284話 天空に浮かぶ大地にて
窓の外を見ると、窓越しに雲海が広がり、その中を過ぎていく雲は亜音速で飛行していると理解できる速さで流れていく。
その速度は自身にはまったくかからずに、それどころか贅沢極まるルームで百地は寛いでいた。
どこまでも深く沈み込むように感じる高級なソファ。目の前のテーブルには飲み物が置かれており、ここが飛行機の中だとは感じさせない。
百地にとって、飛行機とは狭い座席に座りながら長時間耐えるものなのだ。ファーストクラスなど乗ったことも無いが、そんなものを簡単に上回る体験をしているのは間違いないだろう。
プライベートジェットどころか、エアフォースワンをも上回る豪華さだと、大統領専用機など映画でしか見たことはないが、そう感じた。
「この機体は崩壊前の機体を上回るんだろうな」
呟くように俺が口にすると、ワインを飲みながら蝶野が答える。
「全長120メートル、その大きさでも亜音速での高速飛行を可能にした機体ですからね。世界最大であることは間違いないでしょう」
「ふへぇ〜、私たち凄い飛行機に乗っているんですね」
感心しながらナナがケーキを口に入れている。綺麗な意匠の洒落たケーキだ。あれは何個目だと呆れながら、俺は一応注意をしておく。
「あんまりガツガツするなよ、俺らは若木シティ代表として来ているんだ。お迎えの飛行機の中で泥酔したり、腹を痛くしたら歴史に残る恥晒しになるからな」
うぐっとナナが口ごもり、チラチラとケーキへと視線を注いで
「大丈夫です、隊長。あと1個だけ、あと1個だけ食べれば我慢できると思うんです」
別腹です、別腹と言い訳をしながら、ナナがCAにもう一つケーキ下さい。今度は違うこのケーキでお願いしますと頼んでいるのを見て頭痛を覚える。
女性は甘い物に弱すぎると苦笑しながら、蝶野と仙崎へと視線を向けると、二人はウィスキーを水筒に注いでいるところであった。
はぁ〜と嘆息した俺の顔を見て、慌てて言い訳をしてくる。
「ウィスキーは昔と違って高いんですよ」
「そうそう飲み放題みたいなので、水筒にも入れておこうかなと……」
コイツラ、姫様のアホさに感染しているんじゃなかろうなと、注意をしておこうと椅子を立ち上がろうとすると、横から呆れた声音で声がかけられた。
妙齢の美女たる日位玲奈である。政治に弱い俺たちが誘ったアドバイザーだ。
「まぁ、これほどの飛行機に乗ることなんて初めての体験なんだし、良いのではないかしら。あちらも一日目は疲れをとるようにと、なにも予定は入っていないんでしょう?」
「たしかにな。信じられん楽なスケジュールだ。政治家ってのは、もっと分刻みのスケジュールじゃないのか?」
これでは旅行だと言われてもおかしくないだろうと疑問を呈するが、日位玲奈は肩を竦めて答える。
「昔と今じゃ時間の使い方が違うのではないかしら。のんびりと働くのがあちらさんの考えなのかもね」
「それはホワイトな働き方でなによりだ」
俺もグラスにウィスキーを注いで椅子へともたれかかる。
その柔らかな感触を味わいながら、それぞれ若木シティの面々が寛いでいるのを眺めて、こんな日がくるとはと改めて思うのであった。
建国の話し合いをしに俺らは今、大樹の用意した亜音速輸送飛行機に搭乗して、一路大樹本部まで向かっているのであった。
知り合いは泣いて喜び、万歳三唱までして送り出してきたものだ。歴史に残りますなと言われてもピンとこないが、たしかにそのとおりなのだろう。
自分が教科書に載るだろうと、学校の教師に言われたが、ただ懸命に崩壊後の世界を生き抜いてきただけであるのだから。
そんな俺の考えをよそに亜音速輸送飛行機は数時間後、天空に浮かぶ巨大な大地とも見える戦艦へと着陸をしたのであった。
雲海の中に浮かぶ大地。森があり、小さな湖も見えて、田園風景も広がっていた。空にこれだけの大地を作ることに成功した大樹の技術に感心する。
ここは港として使われているのだろう。周りには他の土地から来たと思われる輸送船が何隻か停泊しており、コンテナをいくつも高度な技術で作られたであろうドローンが飛び交い運び、それを操作している人間の姿が見えた。
「凄いものだが、それでも数が少ないな?」
田舎から上京してきたおのぼりさんのように、キョロキョロと周りを見ながら、総勢20人ばかりの俺らの団体は飛行機を降りる。
