538話 大樹にて那由多に会う
本部は雨が降っていた。黒い雲に空は覆われて、豪雨がスコールのようにザーザーと降り注ぎ、雷が鳴り響く。雷光が閃く中で百地たちは空中艇のハッチから降り立つ。雨が自分たちをびしょ濡れにするだろうと考えていたら、不思議なことに一滴たりとも身体を濡らすことはなかった。
大樹の便利グッズだろうかと、木野へと視線を向ける百地だが、木野も驚いており視線に気づいて首を横に振り否定する。ならば、こんなことができるのは一人しかいない。
タラップを全員が降りてから、後ろを振り向くと全員降りたと思っていた中で一人の幼げな少女だけが艇に残っていた。ふりふりとその小さな人差し指を振っており、その指は淡く光っていたので、この少女の力なのだろうと理解する。
それとともに、タラップを降りようとしない少女へと疑問を百地は口にする。
「………お姫様、艇から降りねぇのか?」
なんとなく予想はついていたが、それでも確認のために尋ねると、少女は寂しそうな笑みを浮かべて答えてきた。
「ええ、私は秘密基地を作らないといけないですし、雨の中で段ボール箱が濡れたら困りますし」
「俺たちは濡れていないようだが?」
百地たちへと降る雨は弾かれて、周囲へと流れていく。よくよく見ると、百地たちの周囲には見えないフィールドが発生しているようであった。
百地の言葉に少女はちょっとその小柄な肩を竦めて静かな瞳を見せてくる。
「本当のところ、那由多代表を貴方たちが問い質す前に殺すようにと言われたら、ためらいなく殺してしまうつもりなので、一緒にはいけないんです。不思議なことに私のバングルは壊れていたので通信はできませんし、今のところ那由多代表と連絡する手段はないんですよね」
光速の攻撃なので、今度は回避することもできませんよと、淡々と無感情に告げてくる少女。俺たちのことを考えて残ってくれるのだ。迷った末にその選択肢を選んでくれたのだろう。那由多代表を信じる少女のギリギリの譲歩であった。
「レキちゃん………。ありがとうね! ちょっと話してくるだけだから大丈夫だよ」
荒須が力こぶを作り明るい声音で声をかけると、フッと薄く笑って少女は頷く。
「そうですね。考えすぎだと思いますので、本部に不正侵入したナナさんたちの言い訳を考えておきますね。段ボール箱で遊んでいたら、荷物と間違われて運ばれてしまったというところでどうでしょうか。次ページへ続く。………これ入れて置かない方がいいよね」
最後のセリフだけはよくわからなかったが、百地は少女の言葉に苦笑を浮かべる。
「俺たちが段ボール箱で遊んでたら、それだけで醜聞だ。それじゃ、またあとでなお姫様」
「そうですね。またあとで。………あぁ、それと那由多代表はなんの力も持たない人間ですと言っておきますね」
ちいさく手を振り艇に残って見送る少女へと皆は力強く頷き、暗雲がたちこめて豪雨で一寸先も見えない中で走り始めるのであった。
朝倉レキを残して、選ばれた者しか住めない天空の大地を。
本部と呼ばれる天空に浮かぶ大地。崩壊前なら映画の見すぎだろと、信じられることはないに違いないその天空の大地を百地たちは地面に溜まっている水たまりを蹴り散らしながら走っていた。
大地の真ん中に位置する統合ビルは少し未来的なビルであり、豪雨の中で薄っすらと見えるが悪の親玉が住むような映画みたいな感じは与えさせない。
「まぁ、そんなもんだろうな………怪しげなのはフィクションの中だけ、か」
ひとりごちる中で百地は周りを見渡して、いつも通りの日常が続いているのだと思う。
