70話 巫女と北部コミュニティ
新市庁舎、いや元新市庁舎と言うべきであろう。レキの伝手により北部から迎えに来た人々の拠点である。
最早動くことはないと思われたトラックに乗りやってきた自衛隊員や警官の姿を見た時は驚いたものだ。
その後にお風呂に入って疲れを癒やしてくれと言われたときにはもっと驚いたのだ。
自分の拠点でも水は貴重であり、身体はお湯を濡らしたタオルで拭いていたので、体臭が少し気になっていたのだ。しかし、ここではなんとお風呂に入れている。驚きと復興をしている証拠だということに安心しながら、穂香はたっぷりの湯に浸かっていた。
「どうかな? 疲れは取れたかな?」
一緒に入っていた人懐っこそうな明るい表情を浮かべて女警官が、穂香の体調の心配をして尋ねてくる。さすがに一人で入るような贅沢はできない。
確かにトラックに数時間乗り移動するのは疲れた。以前の超常の力を持った巫女服があれば疲れなど無かったかもしれないと、あの自分の身体が羽根のように軽く、拳は岩をも砕く力を与えていた巫女服を思い出す。
あれは幻想であり悪夢の種であった。敵の狡猾な罠であり、自分たちはゾンビたちの仲間になりかけたのだと、自分こそが主人公であると調子にのり勘違いをしていたことに口元を歪め苦笑いをする。
体調が悪くて答えられないと思ったのだろうか? こちらの顔を心配そうに覗き込んでくる女警官。確か荒須ナナという名前であったはずだ。
「あぁ、すみません。考え事をしてしまいました。大丈夫です。疲れは取れてしまいますよ。何しろ久しぶりのお風呂ですから」
ナナに対して、相手を安心させる静かでいて冷たさを感じない笑顔を見せる。そしておどけたように手のひらでお湯をすくい、ゆっくりとまた零れさせていく。
そっかそっか、良かったよとニコニコ顔に戻り、ふぃ〜と肩まで湯に浸かり、安心したような表情を見せ寛ぐナナ。
それを見て穂香も肩まで湯に浸かりゆっくりと寛ぐのであった。
お風呂を出た後に食事だと教えられて穂香は新市庁舎の中をナナに連れられて食堂に向かっていた。狭くない通路であるが、オフィスはすでに表札が掲げてあり、住宅地と変わっている。
今はマンションと化したオフィスのドアから、子供たちがきゃあきゃあ笑いながら笑顔を浮かべて飛び出してきた。穂香とぶつかりそうなところを寸前で体を捌き回避する。
「わっ、ごめんなさい!」
当たる寸前だったのに気づいたのだろう。申し訳なさそうな表情を見せて頭を下げる子供たち。
随分素直なのだなと感心しながら腰を落とし、子供の目線に合わせて謝る子供たちの頭を撫でながら、気をつけなさいと注意をして穂香は解放した。
わーいと注意をしたにもかかわらず、また廊下を走り出していく子供たちを見て、きっと誰かに怒られるなと確信をしながら立ち上がった。
そんな穂香は、後ろ手に回してニコニコ笑顔でナナが見ていたことに気づく。
「なんですか?」
「気を悪くしたらごめんなさい? 何だか凄く大和撫子みたいな感じがして驚いちゃったの」
あの笑顔は驚いた顔ではなかったが、アニメの世界に、憧れる子供とでも思われたのだろうかと少し恥ずかしい。確かに今の行動は大和撫子なヒロインがやるような行動だったかもしれない。
自分が大和撫子の演技をするようになったのは、小学生ぐらいからだろうか? 自分のお小遣いで遊ぶという行動ができるようになり、大和撫子の演技をすると上機嫌にお小遣いをくれるお祖父様の影響である。
常に大和撫子を演技してお小遣いに困らない優雅な生活をしていた。それに合わせて剣術や訓練を強要するのは辟易したが物欲に負けたのだ。女の子はお金がいくらあっても足りないのだ。洋服に化粧品や交際費など使い道はいくらでもあった。妹の晶も同じく僕っ娘を演じてお小遣いをせしめたものだ。
だが、長く演技をすれば本来の自分なんか消し飛んでしまった。何しろ自我を形成する大切な時期に大和撫子の演技をしていたのだ。
いつの間にか演技は演技でなくなり、金持ちということもあり誰からも非の打ち所のない大和撫子だと言われるようになってしまった。今では、お祖父様の悪質な洗脳ではなかったかと思っている。だが悪い影響では無いので、まぁ別に良いだろうとも思う。アニメに出てくる大和撫子みたいな自分は随分と男子からモテたものだと思い出す。
誰に対してもおしとやかで優しく剣術を習っていたために力もあった。自信があったのだ。だからこそモテており告白も何回も、受けた。全部断ってはいたが。