タラップをカンカンと金属音をたてながら降りるさなかで、疑問を口にする。若木シティのみでもかなりの物資の消費をするだろうに、この船の数ではそこまで物資は多くない。
「ここは大樹本部だ。必要な物と人のみが集まるのだよ。他は物資集積所となる別の場所へと集まっている」
耳に入れる冷酷な声音は聞き覚えがあるので、視線を向けるとつまらなそうな表情に酷薄な笑みを見せて、鋭い目つきの上等なスーツを着た男性が立っていた。周りにも何人もの人が佇んでいる。
俺はニヤリと笑いながら、手をあげて挨拶をする。
「よう、ナナシ。お前さんが俺たちの歓迎役か?」
フッと口元を微かに曲げて、相変わらずの皮肉めいた男は飄々と肩をすくめて俺へと視線を向けた。
「そのとおりだ。私が外交官役なので、疲れるが仕方ない」
そうして俺らは大樹本部へとようやく足を踏み入れたのであった。
それぞれがリムジンのような大きな車に分乗して、俺らは街中を移動する。車で移動すればたいした距離ではないのであろう。のんびりと車は移動をしていた。
「これだけの車で速度は30キロも出ていないのか?」
「本当に贅沢な車とはこれぐらいの速度が良いらしい。昔の小説でそんな話があったが、納得だと私は思うよ」
「本当に贅沢な時間の使い方とはそういうものかもしれませんわね」
俺と一緒に乗ったのは、ナナシとその部下、そして他を押しのけて乗ってきた玲奈である。
まぁ、この速度でも車を使えば、そこまでこの大地は広くない。すぐに豪奢な屋敷へと到着する。
鹿鳴館のような古き良き外交用の屋敷だ。迎賓館として作られたのだろうことがわかる。
「ここが君たちの宿舎だ。一週間の滞在はここになる。召使いはそこそこ配置しておいたから、なにか欲しいものがあったら頼めばだいたいの物は持ってくる」
柔らかな陽射しが窓越しに注いでおり、この屋敷は陽射しからなにから人の見る場所を効果的に美しくみせるように色々と計算されているのだろう。観光客が名所を見に来たように観察をしながら中に入る。
「どうぞよろしくお願いします。若木シティの方々」
これまた古きセンスのメイド服を着たメイドたちが20人立っており、ロマンスグレーの執事と他数人が屋敷に入ると一斉にお辞儀をしてきて挨拶をしてくるので、多少驚く。こんなのは別世界のような感じだ。
「随分古い歓迎の仕方だな」
「那由多代表は懐古主義でね。昔が良かったと考えているのさ」
俺の言葉に皮肉げに答えるナナシの言葉にある意味納得した。今の若木シティは昭和初期ともいえる映画の中での生活と思われたものだからだ。
スマフォは使えず、テレビもない。劇場や映画が人々の楽しみとなっており、商店街が活気が溢れて客と丁々発止の値引き合戦を繰り広げている。
大企業の進出に伴う大規模なスーパーは品物を安くは買えるようになったし、様々な物がいっぺんに揃うという利点があるが、それでも活気のある商店街は見ていてなんとなく楽しいし、映画や劇場が満員御礼なのは、ガラガラの映画館よりも遥かに良い。
那由多代表の気持ちもわからんでもないと思う。
やり直そうということなんだろう。社会規模ですべてを。
壮大な思想であるが、今の状態を見るに夢物語ではない。この思想の行き着く先はなんなのだろうと、俺に似合わず考えるが、エリートの考えることはわからん。大樹の動きに注意していくだけだ。
「はい! レキちゃんはどこに住んでるんですか! 会いに行きたいのですが?」
勢いよく手をあげて、荒須がここに来た目的を隠さずに口にするので嘆息する。少しでも隠す様子を見せれば良いものを、相変わらずの単純思考だ。
「あぁ、レキは現在東日本を探索中だ。それほど時間はかからないはずだから滞在中には会えるだろうよ」
つまらなそうな表情で荒須へと返答をするナナシ。だが、ぴくりと眉が動き多少の動揺が見えたのを俺は見逃さなかった。
やれやれ、こいつは相変わらず不器用な人生を過ごしているらしい。内心で嘆息しつつこれからの予定を尋ねる。
「明日からは那由多代表との話し合いから建国宣言を行う予定だ。話し合いがスムーズにいけば5日後には発表されるだろう。すでに人々にはそのように宣伝をしているしな。今日は英気を養うと良い」
こともなげに伝えてくるが、その場合は各地のモニターへと俺の顔が映し出される。これから街を歩くときは大変そうだとうんざりもするが仕方ないのだろう。
