440話 真夏の姫
ジリジリと焼くような真夏の陽射しが恨めしいと、力のない足取りでフラフラと少女は若木シティの中央通りを歩いていた。こんな時は自分の胸の大きさが恨めしい。谷間や胸下に汗が溜まり、汗疹はできるし、蒸れるし、何より重い。
「あづいでず〜」
ある種の女性が聞いたら怒りそうな予感はするが、それでも暑いものは暑いのだ。仕方ないじゃないかと苦労をして、ようやっと目的地へと辿り着いた。中に入ると涼しい風が頬を撫でて、暑かった肌が冷えてきて気持ちが良い。
「ふへぇ〜、灯里さんはクーラーの中で暮らしたいのですよ」
ボヤきながら辿り着いたのは若木中央劇場。人々が娯楽を求め、それに応えるべく日夜懸命に練習をしている劇団がある場所であった。
すなわち今の不夜城灯里の両親の仕事場。そして自分のバイト先でもある。
受付の方をチラリと覗くと、多くの人がワイワイと賑やかに話しながらロビーのソファに座り、劇が始まるのを待っているのが見えた。
人々はこれから見る予定の劇に目を輝かせて、期待に満ち溢れている様子なので、なぜかその様子を見ると灯里も嬉しく思う。
「まぁ、自分はお客様ではないのですがね」
テヘへと頬をかいて照れながら中へと入ると、警備員さんが灯里に気づいてニコリと優しい笑顔で挨拶をしてくる。
「やぁ、灯里ちゃん。今日は新しい劇の日だったね」
「はい、そうなのです。暑いですが、精一杯灯里さんは頑張るのですよ」
グッと胸の前で両手を握りしめると、なぜか警備員さんはこほんと咳を一つして目を僅かにそらした。灯里にとってはよく見る光景であったが、なぜなのだろう。
まさか自分の胸が揺れる姿に照れているなんて、まったく思わない灯里は首を傾げて不思議に思うが、いつものことですねと気にしないで、楽屋へと向かうのであった。
楽屋につくと、両親がちょうど休憩をしており、スタッフとのんびりとお喋りをしていた。軽い感じで冗談を言いながら話す気安さを見せる両親に、スタッフたちも柔らかな雰囲気を楽しんでいる。その雰囲気だけで、両親が好かれているとわかるので嬉しくなってしまう。
「こんにちは~。お疲れ様です」
おずおずと挨拶の声をかけると、周りの人たちが同じように挨拶を返してくる。皆、笑顔を浮かべての挨拶なので仕事が楽しいとわかる。
「こんにちは、灯里ちゃん。今日も可愛いね〜」
「さすがはご両親の遺伝子を受け継いでいるな」
「いやいや、灯里ちゃん自身の可愛さだよ」
そんなぁ、と照れるが前髪で顔が隠れているせいで、周りにはわからない。灯里さん、ナイスですと自画自賛をしてしまう。こういうときの為に灯里さんは前髪を伸ばしていたのです。
「ほらほら、娘が困っているだろう。そろそろからかうのはやめ給え」
父さんが周りを宥めるように、穏やかな笑みで言うと、はぁいと皆はそれぞれの仕事を始める。父さんは自慢の親である。この劇場に雇われた監督だ。
というか、父さんはドラマや劇での監督をしていた。崩壊前はそこそこのそれこそ仕事として成り立つ程度の。
「ふふふ、今日も頑張らないといけないわよ、灯里、お客様が期待しているんですから」
母さんは自慢の美人さんだ。中規模あたりの劇団の主役をやっていた女優さんである。灯里が言うのもなんだけど、ある一点が凄いねと言われる……。それを除いても美人さんなのだ!
