81話 おっさんと人々の宴
上野美術館は上野公園に近い観光名所の一つである。すでにドアは砕け、窓は割れており、往年の美術館はただの廃墟となろうとしていた。
崩壊した世界ではダンジョンになっていたエリアである。遥の知らないうちにダンジョン化されており、そのボスは獅子に破れてエリアを支配されていた。そして獅子がレキぼでぃに破れたことによりクリアされ浄化された場所である。
後で高レベルであろうダンジョンに一歩も入らずにクリアとなったことに歯嚙みして悔しがった遥である。もしも知っていたら、獅子を倒さずに見逃したかもしれない物欲の塊であるおっさんである。
その上野美術館は先日開放された小拠点の近くにあり危険な敵がまだいるかもしれないエリアである。
だが、そこにいるはずのない一般人が多数出入りしていた。
入り口前には強襲揚陸艦が停車してあり、周辺は戦車が周回して警戒をしている。そして歩兵輸送トラックや、物資輸送トラックも多数停車していた。
ざわざわと騒ぎ立てながら、美術品保管用トランクに持ち運べるだろう絵画などの美術品を素人なりに気を付けて入れていく。そしてそれをトラックに人々は積んでいくのだ。
上野美術館は新市庁舎コミュニティの面々による美術品回収作戦が行われていた。
その中に一人、人々の働く様子を見ながら美術館入り口で佇むおっさんがいる。
誰あろう遥であった。久しぶりの遥ぼでぃでの外での活動である。
しっかりと上品なオーダースーツを着こみ、周りには護衛のツヴァイがパワーアーマーを装備して警戒している。
「皆さん、急がないでください。まだまだ美術品は大量にあります。少しばかり急いでも仕方ないのでね」
他人が聞いたら、冷たそうに聞こえる冷静な声で遥は美術品を運んでいる人々に声をかけている。
珍しくおっさんが危険なエリアにいる理由は、美術品の回収と豪族の援護のためだ。失敗するかもしれないが、まぁ、やるだけやってダメなら後は任せようという、いつもの他人任せスタイルである。
スーツのポケットに手を突っ込みながら、暇だなぁ、司令席で漫画でも読んでいていいかなと思っているが、周囲から見ると冷酷な顔で美術品が適正に運ばれているか確認しているスーツの男に見られていた。
「ありがとうございます。この仕事で大分助かります」
通りかかっていた働いていた男性が遥に声をかけてきた。
「あぁ、気にしないでください。私たち財団が美術品を保管するための仕事です。危険であり大変な仕事でもあるので、報酬を出すのは当然です。働いた人間には適正な報酬を出さないとね」
肩をすくめてクールに言う。今の私はできるエリートな人間に見えるだろうかと、胸の内はドキドキものの小心者のおっさんである。
まぁ、周りからはエリートであり怖そうな人間とも思われている。何しろ潤沢な物資を提供する財団の得体のしれない職員なのだ。崩壊前なら、タダの小物のおっさんだなと見抜かれていたかもしれないが、環境が人々の目を曇らせていた。
「本当にねぇ、危険だと聞いていたけどお給料は魅力的だしねぇ」
と、おばさんも美術品を入れたトランクを持ちながら話しかけてくる。
「今、美術品を適正な評価で保管できるのは、うちの財団ぐらいでしょう」
口元を少し歪めて、皮肉気に近くでこちらの働きをみている人間を意識しながら、声を多少大きくして答える遥。
入り口から少し離れた場所には、ハンターと名乗る無頼者が悔しそうな表情で美術品を運ぶ人々を見ていた。
あのハンターギルドを作ったという生徒会長の話を聞いて、あれから遥は考えたのであった。このままでいけば文官に弱い日本の警察や自衛隊だ。押し切られてどんどん勢力を失っていくだろう。
安定したコミュニティでは軍部は強硬な態度を取らなければ、大きな声をだせる文官に負ける運命なのである。そして豪族たちはこれまでの行動から見ても善良だ。人々の生存のために命を賭けることはできても、狡猾な思考が必要な政治にはめっきり弱いだろうことがわかる。
