433話 スーツの男
しがらみの多い世界。それは崩壊しても変わらない、人と人が関わり、言葉を交わし、情をもつ限り。
随分と短期間でボロく劣化したものだと、自身がいる廃墟ビルを眺めながらそう自衛官は考えていた。
少なからず、住み心地を良くしたのだろう努力は垣間見える。廊下にはゴミは無く、廊下を歩く中で目に入る部屋は机などが隅に押しやられていて、広々とした空間となっており、窓ガラスも割れたのを撤去したのか、窓枠を木の板で塞いでいた。無論、木の板は雨などですぐに腐るし、この真夏の中では蒸し暑い部屋を作るだけではあったが。
南方監視所、何番目かは忘れたが南を警戒するべく廃墟ビルの中に作られた監視所だ。この監視所の責任者は綺麗好きなんだろう、この崩壊した世界では奇特なことだった。
目的地に到着して部屋の中に入る。入ってきた兵士の姿を確認して、中にいた自衛官たちは綺麗な敬礼をしてくる。
「反町2佐お疲れ様です。お待ちしておりました」
「敬礼はいいです。それで、なにが起こったんでしょうか? 緊急連絡だったようですが?」
反町2佐と呼ばれた男へと、相手の自衛官はキビキビと緊張した面持ちで机に地図を広げて報告を始める。
「はっ! 2日前からこの地点にある廃墟ビルに夜に明かりが灯り始めたのです!」
「夜に? なにかが燃えているということですか? 火事なんて洒落にならないですよ?」
浄水場などとっくに稼働は停止しており、人力での溜池を作成したり川から取水して濾過した水を使っている昨今で山火事などが起きたらまずいと、反町は不愉快な表情で自身の眼鏡の歪みを直しながら聞き返す。
エリートとして過ごしてきた自分は強面ではないが、眼鏡をかけた冷たさを感じさせる顔つきと、細身の痩身が相手に常にプレッシャーをかけてきた。出世街道を進んでいたのは伊達ではない。
反町の不機嫌な様子に、さらに目の前の部下は緊張で身体を強張らせながら、慌てたように首を横に振った。
「いえ、火事ではありません。……電灯の明かりなんです、明らかに電気が使用されています」
「……電気が? 未だに動く発電機があったという訳ですか? それは本当なので?」
「かなり監視所から離れており、夜にポツンと小さな明かりが見える程度ですが」
「ふむ………。まだ生きている発電機があれば朗報ですね。ですが、それを使用している生存者がいるという訳ですか。しばらく前に生存者は全員保護できたと思っていたのですが」
無用心に電灯をつけるということは、未だに京都が避難所となっていることを知らないのだろう。奈良の南端辺りからやって来た生存者か? 今頃に?
だが、それならば保護しなくてはならないだろう、その発電機と共に。
この夏の暑さは耐えられないと、クーラー暮らしが長かった後方勤務のエリート、崩壊時に運良く京都にいた反町はニタリと狡そうな笑みを浮かべて
「偵察用に隊を編成しなさい。私も一緒に行きます。銃の使用も許可しますので」
「はっ! 了解しました。……反町2佐も一緒に来るのですか?」
敬礼を返しながらも、戸惑う部下へと眼鏡のツルをクイクイと動かして反町は頷いた。
「もちろんです。生存者を助けるのは自衛隊の役目ですので」
もちろん行くに決まっている。発電機を持っているということは、貴重な食料、香辛料なども持っているかもしれないではないか。部下がネコババする前に確保しなくてはいけない。もしかしたら発電機が使用できて冷蔵庫を使えるかもしれない。冷たい水が飲めると思うと、喉がごくりとなる。
反町は部下の良心を欠片も信じてはいなかった。こんな世界になったのだ、もはや道徳とは無縁だとも思っていた。あれがなければ、この上下関係も無かっただろうと理解しているゆえに。
怪しいビルへと偵察をすることに決めたのであった。
不幸なことに。
精神の奥、深層意識へと自身の意思を深く沈めて、鍛錬をしていたおっさんこと朝倉遥に、小さな声が聞こえてくる。その声は段々大きくなってきて、その言葉は意味を為してくる。どうやら呼ばれているようだと、遥は静かに目を開いた。
「ご主人様? 修行中にすいません。なにかが接近中ですので声をかけさせて頂きました」
薄っすらと目を開いた先には、可愛らしい小柄な金髪ツインテールのメイドがいた。忠実かもしれないナインがにこやかな微笑みで、遥の肩をゆさゆさと揺すってくる。もっと揺すっても良いよ? 可愛い少女に起こされるのは夢であったんだとくだらないことを考えつつ
「今、深層意識に潜っていたんだよ。寝ていなかったからね? 本当だよ?」
たぶん深層意識にいました。深層意識は無意識の集合体だから意識するのは無理? 夢じゃない、きっと深層意識にいたんだよとおっさんは多少慌てながら、寝ぼけ眼でナインへと言い訳をしちゃう。ヨダレはたれていないよね?
