421話 あるレストランの日常
シャリシャリとじゃが芋の皮を剥く。次々と剥いていく。ピーラーを使えば指を切らないように安全に剥けるが、包丁の方が慣れると数倍剥くのが早い。
ぽいぽいと剥き終わったじゃが芋をボウルに入れながら男は呟くように隣で熱心に人参の皮を剥いている同僚へと声をかける。
「なぁ、新聞見たか? 遂に大阪も解放されたんだとよ。これならあと二年で日本全域を解放するのも可能だろうって書いてあった」
ちらりとこちらを見てきて、すぐに人参へと向き直り、また皮剥きを始めながら興味なさげに答えてきた。
「見たよ、それがどうかしたか? 嬉しいけれど、今は目の前の憎き敵を片付けないとな」
籠に入ったままの人参を憎々しげに見ながらの言葉に、ついつい笑ってしまう。そのとおりだ、未だにじゃが芋も山となって籠に入っているし、他に下ごしらえをする物はたくさんあるのだから、気にしている暇はない。
「コック長に怒られる前に片付けないとな」
口元を皮肉げに曲げながら男性は新たなじゃが芋を手に掴むのであった。
その様子を見ながら、コック長はブイヨンがうまくできているか小皿にとって味見をする。うん、なかなか良くできていると安堵した。今日はいつもより気合いを入れなくてはならない。いつも手を抜くことなく作っているが、それでも気合いの入れようが変わる。
今日は大樹のお偉いさんが来る日なのだ。
崩壊前は有名なフランス料理店のコックであった。残念ながら、コック長ではない。自分は腕は良いとは思ってはいたが、独り立ちするには自信がない。今どきのフランス料理店は腐るほどあるからだ。いや、実際に経営難となって潰れる店は多いだろう。
チェーン店でも美味しいお店はたくさんあるし、高級店をやるならば金持ち層の常連客を捕まえなければいけない。そして、新店舗でそれを可能にするにはかなりの運と実力、そして金が必要であった。
金はもちろん店舗を豪華にするためだ。ギラギラした内装にするつもりはないが、それでも格式を感じる程に、あぁ、ここは高級店なんだなぁと、お客様が来店して嬉しく思って貰わなければならない。サービスも高級店に必要なことだ、来てよかったと楽しい思い出にすることも、高い金を払って良かったと考えてもらわなければ、その店に未来はない。
そこまで考えると、二の足を踏み、このまま雇われコックで一生を終えるのだろうと、なんとなく未来を予想していた。独り立ちして安い場末の定食屋になるのも、せっかくの腕がもったいないし、自分も高級食材を使いたい。安くても美味いものはいくらでもあるが、高級食材で上手に作る料理は美味い。滅多に食べれない食材だからこそ、感動しながら美味しく食べれるのだ。
だからこそ、二の足を踏んでいたのだが、崩壊後にその考えは綺麗さっぱり消えた。自分が死ぬと感じたときに、なぜあの時独立しなかったのか。一国一城の主となって、自分だけの料理を出したかったと強く思ったのだ。
だからこそ高級風料理店を始めた。人類は壊滅し、その人口はかなり目減りした中で、高級店のみは難しかったので、仕方なく高級風にしたのだ。高価な料理はなかなか作ることはできないと、それどころか定食屋をしないかと銀行員に提案されたときは、断固として断った。
定食屋を始めるなんて、選択肢はない。潰れればそこまでだ。生きた証ではないが、限界まで頑張ろうと考えて高級風にしたのだ。いつかは高級料理店にしたいが、安い料理でも他の店より遥かに高い。すぐに潰れるよと影で言われていたが、大樹のお得意様が使ってくれたことで、状況は大きく変わった。
あの店はどうやら美味しいらしいと噂がたって、少なからず贅沢をしたいという人間や、会合に使いたいという予約が入るようになったのだから。
そして、そのキッカケを作ってくれたのが大樹のお偉いさん。ナナシさんであった。失敗するわけにはいかない。あの人は大恩ある人だが、合理的で厳しいという噂だ。何人もの人間が無能だと言うことで首をきられたとか、閑職に異動させられたと聞いている人間に不味いと言われたら一大事。絶対に失敗はできない。
「ほら、そろそろ下ごしらえに入るよ! 皮剥きは終わったか?」
見習いたちを怒鳴ると驚きながら慌てるように返事をする。
「はい、もう少しです」
「俺はもう終わりました!」
下ごしらえが終わったら、今日のメニューに問題がないか見直しておくか。
