389話 水無月は侍である
ホテルの外はそろそろ梅雨が明けてくると思わせる青い空であった。陽射しが眩しく気持ち良い。田舎の空気は清々しく崩壊前ならば良いところだと訪れた者は感じるだろう。
「今やこのような場所は身近にある、か……」
水無月志郎は鑑定の仕事が終わりそう呟く。崩壊後は都会の景色を探すのも難しい。
やれやれと凝った肩を回しながら、凝りをほぐすようにしながら歩き出す。
腰につけた流水刀が頼もしい重さを感じさせてくれる。安全な地域とはなったが志郎は鍛錬をやめてはいない。否、崩壊前よりも鍛錬を増やしたと言えるだろう。
「孫たちはどこにいっているんじゃ?」
廃墟と化した町並みを歩きながら、のんびりと目の前の光景を見て回る。
どこもひどい風景であった。田舎だから、ぎゅうぎゅう詰めで建つような家屋は見当たらないが、それでも崩れたビルや朽ち始めて雑草は侵食を続け、草木は繁茂していずれは人の文明圏にあったとは思うまい。
悲しいことだが、それは生き残れたからだと志郎は思いながらてくてくと歩く。未だに健脚であり身体も健康そのもので、まだまだ長生きする予定だ。
この周辺はミュータントの殲滅が終わっており、兵士の姿はあまり見ない。拠点構築の為に工作隊がテントを張っているのが目に入る。
そして人員輸送用トラックに避難民が乗って、運ばれていた。
ホテルへと運ぶのではないのかと、怪訝に思いながら足を進めるとある程度の広さがある平原に仮設テントが張られており、そこで降ろされている。
トラックから降りた人々は救護テントへと運ばれて、そこで診断を受けて簡易的な治療を受けているらしい。そうして多少なりとも傷を癒やした者たちは仮設風呂に入るか、配布された食料を座り込んで食べていた。
「この先のホテルが仮設住居とされていますが、すぐに貴方たちは若木シティへと安全のために運ばれます。ここで待って頂けたら輸送用ヘリがすぐに来ますので、希望者はここでお待ちください」
拡声器を持ちながら叫ぶ兵士を見てなるほどと頷く。ホテルへと移動するよりは、すぐに安全な場所へと移動したいのだろう。ここらへんに降りるのかと、早くも席取りをしている人間も見える。
疲れた様子で話し込む人々を見て、よくぞ生き残っていたと感心もする。話に聞いた限りではかなりの危険な場所であったろうに。
「ようやく山暮らしも終わりだな」
「このまま原始人になるかと思っていたよ」
「パパ、これからどこへ行くの?」
「安全なところだよ。ようやく助けが来たんだ」
あぁ、山暮らしかと納得する。ホテルの後ろに聳える白い壁は霧をある程度は緩和しており、その力はミュータントをあまり近寄らせなかったらしい。
人間の生存本能とは、かくも凄いものだと思いながら避難民を見ると、その中を兵士に混じって孫たちが避難民へと食料を配布している姿があった。
「あ、お爺ちゃん! 今、手伝いをしているんだ」
志郎に気づいた晶が元気よくブンブンと手を振りながら近寄ってくる。どうやら今来た避難民へはちょうど配り終わった様子で、穂香も微笑みながらこちらへと来て口を開く。
「お疲れ様です、お爺様。お仕事は終えたのでしょうか?」
「ああ、終わった。どこまで参考にされるかはわからんが、多数の人間で鑑定をするのが大事だったのだろうな」
ナナシ殿は金額を見ても特には気にしなかった。最初から出来レースであっても驚きはない。あの将来悪女になりそうな市井松の娘もそこまで本気で金額について文句は言うまい。
ようは多少ごねて幹部との面会をしたかったのだと睨んでいる。下っ端との交渉で終えては未来がないと考えたに違いない。あの歳でそこまで考えるとはなかなかの人物だと志郎は評価する。要注意人物としても評価をしておくが。
「んじゃ、お昼にしよっか? お弁当を作ってきたんだ!」
フヒヒと嬉しそうに笑う晶の手元には何もない。リュックも背負っておらず、巫女服のままだ。
