525話 八百万の神々とおっさん少女
日の優しい光が窓から差し込んでいた。その部屋は殺風景な内装で、椅子とテーブルが一脚ずつ置いてあり、周りには何もなく机には一冊の分厚い古そうなそれでいて、不可思議なる力を漂わせる本がおいてあるのみ。
椅子には一人の老人が座っている。腰まで伸ばした白い髭、皺だらけであるが弱々しい感じはせずに、叡智を感じさせた。深い藍色のローブを着込み、机には節くれだった杖が立て掛けてある。その瞳は閉じており椅子に凭れかかって、太陽の光の下、寝ているようにも見えた。
だが、腕を組み目を閉じていた老人はなにかを感じたのか、その英知の光を持つ瞳をゆっくりと開き、威厳を感じる声音で呟く。
「来たか」
その呟きを拾う者はいないと思われたが、部屋の隅っこで本を見ながら唸って座っていた狐耳の少女が聞きつけて尋ねてくる。
「なにが来たんですか、師よ?」
キリッとした目を向けて尋ねる少女の問いかけは、しかして返ってくることはなく、ただ独りごちる老人。
「前とは比べ物にならない力になっているな……。それに二つの別の力も感じる……。クク、ようやく姿を現したというわけか。今まで隠れ潜んでいたニ柱が出てきたということは完成は近いというわけか」
「師よ、いったいなにが来たんですか?」
問いかけが返ってこないので、めげずに話しかける狐耳と狐の尻尾をもつ少女、夕月陽子。
「奴ら神族の考えなど常に一つ。しかもこの気配は感じたことがない。始原の力を感じるということは……。しかもやり方が今までとはまったく違う。想像よりもあの小さき女神は過酷な道を歩んでいたようだな。どれだけの贄を喰らってきたらあれだけの力を持てるというのか……」
口元を引き締めて、老人は家の壁を睨むが、壁を見ているわけではないのは、遠くを見ている目つきから明らかだ。
無視された陽子はその呟きに小さき女神という名称を聞いて、誰が来たのかを悟って、ゴクリと息を飲み込む。
「儂を放置していたのは、小さき女神の贄とするつもりなのだな。相変わらず神族とは狡猾なものだ。悪魔などとは比べ物にならないな」
その眼に強い力を灯し、老人は立て掛けてあった杖を握る。
「だが、竜が神を喰らうこともある。神族の思い通りにはならないと、竜王ファフニールの名が伊達ではないと教えてやるわ」
竜王ファフニール、今は魔法使いファフとして人の身に変幻してはいるが、自らが最強であると信じているのだ。
「馬鹿弟子よ」
突如として呼ばれた陽子は、バネ仕掛けの玩具のように勢い良く立ち上がり師を見つめる。
「はい、なんでしょうか師よ! 私にできることならなんでも仰ってください!」
師は自身に魔法の力をくれた恩人だ。なにを命じられても、自身の全力をもって行うと陽子は誓っているのだ。
が、師の口からは想像することもなかった言葉が出てきた。
「貴様の世話はここまでだ。小さき女神とのこの後の戦いで、この地は消滅してもおかしくない。そこらに住んでいる阿呆たちと共に人の地へと帰れ」
陽子はその言葉に耳を疑う。師の言葉らしからぬ優しい言葉であったからだ。
そしてこの先の戦いに手伝えることはないと言われたも同然の言葉に、顔を真っ赤にしてなにかできることはないか、言い募ろうとする。
「師よ! 私は弟子です! なんでも言ってくださ」
「空の下、既にその身はいずれにもあらん」
ファフは小さく言葉を吐く。力あるその魔法の言葉にて陽子の姿は掻き消えて部屋からいなくなる。周りの人間たちも同じように掻き消えているだろう。
ファフは白い髭を扱きながら、苦笑を浮かべて呟く。
「弟子であれば、無駄に死なす訳にもいくまいて。……まぁ、これぐらいは気まぐれだ」
椅子に深く凭れかかって、目を閉じ集中する。
「あの神たちでは数は多くとも相手にはなるまい。さて、戦いの時は迫る、か……。贄とすると二柱は儂との戦いに加わることもするまいて。なれば、儂と小さき女神、どちらが生き残るか……」
そうして、ファフはこの先での戦いに備えるのであった。激戦とはなるだろうが、必ず自分が生き残ると決意して。