「これは目覚ましのカフェオレです。どうぞマスター」
「ありがとう、あと寝ていないから。修行中だったから。それでも美味しく頂きます」
はい、とカフェオレを渡してくれるナインへとお礼を言いながら手渡されたカフェオレを口に含む。少しだけ甘くてよく冷えているカフェオレで、ナインは私の好みを正確に把握しているなぁと嬉しく思いながら、起こされた理由を問い返す。
「怪しい連中? 監視所の人たち? まだ3日間しか経過していないよ? 残り4日間はあると思うんだけど」
ゲームではそうだったよ、相手はゾンビだったけどと、ゲーム脳のままのおっさん。まだ寝ぼけているらしい。
傍らで抱き枕代わりにしていたきゅーこを解放して、起床する。あ、起床と思っちゃった。
最上階にて寝ていたおっさん、いや、修行中であったおっさんはベッドから起き上がり、外を見ると夕方になっていた。朝の物資調達を終えたあとは修行中であったので半日近く寝ていたらしい。う〜ん、粒子をライトロウに偽装するのは難しい、なかなかできないので、ちょっとアプローチを変える必要があるかもねと思いながら、感知を行う。
飲み終えたコップをナインへと返しながら、目を細めて口元を歪めて笑う。たぶん歪めている、くしゃみを耐えている訳ではないと思いたい。
「どうやら兵士が来たみたいだね。なるほど、訓練された兵士だな」
肩を解しながら、完全に目を覚まして遥はナインと視線を合わす。どうやら感知した内容だと10名近くが散開しながら近づいてきている。もちろん全員銃持ちだが、ハンドガンがメインみたい。
「子供たちはどうしてる?」
「はい。クーラーの中でのんびりと昼寝をしています。そろそろ夕食に起こさないといけません」
「まぁ、ここまで疲れきっていたんだろうから、昼寝も仕方ないだろう、良いよ寝かせておこう」
肩をすくめて寛容なフリをするが、おっさんが真っ先に寝ていた事実には顔を背けていた。都合の悪いことは記憶から抹消します。というか、修行中だったし。最初の10分ぐらいは記憶があるもの。
「マスターはどうなさいますか?」
ナインの問いかけに顎に手をあてて考えるが、いつものパターンで良いだろう。レキでないのは不安材料だけれども。
「とりあえずはお話かな。ナインは援護を、きゅーこは念の為に少女たちの護衛をよろしく」
「かしこまりました。気をつけてくださいね、マスター」
「妾もかしこまりました。お任せくださいな」
ナインと起きたきゅーこが了承したので、ナインの援護があるならば大丈夫だよねと安心して、出迎えをするおっさんであった。
反町麾下の隊は、20メートル間隔で散開して、街から離れており森林を間に挟んでいる目的地へと接近をしていた。自動車が動かない現在、徒歩ではけっこうな遠さであり、朝からの移動であった。
反町もこんな世界になって鍛え直しているが、それでも陽射しが強い中で重装備で行軍するのは体にくる。滝のような汗が流れていき、脱水症状にならないように水を頻繁に飲む。ゾンビたちにも気をつけないといけないので神経を磨り減らす。鬱蒼と茂った草木は小枝や雑草に隠れて見えない木の根っこなどが障害物となり、さらなる疲労を隊に与えてきた。
「本当なんでしょうね? 電気の明かりがこの先のビルで灯っていたというのは?」
目の前にある突き出した小枝を払いながら、苛立ちさを隠さずに部下へと確認する。何回も同じことを問いかけているので、部下はウンザリとした顔をするがそれでも上官の問いかけを無視するわけにもいかず頷きで返す。
「そろそろ見えてくるはずですが……」
「本当に電気の明かりなんでしょうね? これで見間違いだとしたら、君は懲罰ものですよ?」
