320話 狼少女のリング戦
レキがクドラクと戦う少し前に時間は戻る。それ即ち親子の最後かもしれないリング戦へと。
悪徳ビル。奴隷のように首輪をつけられて捕まっていた人々は既に逃げており、強敵と思った吸血鬼も倒されている。
頭上からパラパラと砂埃が落下してきて、地震のように震える音がするのを大上瑠奈は耳に入れながら、広間に設置されていたリングの上で緊張感と共に構える。
目の前にいるのはかつて父親であった成れの果て。狼男と化した二郎であった。
狼の禍々しい牙を剥き出しにして、黒い獣の毛皮で体表は覆われている。その筋肉ははちきれんばかりであり、自分との体格差も相まって、大人と子供の戦いにしか見えない。
いや、事実そうなのだ。ただし父親対娘という構図にもなるが。
しかも二人共人外となっている。父親はあからさまに映画やゲームの中にしかいないと思われた狼男、自分も狼の耳と尻尾、そして多少どころか大怪我さえも癒やす再生能力。
不気味にして、見た人の心の根源から恐怖を呼び起こす存在だ。
レキはもふもふを皆は我慢していただけで、皆から嫌われていないですよと言ってくれたが、それは半分当たりで半分外れだ。
自分でも愛らしい姿だとはレキから言われなくても実は気づいていた。いや、気づかないほうがおかしい。なにしろ自分で言うのもなんだか恥ずかしいが、俺は美少女だ。その美少女がケモ耳と尻尾をつけていれば、普通の人に好かれるだろう。
その力を見せなければ。人外たる力。銃弾は効かず、大人が数人で持ち上げられる瓦礫を片手で持ち上げる。そのジャンプは簡単にビルの中階まで飛んでいけるのだ。
実際にその力を目の当たりにした人々は恐れて愛想笑いを浮かべる。いくら愛らしくても本能が忌避するのであった。
いきなり飛びついてきて、尻尾をもふもふしながら櫛で梳かしてくるなんてレキだけであったのだ。
あの愛らしい少女は無邪気に俺を恐れずに好奇心と好意一杯で自分と接してくれた初めての人だ。思い出すと嬉しさで頬が赤くなる。
「そういえば、尻尾を梳かれるのも初めてだったな。気持ちよかったから、またやってもらうとするか」
尻尾を梳かれたことを思い出して、あれは良かったと呟く。
そんな瑠奈へと現実に戻す声がかけられた。
「おい、馬鹿娘。あのガキは何者だ? ブラッド鈴木は俺よりもずっと強かった。それが戦う前にあっさりと負ける? そしてあの階段を塞ぐ氷はなんだ? いったいなにが起こっている?」
バカ親父こと、ウルフマン二郎が訝しげに問いかけてくるのを、鼻で笑いながら答える。
「さあなっ。俺も知り合って間もないからよくわかんね〜。だけど強いことは明らかだな」
瞬間移動能力を持つと言っていた少女であったが、来る前に見せた銃技は自分ではまったくなにをしていたのかわからなかった。引き金をひいて銃声がしただけで、あとはなんとか視認できた敵の帽子が不可解な軌道へと変わっていったぐらいだ。
先程の動きも見えなかった。いつの間に刀を振ったのか?上階への階段にできた氷の壁はどこから?聞きたいことはたくさんあったが、少なくとも自分よりは遥かに強かったと理解していた。
だからこそわざと親父を倒さなかった心遣いが嬉しいのだ。
「そんじゃ、行くぜっ! 俺ら売れない貧乏プロレスラーらしく前座をやろうじゃないか」
バッと両腕を頭の前まで持ち上げて叫ぶ。
その様子を舌打ちしながら、ウルフマン二郎はドスドスとマットを蹴りながら走り寄って来た。瑠奈も合わせるように両手を持ち上げて走り寄る。
「仕方ねぇっ! 観客がいないのは残念極まるがなっ!」
「言ってろ! 親父の戦いなんていつも閑古鳥だっただろ!」
二人はリングの中央で互いの両手を組み合わせてぶつかり合う。
「ハッハー! やはり最初は力比べからだよな、お前はそこらへんわかっている!」
楽しそうに牙を覗かせる大きな口を開き、凶暴性を見せながら笑うウルフマン二郎。
「けっ! 親父はいくら変わってもプロレス愛だけは消えねえんだなっ!」
父親の笑う姿を見て、変わり果てたとはいえ、かつての面影を見てしまう。
寂しそうな気持ちになるのを抑えて、闘志を呼び起こす。
「やぁってやるぜ! 俺の戦いというものをなっ!」