陽子は師へとなにか役に立たないか、身を乗り出して聞こうとして、目の前の様子が切り替わったことに驚く。
「うぉっ! なんだなんだ? こいつらなんなんだ?」
聞き覚えのある声が耳に入る。驚きの声をあげるのは犬耳と犬の尻尾をつけた大上瑠奈。こちらをぽかんと口を開けて見てきていた。
どうやら組手の最中であったのか、金髪のおさげの少女と戦っていたみたいで拳を掲げて身構えていた。
「な、なんだ?」
「ここはどこだ?」
「え? なにこれ?」
周りには陽子が助けてきた生存者たちの集団もいて、戸惑いざわめいている。
「なんだ、陽子じゃないか。どうやってここに来たんだ?」
陽子に気づいて瑠奈が話しかけてくるが、陽子はそれどころではない。瑠奈へと近寄り肩を掴み、焦って尋ねる。
「こ、ここはどこだ? 瑠奈、ここはどこなんだ?」
その鬼気迫る様子に、瑠奈は怯みながらも返答してくれる。なにを言っているのかと言う感じで。
「ここは接木シティの訓練場だぜ。何言ってるんだよ、陽子?」
コテンと首を傾げて不思議そうにする瑠奈であったが、陽子はその問いかけが耳に入らなかった。ガクリと膝を地面につけて慟哭して叫ぶ。
「うぅ……なぜなんです師よ! 師よ〜!」
いきなり現れて、いきなり悲しむ陽子の姿に、アワアワと瑠奈が慌てるが、陽子が泣き止むことはなかったのであった。
神域。立派な社が地平線まで続くかといわんばかりの神秘的な場所。その上空には空を埋めるほどの古風な服装の老若男女が飛んでいる。
空も見えない程のその数は、三点の地点へと群がっている。うようよと集まり、その地点へと雄叫びをあげて襲いかかっていた。
三点は即ち朝倉レキとそのメイドズのサクヤとナインだ。
「馬鹿め! 我らは一柱一柱が神なのだぞ! 一柱でも貴様らを倒すのは簡単であるのに、それが800万! 貴様たちでは抗うこともできないであろう!」
800万の同族が神罰だと襲いかかっている中で、間合いをとって得意げに告げてくるのは、漆黒でできているかのような男。ツクヨミである。天照大神が滅せられたことに怒気を放ち、無謀なる三人へと叫んでいた。
その声だけは聞こえてくるが、埋め尽くす神たちにその姿は見えないレキは、眠そうな目で平静な声音で呟く。
「一柱ですか、なるほど、それなら柱らしく叩き折っていけば良いんですね。マッチ棒みたいな柱ですので楽々です」
襲い来る神と称する者たちはその言葉を聞いて、さらに激昂して剣や鎚、斧や鉾槍を振りかざしながら迫り来るが、レキは微かに拳を動かすだけである。
「フハハ、今頃恐怖に襲われたか」
「愚かなり!」
「多少力を持っているからと調子にのりおって!」
迫り来る神たちは、恐怖で震えたのかと思い嘲笑うが、次の瞬間吹き飛び砕け散る。しかも一体ではない。レキにもっとも近い数千体が光の粒子へと一気に変わっていったのだ。
まさしくマッチ棒のごとく、神器であるそれぞれの武器も合わせて打ち砕かれたのである。
レキは冷たくその様子を見て
「やっぱりマッチ棒でしたね。私の拳速を見ることも感じることもできないでいるとは」
そう呟いて、再び拳を振るう。周りの神たちは一回振るうごとに数千体が倒されていくのを見て呆然としてしまう。まさかこれほどの力の差があるとは予想だにしなかったのだ。
「あの者は本当に神もどきの人間なのか?」
「あんなに圧倒的な力を持っているのか?」
「我は他の二人を倒しに行こうっと」
レキの圧倒的な力。たしかに強いとは予想していた。竜と戦える程の者だと。しかしながら、予想以上どころではない。既に想像の埒外にこの者は立っていると理解をしてしまったために、恐れ怯み、他の二人を倒しにいこうと逃げようとする。
だが、選択肢はないのだと神たちは気づいていなかった。
哀れなことに。
あの少女は駄目だと、触れてはならぬと戦う相手を変えようと金髪の少女へと向かおうとする神たちだが、そこにある光景に顔を引き攣らせる。