冷たく部下へと、勘違いであった未来を想像させるように告げると、蒼褪めて黙りこくる。懲罰で一番厳しいのは食料配布の割り当てが少なくなることだ。体罰などよりも余程効くし、今の現状で兵士を減らすわけにはいかないので、恐らくはそうなるだろうと周りも認識している。映画などみたいに、君は不要だとか簡単には殺せないのだ。殺した分、自分たちが苦労をするだけだし、他の人間に恨みを買うことを考えるとそんな度胸もない。
未だに京都の外には減らしたとはいえゾンビたちが徘徊しているし、厄介な化物も存在するのだから。
ただでさえ疲れが身体を侵食して辛かったというのに、今の反町の発言で空気も重くなる。夏の暑い空気が呼吸をするごとに体に入り、まるで生気が吸い取られているような気もしてくる。
だが、そんな空気は次の瞬間に一変した。
「反町2佐! これを見てください! ワイヤーで塞がれています!」
兵士の怒鳴る声で、皆が振り向く。チッ、大声はゾンビたちを呼び集めるから気をつけろと言っていたはずなのに、馬鹿な部下だと舌打ちしながらも発見されたワイヤーを見に行く。
「ふむ………。ゾンビたちが侵入しないように張ったんですね、脆弱で簡単に壊される程度のワイヤーですが。いや、やけに柔軟性があるのでこれはテグスですかね? 釣り糸を使ったんでしょうか? それにしては鉄みたいだ………。」
張ってあるワイヤーをつつくと、柔軟性があるのか、簡単に弛んで柔らかい感触を返してくるのが不思議だった。硬いワイヤーのようにみえるのに、糸として柔軟性を保っているのだから。
「恐らくは特殊なテグスではないでしょうか? 海釣りとかで大物を釣るのに使うテグスはかなりの強度を持っていると言いますし」
「どうやら、この糸は大規模に張られているみたいですね。恐らくはビルを中心にしているのでは?」
他の部下が周りを見渡して報告をしてくるので、糸の張られた先を見ると、張られている先が見えない。たしかに広範囲に張られている可能性がある。それならば、確実に生存者がいるということだ。
「良かったですね。どうやら勘違いではないようですよ。恐らくは一般人のゾンビから身を守る脆弱な知恵というものでしょう」
せせら笑いながら、糸を掴んで周りへと告げる。たぶん、精一杯の知恵で生き残ってきた者たちなのだろう。恐らくは発電機などを修理できる人間がいるのではとも予想をする。
それならば幸運を掴んだのかもしれない。技師は貴重であるので、自分が確保すれば色々と幅を利かせる事もできるのではなかろうか。
「とりあえず、この糸は邪魔なので斬って進みます。こんな物でゾンビを防げるなんて相手も本気では考えていないとは思いますが、邪魔ですからね」
了解しましたと、部下がナイフを手にして糸を切ろうとする。ゴリゴリと音がして、糸を切ろうとしていたが、少し待っていても悪戦苦闘しており様子がおかしい。
「なにをしているんですか? さっさと切って先に進みますよ?」
多少の怒気をこめた反町の言葉に焦ったように切断をしようとしていた部下は返答してくる。
「それが………。この糸やけに硬くて………。まるで鉄の棒みたいです。かすり傷がつく程度で全然切れません」
「はぁ? ………そういえば海釣りの糸などはやけに硬いとテレビで聞いたことがあります。火であぶらないと切れないとか。誰かライターを」
使えない部下に内心でうんざりしつつ、テレビで昔聞いたことがある対応方法を指示しようと反町がしたときであった。
「それは困るな。その糸でゾンビたちの侵入を防いでいるのでね」
聞いた人間が身体を震わすような、威圧感のある声が森の中から聞こえてきたのだった。
がさりと音がして、木の陰から男が歩み出てきたのを確認する。ゆっくりとした歩調で、こちらをつまらなそうな表情で見てくる男。冷え冷えとした冷酷そうな顔つきの中年の男性であり
「スーツ? 今の世の中でスーツ?」
全員が身構えて、銃を取り出すために腰に手をあてていたが、それを手で制止して相手を観察する。
