455話 那由多と総理
空は青く澄み渡っており、真夏なのに不思議とそこまでは暑くない。この空飛ぶ大地がなにかしかのバリアでも張っているのだろうか。
………バリアを想像するとは、私もあり得ないと思われた科学力を目の当たりにして、随分毒されたものだと苦笑して独りごちる。
空を見ていた顔を下ろすと、目の前には先程思った驚愕の風景があった。
後ろを見ると、眼下には海が広がり、自分の立つ場所は空に浮かぶ島にある。
「非現実的だと感想を言っても良いかな、百地さん」
「あ〜……そうですな。俺も、いえ、私もこの場所に対してはその感想しか言えませんね」
隣に歩く強面の老人へと話しかけると、敬語が苦手なのか、それとも私の肩書を気にしているのか、多少口籠る。
以前の私ならたしかに多少は地位としてみると偉かったと思われるかもしれない。気持ちはわかるし、未だに敬意を払ってくれるその態度が純粋に嬉しい。が、その対応が今の私には心苦しい。
「百地さん、先達の知識として忠告を。お聞きした話では貴方は日本地区の総督のような立場でしょう? 私は今や最後となるだろう総理だ。お互いの立場を考えますと、私相手には対等以上のお付き合いがよろしいかと。そうしなければ、政治の世界では致命的になることもあります」
「はぁ、たしかに仰るとおりではありますが、俺は……。ああっと、俺はといつも自分のことを言っていまして」
「良いのでは? 百地さんのいつもの口調の方が周りは安心するでしょう。私に気を遣って口調を変えていたら、大樹本部に痛くもない腹を探られるでしょうから」
「はぁ、そういうもんですか? 政治の世界というやつですか」
百地さんの危機感のないキョトンとした表情を見て、私は苦笑しながら頷く。世界が崩壊しても政治の世界が魑魅魍魎な世界なのは変わらないだろう。しかも復興どころか……。
「空中に浮く島、ですか。いかにも選ばれた者たちが住むような場所ですな」
大樹本部、この先の日本の在り方を話し合うために訪問したが、まさか空に浮いているとは思わなかった。思いもしなかった、当たり前だ、どこの誰が空中島に本部があると予想できるのだろうか。
澄み切った青空の下にある空中島。緑と都市が景観などに注意しており絶妙な配置となって美しい。統合ビルが奥に見えて、街には公園が多く設置されており、少し離れた場所には平原と森林があり、多くの人々が余裕ある表情で歩いていた。
自分たちが降り立った島端の港には多くの空中艇が停泊しており、ドローンを使いながら荷卸をしている作業員の姿も見える。
「まぁ、リゾート地のようでありますからな」
百地さんが同意して頷く。エリートのみが住む場所、しかしこれを崩壊前に事前に用意していたとは信じられない……。よく他の国々からの目から逃れていたものだ。いや、実は各国の重鎮は既に世界が崩壊することを知っていて、避難場所としていたのでは。
この街を歩けば、他国の知り合いに会うこともあるかもしれない、その場合は日本だけ仲間はずれだったわけだが。
「政治家というのは難しいもんですな。俺はがむしゃらに生存者たちを救ってきただけでして。総理ならばこの先の」
「おっと、それは言わぬが花でしょう。貴方の功績が認められて、その立場にいらっしゃる。功績が信用を勝ち取り、信頼が仕事をする手助けとなります。私たちはのんびりとやっていきますよ」
手を突き出して、百地さんの言葉を制止する。確かにこの男は見る限り政治家ではなく軍人だ。だが、それでも日本地区を上手く治めているのならば、私の出る幕はない。……いや、政治家としての助言ぐらいはできるとは思う。日本地区を本部の好き勝手にさせないように。相手は海千山千の政治家であろうから。
真夏にしては春のような爽やかな風を浴びながら、日本最後の総理となるだろう風来総理は目を細めて、そう思うのであった。
大樹本部の総本山とも言えるセンタービルへと案内されて、しばらく通路を歩く。人々がこちらをチラチラと見ながら、通り過ぎていく。
「歓待という感じでもないですな。まぁ、こちらの立場を考えると当然ですが」
一緒に来ている幕僚長が、囁くようにこちらへと言ってくるので苦笑いとなる。
「まぁ、そうだろう。もはやあとは話を終わらせるだけ、日本の移譲について纏めるだけだからな」
「う〜む。まだなんとかなるかもしれませんぞ? こちらにだって日本人としての意地がありましょう」
「意地だけでは、国民は納得しまい。衣食住を揃えてこそ国民は納得するのだよ。しかも今は猛獣よりも厄介なゾンビたちが徘徊しているんだ。日本と大樹、国民がどちらを選ぶかは火を見るよりも明らかだろう」
疲れたように息を吐く。この話し合いは何度も繰り返してきたが、幕僚長たち自衛隊組のいくらかは納得していない。この話し合いが終わったあとに変なことをしなければよいのだが……。懸念をしてしまう。
「総理、こちらで那由多代表がお待ちです」