「晶ったら、レキさんから貰ったアイテムを使いたくて仕方ないのね」
「そりゃあね、使い捨てとはいえアイテムボックスだよ、アイテムボックス!」
ヒラヒラと裾から御札らしきものを取り出してみせる晶。
「ふむ、なにか面白い物でも貰ったのか?」
顎に手をあてて尋ねる志郎へと、勢い良くブンブンと頷きながら手を引っ張ってくる。
「あっちの方が景色が良かったから行こうよ! 僕、景色が良いところを探しておいたんだ!」
「そうかそうか、仕方のない孫だ」
苦笑しつつ、可愛い孫の誘いなので喜びながら連れられていくのであった。
てくてくと歩くと、少しばかり丘となっており、建物もあまり視界には入らずに、鬱蒼と繁った元は畑であったろう景色の場所に到着した。戦闘音もなく平和な光景であり、なるほど、たしかに長閑な風景だ。丘の後ろに林があるのが気になるが……。まぁ、大丈夫だろう。
「ジャジャーン! 退魔師晶の符術をごろうじろ!」
バッと、手元から複雑な回路が描かれた符を取り出して、ビシッと手を伸ばしてキメ顔をする晶。わが孫なだけに厨二病に罹患している様子だと苦笑いを浮かべて、その符がなにかを問う。
「まさかとは思うが、それは以前の符か?」
ミュータントに騙されて集めていた符を思い出す。苦々しい思い出だった、なぜあの時不自然さに気づかなかったのだろうか? 極限状態になり、やはり目が曇っていたのか、それとも崩壊した世界に目を背けゲームの世界に入り込んだと思いたかったのか。
今ならば冷静にアドバイスができるのだろうか……。
「これはね、私たちが使っていた符を真似できないかと研究していた博士がようやく作れた物なんだって」
そうして符を二本の指に挟み晶は空中に放り投げて
「展開! お昼のお弁当!」
掛け声をあげると、符が光の粒子に変換されたと思った瞬間、重箱と魔法瓶がゴトンと地面に置かれる。驚いたことに符が重箱らに変わったのだ。
「どうやら粒子変換システムでアイテムを10キロまで仕舞えるみたいなんです。凄い発明ですよね」
「むぅ、これがあれば荷物を持たなくとも良くなるな。たしかに凄いが一般発売するのか? 悪用し放題だと思うが」
誰でも今のを見れば簡単に思い浮かぶ使い方だ。盗むのに最適なアイテムであるのだから。
「あ〜……それがね、これは発売されないんだって。というかこれが最後の符らしいよ? 疑似符術も含めて」
タハハと頬をポリポリとかいて晶が笑うと、穂香もクスクスと笑う。ん? と不思議に思うとお茶をコップに入れて手渡してきながら穂香が種明かしをする。
「この符は想像以上に作るのが大変だったそうです。使い捨てのうえにコストが予想以上だったとか」
「疑似符術も投擲範囲が20メートル程度。この符1つのコストで100丁の新型銃が作れるらしいよ」
ギョッとして、飲もうとしていたお茶を危うく吹き出しそうになる。馬鹿げた値段だと子供でもわかる。盗みに使うよりも、この符を買えることができるのならば、そのお金で豪遊するほうがマシだからだ。
「なるほど、ファンタジーは実際に作ると碌でもないと言うことか。この着物も巫女服も趣味的だしのう」
お嬢ちゃんに貰った着物と袴、巫女服、これらは起動時に基本ステータスをオール2上げますと言われて渡された物だ。
当初はたった2なのかと笑ったものだが、自分の能力が2上がるという意味を実際に使ってみると理解して驚愕した。なるほど、瞬時の踏み込みや力の加え方。それらは集中して行うということだから、全体で2の能力アップはあり得ない力の上昇を与えてくれた。
「だが、これもえらい金がかかったと言っていたからな。残念ながらファンタジーを追う変人のみが装備できる物だな」
これらも残念ながら生産は行わないと言っていた。変人な博士が作ったのだが、パワーアーマーの方が安く作れて強力だから中止になったらしい。
「今度変人な博士に会ってみたいよね〜。お礼を言わないといけないし。御札全部貰っちゃったし」
