50話 学校暮らしの弓道部員
バリケードで塞いだ窓から、光が僅かに差し込んでくる。その光で朝が来たんだと、冷たい床から織田 椎菜は疲れた体を起き上がらせて起床した。
特に起きてもやることは無い。周りには皆が疲れた感じで寝ている。泥だらけで、ところどころ血もこびりついている床に生徒は皆寝ているのだ。冷たい床なので、疲れなんて取れない。ジャージや上着を床に敷いてなんとか寝ているのだ。
「起きたの?」
椎菜が起きたことで、隣の友人も起きてしまったのだろう。ゆっくりと体を起こしてきた。
避難する前ならば、お風呂に入りなよといじめが発生するほど、友人は汚れている。水なんて貴重すぎて体を拭くことに使うこともできない。自分も同じだろうと私は思う。
「うん。なんか起きちゃった」
やることもないのにねと呟いて椎菜はまたごろりと床に寝っ転がった。
「いつ助けが来るんだろうね?」
小声で、もう助けなんてこないことはわかっているんだろうに、友人は私に聞いてきた。
「たぶん、もうすぐだよ。そろそろ救助隊が編成されているんじゃないかな?」
周りの人たちを起こさないように、ぼそぼそと小声で話す。自分だって助けがこないことなんてわかっている。でも、それを否定することは死と同じだろうと、生きあがいているのだ。
「帰ったら、クレープでも食べたいよね」
毎日1食しか食べられなくて、お腹はいつもくぅくぅ鳴っている。最初は3食食べていたが、助けがこなさそうだと感じてからは1食ずつにしている。皆で決めたのだ。助けが来るまで節約しようと。来ないとわかっているのに、餓死するのが怖くて節約しようとしているのはわかっていたが、希望となる建前は必要であった。
友人はしばらくゴロゴロしていたが、またすぅすぅと寝始めた。やることもないし、お腹もすいている。体力も落ちている。そして絶望しかないのだ。そろそろ段ボール箱の食料も尽きる。寝るしかないのだろう。
椎菜はなんでこんなことになったんだろうと、避難当時を思い出していた。
織田 椎菜は弓道部である。建てられて数年の新築の学校。ぴかぴかの校舎に有名デザイナーがデザインした可愛い制服。一生懸命に勉強をしてようやく入学した椎菜。部の勧誘で興味が出た弓道部に入った。珍しく弓道部がある学校なのである。弓道着で弓をぎりぎりと絞りかっこよく射ってみたいという単純な理由で入ったのだ。
弓道は道具にお金もかかるし、実際にやってみたらすごい難しかったが楽しかった。充実感もあり友人もできて楽しい学生生活をしていた。
連休も最初の日だけは練習ねと部長が言って、皆が、えー!と悲鳴を上げたがそれでも、その日は皆集まって練習していた時だった。
ぎゃーという何か恐ろしい悲鳴が聞こえたのだ。なんだろう? と皆が不安がって、不審者かな? と部室の外をみてみたところ、誰かが襲われていた。襲われて倒されて噛みつかれていた。倒した人は白目で明らかに正気ではないとすぐにわかった。
それから避難が始まったのだと。ぼんやり思い出していた椎菜であった。
周りで寝ている人たちを見る。他にも練習のために生徒は多数いたのだ。異常な状態であった。周りの人々が襲われていて、誰かがゾンビだ! と映画のようなことを言っていた。食堂に大急ぎに立て籠もりバリケードを築いた。
みんな子供だったのだ。ゾンビだ、ゾンビだと言いながらも、恐怖ではなく何かイベントに参加している感じで、少し笑いながらバリケードを築いていった。これ、後で取り除くの大変だね、とすぐにこの状況が治まると信じて。
だが、最初は聞こえていたパトカーの音も聞こえなくなり、救急車の鳴らすサイレンが収まって数日経過したところで、皆助けが来ないのではと不安がってきた。それまではワイワイと窓を叩くゾンビを見て怖がりながら楽しんでいたのだ。映画の見過ぎで皆慣れすぎていたのだろうか。恐怖の悲鳴を上げていたのはほんの数人だった。