ならばどうしようかなぁと、家でナインのお酌を受けながらごくごくお酒を飲んで、美味しいご飯を食べながら、ナインの頭をナデナデして考えたのだ。
ピコーンとは頭の電球は輝かなかったが、簡単な話だと気づいたのだ。簡単かつ効果があるかもしれない方法を思いついたのである。
それを実行するためにおっさんは行動を開始したのだった。
人々の働きを見ながら、ぼ~っとしている遥に入り口から離れた場所で見ていたハンターが近づいてきた。ショットガンに革ジャンと笑える装備の人々である。すぐにグールに餌として食われるだろう奴らだ。
「そちらは探索を行わないのではなかったのですか?」
目を細めて、こちらの行動を非難するように生徒会長が近づいてきて、遥に話しかけてきた。
そんな質問は予想通りの遥である。事前準備をしていればサラリーマンのおっさんは優秀なのだ。この日のために、サクヤとナインと顔を突き合わせて問答集を作成していた。どこかの国会答弁と同じである。
「勿論、通常は探索は行わないさ。だが、美術品などは全く別の話だ。普通に考えて回収するだろう?」
当たり前の話だろうと、相手を見下すような態度をとり生徒会長に答える遥。
おっさんはこの日のために、頑張ったのだ。演技も色々頑張った。鏡を前にして自分の態度が相手にどうみられるか? 話し方の強弱はどうか? と色々練習したのである。
「だけど、レキさんはそんなことは言ってなかった! 探索は行わないつもりだったはずだ!」
声を荒らげて詰問してくるが、そんなことは予想内である。
「レキは言われたとおりにしか動けない。探索は行わないという指示があれば杓子定規にその通りにしか動けないし、芸術品の価値などはわからない。彼女にとっては子供の落書きも歴史に残る絵画も同価値の紙程度にしか思わないだろう」
肩をすくめて呆れたような、レキにはその辺は期待していないという感じを出しながら答える遥。
因みに勿論であるが、おっさんに子供の落書きと歴史に残る絵画の違いはわからない。わかることと言えばリアルな裸婦画は条例に反しないのかなぁ、リアルだからエロいのになぁと考えるだけである。
「いやいや、美術館を放置すると報告されたときには、我々は驚いたよ。彼女の教育係は何を教えているんだと騒ぎになったもんだ」
かすかに苦笑を見せて生徒会長を上から目線で見やる。おっさんの苦笑の演技はかなりのものである。なぜなら、終わらない仕事の量をみていつも苦笑をしていたからである。
「それとも、自分たちが回収するつもりだったとでも言うのかな? まさかとは思うが素手で絵画を掴み、傷つくのを恐れずにトランクにも入れずに持ち運びするつもりだったのかな? いやぁ、まさかね」
両手を上げて、馬鹿にしてますというおどけた表情で生徒会長に話しかけると、悔しそうな表情で何も言わずにきびすを返して離れていく。
ふ~、行ったかと演技がばれないか冷や冷やものだった遥である。おっさんならではの憎々しい演技だったので問題は見られなかった。初めておっさんぼでぃが役にたった瞬間である。
「ボス、グールを含むゾンビの誘引に成功。3時の方角から100体ほど接近させてるよ」
ウィンドウが開き、褒めても良いよという快活なニヤッとした笑顔を見せてアインが告げてくる。
かすかに頷き、周りの人間に大声で注意をする遥。
「皆さん! グールとおぼしきミュータントが接近中らしいです! 護衛兵の近くに集まり、むやみに移動しないでください!」
人々を見やり堂々とした風体を装い冷静に注意をする遥に、働いていた人間はまた来たのかとうんざりする表情で警戒する。
もうこれで3回目なのだ。遥に教えられて敵が来る方向に新市庁舎コミュニティの兵士も警戒し武器を構える。