ぐぐぐと力比べで押されながら、グイグイと身体に覆いかぶさるようになるが
「予想通りだぜっ! おりゃっ」
スッと力を抜いて少し後ずさると、たたらを踏んでウルフマン二郎は前へと上半身を傾けてしまう。
その様子を見てとり、床を蹴り浮き上がる瑠奈。ひゅっと後ろ回転をしてソバットを前のめりになったウルフマン二郎へと叩き込む。
「ぐぅっ」
前のめりになったせいで、後頭部から蹴りを喰らいふらつくウルフマン二郎を、蹴った反動でさらに上空へと浮かび上がり瑠奈は叫ぶ。
「追撃のっ、暴風脚!」
浮かび上がった瑠奈は超常の力を発動させた。
みるみるうちに、上空に浮かぶ瑠奈へと風が集まり始める。その風は左足を覆うように集まり、暴風が発生すると風でバタバタと服をなびかせながら、蹴りを勢いよく打ち込む。
凶暴なる獣の頭へとぶちかまし、ウルフマン二郎は暴風に巻き取られて回転して吹き飛んでいく。
「ぐおぉっ!」
なんとかウルフマン二郎は手を差し出してリングを掴み、強引に回転する身体を止めるが、その反動で右腕がメキリと音がしてリングへと伏せるのであった。
「でやぁっ!」
暴風脚を打ち込んだ瑠奈はそのままスタンとリングへと飛び降りると、さらに追撃のドロップキックをかます。
しかしその攻撃は真っ直ぐすぎた。
「金剛の毛皮っ!」
黄金色の光が狼男の毛皮を輝かせて、超常の力を発する。
人外の力からのドロップキックはウルフマン二郎の胴体へと叩き込まれるが
「ちっ! この硬さだけが取り柄なバカ親父っ!」
今度の攻撃は胴体にめり込むこともなく、まるで硬い岩のようにウルフマン二郎の毛皮を僅かに押すだけであった。
そのまま両足を掴み取られて、ぐるぐるとジャイアントスイングで回転されてしまう。
「ハッハー! 硬さだけが俺様の取り柄よっ! てめえでは俺様に勝てねぇっ!」
身体を斜めに沈みませて、ブンと上空へと瑠奈を投げ飛ばす。
「喰らえっ! ウルフマンリベンジャー!」
上空へと投げ飛ばした瑠奈へと、リングを大きく蹴り上げ、一気にジャンプで追いすがるウルフマン二郎。そのまま瑠奈の胴体へと頭突きを叩き込む。漫画で見ていつか使いたい技だと憧れていたウルフマン二郎である。
バキバキと瑠奈の骨が折れる音がして、さらに上空へと吹き飛ぶ。
すぐにリングへと着地をして、再びジャンプからの頭突きを入れようとするウルフマン二郎だが
「ば、バカ親父! ビルの天井は、低いんだよっ」
吹き飛ばされて天井に足がついた瑠奈は爆発するように天井を足場に蹴り上げてリングへと向かう。
「ぬぅっ!」
既に頭突きの態勢に入っていた狼男は迂闊であったと口元を曲げる。
「瞬動拳!」
風の力にてまたもや加速した瑠奈は拳を突き出してウルフマン二郎へと襲いかかり、頭へと打ち込む。
ガンと音がして、拳を痛めて落ちる瑠奈と頭へと攻撃をまたもや喰らい吹き飛ぶウルフマン二郎。
リングへと二人共叩きつけられて相打ちとなる。
ググッと腕に力を入れて瑠奈は親父を見ながら立ち上がり告げる。
「ど、どうだ? 再生能力は無限じゃない。頭を治すとしたらだいぶ力を使うはずだぜっ! そろそろ力が尽きてきたんじゃないか?」
ヨロリと立ち上がりながら、苦しそうな表情をして言葉を返すウルフマン二郎。
「たしかにな。ない脳みそで一応考えてきやがったのか」
憎まれ口を叩き込むウルフマン二郎だが、瑠奈は回復の時間稼ぎに付き合うつもりは毛頭なかった。
「やぁってやるぜっ! 瞬動4連!」
一気に倒すべく力を込めて一気に風の力を解放する瑠奈。その力により瑠奈を中心に突風が、いや暴風が巻き起こりリングから瑠奈の姿がかき消えて、衝撃波だけが残る。
狼男の人外の動体視力でも視認できない速さでの攻撃だ。
「ちっ。黄金の毛皮!」
ガードを固めて、自らの毛皮を硬化するウルフマン二郎。
透明なる風がウルフマン二郎の眼前に迫り、風と共に瑠奈のニーアタックが狼男の顎へと命中してその骨を砕く。
「ぬぐぅ!」
捕まえることも不可能だと、瑠奈の速さを見て悟ったウルフマン二郎はそのまま顔を防ぐようにガードを固めるが、その防御を無効にするが如く、横面にしなる脚蹴りが炸裂して、頭を揺らす。