「はい、灯里さんも頑張るのです! えいえいおー、なのですよ」
灯里が手を挙げると、周りの人たちは癒やされるものを見たとほんわかとする。掛け声をあげるノリノリの人もいるので、思わず笑ってしまう。
そこへ怜悧な声が挟まれた。聞き覚えのある女性の声だ。
「いい雰囲気ね、さすがは本職は違うわ。これまでも、ここで頑張っていたけれど、本職が入るとやはり雰囲気が変わるわね」
日位玲奈さん。美女でモデルのような背の高い美しい女性。銀行の融資係にして、劇団の金銭的な仕事をしている。その仕事は大樹直営、即ち国営ではあるが湯水のように金を使うというわけではないらしい。
ここの劇場の配置を考えた音響や本物と見間違うホログラム、ふかふかの柔らかい席からVIP用の豪華な設備を見ていると疑わしいが、しっかりと利益が生まれるように経営するように求められていると聞いた。
この劇場の経営を自身の能力の高さを示すアピールとして使ったというのも噂であるが、それが正しい噂であるとしても、かなりの利益を出しているのだから誰も文句は言わない。それどころか、劇団にありがちなブラックな残業も禁じているそうな。
大樹の理念、ブラック企業を作らない。そのとおりの行動をしているわけだ。
今までも経営を頑張っていたらしい。小規模な元劇団員や趣味でやっていた人たちでは人気はあったが、それは娯楽が少ないからこそであり……。だからこそ上を目指して、本職の監督や俳優などを探していたらしい。
その目に叶ったのが灯里の両親、という訳だ。正直どこまで本当かはわからないが、助かったことは確かである。うちの両親は芸能以外の仕事をできそうにない。
だがその言葉を本気にして調子に乗らないぐらいには、うちの両親は賢明である。芸能の世界は化かしあいだ、口車に簡単にはのせられないのだ。
それに裏であの少女、魅力溢れる幼気な美少女が動いたような感じもするのである。
「お世辞としても言い過ぎですよ、日位さん。お客さんが入ってくれたら嬉しい悲鳴ですが」
冷静に日位さんのお世辞を受け流して父さんが笑うと、肩をすくめて薄く笑う。
「貴方たちはビジネスパートナーとして、良い相手だわ。天狗になった人は使いづらいもの」
腕組みすらも様になるその綺麗な立ち方で日位さんは飄々と言ってくる。
「聞いた? 灯里、これからも貴女がこの世界でやっていくなら、よく覚えておくのよ。美味い話には裏があるって」
母さんが冗談めかして笑う。半分は本気なのだろう、もう少し優しい世界が灯里にとっては嬉しいのだけど。
「さて、では新しい劇を特別席で見せてもらうわ」
ひらひらと手を振って日位さんは笑いながら去っていった。なんだかんだ言って、期待されているのだろうか。
「さて、本日の劇は新しい脚本での新しい試みだ。皆、気合いを入れていこう。さ、私は先に舞台裏に移動しているよ」
父さんが厳しそうな目つきへと変わり、真剣な表情になりながら、日位さんと同じように部屋を出て行った。
灯里も椅子にぽてんと座り、鏡を見る。いつもどおりの前髪を隠した地味どころか表情もよくわからない顔の自分だ。
「さ、灯里ちゃん。メイクアップしましょうか」
後ろから声がかけられて、スタッフが灯里の顔にメイクをしていく。
そろそろ灯里さんは変身の時間なのですよ。
ワイワイとざわめく客席が、ジリリと音がなり緞帳が開き始め、明かりが消えて薄暗くなるとお喋りをやめて静かになっていく。
「さて本日は皆様方見に来て頂いてありがとうございます。この真夏の中で暑い中、お忙しいその貴重なる時間を割いて頂き、わたくしたち一同、大変感謝感激雨あられ。本日も満員御礼有難や〜」
語り部がおどけた口調で切り出して、頭を下げて片手を掲げる。
「本日は皆様方、新しい物語を見て頂きたく存じます。その名は真夏の姫」
裏方からその様子を眺めている不夜城灯里の父親。
「あぁ、この世は既に夜に支配されているのだろうか。すべて希望は闇へと消えて、今は太陽の光が地上を照らしても、人々の心は闇の中にあるのだろうか」
朗々と声高く、人へと魅力する美しい声音で告げるのは少女であった。髪をアップにして、その美しい瞳を輝かせている。