数分で100体近くのグールやゾンビが道路に走って現れた。未だに弱体を受けていないグールがいるという不思議なメンツである。
車両に飛び乗りながら、ギョロメとなっているグールがよだれをたらし、人間にはありえないジャンプ力で移動してくる。ガシャンと車両に飛び移るたびにボンネットや屋根、フロントガラスが砕かれていく。それだけで物凄い力であるとわかる。小走りゾンビも腐臭を漂わせて、唇がえぐれて歯茎が見えており、腹からは内臓が見えており、腕などから骨がチラチラと見え隠れしている。
血だらけで、この数が走ってくるのをみた人々は最初恐怖の悲鳴を上げた。おっさんも昔は走ることもできないゾンビに悲鳴を上げて食われた。だが、今は運搬の邪魔という感じで見ている。
「ツヴァイ、攻撃を開始せよ。グールたちの殲滅を行え」
静かに落ち着いた声で命令する遥に従い、ツヴァイが戦車の機関砲をグールたちに向ける。
「ツヴァイ33です。攻撃を開始します」
そう返答があった瞬間に機関砲から砲弾の嵐が撃ちだされた。青い光を纏い砲弾は近づいてきたグールたちの障壁をものともせずに打ち砕いていった。
数分もたたずに敵を殲滅して戦闘は終了した。
「まぁ、こんなもんでしょう。運搬作業を開始してください」
当たり前という感じを見せて人々に告げる遥。
人々は安心した表情になり、やれやれと運搬を再開するのであった。
これは数日間に渡り、行われたのであった。
数日後、美術館の美術品を運搬し終わった遥たちは新市庁舎にいた。
大会議室前にでかいテーブルをたくさん配置して、ローストビーフやら、刺身やら、様々なご馳走を山ほど置いてある。酒もたくさん用意してあるのだ。他の会議室も同様にご馳走を山ほど用意してある。全て遥の奢りである。
「この数日間の皆さんの働きで、美術品は無事に適切な保管庫に運び入れることができました。ついては皆さまの働きをねぎらいまして、宴を楽しんでいただければと思います」
ビールの入ったコップを掲げて乾杯と声をかける。人々も乾杯とグラスを打ち合い、それぞれに久しぶりのご馳走に舌鼓をうつ。
「みなさんの今回の働きに対しまして、10万円分の物資交換券をお渡しするので自由にお使いください。明日から1週間ほどは物資を大量に持ってくる予定でありますので、存分に買い物をお楽しみください」
続けて話した内容に、みんなが快哉を叫ぶ。剛毅だねぇとか、さすが太っ腹な財団だと好意的な声が大きい。
「さぁ、さぁ、さすが先生。皆助かっております」
どうぞどうぞと、狐みたいな男と取り巻きらしき人間が数人、遥に日本酒の徳利をもってお酌をしてきた。
どっかで見たことあるな、こいつ?と思ったが記憶にないので大したことではなかったんだろうと思いお酌を受ける。
「いや、たいしたことはしておりません。皆さんの働きが無ければ、こうもスムーズに美術品を運び入れることはできなかったでしょう」
うむと偉そうにお酒をお猪口に注がれて答える遥。どっかの代議員みたいなおっさんの演技である。
「いえ、それも大樹ありき、先生ありきでしょう。今回の仕事で皆の懐は潤っており助かっております」
ニコニコと腹黒そうな表情を浮かべ、おべっかを使ってくる狐男である。その後も色々おべっかを続けてくる。正直うざい。
どうやって話を切り上げようかなぁ。この人たちどっかに離れてくれないかなと考える遥。こういうお世辞とかおべっかは嫌いなのだ。純粋に褒められるのは大好きである。
そう考えていたら、ちょうどいい時に、こちらに近づいてくる人々がみえる。
それに気づいた遥は、やぁやぁ、どうもと片手を上げて挨拶をする。
「百地さん、この数日はどうも助かりました。おかげでうまく仕事がいきましたよ」
近づいてきたのは豪族たちである。ナナの姿もある。