ウシシと悪戯そうに笑う晶。お嬢ちゃんも趣味に走りすぎだが、今度礼を言わねばなるまい。
重箱にはおにぎりやら卵焼きやら純和風のおかずが入っており、久しぶりのピクニックといった感じで思い深い。孫とピクニックなど行ったことがあっただろうか。
この崩壊した世界で幸せを噛み締めることになるとは皮肉なことだと考えながら孫との昼の団欒を過ごしていた時であった。
「ふむ、美味そうじゃな、お嬢さんや」
後ろにある林から、草木を踏みしめる音がして嗄れた老人の声がかけられる。
素早く振り向き膝立ちをして刀の柄に手をかけて声の方向へと視線を向けると、ごま塩頭の皺だらけの老人が立っていた。
裾が汚れてほつれている着物に袴を着込み、黒塗りの鞘に入った刀を腰に挿している。
穂香も晶も身構えて緊張しているのを見てとって、老人はしわくちゃの顔を笑みに変えて手を振って
「いや、家族の団欒を邪魔しちまったかな? すまんね、美味そうな飯の匂いがしたものでね」
緊張感のない言葉を伝えてくるので、身構えていた態勢を解く。少なくとも殺気は感じぬ相手であるからだ。しかしその正体は恐らくはまさかとは思うが……。
怪しい老人であるが、晶が快活な明るい笑顔で重箱を手に取り老人へとみせる。
「避難民のお爺さんかな? お好きなのをどうぞ」
元気一杯な孫であるが、少し疑ったほうが良い。緊張は解かずにその様子を見ると、老人はおにぎりを手に取り嬉しそうに口に頬張ってムシャムシャと食べ始めた。
「すまんね、今の世の中で白米なんぞは久しぶりに食べるからねぇ」
飄々とした声音で食べる様子をニコニコと眺める晶。
穂香が僅かに目を細めて、疑問の表情で問いかける。
「……ご老人、このような場所でなにをしていますのでしょうか? 避難民は皆、広場へと集まっていますよ」
おにぎりを食べ終わり、米粒のついた指をなめながら老人は穂香へと穏やかな視線を向ける。
「拙者が仕える主人に南蛮野郎と協力してこの地域を防衛せよと言われたんだがね、南蛮野郎はナイトなんとかがいるから一人で大丈夫だと、追い出しやがったんだ。まぁ、お手並み拝見と見ていたんだが、あっさりと負けちまいやがったから帰るところなのさ」
「それは残念でしたな……ではお帰りになったらいかがかな?」
正直すぎるその返答に余裕さを感じとり、静かな声音で伝えながら、立ち上がり儂は柄を掴む。
ボリボリと頭をかきながら老人は口元を曲げてため息をつく。
「拙者の性分でねぇ、帰ろうとは思ったんだが未来の兵士は銃で決まりなのかとしばらく眺めていたのさ。そうしたら驚いたことに侍や巫女が未だに残っていたようだから、少し挨拶をね、しにきたってわけさ」
「そうか、御仁よ。そなたの名前を聞いても」
スラリと流水刀を抜き、中段の構えにて尋ねる儂へと、ニヤリと笑いながら老人も刀を抜き放つ。そうして、同じく中段の構えをとりながら真剣な表情にて己が名前を告げてくる。
「拙者の名前は上泉信綱。この世で少しは有名であると嬉しいのだがねぇ」
「そうか、儂の名前は水無月志郎。水無月流当主にしてそなたのような亡霊を討伐とする者よ」
予想通り化物であったかと志郎は厳しい目つきにて睨む。シンとした空気の中で上泉信綱は嬉しそうに笑う。
「この世は既に刀は廃れたと思っていたが、生き残っていて嬉しいよ。拙者の剣の道となってくれるかい」
「残念ながらそなたのような亡霊を倒すのが儂ら強き者の定め。大人しく冥府へと帰るが良い」
孫たちがそれぞれ符を手に取り身構えて戦闘態勢をとる。
「展開、光学薙刀」
符が変換されて穂香の手に透明な光の刃が先端についている薙刀が生まれる。どうやら穂香は薙刀で戦うつもりらしい。
晶は数枚の符を手の指に挟み、警戒心を顕に上泉信綱を睨む。
「カカッ。良いねぇ良いねぇ。世の流れは銃へと変わったと気を落としていたが、まだまだ侍たちがいるじゃあねぇか」
その言葉を合図に戦闘は開始される。剣聖と呼ばれた侍を相手に。
