557話 木野をお世話するメイドさん
冬の寒空の下はとにかく寒い。崩壊前はそこまで寒さを感じなかったように思う。たしかに厚着にしてはいたが、どの建物でも暑いぐらいに暖房が効いており、寒さより暑さに気を付けなければならないと咲は思っていたものだ。
しかし今は違う。寒さで鼻先が赤くなり、吐く息は白く、ともすれば体が震え手がかじかむ。今は亡き那由多代表の考え。時節の変化を感じる一昔前の人付き合いが多かった時代を参考に昔ながらの生活をさせているそうだ。実に余計なことを考えている。正直、働く人のことを考えていないと憤懣やるかたないが、それでもなんとなくこの世界が好きになっているかもしれない。
このアホみたいに寒く今にも雪が降りそうな天気でも、大勢の人が商店街を忙しく行き交う姿を見るとそう考えてしまう。
八百屋の店主と丁々発止で値引き交渉をしているオバサン連中。肉屋にお使いにきてオマケだよとコロッケを貰っている子供。リヤカーで段ボール箱を大量に運んでいる少女。
なんだか変な光景が少し目に入ってきたが気のせいだろう。
眼前の光景は忙しくも生気溢れる人々の暮らしがあった。こんな自分でもそう考えるのだから、正しい政策なのかも。
ほう、と白い息を吐いてなんとなく元気を目の前の光景に分けて貰った感じ。さっき家を出たら木野様に会わせてくれないかと、しつこく絡んでくる人がいてげんなりと疲れてしまったのだ。一介のメイドに木野様と会わせる権限があると思っているのだろうか。………木野様はお客様が来たと伝えてたらホイホイと会うような予感はするが。
気を取り直して買い物を始める。てくてくと商店街に入り買い物をすまさなければ。さぼる時間が少なくなってしまう。
「………こんにちは~」
小さい声音で肉屋へと声をかけると、店主のおっちゃんは笑顔で手をあげて挨拶を返してくれる。
「おっ、柘植ちゃんじゃないか。今日は嬢ちゃんが買い物係かい?」
「はい。それでですね、このリストのやつをください」
私の目つきにも笑顔のままでいる接客に慣れた店主は、小さいメモ書き用紙を手渡すと、ふむふむと頷きこちらを見て尋ねてきた。
「随分と多いね。木野様のお屋敷に配達ってことで良いよね?」
「はい。一人では運べませんし、いつも通りでお願いします」
メモ書きにはかなりの量の牛肉が書いてあった。今夜はお客様がくるのだろう。また木野様は酒を飲むのであろうか? まったく飲まない時もあるので不思議だが、気分屋な人だからなぁ。
「そっかそっか、毎度あり! こんなに買ってもらったらオマケもつけちゃわないとな。柘植ちゃんはなにがいい?」
オマケは使用人たちの口に入るので慎重に選ばなければならない………ということはなく、しっかり者のメイド長はオマケを予想してそれも指示をだされていた。
「えっと、それじゃ、そこの焼き豚を一つ」
指差す先にある紐で括られた焼き豚の塊をお願いする。オマケにしては貰いすぎな微妙な値段だが、頼んだ肉の量は10万マターを軽く超える金額だ。木野様はお客様が来た時はテーブルに食べきれない程の量を並べるのが好きなので、かなりの量を買う。オマケも500マター程度ならポンとだしてくれる。料理をこれでもかと並べるのに、いつも全てをお客様は食べていくので私たちの口に入ることはないのでオマケは重要なのだ。
………なによりメイド長が買い物をすると壮絶な値引き交渉が行われるらしいが、私はまったくしないので。
「あいよっ! 焼き豚ね!」
店主は満面の笑みで焼き豚の塊をポンポンと2個も袋に入れてくれて手渡してくれた。配達とは別にしておかないと木野様の買い物の一覧に入ってしまうからだ。しかし、1000マターでも笑顔でオマケにくれるとはメイド長の値引き交渉はどれだけ大変だったのか………。
向かいにある八百屋さんも既にこちらの様子をチラチラと気にして見ており、私へと焼き豚をオマケだよと肉屋の店主が言った声が聞こえたのか、八百屋へと私が向かうとメモ書きを見せてくれと笑顔で歓迎してくれたのだった。ここのオマケはバナナだったな………。