夕方に近くなる。今日はしっかりとミスなく働くようにいつもより念を入れて部下に指示を出すと、ドアベルがカランと鳴って中年の男性がビシッとしたスーツ姿で入ってきた。
不思議なものだ。崩壊後はスーツ姿なんてもはや見ることはないだろうと、滅ぶ世界で弱肉強食の街が生まれるのだと、予想していたが、蓋を開けると皆はいつもどおりの生活に戻っていた。最たる例がこのスーツ姿だ。
「やあ、店長。今日は大丈夫かね?」
本格的に夏場に入り始めた今日この頃、外は暑い訳で汗をハンカチで拭きながら確認してくるので、にこやかに笑みを浮かべる。
「もちろんです。皆さんのコース料理は準備万端ですよ、今日は新作もありますので期待していてください」
「それは良かった。まあ、店長の腕は確かだし心配はしていないのだが、念の為ね? ほら、やはり理性では大丈夫だとはわかっていても不安な感情はあるからさ」
「わかります。私も今日は何度コース料理の手順の見直しをしたことか」
ハッハッハッと鷹揚な精神を見せるようにお互いが笑い合う。その中で、ふと気づいたように男が声を潜めて聞いてきた。
「なぁ、知ってるかい? 本部ではレベルというものを料理に導入しているらしい。信じられないことに物凄く美味しいという噂だが」
「あぁ、そのお噂は聞いてますよ。レベル3ともなるとかなりの美味しさとか。技術革新が料理の世界にも起きたという話なので、私もその手法を教えて貰いたいのですが」
噂は聞いたことはある。数人のお客様が食べたことがあると興奮気味に話していたが、どこまで本当のことやら……。恐らくは本部に行って、豪華な内装に高級食材をふんだんに使った料理、しかも腕はピカイチであれば、いつも以上に美味しく感じたのだと推測している。
まぁ、三ツ星評価の料理とかそれと同じような感じのを作ったのだろう。私もそれだけの環境に入れればとは思うが、少しずつ店を育てて行くしかない。
願わくば、本部以外で最初にレベルがついた店ということになりたい。今は無理でも可能ではあるはずだ。
「私も食べたことはないんだよ。それなりに食べ物にはうるさいほうだが、三ツ星とかそんな感じだろう。店長の料理を上回る物はそうそう若木シティにはないと思うから、若木シティでのレベル三はこの店がつくよ、きっと」
「そこまで評価して頂きありがとうございます。では、後ほど。そろそろ準備に入らないといけませんので」
「あぁ、よろしく頼むよ。今日も期待しているからね」
笑顔でそう伝えて男性が帰っていくのを見送る。これからナナシさんたちを連れてくるのだ。気合いを入れないとな。
暫くすると大勢のお客様がやってきた。ウェイターが案内して店に入ってくるのをちらりと覗く。今日は貸し切りなので、他の注文はないし、前菜を出すタイミングもある。ウェイターは元は素人なので、タイミングを間違いやすいのだ。ウェイターにも年季による経験が必要だが、そんな人間はうちにはいない。
ナナシさんを中心に、百地代表や荒須社長、光井社長と金持ちが勢揃いである。否が応でも緊張してしまう。
「今回の会合は実のあるものだった。常にこうありたいと私は思う」
ナナシさんが立ち上がり、乾杯の音頭をとっている。その視線は冷ややかで見つめられた人は肩をすくめて恐れるか、敵対するかだと思う。事実、敵対心あらわな他の派閥もいるという話だ。だが、その権力は圧倒的に他の派閥を突き放している。新聞でも結構独裁的な行動が多いと書いてあったが、そのとおりだと見かけた人は思うに違いない。
鋭利な目つきに冷ややかな雰囲気を漂わせるナナシさんは、なんだか裏の実力者のような男性だ。まぁ、裏ではなく表で活動しているけれども。
料理を作るために厨房に戻り、前菜の用意をし始める。乾杯の音頭から他の面々の挨拶が終わる頃にちょうど提供することができるはずだ。冷たくなった料理を提供することは場末の宴会、うちのような高級店では許されない。
作りながらもナナシさんの新聞での人物評価を思い出す。独裁的な行動を咎めるような人もいるが、だいたいの人は好意的な意見だと書いてあったような気がする。無能な人間をあっさりと切り捨てる冷酷さは合理的であり、今の世では必要。そして切り捨てるだけではなく、雇用を生み出すための仕事を様々に起こしている、実は優しい人間なのではということだが、偉くなるには有能ではないといけない。すなわちおべっかとコミュニケーション能力だけで偉くなることは不可能。
