229話 くたびれたおっさんはくたびれる
そろそろ梅雨の時期に入ったかもしれないと、いかにも雨が降りそうな感じのどんよりとした分厚い雲を空を見上げて思う。
窓越しに覗き込むように空を見る姿は美少女なら絵になっただろう。きっと一枚写真良いですか?とか絵を描いて良いでしょうか、美しいお嬢さんとかロマンスグレーの絵描きのお爺さんが声をかけてきたかもしれないが、残念ながら本日はくたびれたおっさん代表朝倉遥である。
はぁ~と細い息を長々と吐いて、ソファにドスンと座り込み体をぐでっとするので、そろそろ寝ている間に虫ならぬ粗大ごみに変身しまうかもしれないおっさんは、本当に疲れていた。
ふぅ〜と嘆息して、コホリと咳をしてから、ちらりちらりと窓の外を眺める。なにを求めているのだろうか、きっとしょうもない内容だろうと簡単に予測がつく答えを口にする。
「なんか、シチュエーションを良くするために、ちょうどよく雨が降らないかな? ざぁざぁと雨が降り始めて雰囲気が重くなるように。できれば雷もセットで」
やはりしょうもない内容だったことが判明したおっさんの思考であるが、仕方ないなぁと竹笊に砂利を入れて、左右に振り始めるサクヤ。
ざざぁんざざぁんとリビングルームに水の音がするが、それは波の音であり、雨音はまた違うよねとツッコミたい遥。雨音はまた違うやり方が必要なのです。
だが、銀髪メイドは得意げにざざぁんざざぁんと波の音を鳴らしているので、ボケているのか本気なのか判断に苦しむよと珍しく迷ってしまう。
そんなしょうもないコントをしている二人へとナインがてこてことお盆におやつセットを持ってやってきて、その光景を見て苦笑する。
いったいなにがあったのか、すぐさま理解してしまう、できる娘なナインはテーブルに音をたてずに上品な所作でショコラケーキとカフェオレを置き、ニッコリと疲れを癒やしてくれる笑顔を浮かべる。
「マスター、だいぶお疲れのようですね。マッサージをしましょうか?」
「良いですね、波の音をたてていたら疲れたので、私にも一つお願いしますね」
素早くナインの申し出を主より先に受ける銀髪メイドは、やはりボケていたと判明した瞬間であった。
「やっぱり波の音だとわかっていたんだな! わかりにくいボケだと突っ込めないでしょ! あとナイン、私にもマッサージをよろしく」
「チッチッチッ、私の得意げな顔の口元をもっとよく見てくれれば、ニマニマと悪戯そうに笑っていることがわかったはずですよ、ご主人様」
フンスと息を吐いて、ドヤ顔で指を振ってくる悪戯そうな笑顔のメイドなので、その苛つく指の振り方は止めなさいと、遥が掴もうとして、サクヤがヒョイッと躱していくので、ムキーとそれでも指を掴もうとするお疲れ遥。
そんな傍目から見たら、戯れるおっさんとメイドの風景はなんだか背徳的かほのぼのとした感じなので判断に困るところである。
「ほらほらマスター、そこにうつ伏せに寝てください」
可愛らしいちっこいおててで、ナインが弱い力で背中を押してくるので、なんか癒やされるなぁとうつ伏せに寝る遥。
ヒョイッとナインは遥の腰に乗り、優しい手つきでマッサージを始める。グイグイと絶妙な力加減でマッサージをしてくれるので、これは極楽だぁと、体が温かくなってきてその気持ちよさにウトウトし始めてしまう。
腰にあたるナインの柔らかくて温かい感触も照れくさく、寝ちゃおうかなぁと考える駄目なおっさんである。それに美少女にマッサージなんて最高のご褒美であるからして。ナインにもあとでしようかと言いたいが恥ずかしくて言えない年齢不詳なおっさんだった。
なにげにマッサージなんて滅多に受けない遥は、ほぐれていくような気持ちよさをかなり気に入った。崩壊前は旅行とかでマッサージを頼めたりもするし、普通のマッサージ屋もよく見たけど、なんとなくマッサージは照れくさいしお金を払うのは嫌だよねと受けたことがない。
「今日は凝りがとれるまで頑張りますからね、マスター」
なので、マッサージを楽しみながらウトウトとしていると、ナインから気遣わしげに心配そうな声音で話しかけてくるので辛うじて意識を保つ。といっても、ほとんどは夢の世界なので、なんでも適当になってしまう可能性あり。今までも適当だったでしょうという話には、眠たくて授業を受けていたら、謎の暗号がノートに書かれていたでしょと反論予定のおっさんであった。