案内人の女性が告げてきて、私たちは豪華ではあるが、他国との話し合いを行うに相応しい少し大きめの部屋へと入る。既に椅子に座って待っていた老人や他の幹部らしき者たちがこちらに気づき、立ち上がり挨拶をしてくる。
「よくぞいらした。この大樹の代表をしている那由多だ。訪問を歓迎しよう」
年齢により刻まれた皺が、弱々しい老人を示すのでなく、英知を示すような感じを与え、猛禽のような鋭い目と鷲鼻をして、自信ありげに口元に笑みを湛えた那由多代表。
カリスマ性を持つ人間とはこういったものだなのだと、本能で理解する。そして危険な人間だとも。独裁者然とした男だ。
一層気を引き締めて、こちらも挨拶をする。
「風来です。まずは日本国民を救っていただき感謝の言葉もありません」
「気にすることはない。新たに加わる国民へ支援をするのはこの国を任されている者としては当然のことだ。まぁ、座って寛いでくれたまえ」
早くも自国の国民扱いか……。牽制として日本国民と言ったが露とも相手は気にしていない様子であった。
椅子に座り、余裕の態度でこちらを見てくる。その眼光により怯えが心に巣食う。……これ程の者が表世界で脚光を浴びることなく隠れ潜み、崩壊した世界に備えていたと言うのか。正直信じられない。
周りの大樹の幹部たちも有能そうであり、ここまで人材を集める手腕に感心するしかしない。どうやって集めたのか想像もつかない。世界が崩壊するとの言は崩壊前では戯言にしか聞こえまい。
それを成した男なのだ。それが心底恐ろしい。
「こちらはまだ日本の譲渡に承諾した訳ではありません。それはこれからの話し合いで決まるのでは?」
「確かにそうだな。これは失礼した。少しばかり気が急いていたのかもしれん。私らしくなかったか」
ハッハッハッと、寛容に笑うがその瞳はまったく笑っておらず、こちらを見定めるように視線を飛ばしてきている。
「では、那由多代表、風来総理、これから大樹への日本譲渡について会談を始めたいと思います」
議事進行をする大樹の幹部が私たちを見ながら話す。たしかこの男はナナシという男だったはずだ。私たちはその言葉に頷いて
日本を譲渡する話を始めるのであった。
しばらくして、草案が書いてある資料を見ながら、那由多代表へと疑問と確認をする。
「これは大樹という国家の日本地区として今の日本を維持させる。法は大樹本部にて決定した内容に従い、その上で日本独自の法律……いや、この場合は条例といったものも決定できる。極めて自治に近い形をとれるのですかな?」
「そうだな。これからは大樹が世界を支配……ククク、世界支配などと口にすると恥ずかしい限りだが、中心となる」
世界支配と口にして、面白そうに笑い口元を歪める那由多代表。
こちらも仲間へと視線を向けると、考えながらも悪い話ではないと言った様子を見せていた。まぁ、すでに草案は見ていたのであるが。
「そうですな。この土地は一度すべて大樹に帰属して元の持ち主は所有権を完全に失う。元の持ち主には安全な地域では相応の金額を払う、危険地域である場合は制圧するための費用を考えて、その費用を抜いた分の金額を払う。これだけは気になりますが」
仲間の一人が資料を片手に難しい表情で尋ねるが、那由多代表は鼻を鳴らすだけであった。
「仕方あるまい、一度土地の権利はクリアにしておかないと、今後の国家運営をするにあたり極めて難しい。これは遺憾ながらやらなければならないことなのだよ。ゾンビたちを排除したあとに、ここらへん一帯は自分の物だと言われても困るのでね」
腕を組みながら那由多代表が重々しい口調で返答をしてくる。
「ふむ……仰るとおりですが、危険な地域とは殆どの地域が当たります。元の持ち主に渡る金額は二束三文になるのでは?」
「それも仕方ないでしょう。軍を動かすにもタダではないのです。ここは強権を使わせてもらわなければ困ります」
ナナシという幹部がこちらへと反論を許さないといった威圧のある鋭い眼光を飛ばしてくる。悔しいが、たしかにそのとおりなのかもしれない。土地の権利がわからないままに、国民へと売るといったことをするのは難しそうであるからして。
その後で、実は私の土地だと訴える人間が出てきても困るのだから。
「では、次です。各地区にて独立採算制にはできないのですか? 地区ごとの責任者なども最上位責任者は本部が決定することになっていますが、他は地区で決めて良いとなっている。ここまで自由ならば、独立採算制でも良いのでは?」
そうすれば、国連に加入している国家と枠組みはあまり変わらないだろう。日本は保たれることになる。
が、那由多代表は肩をすくめて首を横に振る。
「駄目だ、その提案は既に検討された。検討されたというか、ヨーロッパで崩壊前に行われたと記憶している。赤字の国に対して黒字の国からの補填で不満が続出して、そして様々な格差からくる意見もあり、機能をしていなかった」