次には反対側から横面に肘打ちがぶち当たり、ついにウルフマン二郎は膝をつく。
その隙を見てとった瑠奈は目を鋭くし、最後の力を振り絞る。
「これで終わりだぁ」
親父の後ろへと移動して、最後の攻撃を加えるために拳撃を繰り出す瑠奈。
「あめぇっ! ラストが後ろからなんぞお決まりだ!」
視認ができずとも、予想をたてていたウルフマン二郎はその拳撃を掴み取り、凶暴に吠える。最後の一撃は必ず後ろから来ると考えていたのだ。そのために力を最後までとっておいた狼男である。
そのまま瑠奈の身体を抱え込み、ジャンプしてジャーマンスープレックスを決めるべくリングへと体を勢いよく倒しこむ。
「くそっ! 離せっ、馬鹿親父!」
慌てる瑠奈が暴れるが、もはや掴んだその体を離さずに勢いよくマットを貫くように、その体をねじ込むように打ち込むのであった。
ズズンと音がして、瑠奈がリングにめり込み、ぐらりと揺れて倒れる。
「ぐはっ!」
一撃で肉が裂けて肩の骨を砕かれて、頭もかなりのダメージを負った瑠奈は朦朧として倒れこむ。
その様子を見て、ウルフマン二郎は深く息を吐いて腕組みをしながら、にやりと笑う。
「はっ! 子が親を超えるのはまだ早かったみたいだな」
「………へっ………どうやらお互いボロボロじゃねぇか。足が震えているぜ、馬鹿親父」
はぁはぁと息を吐いて、体の再生を待ちながら瑠奈は親父を見つめる。
「ふふん。たしかにな………どうやらもう限界も近い………あほみたいに速すぎる移動をしやがって、観客がいたらどうするんだ、見えねぞってクレームがくるぞ」
どことなく楽しそうに言う親父を見て、瑠奈は馬鹿な親父だと改めて思う。追撃をすれば倒せるほどに俺は弱っているのに、追撃をしてこない。
プロレスラーらしく、相手が立ち上がるのを待っているのだろう。魅せる戦いをするためには追撃はしないで相手が立ち上がるのを待つのが親父のポリシーだったと瑠奈はぼんやりと思い出す。
「いいんだよ。見れる客だけが見ればいいんだ。格闘技ってのは通好みなんだぜ?」
ようやく砕けた骨も繋がり、裂けた肉体もなんとか再生が終わった瑠奈はよろよろと立ちあがりながら、からかうように言う。
それをかぶりをふりながら親父はコーナーポストへと向かいながら答える。
「わかってねぇなぁ………。まぁ、どうせこれで最後の一撃だ。俺の最後の攻撃を見て感動しながら死んでいけ」
そのままコーナーポストに登り、手から鋭い爪を伸ばして親父は愉快そうに告げる。
「コーナーポストからの高所からの攻撃にてパワー2倍、両手の爪にてさらにパワー2倍! 回転して攻撃をすることにより、さらにさらに2倍!」
くっくっくっと往年のプロレス漫画のファンにしかわからないことを言いながら、コーナーポストの上に立ちながら最後の力を振り絞るように体に力を込める。あほらしいこの攻撃が昔は結構リングで受けたのだ。無論、今のように本当に漫画のようにはできなかったが。
「最後にっ! この黄金の毛皮の力でパワー2倍! 合わせて8倍のパワーとなった俺の攻撃を受けろっ!」
必殺だと毛皮を黄金に輝かせて瑠奈へと向けて、両手の爪を突き込むように回転しながら突撃してくる親父。
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、本当に馬鹿だったんだな!」
俺も最後の力を解放して風をもう一度体に纏う。
人外にとっては狭いリングだ。一瞬の内に回転した爪撃がくる。
「くらえっ! 二郎クラッシャー!」
黄金の力を纏い、突撃してくる親父へと両手を掲げて風を生み出す。
そうして最後の力と共に叫ぶ。
「なんで、最後が格闘技の技名なんだぁぁぁぁ! トルネード合掌捻り!」
そこは違うだろっとツッコミをいれつつ、目の前に爪撃がくるのを見ながら、体に竜巻を纏わせて、恐ろしい速さで回転して受け流す。
鋭い爪が身体を引き裂いていくが、気にせずに横へとずれて、親父の腕を掴み取り竜巻と共に捻るように吹き飛ばす。
「うぉぉぉ! 馬鹿な親父には負けねぇぇぇ。16倍の掛け算もできねぇやつに~!」
全ての力を振り絞りながら、回転する親父をさらに回転させてリング外へと放り出すのであった。