うむと重々しく頷いて、遥の隣に座ろうとする百地を狐男たちが注意する。
「おいおい、今日のご馳走も報酬も全て先生のおかげですぞ、百地隊長。もう少し愛想をよくしたらどうかね?」
これが虎の威を借るキツネだなぁと狐男の態度に感心する。どうやらすっかり遥の取り巻きになったつもりらしい。
「そうだな。しっかりとお礼を言わんとならんので、お前らは他の人間とあいさつを交わしていったらどうだ?」
じろりと眼光鋭くにらむ豪族に威圧されて、不満そうな表情をしつつも渋々ながら、先生、また後日と言いながら去っていく狐男たち。
ドスンと音を立てて胡坐をかいて座る豪族。不満そうな悔しいような表情で頭を軽く下げてきた。
「今回は助かった。これでハンターギルドなんぞに入る人間は減るだろう」
「何のことやら、わかりませんがそれは良かった」
とぼけながらも、お礼をうける遥。
「本当に助かりました。どうぞ!」
遥の隣に座るナナ。嫌そうな表情をしながらもお酌をしてくる。ドンドンお猪口に注いでくるので、慌ててこぼれないようにお酒を飲む。そして全然助かったという表情じゃないよ、ナナさんやと内心苦笑する。
「貴様は軍人には見えないからな。物資を提供している人間が文官であることと、グールから守れる強力な武力が背景にあること。そして人々に気前よく報酬を出せる財力。頼りになるだろう大きな組織だと皆が安心する内容だ」
何故か、偶然にあれだけの数のグールが美術館に何回も押し寄せて人々に脅威を教えたしなと呟く。
呟いた内容は聞こえないふりをして、とぼけるおっさんである。アインが誘引していた事実など無いのだ。
「選挙なら、選挙違反間違いなしですね!」
飲んでいる最中なのに、まだまだお猪口に注いでくるナナ。今日はいつもの敵対的な行動はさすがに我慢しているみたいである。あんまり我慢していないようであるが。
その言葉を聞いて、遥も口元を歪めてにやりと笑う。
「確かに人々に10万円ものギフト券を配るなど、選挙中ならまずいことでしたな。だが、このやり方は民衆の心を掴むことは過去の政権にて実証済みです」
急いでお猪口のお酒を飲んで答える。もったいないでしょ、ナナさんや。このお酒は結構いいやつなんですよ。もうちょっと味わわせてくださいと思う。
「これで、人々は安心するでしょう。苦情や陳情が百地さんに集中するかもしれませんが、それは任せますよ」
肩をすくめて答えながら、チラリとハンターギルドの面々を見やる。別に疎外はしないでいたので宴会の隅っこに居心地悪そうに座っている。疎外をするとますます反感を抱くだろうし、こういう宴会に呼ばれれば自分が矮小だと勘違いもするのだ。
人々に頼りになると思わせる方法など、日本の政権は何回も効果のある政策をした。のちの政治が良かったかと聞かれると、全く良いとは思わなかったが、お金を配るのは極めて民心を簡単につかむ方法なのだ。
今回、遥はその真似を少しばかりこの崩壊した時代に合わせた方法で行っただけである。それは勿論百地たちも気づいている。ハンターギルドだって気づいている。だが、これを妨害することはハンターギルドには絶対にできない。民衆のためというスローガンで動いているのだから。
そして、あのしょぼい武器でハンターをこれからやろうと考える人間も減るだろう。おっさん的にはグールの群れとの戦闘を見たら、絶対にハンターにはなろうとは思わない。
反対に百地たちはいつもあれだけの敵と戦っていると尊敬されるだろう。
人々に現状を教えて、なおかつ頼りがいのある財団が後ろにいると思わせるのに、美術品運搬を利用したのだった。
おっさん的にはナイスアイデアである。あとで面倒事はたくさん発生するだろうが、それでもマシなアイデアであっただろう。
そう思いながら、ナナのお酌攻撃に対抗して、ドンドンお酒を飲むおっさんであった。