「なんかね〜、昼行灯め、余計なことをしてくれたねと困っているんだよ。とりあえずは釘を指したけど、釘抜き機であっさりと抜いちゃいそうな感じもするし。どうしようかな〜と思ってさ」
小説とかだと昼行灯というキャラは結構好きだ。力を隠しており、いざという時に活躍する飄々としたキャラなので、おっさんもそんな存在になってみたいと、なんどとなく考えたことがある。まぁ、おっさんは昼にも灯されないので昼行灯にもなれないと思われるが。
そして、現実であんな男がいたら極めて厄介だと判明して扱いに困る遥。その姿はなんだか昼行灯を陥れようとして失敗して酷い目に合う小物悪人みたいな感じだ。極めておっさんには相応しい役どころではなかろうか。
「そうですね、あの手の輩は面倒くさいですよね。大樹への抗議活動は、遥様は遥様のぼでぃで裸で道路を行進しろと言っているみたいなものですから、需要がないどころか、公害ですよね。レキ様のぼでぃなら満員御礼間違いなしですが」
ざざぁんざざぁんざざぁんざざぁんと大波の音をたてながら楽しんでいるサクヤの発言に
「なかなか言い回しが上手いね、サクヤくん。ナイン、彼女の夕飯は白湯でお願いね」
みみっちいお返しをして、プンスコとサクヤが唇を尖らせて抗議をしてくるので、またもやコントになる事態をナインが口を挟み止める。この二人は相性抜群過ぎますとすこし嫉妬もしていたりするのはナインの秘密である。
うんせうんせとマッサージに力を込めて頑張っているアピールをしながらナインが言う。
「でも、どうしましょうか? このままだと抗議活動は増えるかもしれませんよ?」
気遣わしげなナインの言葉に遥も迷ってしまう。あと眠い。
「う〜ん、民忠度が可視化されればなぁ。私は常に90以上に忠誠度を上げていたんだよ」
もちろんゲームの中の話であり、現実ではそんなものはない。散々ゲーム仕様に頼ってきたが、やはり民忠度はシムなゲームで一番大事だねと考える遥。そんな都合の良いシステムがあれば政治家は苦労しないのだが、やはり平凡なおっさんには必要なのだ。
「このままだと抗議活動をする人が増えていくかもしれません、なにしろ一回抗議活動をしたら、次もやっても良いかなと抵抗感を無くして思う人はいるでしょうし」
遥の腰を揉みながらナインが思案げに言ってくるが、もちろんそんなことはわかっている。わかっているが、止めようが無いのが今の現状だ。
まさか憲兵隊よろしく弾圧する訳にもいかないし、そんなつもりも毛頭ない。抗議活動お疲れ様と思うだけで、なにしろおっさんの気持ちを変えないといけないが、変わることは絶対にないから、大樹はビクともしないのであるからして。
「そうなると打つ手がないんだよね〜、ゲームだと民忠を一気に上げるのに、宴会を毎回してたんだけど……。ん? 宴会か……」
自分の発した適当な言葉に黙りこくり考え始める遥。えいえいとマッサージをしながら、優しげな視線を向けるナインと、今度はどんなことをしようかと波音をたてながら考えるサクヤ。サクヤはどうでも良いかもしれない。
「なぁ、サクヤ? 今の関東制圧隊はどれぐらいの地域を解放しているんだ?」
波音をやめて、今度は馬の走る音でもたてようと、コップを持っていたサクヤに声をかけると、すぐに確認もせずに答えてくる。
「現在は東京、埼玉、茨城、神奈川が制圧済みです。栃木に群馬はまだですが、栃木までは制圧させる予定です。群馬は多少怪しい力を感じますので、制圧はツヴァイたちに任せるつもりですよ」
迷いもせずに、ハキハキと答える有能さを見せつけるサクヤに対して、いつもこうなら頼もしいのにと思うが、やっぱりサクヤはふざけてくれないと楽しくないなと思い直すすっかり毒された遥は今の言葉を考察する。
「なら、もうほとんど関東は制圧した感じだよね。栃木と群馬には可哀想だけど、これはもう関東制圧は終わったといっても過言ではないよね」
ふむふむとサクヤがその言葉の意味を腕を組んで考えて尋ねてくるが、それは質問というより、自分の推測が当たっているかの確認であった。
「宴会を開くというのですか? 民忠をゲームみたいに上げようとするのですか? 君主の魅力が高くないとあんまり効果はないかもしれませんよ?」
おっさんの能力の数値はオール60ぐらいでしょと、にこやかにディスる忠実なる銀髪メイド。