「符術火鳥弾!」
先制したのは晶であった。符術を投擲するとその符は小さな火の鳥へと姿を変えて上泉信綱へと襲いかかる。
口元を曲げて刀を襲いかかる火の鳥へと振り下ろして、すっぱりと断つ。足元をススッと動かしながら鋭い振りで次々と火の鳥を断ち切る上泉信綱に志郎と穂香が迫る。
「ハッ!」
穂香の美しい声音と共に気合いを入れた薙刀が振るわれて、足元を狙う。薙刀の間合いを考慮しての攻撃であり、光の軌跡を残しながらの強力な攻撃をする穂香。
「フハハッ」
上泉信綱は軽く足を上げて素通りさせると、後ろに下がる。その隙を逃さず志郎は強く踏み込みをして、流水刀の水の刃紋を輝かせながら突き入れる。
たが、その攻撃は半身から体を翻して上泉信綱に躱されてしまう。次に穂香が間合いを一歩詰めて薙刀の振り上げから斬り裂こうとするが、上泉信綱は手元をくるりと返して薙刀へと合わせる。
「クウッ!」
ガキンと強い衝撃を薙刀に受けたと感じて呻く穂香だったが、その時には薙刀は空へと弾き飛ばさてしまっていた。
「符術氷蔦!」
地面へと符をつける晶の手元から氷の蔦が生まれて、バキバキと地面を凍らせながら上泉信綱へと這いよらせる。
「くくっ! 退魔師とはいつの世も大道芸が上手い!」
這い寄る氷の蔦へと上泉信綱が風のような速さで刀を振るうと、そこで効果が消えたのか氷の蔦は動きを止めてしまう。
「チッ! 上泉信綱とやら、そなたは儂らを舐めているのか?」
形勢が不利ながら志郎が怒鳴る。上泉信綱は化物であろう。しかも姿形は人間に見えるのだから力も強いはずだ。しかし、その力は感じずに一般人とほぼ同等ではないかと思われたのだ。
「当たり前であろう。拙者は剣の道を追求する者よ。化物の身体能力を使ってどうして己が剣の道を鍛えられるというのか。技にて戦うには化物の力は不要なり!」
「ならば受けよっ! 新奥義流水閃」
刀を鞘へと仕舞い、腰を落として力を発動させる。右足を大きく出る踏み込み、居合いにて敵を断ち切ろうとする。
流水刀はその刀身を鞘のなかで僅かに凍らさせて、摩擦の無い滑らかであり重さを感じさせない超常の刀へと変わっていく。
抜き放つ刃は氷の破片を散らばせてキラキラと輝きながら神速の抜き払いを生ませる。
鋭い剣速からの風切り音が鳴り響き、上泉信綱へと迫りくる。
志郎が開発した新奥義、ただの変哲もない居合い斬り。ただ、そこに流水刀の力が加わり神速へと居合いが変わっていただけだ。
単純極まりないが、その攻撃は極めて強力でただの化物であるならば一刀両断できる力を持っていた。
しかし上泉信綱はただの化物ではなかった。その名は後世に伝わる剣聖である。自身も刀を素早く腰だめからの横薙ぎへと振るう。
すれ違うように二人が交差をして
「グッ! 無念……」
志郎は腹を斬られて地面へとドウッと倒れ伏してしまう。
上泉信綱の剣の鋭さ。流水閃を見切りぎりぎりの攻撃範囲からのカウンターにより志郎は斬られてしまい、上泉信綱はその着物の脇が斬られたのみであったのだった。
「素晴らしいねぇ。この世にこれだけの侍がいるとは思わなんだ。これならば探せば剣豪が他にもいるのかねぇ」
ピッと刀を振り、ついた血糊をたったそれだけで振り落とした上泉信綱は楽しそうに笑う。
「お爺様っ! よくもっ!」
薙刀を拾い上げて悔しそうな表情で穂香が倒れ伏して出血が激しく血溜まりを作る志郎を守るように上泉信綱に立ちはだかり
「お爺ちゃんっ!」
悲鳴をあげて晶も符を手に取り身構えるが、上泉信綱はなぜか刀を空中へと複雑な軌道で振り払う。
チィンと空中に火花が散って、ポトリといくつかの銃弾が2つに分かれて地に落ちる。
「へっ! 銃使いってやつかい」
そうして上泉信綱が水無月とは違う方向へと顔を向ける。
「ふむ。銃が効かないとは厄介なものだな」
ザッザッと草木を踏みしめながら現れたのはつまらなそうな表情を浮かべた大樹幹部のナナシであった。




