569話 本部での宴
詩音は自らの服装をもう一度見直す。襟を正して、ドレスにシワがないか何度目かの確認をする。
珍しく自分が緊張をしているのだと、軽く息を吐く。これだけ緊張するのはいつだったか、少なくとも覚えている限りには……。
「常に本部に訪問する時だけですわね。私ももう少し慣れなければ」
小さく呟き緊張しているとは思えない可憐な花のような笑みを浮かべる。花といっても、詩音を知っている者には毒花に見えただろうが。
「そろそろ呼ばれますかと。ご気分は大丈夫ですか?」
そばに佇んでいるメイドが恭しく頭を下げて尋ねてくるので、魅了する可愛らしい微笑みで、緊張しているが頑張っている少女といった感じを見せつつ頷く。
詩音は今どこにいるかというと、本部の迎賓館にいた。今回のダンジョン攻略成功で、本部でお祝いをしようと木野が呼んでくれたのだ。今はパーティー会場の大扉の前に待機していた。
心が踊りワクワクとしてしまう。ようやく主賓にまでなれるようになったのだから。ちらりと待っている間に内装を観察するが、廊下にさり気なく飾られている絵画でさえ、有名な画家の物であり、美術品も高価であり、床に敷かれている絨毯も幾らになるかわからない。しかも全てが上品に整った配置であり、さすがは本部だと感じさせる光景である。
この場所に来れたことに詩音は満足しそうになるが、これが始まりなのだと気を引き締める。まだ、本部への取っ掛かりを得たに過ぎないのだから。
「では皆様方、若き実業家にして危険なるダンジョンへと向かう冒険家、市井松詩音さんの御入場です」
中から聞こえる司会者の合図と共に、大扉が開いていくので気を引き締めて、表情は微笑みを浮かべて詩音は中へと入るべく踏み出すのであった。
大扉を抜けると別世界……とは言いすぎですねと、詩音はにこやかに万雷の拍手の中を歩いていく。よく見れば崩壊前と同じようなパーティー会場だ。きらびやかなシャンデリアの下に、立食パーティーであるので、ずらりと並ぶ贅沢な料理。ウエイターやウエイトレスが銀のトレイに飲み物を乗せて、ゆったりとした歩きで客に配っていた。
そして招待客もセレブ達だと詩音は思い、それでもこのパーティー会場にいる人々は油断ならないと気づく。
常ならば小娘如きがと見下すような笑みで見てくる人や、ヒソヒソと陰口を叩いて嗤う自分が上だと思っている人間が少なからずいるものだが、そんな様子は塵とも見せずにこやかに皆は拍手をしてくれていた。
単純に歓迎をしてくれているわけではあるまい。皆はそれぞれ油断がならない相手か、自分の利益に繋がる人間かと内心では思っているだろうに、表面上は歓迎してくれていた。部屋の隅で誰も振る舞いを見ていない人間でさえも。
これが本部なのですねと、これからはこのような強敵相手に成り上がるのだと心が踊りながら詩音は主催者たる木野の元へと歩いていく。
木野は相変わらず隙のないスーツ姿で両手を広げて、歓迎の笑みで出迎える。……隣に着物の塊があるけど、なんなのかしら?