「ふふ、大和撫子とは照れてしまいます。お世辞がお上手ですね、ナナさんは」
手のひらを頬につけてゆっくりとした口調で、そう返答した。
本当だってばと、あわあわと手を顔の前で振りながら歳上とは思えない幼さで話してくるナナとともに食堂に向かっていった。
食堂は随分大勢の人がいた。昼時なので当たり前だが崩壊後は人々がこんなに集まっているのを見るのは初めてだ。ざわざわと喧騒があり人々には力があった。どんな力かと言えば正確には答えられないが生命の力とでも言うのであろうか?確かに復興を感じさせる熱気ある雰囲気である。
これならばあのレキと名乗った不思議な少女が頼りに助けてくれると言っていたことも信じられる。
足軽ゾンビたちに囲まれているひ弱な少女だと思い助けたのだ。それこそアニメの陰陽師のようなヒロインのように華麗に助けたと当時は思っていた。
しかし助けられたのは、反対に自分たちの方であった。お祖父様の流水刀すら弾く敵をあっさりと倒した不思議な少女である。
最初出会った時はアニメで出てきそうな装甲のついた服を着ていたので、てっきり私たちと同じく敵から奪取した装備に頼った戦いをする少女だと思っていた。自分の家族以外は力任せの戦いをしてきたので同じだと思ったのだ。
だがあの恐ろしい大柄の武者との戦いを見て違うことを悟った。恐怖しか覚えない威圧感ある武者である。その背丈は五メートルはあり、人をかするだけでも肉塊に変えるだろう本当に馬を断ち切れる大きさの斬馬刀を持っていた。
お祖父様が必殺の流水剣を放ったにもかかわらず、まるで水鉄砲の水を悪戯でかけられたとしか感じなかったのだろう。まるで攻撃の効かない相手であった。流水剣はただの水の刃ではない。超常の力を以ってトラックすらも分断できるのだ。実際に穂香はお祖父様が威力を確認するために放置されたトラックを斬って分断させたことに驚愕と味方であることへの安心感を覚えたのだ。
その流水剣が効かなかった絶望の相手を弱者扱いしていた。強者には勝てないと言い放ったのだ。それは少女が出会って来た中に武者よりはるかに強い相手がいたことを指し示していた。
そうしてあっさりと、穂香にはその攻撃が見えもしなかった斬馬刀をまるで柳のように受け流し簡単に殴り殺してしまったのだ。最後の攻撃は超常の力を使ってはいたようであるが、その力の源泉はどうやら少女自身にあるようだった。
その戦いを見て、少女は主人公ねと穂香は思い、自らは主人公足り得ないと悟ったのであった。
穂香とナナはトレイを持ってカウンター前に並ぶ。順々に配られていき、自分も白い割烹着を着ているおばさんから食事を受け取った。
それは久しぶりのカレーであった。見るとゴロゴロと肉や野菜がたくさん入っており、ご飯も大盛りである。崩壊前なら太るのを気にしていたかもしれない。今は力仕事も多くカロリーはいくらあっても足りないので問題は無い。何より久しぶりのカレーなのである。
楚々とした仕草でスプーンを持ち上げて、カレーを掬い口に放り込む。味は学食に出そうなカレーである。だが、穂香はその味に陶然としてスプーンを動かす手は決して止まらなかった。
夢中になって食べ終えたあとにナナが話しかけてきた。食べ終わるのを待っていてくれたのだろう。慈愛を含んだ優しい微笑みを浮かべ聞いてくる。
「今日はラッキーだよ! カレーは私たちも楽しみにしている献立だしね。やっぱり大量に作るカレーは味が違うよね」
夢中になって食べていたことに今更ながら気づき、羞恥で頬を染める穂香だがとても美味しいですと笑顔で返答するのであった。
しばらくしてナナも食べ終わり穂香はたくさんの疑問点を聞くために、大会議室へと移動していた。南部代表の父親と共にである。
今回お祖父様は拠点に残ったのだ。警備のために北部から何人かの自衛隊隊員が来てくれたが、いきなり相手を信用できるわけもなく流水刀の使い手であり、今や唯一の戦える人間ということで北部へと顔を見せることはできなかった。
レキが紹介してくれたとは言え、銃を持った複数の相手を直ぐに信頼できるほど水無月コミュニティはお人好しでもなかった。そのために父親と穂香を含む数人がやってきたのである。