だって現実なのだ。こんなことが起きれば自衛隊や警官が絶対に助けに来てくれると信じていたのだ。でも、それは幻想であり映画通りの展開になってきたと皆は感じていた。すなわち助けは来なく自分たちは全滅するであろうビジョンである。ホラー映画おきまりのバッドエンディングだ。
生徒会長が皆を指揮して取り敢えず外の様子を見てみよう。学校を確保しようと言い始めた。志願制で探索しよう。志願者は手を挙げてくれと言い始めた。
勿論、椎菜は手を挙げなかった。周りでは剣道部や柔道部の男子が手を挙げていた。体育教師の先生は一生懸命止めていたが、現状を打破しないとと生徒会長が説得して無理やり学校内に探索に行ったのだ。
教師は保健の先生を残して、部の顧問だった先生達と体育系の男子たちで探索に向かっていった。
その後はガラガラという防火シャッターを閉める音とバタバタと段ボール箱を男子たちは持ってきた。その時には電気も水も使えなくなっていたので皆喝采したものだ。どうやらゾンビたちに出会わなかったらしい。慎重に行動したと威張って生徒会長は周りに話していた。
2回目も3回目もうまくいき、バリケードを各所に築いて学校の確保ができたと誰もが思っていた時に、またゾンビが襲い掛かってきたのだ。
どこかに行っていたゾンビが戻ってきたのだった。
映画のようにはいかなかった。剣道部がかっこうよく鉄の棒でゾンビをなぎ倒したり、おりゃぁと柔道部がバッタバッタとゾンビを投げていく。弓道部がそんな皆を弓を撃ちながら援護して、科学部が怪しい薬でゾンビを翻弄し生徒たちは勝利するのだ。
でもそんな展開には現実ではならなかった。
腰が引けてモップをゾンビにつつこうとする剣道部。柔道部は噛まれるのを恐れて逃げまくる。弓道部はそもそも逃げる際に弓なんて持ってこなかった。たとえ持ってきてても弓を弾く姿勢から練習をしている弓道部が援護のために撃てるわけがない。科学部なんて休みに学校にはいなかった。いても役には立たないだろう。怪しげな薬なんて作れるのは漫画や小説の中だけだ。
そうしてみんながゾンビに襲われてパニックになった。先生たちは生徒を守ろうとして最初にやられていった。残ったのはなんとかゾンビを追い払うことができた体育の先生だけで、慌てて最初に立て籠もっていた食堂に逃げ隠れるのだった。
そうして1週間はすぎたのだろうか? 空気が重くなった感じがした。そして不思議なことに外をうろついていたゾンビを全く見なくなった。
数日観察していたが、ゾンビがいなくなったと皆は思った。なんだか空気が重い感じがしてきたが疲れているのだ。気のせいだろうと考えた。
生徒会長がまた周りに提案した。チャンスだと、誰か足の速い人が外に助けを求めることができると。
椎菜は周りにゾンビもいないけど人も見ないので助けを呼ぶなんて無謀だと思っていた。でも最初の学校の確保をしたという成功を持ち出して皆を説得したのだった。確保は失敗したのに、最初は成功していたと言い張ったのだ。
あぁ、この生徒会長は映画でよく見るコミュニティを崩壊させる真面目な人なんではなかろうかと私は思った。
普段では頼りになっていた生徒会長なのだろう。周りの数人が賛成をし始めた。体育の先生は反対をしていたが、陸上部で一番足が速いからと、普段ならばかっこいいと思うだろう二枚目の男子が立候補して、そろりそろりとバリケードの隙間から食堂を出て、外に助けを求めに走っていった。
皆、かたずを飲んで食堂のバリケードの隙間から男子を見ていた。助けがくるだろうかと一縷の希望を持って。
正門前でその希望はあっさりと散った。突如、何もない空間から魚の化け物が出てきて、陸上部の男子に頭から噛り付いた。尖った口を大きく開けて、ガリゴリと嫌な音がした。男子は悲鳴を上げたが、すぐに聞こえなくなった。魚の化け物が数匹死んだ男子の周りに出現して、貪り食うのを見て、もう皆は外にでるという選択肢をなくしていた。
