324話 負け犬と魔法使い
日中であるのに陽射しは入らない薄暗い森の中、崩壊前では考えられないほどに繁茂した森林を狼男は高速で移動していた。その走りは悪路をものともせずに、車すら追いつけない速度であり、石をジャンプで乗り越えて、木を蹴りながら移動していた。
「くそっ、くそっ! なんだよ、神様って。こんな世界になってから今さら神様が救済にきたってか? そりゃ少しずるいんじゃねぇか? 崩壊する世界を防げよな!」
苛ただしく愚痴を言いながら走るのは、悪徳ビルから逃げ出したオリジナルミュータントの狼男リカントである。本名はもう覚えていない。いつの間にか狼男になっており、その力で好き勝手していたら、変なミュータントに人間たちのコミュニティを支配しないかと誘われて雇用されたのだ。
雇用されたときは楽な仕事だと考えていた。人間など相手にならないし、狼男たる自分は人間へと姿をかえることができるので、他のミュータントたちと違い色々と楽しめるからだ。
自身を人間へと変えることができる優位と、その圧倒的な力に酔いしれていたリカントであるが、先日、その全てが壊れることが発生した。
自分が負けることなど考えてもいなかった。たしかに吸血鬼クドラクは強敵であるが戦わなければ負けることはないし、自分はこれからも強くなると信じていたのだ。いずれはクドラクも倒せる程になるだろうと。
吸血鬼を倒す狼男。薄っすらとだが記憶にある映画の内容では吸血鬼に眷属にされて反抗して最後は打ち倒すといった話があると覚えてもいたからだ。
理性をもち、強くなることをひたすら力を隠して待つ。なんと自分に相応しいのだろうか、勝ち組だとも考えていた。
実際に傍から見たら、既にその力は上限に達しており上がることはなく、また常に力を見せつけて、人を甚振ることをやめないのであったが、理性があると信じているエゴの塊は自分が頭が良いと信じていたのだった。
既に崩壊後から狂って、だいぶ経過するというのに。
そんな自分への自信が崩れたのは、最上階で出会った少女だった。
変な雰囲気だとは思っていたのだ。脆弱そうな子供のような体。美しく幼げなところから可愛らしくもある顔立ち。しかしながら、その瞳は冷酷な光を宿しており、自分を前にしてもなにか小石でもあるのだろうかとまったく興味も持たれなかったと感じたのだ。
力ある、いずれは王へとも至るであろう自分を見て、恐怖の色も出会ったことに対する驚きも見せずにいた少女。
なぜか心が逃げろと言っていたが、理性ある存在の自分はその恐怖を気のせいだと判断した。
きっと少女が背中に担いでいるライフルを見て、銀の弾丸が装填されていると本能が、いや映画などからくる知識が危険だと叫んていたのだ。もしかしたらあの刀も妖魔特攻なのかもしれない。
しかしながら自分は理性ある、力に満ち溢れる存在だ。なぜか体は震えようとしていたが意思の力で捻じ伏せて、判断したのだ。
たとえ特攻の武器でも当たることはあるまいと。瑠奈とかいう半端者でも自分の戦闘速度にはついていけない。いわんや、この少女ならば気づかぬうちに武器を取り上げることも可能だと。
なんと自分は素晴らしいのだ、野生のケダモノとは違うのだ。武器を取り上げたら、この少女はどんな表情をするのだろうか、痛めつけて精々飽きるまで玩具にしてやると内心で愉悦に浸りながら戦闘に入った。
結果はあっさりとしたものであった。自分は戦闘速度も技もなにもかも敵わないと数手のやり取りで理解できてしまった。
狼である本能が正しかったのだと、すぐに理解できるところが自分の素晴らしいところだと、あの時の光景を思い出して感心する。
敵わないと本能が理解してしまい、クドラクが神だと言ったことで、自分が逃げることに言い訳ができたので逃げ出したのだ。
幸い神と言われた少女はクドラクを警戒していたので、あっさりと逃げ出せたのだ。
さすがは常に勝ち組にいる俺だと自画自賛をしているが、常に崩壊前から逃げ癖があることから負け犬根性が自分には染み付いているとはリカントは考えもしなかった。
エゴたる塊のリカントは自分に都合が良いことが起こると、世界は自分中心に動いているとかたく信じていたのだから。
「もうあの辺にいるのはまずいからな。人間たちを飼うノウハウも得たことだし、俺自身が自分の王国を作る時期が来たってことだ」
根拠なき自信から自らが悪徳コミュニティと同じ規模の集団を作れると妄想してニヤつく。王と呼ばれて、周囲の集団を支配していくのだ。クドラクなんぞを成長させることをあのコミュニティでは重視していたが、今度は自分のみに力を集中させるのだと。
力を集める方法も、人々を飼う生産能力も結界能力もなにもかも無いのに、都合の良いように思考した。普通の人間ならば不安と自分の能力が戦いにしか使えないと思い至るが、既に狂っているミュータントはそこへ考えは至らなかった。