レストランの窓越しにはお客が笑顔で料理に舌鼓をうち、服屋に入って行くカップルの女性の方が似合う服を買ってねと男性にお願いをして、雨合羽を着込み、長靴をはいた子供たちが雨の中でも元気に走り回り、こんな豪雨は初めてだねと無邪気な笑顔を浮かべ遊んでいた。
「たしかに物々しい様子はないな。ここで戒厳令などを敷けば、自分に隠していることがあると言っているようなものじゃからな」
水無月の爺さんが百地の言葉を聞いて言ってくる。
「たしかに常識的に考えて当たり前の話だったな」
水無月の爺さんへと頷き返して足を速めようとしたところ
「なら、常識的に考えて車で行かないか?」
木野が疲れてゼーゼーと息を荒げながら言ってくるのであった。
たしかにその通りかもしれないと、映画ではないんだから走る必要もないと車に乗ることにしたのであった。どうやら、車に乗っても大丈夫な様子でもあったので。
車で乗り付けるというしまらない感じを見せて、統合ビルへと入ると、さすがに変な様子が見えた。
「受付がいねぇな。誰もビルにいないのか?」
立派なリノリウムの床には埃も見えなく、オフィスビルとしてどこも掃除されていて綺麗な様子が見える。しかし、ビル内では忙しそうに行き交うビジネスマンも、受付にいるはずの社員も見えない。
数回、ここに来たことはあるが、シーンと静寂だけが空間を占めて、まるで誰もいないように見える統合ビルの様子は訪問した中で初めてだ。
「………いや、ここは必ず誰かがいたと思うのだが………私たちが来たことを知っているのかもしれない」
顎に手をあてて、木野が深刻そうに言うが
「あの那由多代表だ。気づいていないわけが無いだろうな。これだけでも異常が見られるぜ」
「そうねっ! それじゃ、ナナシを探すのと、那由多代表に会いに行くグループで別れる? 私はナナシを探しに行くグループにするわっ!」
当然のことのように提案を口にする光井へと百地はかぶりを振って却下する。
「だめだ。ナナシがどこに拘束されているかわからんしな。全員で社長室に向かうぞ」
ビルだけでもかなりの大きさだ。闇雲に探しても埒が明かないのは間違いない。那由多代表に話を聞いた方が早いだろう。
光井はその言葉に、少し考えたが素直に頷きを返す。百地の言う通りだと考えたのだ。
「仕方ないわねっ! それじゃ、私の婚約者を捕まえた老人をひっぱたきに行くわよっ!」
「いや、ひっぱたくなよ? 那由多代表の話を聞いてからだからな?」
念のために釘を刺しておき、社長室へと誰もいない廊下を進み、エレベーターで移動をする。
エレベーター内で、いつも思うことを百地は言う。
「国家元首が社長室にいる………。たしかにだだっ広いホールみたいな部屋だが、それでも国家元首の働く場所なら社長室は止めた方がいいと思うんだがなぁ」
「企業国家ですとアピールもしているのでしょうが、たしかに趣のある建物が欲しいところですな。若木シティの議事堂の方が国会議事堂に見えてしまいますからな」
風来が緊張している表情を浮かべながらも軽口を言うので、苦笑交じりに頷く。体面を考えたら、誰もが大国だと感じ入るような建物が必要だと思うのだが。国会議事堂しかり、ホワイトハウスしかり。
「不便な場所に思えるんじゃないですか? こういうビルの方が歩かないですみますし、機能的だと考えているんだと思いますよ?」
荒須の言葉は納得する内容だ。合理的に動く本部の人々のスタイルもこのビルだけで表していた。
「さて、そろそろ最上階だ。………那由多代表の話を聞こうじゃねぇか」
エレベーターの階層を示すランプが最上階へと移動する。
そうして、エレベーターはチンと軽い音色をたててドアはゆっくりと開く。いよいよ那由多代表との対面である。
エレベーターを出て、社長室と書かれた扉をゆっくりと開く、
