438話 聖都なる京都
京都市内、その中央地域に真夏の陽射しを受けて輝くような、社殿建築の見事な社が建っている。崩壊前ならば、広大な敷地を使用された美しくも神々しい社に観光資源として多くの人が訪れたであろう。
瓦の一枚一枚、壁や柱に彫り込まれた美しい紋様。木造にもかかわらず、汚れは見えなく、まるで建てられたばかりにも見えるが、不思議なことに古くから存在したような貫禄もあった。社殿の要所には修験者が錫杖をもち、小銃を背負った自衛隊員が警戒に当たっている厳重ぶりである。
そんな社の奥、祭壇の間と呼ばれる部屋に、かくしゃくとした元気そうな体躯を持つ背の高い威風堂々といった老人がいた。皺だらけの顔で、祭壇にて辺りを照らすように柔らかな光で照らしている赤ん坊の頭ほどの大きさを持つ勾玉を眺めていた。
その光は消える様子も減じる様子もなく、力を保っていることに安心した老人は後ろを振り向き不愉快そうに目を細める。
「未だに封印した者を滅せることはできんか」
この祭壇の間に入る扉の少し後ろには、5メートル程の大きさの白く濁るガラスのような球体が空中に浮いていた。
それを忌々しいとばかりに見ながら嗄れ声で呟くと、側近が同様に苦々しい口調で答える。
「戸隠様、この者たちは何者なのでしょうか? 神殿に侵入してきたと思ったら、尋常ではない力で守り人をあっさりと殺してしまうとは………」
「人の姿をしてはいたが、悪鬼羅刹の類やもしれぬ。あれは人の持つ力を超えていた」
一月ぐらい前に突如として現れた者。勾玉を奪いに来たのだと宣言した怪しい人間二人。超常の力を持つ守り人たちは、またぞろ馬鹿なことを言ってきた人間がいたと呆れたものだった。勾玉こそが力の源と皆は理解しているので、奪おうとする者は多々存在する。
だが、守り人や自衛隊が守るこの神殿は絶対の守りを誇っていた。しかしながらあっさりと駆逐できたいつものことだと考えていたのだが、その人間たちは違った。いや、侍のような刀をもつ人間が恐ろしく強かったのだ。
信じられないことに銃弾を弾き、神通力をその刀の一振りで斬り裂く。圧倒的な力の前に次々と守り人も自衛隊も殺されていくので、致しかたないと緊急で勾玉の力を使い封印術を施してようやく倒したのであった。
本来の人間ならば、封印された空間にて滅せられるはずなのだが、未だに滅びる様子はない。それどころか、日に日に球体は軋むような音をたてていた。
「維持にも力を使い続けている………。そのために作物を成長させるための力も封印の維持に回さねばならない程じゃ」
「民衆は不満を抱えておりますが、それでも最低限の食べ物は配給されているので、渋々ながら従っているようです」
「そうじゃろうて、金の卵を産むガチョウを殺しては意味がないと理解しているのじゃ………。とはいえ、この状況はまずい。総理たちと相談をするしかあるまいて」
そう告げて、嘆息をして戸隠と呼ばれた老人は祭壇の間を立ち去るのであった。ゆっくりと祭壇の間の扉が閉まり始めて、その音に合わせるようになにかが軋むような音がしたが、しかしながら戸隠たちはその音には気づかなかった。
黒塗りの見事な木造の通路を歩き、会議場としてある部屋へと戸隠は赴く。部屋の警備がこちらをチラリと見るが、顔馴染みであるので、誰何してくることはなく部屋へと通される。
既に何人かの男性が椅子に座っており、白湯を手にして雑談をしていたが、戸隠を見て話を止めて暑そうに手で自分を仰ぎ始めた。
「戸隠さん、遅いじゃないか。いや、今や日本の国教、勾玉教の教祖様だったかな?」
以前はでっぷりと太っており、痩せなければとボヤいていた同じ年頃の老人で、今やすっかりと痩せている友人がからかうように言ってくるので、肩を竦めて空いている椅子へと座る。
「馬鹿らしい宗教名じゃな。もう少しなんとかならなかったのかと、今でも思うわい」