しばらく商店街を歩き周り、なぜか買った品物の全てを配達でお願いしたのに、私の両手はたくさんの荷物で塞がるといった不思議なことになりながら、えっちらおっちらと帰宅の途につく。
………そんなわけもなく、私は喫茶店へと足を向ける。ホットココアにしようと思ったが、荷物が意外と重く汗をかいてきたので、アイスココアにしておこう。
最近できた喫茶店はなかなか良い店なので、心を期待に膨らませて足を進めようとすると
「買い物は終わりですかな? いやぁ、買い物が終わるまで待っていましたよ」
私の前を塞ぐように、痩身のスーツを着た中年の男性が現れたのであった。さっき屋敷から出たときに絡んできた人だと気づき、相手にわかるようにわざとらしくため息をつく。
が、相手は意にも解さずに作り笑いで話を続けてきた。顔の面は分厚いらしい。
「買い物を終わるまで待っている。太公望が釣りが終わるまで待っていた者と同じですな。今度は私の話を聞いていただけますよね?」
待っていたのは貴方の勝手で私にはそんなことは関係ないと、苛立ちながら答える。
「先程もお答えした通り、一介のメイド如きには木野様とのアポイントメントを取る権限はございません。お引き取りを」
冷たく低い声音を殊更に作り告げると、男は大袈裟にかぶりを振って諦める様子を見せずに話を続ける。こっちの話を全然聞かない人だ。まったく………。
「そうでもないでしょう? 木野様は気さくな人間と専らの噂だ。私はこれでも県議を崩壊前はやっていてね、木野様のお役に必ずたてるはずなんだよ。紹介してくれたら、お礼もするつもりだ」
よくいる人間だ。哀れ、崩壊前の暮らしが忘れられない人間。議員とは崩壊後では一番潰しが効かない人間で………助かったとわかり、以前の生活へと復興しているシティのようすを目の当たりにして、自分も以前の暮らしに戻りたいと考える人間だ。だいたいは救助されて数ヶ月後に、元の暮らしへと戻ろうとするらしい。
私は相手の姿をジロジロと上から下まで眺めて、深く呆れるように息を吐き現実というものを伝えるべくバッサリと言う。
「ほつれがスーツにありますね。ズボンも裾が泥で汚れています。全体的に薄汚い。それにお礼を後で渡す? 普通は金を握らせてお願いしてくるものです。まぁ、それでもアポイントメントは無理なんですけど。最低でも身だしなみをキチンとして、自分には余力があると余裕さを見せないと、才覚があるなんて相手は思いませんよ? 身綺麗にするには当たり前の話です。以上、さようなら」
私にしては長いセリフを相手に告げて、小さく頭を下げて横を通り過ぎようとする。忙しくて過労で倒れるのではと、いつも心配している木野様相手に身の程しらずも程がある。見るからに才覚は無さそうな自分の姿を省みて欲しい。
「ふ、ふざけんな! 小娘にそんなことを言われる筋合いはないぞ!」
お近づきになりたい相手の使用人なのに、顔を真っ赤にして激昂して腕を振り上げて殴ろうとする男を見て、あ~あ、殴られるのかと私はその光景を眺めて思った。ここまで馬鹿な相手だとは考えていなかった。
そうして、私の頬に男性の拳が当たりそうな瞬間
パシッ、とその拳を横合いから伸ばされた手が防ぐ。
「よく思うのだが………。君は口が悪いと言われないか?」
拳を防いでくれた相手。驚くことにそれは木野様であった。苦笑交じりに相変わらずの押しの強そうな整った顔をしており、平然と相手の拳を防いでいた。
相手は誰だと怒鳴ろうとして、相手が誰かすぐに気づき顔を真っ青にする。
「こ、これは木野様! お会いできて光栄です! 今のは手が………なんというか滑りまして………。私の名前は」
「いや、君の名前を聞くと警察へと告げないといけないからね。ここは見逃そう。そして柘植君の言う通りの内容で話す内容もないだろう。さようなら、仕事が欲しければ職業斡旋所までの地図を書いて上げるが?」