この崩壊した世界で、上等そうなスーツを着こんだ男性であった。靴も高級品なのだろう、泥もついておらずピカピカであり、スーツには皺も見えない。しっかりと手入れをしているのだとわかる。髪も丁寧に撫で付けられており、きちんとした身だしなみをしている人間であった。
崩壊前ならば、きちんとした身なりであり、どこかの上役かと名前を覚えようとするだろうエリート然とした男性だった。
即ち、この世界では狂人の類だ。スーツを未だに着込んで、手入れもしっかりとしているなど、普通ではない。
「どうやら生存者のようですね。私は京都鎮護隊の反町2佐です。もう安心ですよ、私たちが救助しにきましたので」
とりあえずはマニュアル通りに話しかけてみる。得体の知れない男ではあるが知識はあるらしいからだ。慎重に確保をしないといけないだろう。発電機も持っているとなれば尚更だ。
男は首を僅かに傾げて、救助隊が来たと言っているのに、嬉しい表情を浮かべるどころか、つまらなそうな表情を変えずに、こちらを見て返答をしてきた。
「これは丁寧にどうも。私の名前はナナシ。国家大樹のエージェントにして外交官と言ったところだな。少々京都という地に興味があってね、探索にきたというわけだ」
フッと冷ややかな笑みを見せながらの返答に、少し言葉の意味を理解しかねてしまう。今、何と言った? 国家大樹? そんな国は見たことも聞いたこともない。
「国家大樹? そんな国は聞いたこともありませんし、貴方は日本人に見えますがね。こういう時の冗談は言わない方が良いですよ? 救助者への心象を悪くしてしまいます」
「あぁ、時代に取り残された君たちではわからないだろうが、崩壊後に作られた国家だ。お見知りおきをしてもらえると嬉しいね」
肩を軽くすくめながら、飄々とこちらを見ながら告げてくるナナシという男。名前もふざけているし、こちらを小馬鹿にしているような態度も気に食わない。
「なるほど、国家? ならず者国家を建国したというつもりですか? 国民はいかほどいるので?」
「国民? あぁ、この先のビルに20人程いるかな。この間、大樹の国民になるとの返答を貰ったのでな」
クイと顎でビルのある方向を指し示して、偉そうにこちらを下に見ながらの説明に確信をする。こいつは元はエリート技師とかであったのだろう。その技術で発電機などを修理してきたのではなかろうか? そして生き残っている中で、集めた人間の中心になり国家を建国したなどと妄言を吐いているのだ。
ちらりと周りの部下へとアイコンタクトをすると、微かに頷いて張られている糸を潜り抜けて、ナナシの後ろへと回り込もうと数人が動く。
「どうやら貴方は治療が必要みたいですね。なに、医者はいるので安心してください。こんな世界で2年以上を暮らしてきたんです、その苦労はわかりますよ」
この狂人めと内心でボヤキながら、それでも貴重な技師であれば確保を行いたいので、部下へと指示をだした。
そろりと音をたてないように男の後ろに回った部下が素早く取り抑えようと襲い掛かる。次の瞬間には取り抑えた男性を確保して、ビルへと救助しに行く予定であったのに。
「ぐわっ!」
ナナシの腕を掴んだ部下がふわりと身体を浮かせたかと思うと、地面へとあっさりと叩きつけられたのであった。訓練も充分であり、一般人を取り押さえるなど簡単であったはずなのに、百戦錬磨の兵士は子供のように簡単に転がされたのを見て、全員が目を見張る。
「あぁ、日本との国交はなかったな。捕虜の待遇は期待しない方が良いぞ」
ナナシは先程の場所からは一歩も動かずに、襲い掛かった人間を小石でも見るようにチラリと見てからそう言った。
夏の最中、暑さで汗が先程までは滝のように流れていたのに、ナナシのその言葉に体は震え汗が引っ込む。
この男は只者ではないと、反町たちは身構えるのであった。