親のスネかじりのニートがいつかチートを得てハーレムが作れると考えるような、異世界に行けば自分もやり直せると信じているような、そんな都合の良いことだけを狂ったミュータントは妄想していた。
「まずは人間を集めねぇとな。名古屋から岐阜を回避して北上したが、ここらへんならまだ手付かずの人間たちがいるだろ」
狼男の身体能力を活かして、恐怖にかられて脇目も振らずに逃げていたリカントは、王国を作るために敵がいない場所へと移動していたのだと記憶をすり替えて、鼻を効かす。
人間の数千倍の嗅覚を発動させて、周囲を探索すると数キロ離れた場所で小さい人間の集団を感知した。
「いたか! 意外と早かったな。やはり俺様は世界に愛されている」
力をこめて、地面を蹴り、その力で土埃を巻き起こしつつ疾走していく。
微かに本能が集団の違和感を感じていたが、気のせいだとまたもや判断を間違えて。
数キロなど一瞬と言っても良い距離だ。あっという間にたどり着くと、元はキャンプ場なのだろう、近くに川が流れており、焚き火をしている人々が数十人暮らしているのが確認できた。
「まずは腹ごしらえだ。数人喰って見せれば、奴らも恐怖と俺様の力からひれ伏すに違いねぇ」
狼の裂けたような口から涎を垂らして、リカントは人間を見て嘲笑う。
周囲にはゾンビたちもいるのに、なんというか平和的だ。数人の銃持ちが周囲を見張っているが緊張感が不思議と見られない。
まずは銃持ちを喰ってやるかと、一気に森から飛び出して襲いかかるのであった。
コンコンとドアを叩く音がして、ファフは魔導書を読みながら思考の檻へと入っていた意識を取り戻した。
はぁ〜いと呑気な中年女性がドアを開けに行く。
ガチャリとドアが開き、見張りであったはずの男性が多少の焦りと共に中に入ってくる。
竜王ファフニールの人化した姿、魔法使いファフは目を細めて、男性へと視線を向ける。
「なにか入ってきたか?」
老人特有の多少嗄れた声であるが、威厳と知性の高さを感じるその声に、男性は深くおじぎをして答えてきた。
「はい、狼男が泥沼に引っかかりました。どういたしましょうか?」
ふむ、とファフは長い膝まで届く白髭を手で扱きながら自分の感知能力を上げていく。
「なるほど、ライカンスロープとは珍しいな……。惑わしの泥沼に引っかかったか……」
パタンと読みかけの魔導書を閉じて椅子から立ち上がるファフ。立て掛けてある黄金の杖を手に取り歩き始める。
魔法使いがいる場所はログハウスと呼ばれる場所であり、周囲には小間使いの人間たちが魔導書の写本をしていた。
無論、ただの紙切れに写本しているわけではなく、魔力紙に専用の魔法のインクを使って書かれる書だ。
自らが書くほどではなく、それでいて必要性がそこそこ高い低位魔法、それを覚えるための魔導書。それを小間使いに写本をさせて作らせていた。
なにしろ魔法とは厄介な物で魔導書を読み覚えた瞬間にその内容は消えていく。そして魔法は一度使えば脳内からその記憶は消えていくのだ。再び覚えるには原本から写本するか、意味のない羅列と記憶している魔法の内容を魔導書に書くしかない。
普通の人間による写本のみでは、そこまで手間暇をかけても魔法は使えないが、最後に魔力をこめるだけで完成するので、昔からファフは弟子に写本を義務付けている。
今は弟子はいないが、同様のことを安全を確保してやるという契約で小間使いにやらせている。これにより簡単な魔法ならばいちいち自分で書く必要がなくなるからだ。
「師よ、私もご一緒します」
一人の少女が頭を下げながら、自分へとついてくるのをちらりと見る。弟子は取る予定は今のところないと伝えているにもかかわらず、何人かは熱心な様子で弟子になりたいと言っていた。
時代が変われども、魔法を望む人々はいるものだと内心で思う。
まぁ、好きにさせておこうと、既に少女のノルマの写本は終わっている様子に満足しながらログハウスから外に出る。
外に出ると春らしい暖かい風が頬を撫でてきて、その中にかいだ覚えのある香りがあるのをファフは感じとった。
「なるほど、逃げてきたか」
感じとった香りから、ライカンスロープがなぜここに現れたのか推測できて、ニヤリと笑う。
なぜ珍しく魔法使いが笑ったのかを小間使いたちが見て戸惑うが、そのような些事に気遣うこともなく、歩みを進めると小川辺りに人々が大勢集まっており、その先にある者を眺めていた。
その様子にファフは眉をピクリと動かして呟くように小間使いへと言う。
「また人が増えたか?」
最初は10人程度の集団であったのに、小川には30人程の人間たちが集まっている。危険に備えて周囲へと隠されている人々を考えると、いまや100人程度にはなっていた。この間よりも20人は増えている。
「はい、師よ。人々の助けをする師のお力を見て、助けを求めてくる人々は日に日に増えております」
「この間殲滅したゾンビたちを見て、隠れ住んでいた者たちもついてくると言っております」