なぜか着物の塊が洗濯物の山のように積み重なっているので、怪訝に思うがまずは木野への挨拶からですと、詩音は木野へと綺麗なカーテシーをして見せる。
「本日はお招き頂きありがとうございます。本部のこのような席にお招き頂けるとは光栄で心が嬉しさで震えております」
今日の詩音はちょっぴり背伸びをしましたといった感じの淡いピンクのドレスである。肩出しで背中が開いているが、ピンク系に目立たぬようにリボンをつけて少女らしさも感じさせていた。
この姿なら警戒されることも少ないだろうと選んだドレスなのだ。可愛らしいカーテシーをする少女に周囲の人間は微笑ましそうに笑顔になっていた。
「いや、今日の主催者として君を呼べてこちらこそ光栄だ。君の勇敢さと健気な働きをもう少ししたらスクリーンに映し出す予定だよ。よくやってくれたね、皆へ勇気と感動を与えるだろうに違いない」
「私としてはそこまでとは。自分にできる精一杯のことをやらせていただいただけですので」
演技派詩音、女優さんにもなれるだろう演技で頬を紅膨させて照れ笑いをして見せる。内心では絶対にもうダンジョンにはいかないと決心していたのだが。あれから何度お風呂に入り直したことか。
だが、リターンはあったみたいですねと、詩音が満足げにしていると、木野の横に置いてあった着物の山がモゾモゾ動いて、ぴょこんと少女の顔が出てきた。見慣れた顔がである。
「おめでとうございます詩音さん。今日は十二単衣という物を着て出席してみたんですが、これ……凄い重いですね。平安時代の女性はこれを着て生活していたんですよね? 着物を軽く着れる筋肉ムキムキの女性だったんでしょうか?」
どう思います? と可愛く小首を傾げるのは朝倉レキであった。着物の山はどうやら十二単衣だった模様。もこもこしすぎて人間が中にいるとは思わずに面食らう詩音であるが、そんなことでは微笑みの仮面を外すことなどない。それよりも、このようなパーティーにレキが出席したことに驚く。
この少女はこのような派閥が作られるような権力闘争の渦中には今まで入ってこなかったのに、今回はなんと主催者側らしい。依頼をかけてきた大本なので当然といえば当然であろうが、この少女はとにかく場を混乱させる。しかもよくわからない方向へ。百地代表がいつも頭を抱えて困っているのを何度見たことか。正直同情するレベルであった。
混乱させる以上に彼女は強い力を持つために馬鹿な連中に神輿にされないようにパーティーでは見たことがなかったのだが………。方針を変えたということだろう。朝倉遥の娘なのだ。権力闘争の渦中に近い将来は放り込まれることは間違いない。本人の意思の有無に関係なく。
その時に鍛えようとしても遅いと考えて、朝倉遥は彼女を政治の世界に参加させたのだろう。
七光りとも彼女の功績を考えれば言えない。こんな子供をと周囲からは見られるだろうが、それを言ったら詩音も同じく年若い。なんにしても、これはチャンスなのかもしれない。年が近い私が友達となり相談を色々と受けていけば、それに伴うリターンも大きいはず。
一瞬の間にそこまで考えた詩音は頬に手を添えてウフフとおしとやかに笑う。
「平安時代の女性が筋肉ムキムキですと、それはそれで凄いことですねレキ様」
「そうですよね! む~、まさかの新説を私は発見しちゃいました。紫式部は筋肉ムキムキのゴリラだった! 教科書に載っちゃうかもですね、朝倉レキ博士の偉大な発見って」
どちらかと言えば、朝倉レキがアホであることを発見、の方じゃないかしらと内心で詩音が呆れていたら、レキはそこでニコリと微笑み話を変えてきた。無邪気な笑みで。
「ところで、詩音さんの写真や動画を先に見させてもらいました。なかなかの名シーンっぷりですよ。木野さん、スクリーンに映し出してください。早くったら、早くお願いします」
駄々っ子のように着物の塊はブンブンと手を振って催促するので、木野はわかりましたと笑顔で司会者へと合図する。本来はもっと後での公開だったはずだが、あっさりと木野はレキのために進行を変えて、司会者は戸惑った顔になるが、司会者も一流なのだろう。すぐに手筈を整えて合図を返す。
どうやら木野はレキの立場が大きく変わったことに勘づいて、私のようにレキの相談役となろうとしているのだとわかった。機を見るに敏なところはさすがは木野である。朝倉遥よりこのアホな少女は遥かに与しやすい。朝倉遥は娘を大事にしていて甘いという噂も聞いている。何と言っても名前を捨てて娘のために本部から危険な外へ出て功績を求めたのだから。