視線に威圧を込めながら、口は笑って告げる木野様に相手は肩をガックリと落としてぼそぼそと謝罪の言葉を口にして帰っていく。
………なんなんだ。まるでヒロインを助けるハクバノ王子サマみたいじゃないか。
「………助けて頂きありがとうございます」
顔がなぜか火照って、それを木野様に見られないように俯けてお礼を私は言う。
なんだか木野様がかっこいいじゃないか。
「私は自分の使用人を守る。もちろん当たり前ですが、大樹の国民の皆様。若木シティの人々も守りますよ」
殊更、周りに聞こえるように大声で木野様は私のお礼なんか聞かずに、周りへと笑顔を作ってペラペラと喋りながら自分をアピールしていた。
なんだ、いつも通りの木野様だった。かっこよくなかった。
人気取りに腐心するいつもの木野様であった。政治家が支持率を気にして美談を作り出そうとしているその姿を見て、顔の火照りはスッと消えていた。おい、そこのおばあちゃん。次回の選挙には貴方に入れますじゃないから。そして木野様もありがとうと笑みを浮かべて握手をしているんじゃない。選挙ないでしょ。
「木野様、なんでこんなところにいるんですか? いつもは車のはずなのに」
あの男性は仕込みじゃないだろうなと、若干疑いの表情でジト目を木野様に向けると、意外なことに気まずそうな顔を浮かべてきた。
「一休みをしようと思ってね。すぐそこの喫茶店に行こうと思っていたのだよ」
「………それなら御供します。木野様の守られるメイドなので」
それを聞いて私もついていくと告げる。内心は少し喜んでいたのは気のせいにしておく。もちろん、その言い方では木野様は断れるはずもなく、私は一緒に行けることになった。木野様は私の荷物をまったく持ってくれなかったが。
最近できたばかりの喫茶店。明るい照明にシックな内装。かなり混んでいるが、店舗が広いので空いているテーブル席にすぐに座れた。
「喫茶店ドライたちの憩いの場って、どんな意味があるんでしょうね?」
この店の名前の意味を向かい側に座る木野様へと話のタネと尋ねてみるが、また意外な光景を見ることになる。
店員に手渡されたメニューを難しそうな表情で熱心に読んでいたのだ。イメージではサッとコーヒーをブラックでとか言うと思っていたが。コーヒーの銘柄をなににしようか迷っているのだろうかと考えていたら
「このジャンボデラックスプリンアラモードと、ホットココアを一つ」
目が点になるとはこのことである。え? 私の分を頼んでくれた?
「柘植君も頼みたまえ。私の奢りだ」
メニューを手渡してくるので、驚きながらも私も同じのを頼む。高い値段だが、自分では頼まないデザートだから。
「甘いものがお好きなんですか?」
意外な注文に、小首を傾げて尋ねると、木野様はキョトンとした顔から、ハッとして焦った表情に変わる。
「す、少しな。たまには甘いものが食べたいと思ってね」
「………少しでジャンボデラックスプリンアラモードとココアですか」
私はニヤニヤと笑い木野様を見ると
「秘密だぞ? 私にもイメージがあるんだ。イメージがね」
「わかりました。次からはコーヒーはお止めしますね。ココアにしますので」
「駄目だ。コーヒーにしてくれたまえ。甘いものは………たまに食べるぐらいが良いのだよ」
コホンと咳払いをして、照れながら答える木野様に、私は仕方ないですねとわざとらしくため息をつく。
「それならこの喫茶店にいらっしゃる時は私がこれからは御供しますね。甘いものは私の付き合いということにしておきますので。イメージが大切でいらっしゃるんですよね? イメージが」
仕方ないと憮然とした表情で頷く木野様を見て、やはりこの人は可愛いところがあるなぁと、ニヤニヤと笑いが止まらなかった。
雇われた時から、その頑張りとどこか抜けているところを眺めてきて、私はいつの間にか………。
まぁ、なにはともあれ定期的なデートの約束を柘植咲はゲットしたのであった。
 




