもしれない。