90話 弓道部員は就職する
ピピピとありがちな目覚まし時計の音が鳴り、椎菜は朝が来たのかぁと眠たい目をこすりベッドから起き上がった。ちょっとスプリングが硬いベッドだ。目覚まし時計も以前は面白い目覚まし音がする物だったし、ベッドももう少し柔らかかった。だが、それは両親に買ってもらったものであり、今はもう手に入れるには大金が必要だ。大金どころか自分の生活費を稼がないといけない少女は、ガラガラと窓を開けて、外の空気を入れて部屋の空気を換気する。そろそろ寒くなってきたなぁと冬の着替えも買わないとなと思いながら、今日はいい天気だと雲一つない青い空を見上げるのだった。
織田椎菜は半年前までは高校生をやっていた。入りたかった高校に一生懸命に勉強して入学してこれからは楽しい学生生活になればいいと、両親はお小遣いを増やしてくれるかなぁと気楽な子供であった。
そんな生活はあっさりと崩壊した。ゾンビが徘徊し、異形の怪物が人々を食い殺し始めて椎菜たちは学校に立て籠もり餓死する寸前までいったのだった。このコミュニティと優しい少女に助けられて生き残ったのだ。
今は新市庁舎ビル改めて若木ビルの側にあるビルのオフィスを部屋にして住んでいる。正直、ドアには鍵もないので南京錠を取り付けているし、ガスが使えないので、炊事は外に出てやらないといけない。お風呂だって仮設されたお風呂だけしか入れない。そして何よりも生活費は自分で稼がないといけないのである。
でも、その境遇を不安と亡くなった両親を思い出して泣く時期は既に通り過ぎた。人間は慣れるものなんだなぁと苦笑する。あれだけ家族を失って悲しかったのに、日々の仕事に追われていつの間にか悲しさも薄れてきたのだから。
「ん~、もうあさぁ~?」
眠そうなのんびりとした声が隣のベッドから聞こえて、もぞもぞと毛布が動く音がする。一人で住むのも可能であったが、子供たちはほとんど皆二人以上で住んでいる。家族を失って情緒不安定であったし、生活費も分担できるので一人で住むよりは良かったのだ。今は高校で仲の良かった女子と一緒に住んでいる。以前クレープを泣きながら食べていた子である。
「もう朝です~。ほらほら仕事があるんだから、おきたおきた!」
ゆさゆさとふざけ半分に友人の潜り込んでいる毛布を揺らすと、おはよぉ~と渋々起きてきた。
ボサボサの頭を二人で整えて、朝ごはんを作るべく外にでる。もうそろそろ寒いのでジャージの上に何か羽織るものが欲しいところだ。
おはようございますと既に炊事場にいる人たちに話しかけて、プロパンガスが取り付けられているコンロを使い始める。目玉焼きと豆腐のお味噌汁をサッと友人たちと作る。出来上がったら部屋に戻り炊飯器から出来立てのご飯を用意して、いただきま~すと食べ始めた。
「電気が使えるようになって、本当に良かったね! ご飯が食べ放題だよ」
にこにこ笑顔でご飯をぱくついている友人の姿を見ながら、崩壊前より全然食べるようになったなぁと椎菜も炊き立てのご飯を口に入れる。うっすらと甘みがあり美味しい。以前はこんなことを感じなかった。それどころか、今日はパンがいいよ~とあんまりご飯なんか食べなかったのだ。だが、今はご飯中心の生活である。そうしないと仕事をするには力がでない感じがする。日本人なんだなぁと思う瞬間だ。
「ね~、ね~、お給料がでたら何を買う? 私はクレープを食べたいなぁ」
相変わらずのクレープ好きである。助かったときに食べたクレープが余程印象深かったのであろう。今や友人の一番の好物となっている。何かあるとクレープ食べようと言ってくるのだ。食料品は安いからいつでも作れるが、作れるのと実際に作るのは違うのだ。ちょっとクレープを作るのは面倒である。
「レキちゃんに今度クレープ屋をやってみない? って言ってみよう!」
むふふと名案を考えたと友人が悪巧みを思いついたと笑いながら言ってくる。確かにお店ごっこが大好きなレキちゃんならやるかもしれない。
「ダメだよ。きっとそんなことを言ったら、やろうとするし、きっと高級品を自腹を切って用意しちゃうでしょ? レキちゃんの自由意志に任せないと」
多少の苦笑いを込めて返答する。自分もレキちゃんのお店が楽しみなので、止めるつもりもあまりない。あの少女はお店ごっこを楽しんでいるし。
そっか~と私の忠告を聞いて、頷く友人。それから二人して食べ終えて身だしなみを整えていく。
「ん~。まさかこの歳で働くとは思っていなかったよ」
おかしいところはない? と私に聞きながら制服を見せてくる。学生服ではない。財団大樹の銀行ルームの制服である。よくある普通の銀行員の女性制服だ。
うん、おかしくないよ、わたしはおかしくない? と聞いて、友人から大丈夫と返答を受けて部屋を出て出勤する。
勿論、出勤場所は銀行ルームである。凄い倍率だった募集から私と友人は採用されたのである。
財団大樹が銀行をやるので3人だけ雇うとコミュニティに周知したときは皆が我先にと採用を目指して銀行ルームに行ったのだ。
提示された金額は月収10万円、別途交通費支給、福利厚生あり、昇給あり、週休二日、有給あり、賞与ありだった。月収10万円なんて崩壊前なら見向きもされない内容である。でも、今なら皆が食いついた。だって月収10万は魅力的すぎるのだ。
安全宣言されて解放されたビルの清掃や鉄くず拾いをしていたら屈強な男性なら軽く月に12万は稼げるだろう。でも椎菜みたいに子供でしかも女性はそんなのは無理である。月に6万稼げれば良い方だし、生活必需品が全くのゼロからのスタートなのだ。お金なんていつも無い状態だった。冬に備えて冬着とかを買わないといけないから、頑張らないとと思っていたところだ。
その中で月収10万円でしかも福利厚生やら週休二日やらと魅力的すぎる内容である。休みなんて月に1度か2度だったのだ。就職できればバラ色の勝ち組決定だ。
でも、椎菜たちは自分が採用されるとは微塵も思っていなかった。だって自分たちは高校生でもなくなったのだ。学歴上は中卒である。銀行に採用される可能性があるとは思えない。こんな世界だから学歴なんて意味ないかもしれないけど、仕事を経験したことも無いのだから。
だけど、ダメ元で行こうと二人で面接に行ったのである。
面接したのは、いつか会ったあの怖そうなスーツの人だった。じろりと自分たちを見る。募集要員が多いので二人いっぺんに面接をすると言われたのだ。その時点で期待されていないことがわかり、二人でしょげていた。
スーツの人は簡単なことを聞いてきた。
「仕事をする気はあるかね? 遅刻や欠勤はダメだよ? 待遇は聞いているかな?」
「はい、仕事をする気はあります。頑張ります! 勿論遅刻や欠勤なんてしません。学校でも遅刻をしたことはありませんでした。好待遇なことは聞いております」
ガチガチに緊張して二人で答える。思い返せば子供らしい無様な面接だっただろうと思う。
そうして最後にスーツの人は聞いてきた。
「レキの友人だったかな? 君たちは」
思わず二人で顔を見合わせたものだ。まさかレキちゃんがこの人に自分の交友関係まで詳しく話しているとは思っていなかったし、自分たちを友人だと認識していたともあんまり思っていなかった。いつもは自分たちが話しかけるのがメインだったのだ。レキちゃんは相槌をうつだけであった。
「はい。レキちゃんの友人です」
でも、レキちゃんが友人と言ってくれたなら喜んで肯定する。スーツの人にそう返答する。
それを聞いたスーツの人はあっさりと告げてきた。
「なら、良いだろう、二人とも採用だ。待遇面は契約書できちんと証跡を残す。後程ツヴァイから契約関連の話を聞くように。以上だ」
思わずぽかんとして口を開けてしまったのは仕方ないと思う。だってこんなに簡単に採用されるとは思っていなかったのだ。
二人で馬鹿みたいに口を開けて唖然としていた姿を見て、スーツの人は眉を顰めて聞いてきた。
「何か問題でも? やはり働く気はないということかな?」
慌てて二人で座っていたソファから立ち上がり、
「これからよろしくお願いします! 一生懸命に働きます!」
と頭を下げたのだった。
それらを思い出しながらビルを歩いて、銀行に向かう。友人が今日の昼は何にしようかなぁと嬉しそうに話しかけてきている。
ハンバーグ定食にしようかな? とあの謎の力をもつお店に出勤したのである。
出勤したら、最後の採用者の人がいた。きつそうな目つきのクールそうな25歳ぐらいのそこそこ美人のOL女性だ。元銀行員だったらしい。苦労して入ったのに、崩壊であっさりと仕事を失って途方にくれたらしいが、銀行員をやっていてよかったと顔合わせの時に喜んでいた。
「遅いわよ。新人はもっと早く出勤して掃除や仕事の準備をしておかないといけないのよ。銀行員としての心構えね」
と両手を腰に当てて、二人を睨むようにいつものお説教から始まるが、
「でも私たちとロボットだけだし、多少は仕方ないかな」
少し笑って笑顔になり話を続けてくる。見た目と違い面白い女性である。
銀行は10時から15時までの営業である。出勤は9時で退社は17時だ。まぁ、5000人足らずのコミュニティにある銀行である。最初の開店時以外は結構暇だ。こんなに暇でお給料をもらってもいいのかと戸惑うが、こういうのも仕事のうちよ。暇で仕方ないけどお客にはだらしなく見られないようにねと親切にOLさんが教えてくれる。
今までの忠告は為になることばかりなので、私もわかりましたと素直に答えて実践をする。
そうこうしているうちに、今日のお客様第一号が入店した。
「これを保管でお願いします」
じゃらっと宝石が着いたネックレスとお金が少々である。多分鑑定も兼ねて預けに来ているとわかる。銀行カードを受け取り、PC横のスキャナーに読み込むとその人の情報が現れると同時に私の目の前に座っている人が本人かをスキャンして確認する。同一人物と表示されたので、保管用の引き出しを開けて入れると入れた物の価格が表示された。
32500円の通貨と22000円のネックレスとでた。凄いことに入れた途端に貴金属の値段が鑑定されるのだ。この金額は定価であり、外で他のツヴァイさんたちがやっている買い取り時は三分の一の値段となる。あんまり高くない貴金属だが、それでも大きな収入である。防衛隊がまずは安全確認を行って物資調達を終えてから、建物は開放されて一般人が入ることができる。だから目立つ貴金属なんてなかなか見つからないのだ。
ハンターと名乗る人間が安全宣言が出されていないビルに入っていくことがあるが、稀である。危険なミュータントがいる中に入っていくなんて考えられない。その設立者は元生徒会長だ。やはりあの人は馬鹿だったんだなぁと思う。
貴金属の鑑定額を見て、嬉しそうな声を上げるお客様。
「今日は珍しく隠れておいてあった箱を見つけたから戻ってきたんだが、これは良い稼ぎだな」
ほくほく顔で預けておいてと言って帰っていく。ラッキーだったと言っているが清掃作業中ではなかったのかと少し心配をする。多分鉄くず漁りではない感じがしたので。
「あれは、帰ってから現場監督に怒られるパターンね。それでみんなに奢る羽目になるのよ」
隣のOLさんがにやりと笑って言ってきた。私もクスリと笑って、そうですねと同意した。
ぽつぽつとお客様が来たら、お昼時間になった。お昼時間も12時~13時である。就業時間が短すぎな銀行だと思うが、これが当たり前らしい。ATMもないのに皆不満に覚えないのかと考えたことがあるが昔はこうだったらしいわよとOLさんが教えてくれた。凄い仕事もあったものである。
普通は営業時間以外はお金の計算とか色々あるらしい。でもこのお店には無い。全てPCが管理しているのでお金の管理なんてしないのだ。
支店長席に座っていて、何かあれば助けてくれるツヴァイ銀行タイプさんにお昼に行ってきますと挨拶して備え付けの食堂に入る。小さな食堂には自販機が置いてある。
「私、カツカレーにしようっと」
友人が食堂にある自販機のカツカレーのボタンを押すと1分後にウィンと自販機の前面が開き、トレイに乗ったカツカレーがでてきた。凄い自販機である。これを外に設置できれば凄いんじゃないのかと思うのだが、それをツヴァイ銀行タイプさんに聞いたら、外にはおけません。仕様ですのでとよくわからない返答があった。多分財団が設置を許さないのだろうと思う。
自分もハンバーグ定食のボタンを押下して出てきたトレイをテーブルまで運んだ。昼ご飯は一回だけタダでボタンを押下できるのだ。どこで認識しているかわからないが、2回目はお金を入れないと出てこない。
「ここの食事はいつもそこそこ美味しいわよね。自分の部屋に一台欲しいといつも思うわ」
唐揚げ定食を食べながらOLさんが話しかけてくるので、私も欲しいですと談笑しながら昼ご飯を食べるのだった。
夕方になり、退社時間となったので床の清掃とかをやっていた私たちは帰ることにした。また明日ねとOLさんが言って、私たちもまた明日よろしくお願いしますと返答して店を出る。
今日の夕ご飯は何にしようかなぁと話しながら家に帰ろうとすると、途中で槍を担いだ女性が歩いてくるのを見つけた。
「ナナさん、こんにちは~」
元気よく友人が挨拶するので、私が慌てて荒須社長でしょと窘める。
それを聞いたナナさんが笑って答えた。
「こんにちは、椎菜ちゃんも以前通りナナで良いよ。銀行の中だけは社長と呼んでくれればいいから」
こちらを気遣って人懐っこい笑顔をニコニコと浮かべて伝えてきた。私も笑顔で返答する。