「そういえば、ナナシ様。若木シティ以外には国家建設を提唱した地域はありませんでしたの? 外国などはそのようなことを言ってきそうですが」
日位玲奈の当然の疑問に冷笑を浮かべて、ナナシは答える。
「あぁ、他はうまくいっていないな。彼らは愛国心が高いのか、独立心が高いのか………。大樹傘下になることをよしとしない。自分たちでやっていけると信じていたよ」
過去形である物言いが気になるな。その言い方だとと疑問が顔に浮かんだのに気づいたのだろう。ナナシはかぶりを振りながら教えてくる。
「その通り、過去形だ。既に大樹の庇護下となっている生産地域以外の、救出しようとしたコミュニティのほとんどはそのまま崩壊をしている。そうして大樹へと避難民が流れ込むのだよ。彼らはミュータントと対等に戦えると、生き残って再び国家を再興できると信じて大樹の差し伸べる手を拒否した」
「………この崩壊した世界でなんでそんなに自信があったんだ? 俺らもミュータントとの戦いは無数にあるが、正直強敵相手には手も足も出ない感じだが」
その言葉に軽くため息をついてナナシは皮肉気に口元を歪めて告げてきた。
「彼らは豊富な銃があったんだ。その力でゾンビたちを撃破していったので、このまま崩壊後も生き残れると勘違いした。大樹が救援に行くと銃で反撃もしてきたものだ。崩壊前の銃が通じると信じていたのだよ。日本はそこまで銃は多くない。自衛のために使えるが、弾が尽きるのが目に見えていた程度にはな」
「なるほどな………。順調に育った苗木は若木シティだけというわけか」
「愚かですが………。気持ちはわからないでもありませんわね。見知らぬ軍隊より、手の中にある銃を信じようとしていたのですね………」
多少しんみりとした声音で悲しそうに日位玲奈が感想を言葉にするが、そのとおりだろう。そいつらは突如現れた軍隊を信用できなかったに違いない。自分たちが自衛できるとあればなおさらだ。
「だが、避難民もこの生活に慣れれば、じきに大樹庇護下の国家への参入を考えるに違いない。ミュータントの力を思い知っただろうからな」
「それまでは俺らが先行しているというわけだな。どうやら俺らは幸運だったようだな」
うむと頷き、ナナシは話を変えてくる。
「さて、ではこの街の案内をしようか? 今日の私はもてなし役だしな。酒臭いから少し歩くとよい」
にやりと腹黒そうに笑みを見せて、嫌なところをついてくる。ごほんごほんと何人かが咳払いをして誤魔化そうとしている。だから飲みすぎるなと言ったのだ。
俺はため息を吐き、ナナシへと案内を頼むのだった。
数グループに分かれて、俺らはこの本部を案内してもらえることとなった。俺らの案内役はナナシ。一緒にいるのは蝶野、仙崎、荒須、日位だ。
のんびりと緑豊かな景色が映る中で徒歩で移動をする。風が気持ちよく緑の匂いが空気が美味いと感じさせてくれる。
「緑が多いな。中心街も公園が多い」
「そうですね、隊長。もっとビル群で埋まっているような感じだと思ったのですが」
仙崎がきょろきょろとしながら、俺の言葉に対して言葉を返す。
ビル群はなく、5階建てがいいところだろう。まるでリゾート地だ。いうなれば中心街もそこまで店は多くなさそうであり、軽井沢のリゾート地のような感じだ。
そこそこ栄えているが、都会といった感じはしない。のんびりと人々が暮らしているのが見えた。
湖にはのんびりと釣竿を垂らしている男性。平原ではピクニックを楽しんでいる家族。公園では子供たちが走り回り遊んでいる。
「ここは本部で働いている人々の家族が暮らしている。その召使いも合わせてな。夫は働き、家族はのんびりと悠々自適に暮らしているわけだ」
「リゾート地という感じですわね。全員のんびりとした様子ですし」
日位玲奈が感想を言うがその通りだと頷く。
「人々の最後の砦はリゾート地だとは皮肉めいているな。日位君はそう見るか。だが、ここには見えない地下などには多くの研究所が隠れていることを忘れてもらっては困るな」
「そうですわね。普通の大地と勘違いをしてしまいました。これは船ですものね。船内にこそ多くの施設があるというわけですね。迂闊でしたわ。それとナナシ様、わ、私は玲奈で結構ですわ。名前呼びでお願いします」
積極的にアピールする日位玲奈だが、その言葉がナナシに届くかはわからん。まぁ、男女の関係なぞ俺が気にすることでもない。