それから何日たったのであろうか? もう誰からも話し声もあんまり聞かなくなった。後は餓死するか、その前に外に出て魚の化け物に食べられるだけだろうと私は考えていた。
後何日生きられるのかなぁと悲しくなってきた私は、友人のように寝ようと考えて寝そべろうとした時だった。
ドドドドドドドドドとなんだかすごい音がした。久しぶりに聞く機械の音であった。
皆がその音を聞いて窓に駆け寄る。勿論私も駆け込む。何かが起こっているのだ。
そっと外を見てみると、軍用のトラックだろうか? 見たこともない大きなトラック。なんだか装甲がガシガシとついており、機銃が備えられている。
周りには兵隊さんがいて、魚の化け物と戦っていた。
「助けが来たぞ! 多分自衛隊だ!」
体育の先生が叫んだ。確かに兵隊さんの装備は統一されている。着ている服も警官の服に自衛隊の服装だ。助けがきたのだ! 私は歓喜する。なんだか兵隊さんの中に一人だけ少女がいるのが浮いているのが気になったが。
「違う! あいつらは俺たちの物資を取りにきたやつらだ! 強盗だ!」
生徒会長が叫んで皆に言う。
物資を取りに来た? もうほとんど食料が入っていた段ボール箱は空だ。強盗? 統一された装備に身を包んでいる整然と慌てずに戦っている人たちが? もうこの生徒会長は精神を壊しているのでは? 殴ってやろうかと私は怒りを覚える。
「助けを求めに行ってくる!」
体育の先生が外に出ようとする。しかし生徒会長の馬鹿がそれを押しとどめる。もう馬鹿でいいやと私は考えた。
「銃をもっているんですよ? こんなシチュエーションではあいつらは強盗に決まっている! 映画でよくある軍隊崩れのやつらだ!」
私はそれを聞いて、もう一度外の兵隊さんを観察する。制服は警官と自衛隊の混合だ。だが、みんな血色がよさそうな顔をしており身だしなみもしっかりとして汚い感じもしない。軍隊崩れには見えない。
気づいたら、私は生徒会長の馬鹿の背中を思い切り蹴っ飛ばしていた。ゴロゴロと転がっていく生徒会長。周りはそれを見て戸惑う。
「これは本当のチャンスだよ! 先生、助けを求めにお願いします!」
命がかかっているのに、卑怯だがそれでも私は怖くて体育の先生に頼ってしまった。
「よし! すぐに助けを連れてくる!」
力強くうなずき、体育の先生は走って出ていった。
そのすぐ後に生徒会長が立ち上がってこちらに叫んできた。
「やつらが軍隊崩れで、僕らの物資を狙っていたらどうするんだ? もう僕たちは終わりだぞ!」
目も多少血走っている。私は冷静に、あぁ、この人は馬鹿なんだと言い返した。
「物資? もう数日持つかもわからない物資? 取るものなんて、もう命しかないですよ! それも汚い恰好で体臭も近寄りがたい臭さの私たちの命ですよ!」
ぐぬぬと言い返すことなく、引き下がった生徒会長の馬鹿だった。それでも体育の先生が帰ってきたら、今度は体育の先生に絡んでいく。
私は体育の先生と一緒きた少女を、生徒会長の馬鹿を放置して見ていた。
なんだろう、この子は? 兵隊さんに助けられた子かな?と思う。
でも、なんだか変だ。ショートカットの黒髪黒目で眠たそうな目をしている庇護が必要な子猫を思わせる小柄な少女であった。
なんだか、アニメとかで出てきそうな各所が装甲に覆われている服を着ている。どこかのコスプレかな? どうしてここにいるんだろう? と混乱する。
そうこうしているうちに、その少女は外の兵隊さんに場所を教えている。続いて食堂の壁をトラックが突撃して破壊して入ってきた。
「負傷者や病人はトラックに乗せていく! あとは歩け!」
厳しく怒鳴る兵隊さん。どこかの映画の鬼軍曹みたいなお爺さんだ。ゲームでよく見る大きなガトリングを軽そうに持っている。
急いで私たちは脱出した。こんな機会は二度とない!