ぎゅるぎゅると回転した親父はリングを飛び越えてコンクリートの床へとめり込み、瓦礫を作りながら転がっていく。
転がりながら壁に当たり、壁を崩しその瓦礫が身体へと当たる親父。
「わーん、つー、てーん。俺の勝ちぃ~」
動け無さそうな親父の姿をみて、10カウントを省略して呟いた俺はそのまま疲れとともにリングへと倒れこむのであった。
一気に疲れが身体を覆い、指の一本も動かせないほど力を失ったのを感じる。
「もう一歩も動けねーぜ。少し休憩しないとな………」
すぐにレキの助けに行きたいが、体が動かない俺は呟くように言うが、ビルが大きく震えていく。
「な、なんだ。地震か?」
瓦礫がパラパラと落ちてくる中で驚く俺は周りを見るが
「な、なんだこれ? 血?」
窓ガラス越しに都市全体から沸き上がるように赤黒い血が最上階へと向かっていくのを見て驚愕する。
親父の身体からもなにか黒い靄が噴き出して最上階へと向かっていく。
「ちっ! 急がないとまずいか。今助けに行くからな………」
まだ身体が震えるが、休憩する時間よりもレキを助けに行くのを速めた方がよさそうだと考えるが、そんな俺へと声がかけられた。
「やめておけ………。馬鹿娘じゃ、きっと足手まといになるだけだ………」
ギョッとして見ると、血だらけになった親父が人間の姿で立っていた。再生が間に合わないのだろう。体のあちこちが裂けており、骨が見えている箇所もある。
「まだやるってのか? この馬鹿親父?」
再戦しないといけないようだと思いながら尋ねる俺に親父は静かな視線で見つめて言う。
「なぁ………こんな馬鹿げた人外の戦い………崩壊前にやったら大受けだったと思うか?」
「あ~ん? もしかしたら大受けかもな。いや、たぶん大受けだ。だけれどもそれじゃプロレスラーになろうとする人間はいなくなるだろうな。選ばれた人外だけがなれる世界じゃ」
俺の言葉にフッと微かに笑いを見せる親父。その姿に違和感を感じる。………いや、この感じは………。
「まさか親父………。洗脳が解けたのか?」
声が震えないように注意しながら聞き返す。馬鹿な親父がもっと馬鹿な親父になっていたのが治ったのかと。
「あぁ………。しこたま頭を叩かれて正気に戻ったか………。いや、たぶん違うな」
くっくっくっと笑いながら頭を抑えてよろめく親父。
ズズンと頭上から音が響き、二人ともふらついてしまう。
そこへ最上階からのエレベーターが降りてくるのが目に入った。誰かが乗っている様子だ。
「あっ! あいつ秀吉の叔父さん!」
エレベーターチューブにはカバンをいくつももって、でかいリュックを背負った見覚えのあるモンキー秀吉がエレベーターに乗り降りていく姿が見えた。
「あいつ逃げるつもりかよっ! 逃がさねぇ!」
よろめきながら足を進めようとする俺に親父が深く息を吐いて声をかけてくる。
「あぁ、あの馬鹿とは俺が話をつけておく………長い付き合いだからな………。お前はここから逃げるんだ」
瑠奈たちが来たエレベーターへとフラフラとしながらも向かっていく親父。
「あ~ん? 馬鹿を言うなよっ! 叔父さんを倒せば終わりなんだぜ? 俺も行くぞっ」
俺の言葉に悲しそうな表情で振り向き親父は告げる。
「あの馬鹿を倒しても何も終わらん………。そろそろこの興行も終わりなだけだ………」
チンとエレベーターのドアが開き、乗り込む親父。
「それじゃぁな? 元気でやれよ。お前の力ならプロレスをこの崩壊した世界でも復活できるはずだ」
ドアが閉まりエレベーターが降りていくのを見ながら、悲しい気持ちに包まれて俺は呟く。
「親父………俺は総合格闘技が好きなんだ………プロレス技を一回も使わなかったことに気づかなかったのかよ」
ふへと力無く笑いながら、目の前がゆっくりと暗闇に包まれていく。
「おかしいな………。まだまだ戦えるはずなのに………」
ゆっくりと倒れこむ俺の身体をポスンと抱き留める人がいた。
いつの間にここに? と疑問に思う俺の意識はそのまま眠りに落ち込むのであった。
「頑張ったで賞でござるな。さぁ、ここから脱出するでござる。既にここは人間がいて良い戦場でなくなるがゆえに」
時代劇の忍者のような口調の女性らしい声を聞きながら。