そうして、ホールのような社長室にて、窓ガラスの傍に立っている老人がいた。いないのではないかと多少懸念があったがいてくれたらしい。
ピシャンと雷光が閃き、那由多代表を照り返す。
「どうも那由多代表。アポイントメントをとらずに訪問してすいません」
「あぁ、気にしないでくれたまえ。今日はビル内の全員が有給休暇をとっていてね。暇だったのだよ」
雷鳴轟く中で、那由多代表はゆっくりと振りかえり、こちらへと薄っすらと笑みを浮かべて言うのであった。
那由多代表。相変わらずの鋭い刃のような眼光に鷲鼻と自信に満ちた口元の笑み。威厳の塊である顔つきだ。誰もがその姿を見たら、どこかの偉い人だと思うに違いない。
油断なく身構えて周りを確認しつつ那由多代表を見ながら百地は口を開く。
「実はナナシの奴についておかしな話を聞きましてね。あいつが拘束されたという馬鹿馬鹿しい噂です。あの用心深い男なら犯罪を犯していても、証拠すら残さない性格なのにです」
百地の言葉に那由多代表は軽く頷き、クックと笑う。
「ナナシ君の性格を表すには酷い言い分だが、たしかにその通りだ。彼は用心深いし………、切れ者だ。君の言う通りに滅多なことでは隙は見せない」
「ならナナシの奴が拘束されているのはデマですか?」
その場合は本部に侵入した俺らはまずいことになるが、那由多代表はあっさりと答えてきた。
「うむ、彼は知られたら極めて社会的不安の原因となるだろうことを知ってしまってね。なので説得をするべく拘束させてもらった。まさか、もう一人この話を知っている者がいたとは聞いていなかったがね」
五野へと視線をちらりと向けて那由多代表は言うが
「社会的不安とは言い得て妙ですな。貴方の醜聞は大樹にとってまずいことですからな」
皮肉めいて言う百地の言葉に表情を変えることもせずに、平然と動揺もせずに重々しい口調で返す。
「そう思うかね? 私もそう思う。だが………彼の唯一の欠点が、その判断を狂わせてしまったらしくてね。私の説得を聞いてくれなかったのだよ。私としても苦渋の判断だった」
「神様と裏で繋がり、人々を操っていたという話ですかな? 貴方の作った大樹は神によるひも付きであった話ですか?」
ナナシの奴が説得を受け入れなかったと飄々と言う那由多に核心を問い質す。第三者が聞いたら、頭を疑われてしまう話だ。
軽く笑われて、鼻であしらわれるだろうと予想していたが、那由多代表は真剣な表情を崩さずに、反対に問いかけてきた。
「神が後ろにいたらどうだと言うのかね? なにか君たちに困ることがあったのかな?」
周囲の反論を許さないような鋭い口調での那由多代表の言葉に、皆が緊張を見せる。
「私は困るわねっ! 結婚が近いのだもの!」
まったく怯まずに怒鳴る光井。さすがの胆力だと舌を巻く中で
「それなら君からも説得をしてくれないかね? 彼はこの事実を黙っていることはできないと言うのだよ。説得を受け入れていれてもらえたら、彼は解放しようじゃないか」
那由多代表は光井へと説得を受け入れるように伝えるが、彼女は胸を張って得意げに言う。
「それはだめね! ナナシは意地悪で腹黒い狡猾な人だけど、人々を助けることが普通だと考えている優しい人だもの! 説得を受け入れない理由があるなら、それは正しいことなんだわ!」
言い切るその力強い言葉に那由多代表は僅かに驚いたのか、僅かに目を見開きそのあとで嘆息してかぶりを振る。
「随分とナナシ君の性格を見抜いているな。だが、その通りなのだろう」
そうして、那由多代表は遠い目をして、ゆっくりと語り始めた。
「昔話をしようか。私がまだ若く無謀なそれでいて無知であった頃の話だ。多少長くなるが聞いてもらおうか」
寂しげな様子を見せながら。