逃げるさなかで、何やらおかしな少女と鬼軍曹なお爺さんが話している。
すぐに、お爺さんはこちらにきて、撤退だ! ついてこい! と叫び始めた。
それを少女は校庭の真ん中にポツンと残ってみている。逃げるそぶりがない。
焦った私は隣でアサルトライフルをガンガン撃ち続けていた女警官に話しかける。
「あの、あの子が残っています! 早く連れてこないと!」
なんで、あの子は逃げないのだろうと不思議に思いながら校庭の真ん中にいる少女を指さして問いかける。
ん? と女警官はそれをみて、お爺さんに問いかけるように顔を向けた。
「お姫様はイカサマ師の大本がくるので、倒してからくるそうだ! 俺たちは子供たちを守りながら撤退だ!」
叫んで答えてくる。イカサマ師? なにそれと私が困惑していると、うんうんと女警官が分かった感じで頷いて、こちらに答えてくれた。
「あぁ、レキちゃんは大丈夫。危ないのは、多分こっちだから。はぐれないように気を付けてね」
人懐っこい表情の笑顔でそう伝えてきた。随分あの少女を信頼しているらしい。
困惑しながら、少女が気になり、後ろをちょいちょい振り向きながら、兵隊さんと一緒に移動する。
曲がり角を何度も曲がって少女が見えなくなったところで、空中にサメが出現した。多分、校庭のすぐそばである。
「あの、サメが! いえ、サメなんですが空を飛んでいて!」
自分でも混乱するような言い方で、サメが現れた空中を指さして女警官に話しかける。
「あぁ、大丈夫大丈夫」
気軽に答えて、女警官はまた戦闘に戻っていく。
あの少女が危ないと、この女警官は頼りにならないと、周りにこのことを言おうと考えた私だったが、すぐに驚愕した。
空から地上に降りようとしていたのだろうか? サメが地上へと突撃をしていって、そのまま体が歪んで砕けていった。
ぽかんとしてしまった。何が起こったのだろう。
何とか気を取り直して、あの少女は大丈夫だったのだろうかと心配しながら移動すると、空気が軽くなる感じがした。
なんだか、水中から外に出たような軽さであった。
周りのみんなも空気が変わったためにきょろきょろしていた。そして魚の化け物が出なくなった。
銃声がやみ、危険な場所を通り抜けたのがわかった。安心した私の横で移動していたトラックにトンと軽い着地音がして少女が降りてきた。
え? どこからきたの? なにこれ? と私がいよいよ頭がおかしくなったかと思っているうちに、隣の女警官が出迎えの挨拶をしている。
「お帰りなさい。レキちゃん。大丈夫だった? こっちも大丈夫だったよ」
ニコニコ笑顔で女警官は少女に話しかけている。こちらも大丈夫でしたと少女が答えるのを聞いて、私も挨拶をした。
「えと、お帰りなさい?」
若干戸惑った感じで話しかけてしまった。
声をかけられると思っていなかったのであろう。キョトンとした表情をしたその後にうっすらと微笑んで
「ただいまです」
と答えてくれたのだった。
その後新市庁舎の拠点に保護されて、私たちは生き残った。
「美味しいね。美味しいね!」
と泣きながら友人は食べたかったと言っていたクレープを口にほおばっている。
なんで、クレープがあるんだろう、と友人を見ながら、ぼんやりと不思議な少女のことを考えて、
今度お話しして友人になれたらいいなと私は思うのだった。