「やれやれ、まるで貴族の暮らしのように見えるが気のせいか?」
「のんびりした暮らしを見るにそう感じますね」
蝶野も同意してくるが、意外そうな表情でナナシは口を開く。
「崩壊前から大金持ちはこういう暮らしだったぞ? 例えるならば、この本部に世界中の金持ちが集まっているという感じかもしれないがな」
「あぁ、たしかにそういわれるとそうかもしれんな。贅沢な暮らしをしている人間を俺らは目にすることはなかっただけで」
たしかにそのとおりだ。貴族のような暮らしというが、崩壊前の格差社会からそのような暮らしは存在していたのだ。メイドを飾り立てることが流行っているといつかニュースで見た事がある。その時はそんな金があるとは大金持ちとは本当にいるものだと考えたものだ。
そんなことを思いながら、観光客として周りを眺めている時であった。
「おい! お前らは下界の人間なのか?」
子供が数人こちらへと近づいてきて問いかける。
「下界? なんだそりゃ?」
俺の言葉に子供はふふんと胸をはって威張るように言う。
「俺たち天界人が救済している者たちの名称だ。お前たちは下界人なんだろう?」
下界人とはまた凄い言い回しだなとナナシへと視線を向ける。エリート主義ここに極まりだ。
肩をすくめてナナシは子供たちへと鋭い視線を向ける。
「その言い方は感心しないな。那由多代表もそう言っているはずだ」
うぐっと後退りして、子供はふくれっ面になり対抗する。
「だって、お父さんはいつもそう言っているもん。天界人が下界人を救済しているんだって。俺らのおかげで下界人は生きているんだって」
ふむと軽く頷き、ナナシは軽く手を振るとモニターが宙に浮かぶ。それを見てナナシは考え込むように告げる。
「それは間違いだ。君は第二戦隊の隊長の息子だな………。あとで父親に言っておこう。軍人というのはまったく常に人々を救っているのが自分たちだけだと勘違いをするのだから困りものだな」
父親を叱責するつもりなのは明らかだ。どうやら、この子供はいらんことを言いに来たようだ。他の子供のリーダーなのだろう。良いところを周りの子供に見せようとしたに違いない。不穏な空気を感じて体をこわばらせる子供たち。
少しばかり可哀想だが、仕方ないかと内心で考えていると、荒須が子供の前に座り込み目線を合わせて、相手の頬を両手で抑える。
ムニュムニュと頬を挟む荒須。
「な、なにするんだよ! 下界人めっ!」
慌てて怒る子供へとニコニコと笑顔で荒須は尋ねる。
「ほほ~。私が下界人だとどこらへんでわかったのかな?」
「そ、それはナナシ様が連れている人間だし、今日訪問してくると知っていたし………」
「それじゃ、違いはないんだね? 私も君も?」
うぅと唸りながらも素直に頷く子供。ふふっと安心させるように笑って荒須は言う。
「人間に天界人も下界人もいないんだよ。きっと君のお父さんは冗談を言っていたんだよ。漫画の見過ぎかもしれないね」
ちらりと荒須はナナシへと視線を向けるので、フンっと息を吐いてナナシは仕方なさそうに答える。
「あぁ、そうだな。君のお父さんには冗談だと息子に言っていないから、本気にしていたぞと強く言っておこう」
その答えに満足そうに頷き荒須は子供と目を合わせて尋ねる。
「だってさ。冗談だって、あとでお父さんが教えてくれるよ。それで私たちに声をかけてきた理由は何かな?」
「えっと、地上の暮らしってどんなのかなって。昔は僕たちも地上で暮らしていたけど、今の暮らしがどうなのかって気になったんだ」
おずおずと声をかけてきた理由を話す子供へとにぱっと明るい笑顔で荒須は答える。
「そっか。それじゃ今の生活を教えてあげるよ。どこか座るところはないかな?」
荒須の言葉にやったーと満面の笑顔になり、嬉しそうに手を引っ張って公園へと案内をしようとする。そうして、手を繋いで子供たちに案内されていく。
「まぁ、良いんじゃないか。今日は君たちの自由時間だしな」
ナナシがそう答えて、荒須の後をついていく。
「やれやれ、荒須隊員には敵いませんな」
蝶野が苦笑交じりに言い、仙崎も頷いて歩いていく。
「ナナシ様は子供好きなのかしら? 私も子供好きをアピールしようかしら」
日位玲奈が呟きながらもついていく。
「貴重な本部での一日だが………まぁ、こういうのも俺ららしいな」
俺もそう呟いて、公園へと入っていくのであった。