「それは仕方あるまいて。勾玉となれば、仏教とも言えず、他の宗教でもあるまいて 神道とすれば良いが……それならば他の宗教が黙っておらん。残念ながらあらゆる宗教を含める都合の良い新宗教を作るしかなかったでの」
この中で高名な宗教家である一番年寄りの老人が静かな声音で周りへと言い聞かせるように言う。それを聞いて、他の者たちの中で何人かが舌打ちをした。
「ちっ、我らの寺社仏閣が死人が溢れた当時に全て崩れ落ちたのだ。その原因は同じ時期に現れたこの社にあることは明白。恐らくは力を掻き集めねば勾玉も存在できなかったのだろうよ」
「塵も積もれば山となるではないが、人を守るには必要であったのだろう。勾玉から排出されるレプリカのような勾玉があれば、その力にて手品よろしく我らは法力やら神通力が使える。儂は信仰心を新たにしたよ」
袈裟を着込んだ男性や、白い法服を着た人間がそれぞれ口を開く。それぞれどこかの宗教の偉いさんである。どうせ昔から神道と宗教は合わさったり、離れたりしていたので、新宗教が作られても今更であった。
それぞれの内心ではどうあれ、命の危機であったのだから、まずは安定を求めなければならなかったのだ。戸隠は最初に勾玉を見つけて触った宗教家として、教祖の位置に立っている。平和となれば、宗教戦争が起きそうだが、それは遥かなる先の未来の話であるので、今は問題ない。
「宗教の話はもう結構。それより建設的な話をしようではないですか」
部屋に新たに入ってきた男性たちが椅子へと座る。一人は薄汚れて、シャツも黄ばみが見え、シワだらけのスーツを着た中年。最後の拠り所としてスーツを着ているのだ。
もう一人は自衛隊の制服を着込んだ老人であった。どちらもこの暑さにやられたか、くたびれた様子を見せている。
「勾玉の力をこれ以上は使えないのかね? 食料がギリギリで、配給に粟や稗を混ぜているのだぞ? 第二次世界大戦の日本だって、こんなに酷くはなかっただろう」
「総理、そうは言うがこれ以上は無理だな。封印の維持を解けば良いが、中の人間は未だに消える様子はない。いや、あれは人間ではなく化物だと儂は思うが」
戸隠がかぶりを振って答えると、総理と呼ばれた男性は顔を両手で覆って嘆き節を唱える。
「くそっ。私は総理なんぞになりたくはなかった。たまたま京都にいただけの国会議員だぞ? 野党としてヤジを投げる仕事の方がまだマシだ。せめて天皇陛下がいれば……」
天皇陛下は東京にいるはずだが、まったく情報はこなかった。最後に京都へ避難するとの連絡以降は行方不明だ。恐らくは……。他の面々は何人か避難できたので皮肉なことであった。
「ならば選挙でもしますかな? 選挙活動をやれる余裕のある人間がいれば良いですが」
「幕僚長。君は上がいなくなって清々しているのか? 本当に今の地位が嬉しいのか?」
幕僚長は口元を曲げて嘆息でその答えを示した。答えなんかはわかりきっているのだから。
「食料の配給が一番多く苦労をしないという点ではこの地位も良いものですな。私は息子夫婦に孫娘の分まで養わなければならないので」
幕僚長は苦笑いをして、ちっとも嬉しくなさそうな表情で答えた。下の人間は羨ましく思っているだろうが、上は上で大変なのだからして。しかもこんな世の中だ、胃痛が収まる日はいつになるのだろうか。
「これは驚いた。誰か日本のためと言う言葉を言い出す人はいないのか? 愛国心はどこにいった? 喜んで私は総理の地位を譲りたいのだが」
総理は皮肉げにからかうように周りを見渡すが、それぞれ顔を俯けたり、苦笑や肩をすくめるだけであった。
その後は重苦しい空気で沈黙が部屋を覆う。誰もこの現状を打開できる方策は見出だせないでいた。未来は絶望的な様子でなんとか生きてはきたが、食料が増えなければ生存者を養うこともできない。飢えで人が少なくなれば、勾玉へと集まる力も少なくなる。八方塞がりの状況なのだからして。