ピシリと立つその姿は綺麗であり、一言一言セリフを言うたびに身体を動かすその美しい所作に人々は見惚れてしまう。
「彼女は本物なのかしら。私でも見惚れてしまうのだけれども」
からかうような声が後ろからかけられるので、不夜城父はニコリと笑う。愛想笑いなのか、本物の笑いなのかは、その表情からは本心は読み取れない。そんな笑みであった。
「娘を褒めると、親ばかと呼ばれそうで怖いんですが。私たちがこの劇場に雇われて、そこまで年数は経っていませんしね」
「それを言うなら、この劇場自体作られたばかりよ? 今は創設したばかりの時代よね」
「伝統がないのはやりやすいですが、怖くもある。何が受けるのかもわかりません、この崩壊した世界では人々の好みも変わっていておかしくない。手探りという意味ではこの劇と同じですね」
真夏の姫は崩壊した世の中で、絶望に包まれた人々をその善良な心で助けていく、ある少女の話だ。元ネタはあるが超能力を無くして、人々と同じ力しか持たない少女が頑張って、街を作っていく話。
真夏のような熱い心を持っている、クスリと笑ってしまう少し抜けた性格のコメディタッチな少女でもあった。
そんな少女をあの灯里が演じていた。前髪が長くて目を隠している、いつもオドオドした表情の灯里にはまるで見えない。別人である。普段の灯里を見ても、同じ女優だとは見抜くことは難しいだろう。
キリッとした表情で、顔を俯けることもなく、今も演技を続けている灯里は演技を始めると別人のようになる。前髪をアップさせると性格が変わるというか、そう暗示でもかけているのか。
劇が好きでも女優になるのは不可能だろうと考えていたのに、見事に変身をした。恐らくは蟻の巣での酷い暮らし、死を感じる世界も精神に強く影響をしたのは間違いない。
「彼女、出演し始めてからすぐにファンができたのよね。ファンクラブができるのも時間の問題。いいえ、この劇で主役を張ったから、きっと明日にはファンクラブができているわ」
「ずいぶんと確信した口ぶりですね、日位さん?」
「ソースはあるわ。この私ね」
ニヤリと狡猾そうに笑みを浮かべて公式ファンクラブのチラシを見せる日位にため息を吐く。相変わらずこの人はやり手だ、きっと崩壊前でも出世していた才能ある者だ。
「あんまり娘にプレッシャーをかけないでください。まだまだ子供ですので」
「あら、残念ながらあの年なら、そろそろ大人よ。この崩壊した世界ならね」
「お手柔らかにお願いします」
肩をすくめてそう答えながら、劇を見つめる不夜城父であった。たしかにそのとおりだが、それでも自分の可愛い娘なのだから、大変な目にはあって欲しくはないのだ。ファンクラブができるとなると難しいかもしれないが。
灯里は劇を終えて、冷たいタオルで汗を拭いながら楽屋で一息ついていた。
「もっと灯里さんも体力をつけないといけませんね。疲れました」
ふぃ〜、と冷たく感じる冷やされたタオルの感触に疲れを癒やされるような感じになる灯里。
「さすがは灯里ちゃんね〜。お客様の拍手凄かったわよ」
灯里の髪を優しく梳かしながら、スタッフさんが褒めてくれるので、心がムズムズして嬉しく思う。かなり練習をして頑張ったのだ。やはり褒められると嬉しく思う。
「終わったあとのお客様たちを見た? 灯里ちゃんの写真は品切れになったわよ」
「あやや、灯里さんの写真ですか。恥ずかしいですね」
前髪で目が隠れていないので、照れて顔が赤くなるのを隠せない。むむむ、やはり目隠れの髪は必要ですね。
ワイワイと楽屋は騒がしく、劇が終わった興奮が止まないこの空気も灯里は好きである。
ニヘヘと、皆と一緒に笑っていると、バタンと扉が勢いよく開けられて、誰かが入ってきた。いえ……見覚えのありすぎる人でした。
銀髪の美少女。最近絡んでくる人なのですよ。
こちらをビシッと指さしながら、睨みつけて口を開く。
「おにょれっ! 次の主演は私だからな! この天塚真琴が、ライバルたる私がテメェを倒すっ! 負けているのは胸とその他諸々だけだからな!」