うやうやしく小間使いたちが頭を下げながら、尊敬の念をこめて伝えてくるのを耳に入れて嘆息する。
「安定した集団を見つけたら、貴様らから去る予定であったが、まさか安定した集団すらないとはな……。儂の読み間違えであった」
世界は妖魔が闊歩する世界へと変貌していたが、それでも人間たちはしぶとく生き残って、平和な街や村を外壁などを作り、強力な戦士団を形成して、多少なりともあるとファフは予想していた。昔ならば英雄と呼ばれる者たちがそこかしこにいたからだ。
なので、安定して生活できる集団へと助けた者たちを預けたら、そのまま旅に出かける予定であった。
しかし、ファフの目論見は見事に外れた。
英雄も戦士団も存在せずに、無論街や村などはなかった。みなはひっそりとボロボロの衣服を着て、ネズミのように隠れ住んでおり、その日の食べ物や水にも困る暮らしであったのだ。
どうやら随分と平和な暮らしに慣れた家畜のような人間へと成り下がっていたとファフはそれを知って嘆息したものだ。これならば妖魔たちが人間たちを警戒せずに好き勝手しているのも理解できるというものだ。
そのような状態であるので、周りの妖魔や動く死人たちを倒しても、隠れ住んでいた彼らはそこに拠点を作り、住み着くのではなく、自分へとついてきたのだった。
契約によりこの者たちを見捨てることはできない。これを知っていたら、以前の自分は決してこんな解釈がいくらでもできる契約などしなかったのだ。悪魔との契約と違い、契約を破棄することは簡単にできるし、罰則もない。まぁ、悪魔などと契約は絶対に結ばないが。
しかしその代わりに竜王たる自分の名も契約を破る痴れ者として、地へと落ちるであろう。それは竜王として、なにより自分の矜持としてファフには耐えられないものであった。
だからこそ、ファフは人々が増えることに対して嘆息のみで返し、様々な援助をすることになったのだが……。
人々が魔法使いに気づき、恭しく列を分かち、前を開けるので当然とばかりにファフは捕まった愚かな妖魔を見に前へと足を進める。
そこには幅にして僅か1メートルもない泥の川の上で呆然とした表情で無防備に立っている妖魔がいた。
泥が触手の如く、狼男の足を脛ぐらいまで巻き取っているが、それに気づく様子もない。
「ライカンスロープでも、力のある方か……。なるほどな」
魔法使いの瞳には月の魔力を持った妖魔が見えていた。そしてその背中に憑いているものも。
皺だらけの指先をライカンスロープへと向けて魔法を発動させる。
「雷よ」
低位ながら、いかなる敵にも多少は効果がある雷の魔法だ。バリバリと小さいながらも雷光が指先から撃ち出されて、目に前のライカンスロープへと命中する。
「ウッキー」
小さくも苦しむ音がして、多少焦げるライカンスロープとは別に憑いていたネズミのような小動物が痙攣したと思ったら、死体も残さずに消えていくのをファフは見てとった。
「これで望まぬ荷物はなしか。さて、追跡者がいなくなったところで話を聞かせてもらおう」
尋ねるファフへと痛みで幻惑から解けたリカントは正気に戻る。
朦朧とする頭を振りながらも、焦げた身体を瞬時に再生させて、ファフへと顔を向けて尋ねてきた。
「なにが起きやがった? 頭が少し痛いぜ……」
「惑いの泥沼、簡単な罠だ。上を通る者へと幻惑をかけて、泥沼にて足を止める簡単な魔法の罠だな」
この拠点周りに仕掛けておいた泥沼の魔法だ。これを防ぐのは罠に気づくか強力な抵抗力を持つかだが、両方ともライカンスロープは持っていない様子だった。
「沼?……なにかヤバイ薬でも入れて置いたってわけか? だが俺様には効かなかったようだな」
こちらへと蔑むよう視線を向けながら、弱者に対する態度を見せて胸を張り威張る狼男。その言葉と滑稽な勘違いをしている様子に思わず笑いが浮かぶ。
「あほうが。さすがはケダモノだな。だが、貴様は儂の求めている情報を持っていそうだ。さて、この世のなんと狭きことよ」
杖を持ち上げて、ライカンスロープの力を量る。
「……あ〜ん? この始祖にして強者たる狼男のリカント様をケダモノ呼ばわりとは、ボケたジジイだな! 決めたぜ、まずはお前を喰らってから、この集団のボスになってやる!」
グハァと大口を開き、その裂けたような口内から覗く鋭い牙を見せつけてリカントとやらは凄みながら吠えてくる。
「極限まで儂が力を隠しているからだとは理解できるが………。それでも獣程度でも、それぐらいの力があれば儂を恐れるはずだがな、どうやら飼い犬であったか」
野生の高位妖魔ならば危険を感じ取るはずであるが、警戒する様子を見せないライカンスロープに、どうやら甘やかされて育ったモノだと推測する。おそらくは無駄にある理性が本能の忌避の感情を抑え込んでいるのだ。
「だが問題はないだろう。必要な情報を喋れれば良いし、ライカンスロープの素材は良き魔法の触媒となるからな」
クックッと忍び笑いをして、魔法使いは狼男と対峙をするのであった。
 