「前菜だ、持っていって」
できた前菜をウェイターに運ぶように指示を出す。カチャカチャと音をたててお皿を持っていく姿を見て、もう少し静かに持っていくように、指導しないとなぁと思う。うちは高級店を目指しているのだから、サービスでできる範囲は妥協したくない。その分、給料にも反映させているのは理解しているはずだし。
そういえば、週休二日制が復活して、有休や残業代も必ず出すようにという政策を出したのもナナシさんだったなと思い出す。ブラック企業は絶対に許さないと罰金を凄い金額に設定していた。そして見逃さないように匿名での通報体制も作っているのだから恐れ入る。崩壊前は働き方を変えると言われても、残業代を出さなくて、有給休暇なんか取らせないというブラック企業がどれだけ多かったことやら。
下のことを考えられる人なのだ。
そうしてコース料理を次々と作って提供してからしばらくたって
「次、メインを持っていって」
ローストビーフに似せたステーキを出す。でかい肉の塊をじっくりと焼いて、中の部分のみをとりだす。そのため、レアなので見かけが分厚いローストビーフに見えるが、実際はステーキだ。食べれば驚くだろう贅沢な自慢の一品である。ソースが決め手で作るのに苦労した。
わかりましたとウェイターが持っていくのを見て、そろそろコース料理も終わりだと思いながら、デザートを出す準備を始める。ムースをメインにしたケーキなのだが、あまり甘くないやつで……。
「コック長、ナナシ様が会いたいと言ってきましたけれど、大丈夫ですか?」
ウェイターが帰ってきてから、そんなことを言ってきた。少し興奮気味だ、若木シティのお偉いさんばかりなので、それは理解できると苦笑するが
「私に会いたいって?」
「はい、メインが美味しかったので是非お会いして感想を伝えたいと」
「そうなんだ、すぐにお会いすると伝えて」
わかりましたと、戻っていくウェイターを見て、被った帽子を脱ぎながら店内に入る。
店内では、ナナシさんを中心に話が弾んでいるようで和やかな雰囲気が流れて……あんまり和やかでもないかもしれない。
「ほら、ナナシ、美味しかったら私の分も食べて良いわよっ! あ〜ん、ほら、あ〜ん」
「ちょっとこういう場でそういうことははしたないですわ。ナナシ様、席を変わりましょうか?」
新聞でも噂になっている婚約者の少女、金持ち筆頭の光井社長がフォークに肉を突き刺して、ナナシさんへと食べるように言っている。それを日位さんが嗜めていた。周りはそれを生暖かい視線で眺めているので、慣れているだろう光景なのだとわかる。
この婚約者の少女とは父と娘ぐらいに年の差があるのに、果敢なアタックで光井社長がナナシさんを落としたらしい。
正直肉食系ではなくて、肉食動物そのまんまだなと思うので、光井社長に対する違和感はあまりない。しかしあのナナシさんへとあれだけアプローチできるのは凄い。あの視線で見られたら、縮こまるだろうし、気が休まる気もしない。
というか、色々な女性に言い寄られているが若い娘ばかりとか。少女ともいえる歳なので怖いもの知らずということなんだろう。
大人になると、相手の財力や権力、人脈なども気になってしまう。あれだけアタックできるのはそれだけ純粋なのだからか……。
コック長が来たことに気づいて、ナナシさんはさり気なく光井社長を押しやって、こちらへと顔を向ける。やはり、その目つきは怖いし、なんとなく心を見透かされていて、小細工などを行っても通用しない感じがする。
そのナナシさんはこちらへと微かに笑みを浮かべて
「素晴らしいステーキだったよ。これが肉の塊からとったものだって?」
と、褒め言葉を言ってくれたので、多少緊張が緩和する。
「はい。少し贅沢ですが、こういう機会でもないと食べれない物ですし」
胸を張って、微笑みながら答えると、そうだろうなと、頷いて感心してくれたようだった。
「あ〜……くり抜いたあとの肉はどうするんだ?」
その問いかけに再び緊張してしまう。ここはどう答えるべきだろうか? 捨てています。この崩壊後の世界で? 他の客に出しています。高級店で残飯を他の客に出している? あり得ない。ならば答えは決まっている。捨てていますと言う答えはもう一人のお得意様の鼻持ちならない性格の木野さんならば、手を叩いて贅沢これに極まりと言って喜んだはずだ。