適当な時候の挨拶からお互いに始まり、自分たちの状況を話し合っていく。水無月コミュニティと違い北部は大勢のコミュニティの生き残りを吸収していったのであろう。その話し合いは予想以上にすんなりと進み、北部からは農業をやるべく大勢の人々の派遣と警備の増強を約束してくれた。
こちらは少数のコミュニティであり戦える人間もほとんどいないこともあり、どんな無理難題を吹っ掛けてくるか警戒していたが予想以上にこのコミュニティは善良であった。人々を守る警官や自衛隊隊員が善良であることが大きいのであろう。
穂香たちは映画や小説で見たような奴隷のような搾取を恐れていたが杞憂に終わり安心をした。
今後は北部からの潤沢な物資も提供され、大分生活は緩和されるだろうと必要な物資の提供を求めたところ意外な真実を教えられた。
「必要な物資が無いですと?」
北部の人からの回答に驚く父親は意外な気持ちで問い詰める。
「いや、冗談を言わないでいただきたい。この状況を見て物資が無いとは、どういった了見なのでしょうか?」
身振り手振りで周りを示し北部の人へと疑念と警戒を含んだ表情をあらわにして聞き返す父親。
穂香も父親の言う通りだと思う。先程は移動の疲れを取るためにお風呂に入れさせてもらい、食事をたっぷりと頂いたのだ。なんの冗談かと疑念に思うのは当然である。やはり南部から物資を奪い取るつもりなのかと警戒したところ、北部の人から返答がきた。
「言い方が悪かったな。物資は提供できるが無いのだ」
苦虫を噛んだような表情で腕を組んで、苦しそうに言ってくる北部の人。お互いに名乗った時に百地と名乗った人だ。
その答えに今度はこちらが戸惑った。物資を提供できるのに物資が無い? 意味がわからない。
何かの暗喩だろうかと不思議に穂香は思った。父親も戸惑っている。見かけはごついが、話してみると善良そうな人だったのだ。何を言っているのかよくわからない。
「提供できる物資は商人から買い取らないといけないのだ」
疲れたように椅子の背もたれに体重をかけて語る百地。椅子がその重みでギシギシと鳴る。
「あぁ、確かレキ君も物資は通貨で取引していましたね。しかしこの御時世に大規模な物資を通貨でやり取りする企業が残っているのですか?」
人がゾンビへと変貌しインフラは崩壊し車両が動かないこの御時世にそんな大規模な企業が残っているのだろうか? 残っていたとしても、未だに通貨に固執する意味がわからない。あんなものはただの紙切れになっているのではなかろうか?
いや、そういえばこの人たちは動かないはずのトラックで来ていた!
今更ながらにそのことに気づく。崩壊してからは何故か車両は一切動かなかったはずなのに、この人たちは使っていたのだ。
「尤もな質問だ。儂らもそのことには疑問を禁じ得ない。しかし実際に通貨でのやり取りが可能なのだ。こちらは相手に出せる物資が無いので助かっているが」
困った表情で父親の言うことに同意する百地。その言い方に疑問を覚えた穂香はその取引について詳しく聞いてみた。
どうやら北部の人たちは通貨を支払い物資を受け取っていること。それが無くなると立ち行かなくなるので相手に強くは交渉できないこと。相手はこの異変を以前から察知しており準備をしていただろうことである。
「そして彼らはこの異変の力を解析して利用しつつあるのだ」
驚きの連続である。そんな物はアニメや小説の出来事ではないか。実際にそんな機関? が存在しているとは思わなかった。だが真面目な話らしい。
「既に彼らはその技術を利用して、一人の強大な力を持つ人間を作り出している」
眼光は鋭く、口元を引き締めて語る百地を見て嘘ではないのだと悟る。そしてその技術を利用して作られたという人間にも心当たりはあった。
穂香も自分の想像があっているのか疑念を覚え、その解答を得るべく思わず口を出した。
「その人間って、レキさんでしょうか?」
重々しく頷く百地を見て、やはりそうなのかとあの人外の力を奮った少女を思い出す。まだまだ遊び盛りの子供であるはずだ。本人も気楽な表情で何度も水無月コミュニティに顔を出していた素直そうな、ちょっとアホっぽい可愛い少女であった。
彼女が作られた存在であるとわかり頭が真っ白になった穂香は、その機関のことを更に百地に問い詰める。
しかし百地は首を横に振り、わからないことを伝えた。
そうして大会議室が重い空気に包まれる中、外から誰かが駆け込んできた。
「ヘリが! ヘリが飛んできます!」
駆け込んできた人は汗を流し息を切らせてそう叫んだのだった。