「そういえば……」
ポツリと誰かが口を開いたので、ん? と皆はその者に視線を移す。周りの視線が集まったことに気づいた者は慌てたように、気になる噂話を話し始める。
「最近バスが防壁へと突撃してきた話は知っていますか?」
「あぁ、知っている。だが、本当なのかね? もう車が動かなくなって久しい」
幕僚長が怪訝な表情で尋ねる。その話は数日前に聞いたが疑わしいと考えていたのだ。またぞろ変なゾンビが侵入しただけではなかろうかとも推測していた。
「私も本当かと考えて確認したのですが、たしかにバスでした。しかも継ぎ目のない装甲を貼り付けており驚きました。高い水準の技術を持っていると思われます」
自衛官の一人が報告をしてくるのを、戸惑うような表情で聞いていた総理が手を挙げる。
「おかしくないか? ゾンビパニックから、車はどんなに完全に修理をしても動かなくなってしまった。私はそう幕僚長から聞いたのだが? まさか修理できていなかったというのか?」
「総理、うちの者は良い腕を持っていました。完全に直したと言っていましたし、そもそも故障をしていない車もヘリもあったのだから、問題はそこではありません」
「というと?」
総理の問いかけに幕僚長は、ゴクリと息を飲み込む。まさか、報告が真実だとは思っていなかった。だが、真実だとすれば大変なことだと気づいたのだ。
「その者はエンジンが動かないというオカルトめいた事象に対応策を見出したということになりますな」
その言葉にざわめき、皆は驚きを示す。車が使えれば状況はだいぶ変わる。奈良市内など、物資はまだ手付かずな場所はいくらでもあるが、ゾンビたちが徘徊しているし、徒歩では危険極まりないので諦めていた場所を探索できる。それは現状を変える久しぶりに良い報告であった。
「凄いじゃないか。その者をすぐに確保してエンジンを動かす方法を聞くんだ。いや、そのバスも使えるのか?」
「それがバスのエンジンは全て防壁に激突時に燃えておりました。恐らくは技術の独占を目論むためにそのような仕掛けをしておいたのでしょう。現在は技師が燃えた残骸からなにかわからないか解体中です」
「それに、その者は幼い少女たちを大勢囲って、国を作ったなどと妄言を吐いていたそうです。エンジンを直す方法がわかり調子に乗っていると思われます」
むぅ、と幹部たちはその推測に頭を悩ましてしまう。たしかにエンジンを直せるとなれば行動範囲も広くなり少ない人数ならば、物資に余裕もできる。だからこそ、そんなことを言い始めたのだと簡単に予想はついた。
「しかし妙だな……。なぜ今頃になって京都に来た? その話ならば奈良にいたのだろうが……」
「京都に我々が生き残っていると思ってもいなかったのでしょう。どうやら、京都へと入るギリギリの場所に拠点を作っていたみたいですし。その者は自衛隊員との接触で京都市内に生き残りがいるとわかって侵入したと思われます」
「ちっ。調子に乗った狂人か。厄介だな……。だが死んでもらっては困る。その男と出会った者を中心に探させるんだ」
「はっ! 了解しました!」
幕僚長の命令に敬礼で返す幹部。すぐに捕まえることができるであろう。市内は広いがそれでもきっと探し出せるはずだ、相手はなにしろ少女たちと共に行動しているのだから。
「そういえば……。国で思い出しましたが、先程不思議な話を耳に入れましたぞ?」
一番の老齢の男性が思い出したとばかりに口を開く。
「なにかな……たしか大樹という国の国籍を取得すれば保護されるとか」
「……! その国名は狂人が建国したという名前です! やはり活動をしていたのですね。しかも国民を増やそうとしているとは!」
驚く幹部へと戸隠は乾いた笑いで口を挟む。
「随分いじましい勧誘じゃな。その言葉で何人が日本を捨てると言うんじゃ」