しかし目の前の男性はそういった無駄を許さない性格だと想う。ゆえに答えは
「スタッフで美味しく食べています。やはり捨てるのは間違っていますから」
賄いで食べていると答える。事実賄いで食べているのだから間違いではない。
ナナシさんの答えはいかに? 怖い男性でそばにいると気の休まることができなさそうなエリートだけれども。
「そうか。それならば賄いも美味しそうだな。君はこの先も上を目指せるだろう」
と、僅かに目つきを柔らかくして、褒めてくれたのであった。
「ありがとうございます。この先も腕を磨いていきたいと思います」
ナナシさんに認められたのは嬉しいし、その言葉によりお客様も増えるだろうと、ホッと安心するのであった。
「良かったですな、ナナシ様の太鼓判を貰えれば、商売繁盛間違いなしですな」
そのとおりですな、とナナシさんから離れた場所に座るお客様が迎合して声を出す。社会人も大変だ、そばに座れないとなれば声をあげておべっかを使わなければならない。まぁ、ナナシさんの噂から推察するにどれだけ意味があるかは不明だが。
さて、あとはデザートのみだと厨房に戻ろうとしたときだった。
「あぁ、料理の専門家にこの食べ物の味を聞いてみたいのだが、よろしいだろうか? なに、率直な意見で良い。感想は若木シティの……そうだな、光井君に伝えてもらえれば助かる」
そう言って、いつの間にか手にしていた二つの箱を私に手渡してくるのだった。
「ありがとうございました。またのご来店を心よりお待ちしております」
ウェイターが深々と頭を下げて、ナナシさんたちを見送る。貸し切りなので、もちろん私も頭を下げて挨拶をしてから、帰ったあとに片付けを終える。しばらくして、私はテーブルの上に貰った箱を置いて唸っていた。
ウェイターや部下のコックたちが不思議そうな表情で近寄ってくる。まだ、帰らないのかという表情だ。常にコック長はウェイターの次に帰る。掃除は見習いの仕事だからだ。
それがなぜか残って難しい顔をしているので気になったのだろう。
「どうしたんですか、コック長?」
尋ねてくるコックへと、箱に入っていたケーキ、パウンドケーキを勧めてみる。先程中身を覗いたら一つはパウンドケーキだったのだ。
「食べて良いんですか? それじゃ遠慮なく……な、なんだこりゃ! 美味っ! 美味すぎますよ、これ!」
「でしょう? これ、バナナチップの入ったパウンドケーキ、このバナナチップを使ったんだってさ」
もう一つの箱に入っていたバナナチップを見せると、感心したように、しげしげと眺めるコック。香りよく、そのまま齧っても美味しそうなチップだ。
周りの部下たちも味見をしたいと言ってきたので、手をひらひらと振って許可を出す。
他の面々も同じ感想だった。驚きの表情で貪り食うようにパウンドケーキの欠片まで食べようとしていた。
「これは原種のバナナを加工したチップらしいよ。それを使ってこれだけの物を作れるのか……」
う〜む、と腕を組んで険しい顔になってしまう。
「大阪府に大量にあった原種のバナナを回収して作ったらしい。避難民のために売り出すんだとさ」
「はぁ〜、凄い加工技術と言うか、パウンドケーキを作ったコックの腕も良いんでしょうね」
その問いかけに、箱の横にある文字を見せる。そこにはレベル二と記載されていた。
「本部のレベル二はこれだけ凄いのか……これだけの物を作れるとはねぇ。それをさらっと利用して避難民のために行動するなんて、格好良いことをするよ、ナナシさんは」
「あの人は超有能らしいですからね。なんでも先を見据えて常に利益の出る行動をしているとか。いるんですねぇ、そういう人」
「ああいうのがモテる男性なんだろうね」
ナナシさんの行動は本当に凄いんだなぁと思い知る。
そんな私へとコックが悪戯そうに
「コック長も妻に立候補してみればどうですか? ハーレム婚が可能になったから、いけますよきっと。アピールポイントは料理が上手」
「馬鹿言わない、それよりもそろそろ帰るよ」
はぁ〜いと帰り支度をする部下たちを眺めながら呟く。
「あの人なら若木シティを任せても、きっとこれからも大丈夫でしょう」
私の店を救ってくれたように、人々を救い続けてくれるだろうとなんとなく思った。そう言って、新進気鋭の若き女コック長は店内の灯りを消すのであった。