「お、同じではないか。いや、それ以上か?」
神が唖然とするのも当然であり、ナインはレキと同じように珍しく戦っていた。ブレる身体から金の線が飛び交うと、周りにいた神たちはバラバラになって落ちていく。
しかもこちらは数万体が金の線が閃くごとに斬り裂かれて粒子となっていく。
辺りは粒子が煌き、蛍のように周囲へと飛び散っていく。容赦のないナインの拳撃である。しかもおててを揃えて手刀と化し、その威力を本物の剣以上にみせながら。
「レキさん。貴女の力はその程度なのでしょうか」
その動きが見える者にとっては、舞を舞うように美しく踊って、金髪が翻って金の線に見えただろう。
そしてナインは見えぬ速度で攻撃されて、抵抗もできない神たちをその鋭い手刀で斬り裂きながら、レキを煽る。
むぅ、とレキは口を尖らせて、可愛らしいプニプニほっぺを不満で膨らましながら、さらにその動きを早くしていく。
「ちょっと動きが速いからと言ってくれますね。私はまだまだ本気を出していませんから」
負けず嫌いなレキである。ナインの言葉に反応して数万体を倒すレベルに自分の速度のギアをあげていく。
「それでこそです。私を落胆させないでくださいね」
レキの様子にクスリと可憐なる微笑みを見せてナインも敵を倒していくのであった。
ツクヨミはあっという間に減っていく同族を見て、恐怖の表情を顔に浮かべていた。
「同族といえど、同じ力ではない。戦いの神もいれば、小さな力しか持たない弱々しい者もいるのだぞ? そ、それが変わらず皆同じように一撃で倒されていくのか? ありえん、これは夢なのか?」
対抗できない。力に満ちた我らが同族が簡単にやられていく。力の差に関係なく。
まるで力の差などないように。アリの中で力の差があっても、人間には関係ないように。簡単に踏み潰されていく。
「まぁまぁ、気にすることはないのでは? 高々力自慢の似非神ではこの程度です。どちらにしても潰しておく予定でしたし、このまま消えてくださいね」
後ろからかかる声にギクリとツクヨミは身体を強張らせる。最後の一人はどこにいるのかと、先程までいたはずの地点へと視線を向けるが、そこには他の二人よりは弱いが、数百体を倒していく銀髪の少女が見えた。
ならば、後ろから声をかけてきた者は誰かと恐る恐る疑問に思い振り向く。
いや、振り向くと同時にツクヨミは手のひらから超常の力を放つ。
「神技 月凍死滅!」
神ゆえにカラクリがあると理解したツクヨミの手のひらから放たれたのは氷の光線。しかも、周囲をその威力で凍らせて死の世界へと変える一撃だ。
周囲に氷の粒が飛散して、吐く息も白くなり氷の世界へと変わっていくのを見て、素早くツクヨミはもう一撃放つ。
「神技 喰われの月蝕!」
氷が黒く染まり、周囲の空間が歪み掻き消えていく。ツクヨミの連技、氷の世界へと変えたあとに、その世界の氷を黒き月の力に変換し喰ってしまう必殺の技だ。
「やったか!」
ツクヨミは両手を握りしめ、黒き闇の空間となった後方を見て叫ぶ。
が、からかうように、氷の世界よりも凍えた声が闇の空間から聞こえてくる。
「やったか、なんて、素晴らしいテンプレをありがとうございました。黒き闇の空間にて、お返ししてあげましょう」
その言葉が聞こえた瞬間にツクヨミはあっという間にその身体が黒く染まり空間へと喰われるように消えていき、断末魔の声も出せなかった。
そうして、冷酷なる笑みを見せて、傷ひとつ、埃ひとつついていないサクヤがツクヨミの放った黒き空間を消して出てくる。
「雑魚すぎてクエストも発行できませんでした。さて、ご主人様、次の竜王との戦い。観戦させていただきます」
チロリと口を妖しく舌で舐めて言う。
「その力が本物であれば……。ご主人様との戦いも近いですね」
妖しく笑い、サクヤは壊滅していく八百万の神々とやらを眺めるのであった。
「私はこの空間にいたらおかしいのかな? なんかアホなことも言えないよ」
シリアスな雰囲気に愚痴を吐くおっさんがいたが、どうでも良いことであろう。