「えへへ、すみません。ナナさんはこれから帰りですか?」
「うん、何を食べようかなぁと思ってね。そうだ、良かったら二人も一緒にご飯を食べない?」
ナナさんの誘いに勿論私たちは乗るのである。じゃぁ、私の家で何か作ろう~と腕を上げて提案してくるので、は~いと笑顔で返答してナナさんについていく。
話しながら歩いている間に、横目でちらりとナナさんを観察する。
この人は英雄である。まるで映画にでてくる人みたいだと皆で話している。偉そうなところもないし、人懐っこい笑顔の一見ただのそこらへんにいる女性である。
だが、彼女は防衛隊でも凄腕の一人である。しかも超常の力をもつ槍を手に入れて一層の活躍を見せているらしい。そしてお金持ちでもある。財宝探索に成功して大金を手に入れた。しかも人々のために無用になるかもしれない発電機を大金を使い設置した。嫉妬などで陰口を叩いている人もいるが純粋に凄い人だと私は思う。そしてそんな人と友人になれてよかったとも思う。
「あぁ~、せっかく勇気を出して告白したのにスルーされちゃったんだよね~」
なんかナナさんが凄いことを言ってきた。
「え~! ナナさんは誰に告白したんですか?」
友人が驚いて聞いている。私も興味津々だ。ナナさんが好きな人って誰だろうと思う。
「レキちゃんだよ~、一緒に暮らそうって告白したのにスルーされちゃった」
まぁ、断られる可能性があるから、どさくさ紛れに伝えたんだけどねとチロッと舌をだして伝えてくる。この人と私はレキちゃん解放同盟を組んでいるのだが、ナナさんのほうが全然アグレッシブだ。
「なんだ~。レキちゃんですか。え? もしかしてナナさん、女性が好きな人ですか?」
友人の問いに、どうでしょう~とからかい顔になり答えるナナさん。頑張っている人だ。
そろそろナナさんの家に到着しそうになった時に、日が落ちてきて暗くなってきた道から誰かが飛び出してきた。
「荒須さん! この間話したことを考えてもらえましたか?」
私たちの道を塞いだのは元生徒会長であった。凄い形相でナナさんに話しかけてくる。
「あ~、ハンターギルドに入らないかってのよね? 何度言われたってパスパス、なんで私が入らないといけないのかな?」
ナナさんが冷たい声音を混ぜて道を塞いで出てきた元生徒会長に答える。
「荒須さんは探索で大金を手に入れて会社まで設立した凄い人です! そんな人がハンターギルドに入れば皆も希望をもってくれると思うんです!」
強い口調で元生徒会長が詰め寄りながらナナさんに言ってくるのを、ナナさんは怖さを感じる威圧感を出しながら答えた。
「それで皆がハンターギルドに入ってどうするの? 危険な場所を探索して死んでいくわけ? その片棒を私に担げと?」
「それはハンターギルドに入る以上自己責任なので仕方ないことなので」
ナナさんの威圧感にタジタジになりながら元生徒会長が受け答えをする。それを聞いて自分のギルドに入れておいて、命懸けの仕事を斡旋しておいて自己責任なんてひどい話だと私は思った。私なら絶対に入らない。
「そう、それじゃ私はそんなギルドには入りたくないからお断りね。話はここまでよ。私は友人たちとこれから楽しい食事なの、どいてくれない?」
ナナさんの凄みを感じさせる声音での答えを聞いて後ずさる元生徒会長。取り繕うように周りを見て、そして友人と聞いてこちらを見てきた。
「なんだ。レキさんの取り巻きをして上手く銀行員になったやつらじゃないか。他の学生が大変な時にあの少女に上手く取り入ったものだな」
憎々し気に言ってくる。私もレキちゃんの友人だから採用されたとはわかっている。コネなのだ。でもそれの何が悪いのだ。
胸を張って私は返答する。
「私はそんなつもりでレキちゃんの友人になったわけじゃないよ。でもそのコネで銀行に入ったことも否定しない。私は私で頑張るつもりだもの!」
強い口調で元生徒会長に言い放つ。自分のやっていたことの結果なのだ。それを否定するつもりも、運が良かった点も受け入れるのだ。何しろ自分の力で生活をしないといけないのだ。
ちっと舌打ちして元生徒会長は帰っていった。なんか以前よりすさんだ感じがする。前はもう少しさわやかそうな男の子だった感じがしたのだが。
それからナナさんと私たちはご飯を食べて帰宅するのであった。
夜にベッドに入り、眠くなるのを感じながら私は呟く。
「これからも頑張って生きていくからね、お父さんお母さん」
そう呟いて私は就寝するのであった。