「う〜む……。一度本部へと税は全て集約されて、各地区に割合により配分する、ですか……後々の不安材料にならなければよろしいのですが」
「どのような政策をしようとも不安材料も不満もある。政治家はその中での妥協点を見つけるための調整役でしかない。そうだろう?」
「たしかにそうですな。わかりました、ここでこれ以上の反対意見を出すことは意味がないでしょう」
周りの仲間を見渡すと、妥協点としては良いといった視線を返してくる。そうだろう、予想して考えていたよりもかなり緩い内容だ。
日本地区、他の地域も全て地区となるならば、それはそれで民族としての不満も少ない。なにしろ国を建国したいと思っても、周りも全て地区となっている。独立しようと考えることは難しい。羨むべき他国といった対象がないのだから。
……世界を大樹が支配できたらという前提ではあるが。
「京都市内の人間は復興を目的として移住させる。京都には5万人、大阪に5000人の復興のための移住。他は若木シティへと移住させたあとに、希望者は各地域へと移住する、ですか」
「そのとおりだ、100万の貸付を救助者にはする。と、言いたいところだが、勾玉の代金を支払わんとな」
ふぅ、と息を吐いたあとに那由多代表はナナシへとちらりと視線を向ける。そこには敵意といった感じも含まれるように見えた。なるほど、大樹も一枚岩ではないのだろう。
勾玉はナナシに売り払う前に喪われたはずであるのに、ナナシは受け取ったことにしていた。それが善意からくるのか、それとも巧妙な策に伴う自身のためなのかはわからない。
恐らくは後者ではあると思うが、こちらの利益になるのであるのだから、口を閉じて沈黙で返すのみだ。
こちらの反応を見て、那由多代表は口元をかすかに曲げて、深く息を吐く。勾玉は売り払っていないとか、なにか否定するような言葉を私たちが言うと期待していたのだろうが、そこまでお人好しでも、愚かでもない。
「ならば京都市民には各自に200万の金を配分する。それと、支援のための人材、物資もな」
そこでギロリとこちらを睨むように告げる。
「全ての自衛隊員は大樹の軍に帰属する。大樹の軍人になる前に辞職も可能だ。これで良いな?」
幕僚長は那由多代表を見て、頷いて了承をした。この話は既に自衛隊員へと話し了承を得ている。
「問題はないでしょう。引き続き日本を守るために邁進していきたいと思います」
「軍たるもの、以前と違い他の地域へと遠征することも了承してほしい。あぁ、それと修験者たちが持っている手品が使える勾玉だが没収だ。……と言いたいところだが、そのままにしておく」
那由多代表のそれは意外な言葉であった。勾玉は銃と同じカテゴリーに入るので没収されるとばかりに思っていたのだが。
「勾玉は一度回収。その形を多少加工して、悪用もできないようにして返却する」
「大樹の科学技術がオカルトにも手を伸ばしていることは知っていますが、良いのですか?」
「あぁ、あの式神といった物か? あれは通信機器を制限している現在は非常に役に立つ。軍ではなく民間にて非常に重宝するだろう」
式神の通信……カラスなどにして飛ばすやり方か。なるほど、通信機器が民間では制限されていると聞いたが、そこに式神が使えればかなり重宝するに違いない。しかし、通信機器代わりにしようとは……。思わず苦笑を浮かべるが戸隠たちは没収されないのだと聞いて喜ぶに違いない。
「未だに化物は跳梁跋扈している。制圧した地域でも、都市国家よろしく街を壁で囲んで暮らしているだけだ。外は危険極まりない。軍はそこまで数は多くなく、サルベージなどで役に立ってくれると信じている」
「そうですな、ある意味銃よりも役に立つと思います。あれは汎用性が高いので」
私の同意の言葉に、那由多代表は頷きで返す。
「では、そろそろ問題が無ければ日本の譲渡といこうか」
「わかりました……。では日本の譲渡を代表として調印します」
ナナシが調印用の用紙をこちらに出すので、調印する。那由多代表も同じく記名をして
これで日本という国は正式になくなった。
地区として、名前としては残る。日本人としても名乗ることはできるが、国としては滅亡した。
国民にとっては、あまり変わらないのかもしれない。大樹を盟主とした単なる連邦に所属した感じだと受け取るのかもしれない。
この政策は上手くいく予感がする。遥か昔から言われていた地球という星が一つの国家になっていくのかもしれない。
だが少し不安でもある。
目の前で自信満々にして嬉しそうに調印書を眺めている那由多代表。たしかに那由多代表が頂点に立ち、世界支配を進めていけば、一つの国家になるのかもしれない。
しかし、過去の王や独裁者が足元を掬われて死ぬことは極めて多い。日本で言えば織田信長のように。
そうなれば大樹はどのようになるのか。そこだけが一抹の不安を私にもたせるのであった。
今回で一年書き続けることができました。活動報告でお礼をば