最近そこかしこで語られ始めたこの噂は美談として、このような人情噺が好きな日本人に語られている。そこに真実が少しでもあれば、恐らくは真実だと詩音も考えているが、レキにはきっと甘いはずだ。賢君が子供には甘いように。
私も負けていられませんねと、彼女が好きそうな話題はなにかしらと考える詩音は、とりあえず会場が薄暗くなりスクリーンに映し出される千春が撮影していた動画を眺めることにした。編集前の動画を見せてもらったが特に問題はなかった。自分の功績がよくわかるような動画であった。
「………これは………」
だが詩音は呻くように呟いて、編集された動画を見る。それは自身の思い描いていた動画ではなかったからだ。
たしかに詩音は映し出されていた。生存者を助ける光景として。
しかしそれだけであった。まるでちょい役のように他の兵士たちの間で埋没していた。食料を皆に分けるシーンも兵士たちが走り回る中で、ほんの少し。編集でカットされると考えていたシーンであり、他はダンジョンの様々なミュータントや風景。そして生存者の悲惨さが大きくクローズアップされていたのだ。
パーティー会場からは、こんなに生存者たちは大変なのだと同情や哀れみの声がそこかしこであがり、詩音の大変なダンジョン攻略はまったく映し出されていなかったのだ。
時間にして数十分ぐらいだろうか、詩音が呆然として動画が終わるのを見ている中で、終了したあとには人々の万雷の拍手が巻き起こった。
「これがダンジョンというものですか! 生存者たちの生き様に称賛を!」
「大変な思いをされているとわかりましたわ」
「詩音さん、これは人々にとってもとても大事な映像となるでしょう」
人々の称賛の声が自分にも降り注ぐのを聞いて
「それほどでもありませんわ。これでダンジョンの大変さを皆さんに見て頂ければと微力ではございますが手伝わせて頂きました」
自分の映画ではなかったので、文句を言いたい詩音だが、すぐに周りへと照れている様子でしおらしく答える。ここで自分があれほどの苦労をしたのにと文句を言っても意味がない。
「皆さん! ダンジョンの危険さ、そして生存者たちの悲惨な暮らしを見てもらいましたが、寝ちゃっている人はいませんよね? 見ましたよね」
レキがそこで両手をぴょんぴょんと振り上げて周りへと無邪気な笑みで問いかけて
「残念ながらダンジョンは無数に存在して、軍では手が回りません。そこで強力な私のお友だちの出番なんです。生産が嫌で戦いを求める………違いました。この動画を見て自分の力で人々を助けたいという友だちを戦いに復帰させたいのですがどうでしょうか?」
なにをいうのかしらと詩音は戸惑っていたが、その内容に舌打ちを打つ。やられたのだ、レキは、いや恐らくは朝倉遥は戦いを求める量産型超能力者を戦いに戻すつもりなのだ。その根回しに自分は見事に利用されたのだと理解した。
周囲の人々は戦場ではなく、緩いダンジョンギルドならばと話し合っていた。志願制でダンジョンギルドに所属して人々を助けるために奮闘する少女たち。今の動画を見て反対意見は出にくい。生存者のことを考えろと反対すれば言われるかもしれないからだ。
賛成意見が広がるのを見ながら、詩音はレキへと声をかける。
「レキ様、私をダシにしましたね? これでは仕方ないという意見が広がります。なにせこの動画は軍の宣伝ではなく、一般のなんの力もない私が撮影したもの。やらせではないですもの」
「私の友だちは生産業といえば聞こえは良いですが、忙しくてなかなか色々な場所に遊びに行けないので、これで若木シティとかにも遊びに行けるはずです」
「ダンジョンギルドに所属させることが目的なだけではないのですね。レキ様が考えたことなのですか?」
「はい。どうしたらもっと遊びに行けるかと考えたんです。生産業とダンジョンギルドに所属するのを兼業にすればもっと遊べますからね」
ようはダンジョンに攻略に行ったことにすれば自由な時間がもっと生まれるということなのだろう。てへっと小さく舌をだして笑うレキを見て
「レキ様、私たちはきっと良い友だちになれますわ」
どうやらこの少女は見かけとは違うらしいと詩音はニコリと微笑みを向けるのであった。