フハハハと高笑いをして、見せつけるように胸を張って宣言する自信満々の真琴さんなのです。この人も人気はあるのですが、様々なことをやるのに財産を使ってしまう残念なことにも有名な人でもある。
「はっ、しまった。今のはナシな? こほん、ライバルたるわたくしが次の主演を頂きますわ〜。おホホホ〜的な?」
頬に手をそえての高笑いをするが、乱暴な言葉遣いをする人としても有名なのですよ……総評して残念な人というところでしょうか。
「フヒヒ、お疲れ様でした、灯里さん。貴女を主演にして良かったです」
脚本家のディーさんが、真琴さんの後ろからひょっこりと顔を出して挨拶をしてくるので頭を下げて挨拶を返す。
「灯里を主演に選んで貰っていればありがとうございますなのです」
「ううん、主演のイメージがぴったりだったので問題はない」
「決め手はなんだよ? 私もオーディション受けたのに、裏切ったなディー!」
「私は劇に関しては平等主義。真琴ではこの役は無理。少なくとも長いセリフを覚えない人には無理」
バッサリと真琴さんを切るディーさん。
「あ〜。もっと暗記力を高めないとって訳かよ。むぅ……次のイベントが必要だな。レキはどこに行ったんだ? もう一回探索に混ぜて貰おうぜ」
「フヒヒ、死ぬような目にあっても、まだチャレンジするその精神には感心するけれど、最近天使さんは見ない。もう次の任務に行っていると思われる」
ディーさんがあっさりと言うので灯里も興味を持って確認する。
「もうレキさんは次の任務に? たしかに最近街は静かですが」
静かであることが、レキさんがいない証明になるのは悪いとは思いますが、正しい考えだと思うのです。
「うん、リィズたちにも会ったけれども全然姿を見ないから心配そうにしていた。いつもと違うみたい」
「長期任務ってやつだろ? おっ、この饅頭貰っていい?」
テーブルに置かれていた饅頭に手を伸ばす真琴さんへ頷き了承すると口にむぐむぐと頬張る。
「冷たっ! これ冷たいじゃん。っていうか、氷のようなひんやりさだぞ?」
「最近売られるのをよく見る氷饅頭という、氷の冷たさを持つ不思議なお饅頭らしいです」
適当に相槌を返しながら、レキさんの任務について考え込んでしまうのです。
「長期任務……。また大変な仕事をしているのですね」
身体がボロボロになりながらも、戦おうとしていた少女を思い出して、胸を痛める。また、レキさんは体を張って戦っているような予感がするのです……。
自分よりも年下なのに、戦うその姿に勇気づけられたのだ。心配です………。
「まぁ、大丈夫だろ。あいつの身体は鉄でできていてもおかしくないね。あとサドっ気もあると思うぞ。なにせ、こちらが怖がるのを笑顔で眺めるやつだからな」
饅頭をぱくつきながら、心配する様子もないその物言いに、少しムッとする。真琴さんはボロボロになったレキさんを見たことがないから、そんな気軽に言えるのですよ。
饅頭を食べ終えて、もう一つ食べようとお盆に手を伸ばすので、ひょいとお盆を手に持って、その手を防ぐ。
「レキさんは無敵でもなんでもないのです。そんな酷いことを言う真琴にはお饅頭はあげないのですよ」
「え〜っ! だってなぁ、俺の方が、いえ、わたくしの方が長い付き合いだけど、あいつは常に楽しんで行動していたぞ? きっと今も楽しみながら仕事をしているに決まっている」
「そんな訳はないのです。レキさんはきっと人々を守って、苦しみながら頑張っていると灯里さんは思うのです」
きっとそうに違いない。灯里さんにはわかっているのだ。真琴さんはなにもわかっていないのですよ。
「そっかぁ……? う〜ん、灯里とわたくしとじゃ見ている風景が違うのかもな。今度たらい舟に乗せて貰えよ」
真琴さんが饅頭を諦めて、腕組みをしながらそんなことを言ってくるので
「灯里さんの考えは正しいのです。今度レキさんに出会ったら尋ねてみるのです」
きっと私の考えは正しい。灯里は自信満々に豊かな胸を揺らしながらそう告げるのであった。優しい少女が無事でありますようにと未来の大女優候補は祈りを捧げるのであった。
ところでたらい舟って、何なんでしょうか?