「まったくです。毎日の食料の確保がどれだけ大変か理解していないのでしょう。まぁ、100人も集まれば、あっという間に持ってきていた食料は枯渇して、詐欺師と呼ばれて集めた人間に捕まるのがオチでしょうな」
「なんだ、探す必要もないのでは?」
ワハハハと気楽そうに皆は笑う。いくら食料を集めていても個人が持ち運びしている食料などはたかが知れている。ならば数日で困ったことになるだろう、そして、こちらは捕まえる労力を省けて助かるという訳だ。
「だがリンチにでもあって殺されても困る。やはり急いで探させるんだ、その勧誘している者も捕まえろ。どんな文句で勧誘しているかはわからんが、どうせ少女ばかり集めているのだろうからな」
少女趣味なのだろうと決めつけて、捕まえてやると意気込む。
そうして、会議は終了した。しかし数日経っても勧誘している者も、狂人として指名手配された男も捕まることはなかった。不思議なことに。
「へっくちん」
可愛らしいくしゃみを天使の羽をピコピコと動かして遊んでいた子供な美少女はした。
「ありゃ、天使ちゃんは風邪でもひいたかな〜?」
初が心配気にレキを見てくるので、笑顔で否定する。この身体は風邪などにやられない強靭なる体躯なのだ。
「大丈夫、私は風邪はひきませんので」
「お労しや、レキ様。なんとかは風邪をひきませんものね」
オヨヨとハンカチを目元にあてて嘘泣きをするサクヤ。キシャー、とサクヤへと踊りかかる。トャー、と両手を広げて満面の笑顔で対抗するサクヤ。
またアホなコントをする二人へと
「こらっ! 天使ちゃんも働いてよ。どんどん人が来るから、おにぎりを作る手が足りないんだから!」
ツグミがプンスカと頬を膨らませて怒るので、コントをやめて新たに来た生存者へとおにぎりを乗せたお盆を見せる。
白米のみでできたおにぎりを見て、目を輝かせてゴクリとつばを飲み込む生存者はおずおずと聞いてきた。
「あの……本当に食べて良いのですか? これを食べて?」
「もちろんです。ほら、ここに来る際に伝えたでしょう? お話を聞いて頂けるだけで、おにぎりを一個プレゼントしますと」
生存者は怪しみながらも、誘われて入ったビルの中を見渡す。そこには大勢の人々がクーラーの涼しい風が流れるロビーで思い思いに座っており、笑顔でおにぎりを食べていた。
ロビーには山盛りのおにぎりがどんどんと運び込まれており、まだまだ食料に余裕のあることがわかる。
「あぁ、それならば遠慮なく頂くよ。……本当になにも払わなくて良いんだよな?」
「はい。ただ自国民ではない生存者にはこれ以上の援助はできないんです。オヨヨ、悲しいです」
手で顔を抑えて泣くふりをしながら、物凄い棒読みで言葉を紡ぐ子供みたいな美少女を見て、ジト目になってしまう。怪しい、怪しすぎる。
だが、久しぶりに白米のみで作られているおにぎりは本物だった。まだ出来たてなのだろう。ほのかに暖かく良いお米なのか、白米独自の甘さが口に広がってきた。
「もうおにぎりは終わりなんです、大樹国民ならばいくらでも食べて頂けるんですが。あ、豚汁も作ってありましたっけ」
もう棒読みどころか、紙切れを取り出して、そのとおりに話を続ける美少女。もう子供で良いだろう、しかも少しアホっぽい。
「さすがはレキ様! ナイス演技です。こちらに目線をお願いします!」
働く少女たちの邪魔しかしていないメイドはなんなのだろうか。子狐がおにぎりをつまみ食いしているが幻覚か。このビルは自分の見ている都合の良い夢でしかないのだろうかと、疑問が生じて自分の意識がマトモなのか混乱してしまう。
「さぁ、どうしますか? 私たちは強制はしません。善意からの行動なので」
目の前の美少女が花咲くような笑みで問いかけてくるので、ゴクリとツバを飲み込む。周りでは大樹国民になったと言って豚汁を食べている人もいた。
なので、男の答えも決まっていた。もちろん豚汁を食べるつもりだ。