「なかなか辛辣なサクヤさん。そろそろお互いの上下関係をわからせるときがきたみたいだね?」
「ふふふ、そうで、痛っ!」
コント再びという空気を珍しく頬を膨らませたナインがサクヤにトレイを投げて終わらせる。いたたと言いながら、サクヤはさり気なく洗面台に額が赤くなっているかもしれないと脱出していく。
待った待った、私も避難をと思う遥だが、腰にはナインがポスンと乗っており、重くはないが精神的に重さを感じ始めて冷や汗を流す。
「マスター? たまのマッサージなんですから、ジッとしていてくださいね? 毎日やっても良いですが」
「あ、はい。お願いします、ナインさん」
大人しくマッサージを受ける遥にナインが顔を耳元に近寄らせて、珍しく妖艶そうな声音で、こっそりと小声で話しかけてくる。
「せっかくの触れ合いなんですから、もっと私の相手をしてください、マスター」
息もかかって、こそばゆいし、照れるし、嬉しくて仕方ないしと、スライムみたいに溶けてしまうかもしれないおっさんであった。
数日後、おっさんは若木シティへと舞い戻っていた。というか晴天の中、若木シティの中央ビル前に壇上を作り、堂々と立っており、周りにはワイワイと人々が集まっている。
人々が楽しそうな笑顔でこちらを見てくるので、注目されるのは嫌なんだけどなぁと、主人公みたいなことを思っているが、主人公もこんなふうに壇上に立つのは嫌がるかもしれない。
だって、主人公の注目されるのは嫌というのは意味合いが違う。本当は嬉しいんだけど、照れ隠しとかで嫌なんだよと言うのが主人公の弁。しかしながらそれは街のスター的な扱いに伴う注目度であり、このような壇上に上がり注目されるのは嫌がる主人公は多いはず。そして、おっさんは本当に嫌なんです。
こんな演説台みたいな場所で、内心でウンザリしながらも、合図を出すと、最近劇団と一緒にできた楽団が一斉に音楽を奏で始める。
パンパカパーンと勇壮な音楽が周りに響き渡る中で、少し離れた場所から昼行灯たち関東制圧隊が、真面目な表情でキビキビと歩きながら壇上へと近寄ってくる。
ズラリと並ぶその精悍な姿を確認して、軽く頷きマイクを前に遥は苦手だが仕方ないねと思いながら、声を発した。
「まずはおめでとう、関東制圧隊の諸君。今回の君たちの働きにより、ほぼ関東は制圧が終わり、安全圏は大幅に広がった。これも防衛隊や関東制圧隊、そして大樹本部からの出向隊のおかげだ。ここに感謝の気持ちを表すべく、集まって貰った次第だ」
なまくらな視線を昼行灯たちに向けて、両手を掲げて嬉しさを表しながら、壇上へと上がるように合図をだす。
素直に昼行灯が壇上に登ってくるので、にこやかに見えるかもしれない胡散臭そうな笑顔を浮かべて歓迎をする遥。素直で良かったよと内心は安心しているけど。
「飯田君を今回は代表として、贈答品を贈りたいと思う。受け取ってくれるだろうか?」
すっと目録を渡す遥に対して、昼行灯は素直に受け取り頭を下げるので、ちょっと警戒していたりする遥はホッとする。小説とかだとこんな時に騒ぎを起こすのが主人公だからだ。それを恐れて贈答品もちょっとこずるい感じにしたのだが。
「ありがとうございます、ナナシ代表。ありがたく受け取ります」
にこやかな笑顔を浮かべながらも、目を細めて全然本当は笑っていない昼行灯を見て、苦笑しながらも、そういえば私の役職って正式にはなんだろうと考えるが、課長代理ぐらいで良いかなと思う遥である。
こんなシチュエーションで贈答品を贈るような課長代理はいないと思われるが、おっさんなのでこれぐらいで良いでしょと、たとえ壇上にいてもくだらないことを考えるのであった。
「はて、感謝の気持ちである贈答品だが、なにが入っているのだろうと思う人たちも多いだろう。もちろん皆にも伝えようと思う。これは関東制圧隊への様々な物資、そして」
こほんと咳をつき、再び間をとったあとに強調するように人々を見渡しながら言う。
「コミュニティ全体の人々が個別に使える10万円分の物資購入券だ。飯田君が受け取ってくれた券を使用してくれれば、関東制圧隊からコミュニティ全体へのプレゼントとなるわけだ。飯田君、その券を使用してくれるかな?」
「……もちろんです。喜んで使わせて頂きますよ」
その声に、わぁっと歓声を人々はあげて喜びながら何に使おうかと早くも悩み始めるので、静かにするように手を振って
「ありがとう、飯田君。昨今は殺伐とした空気もチラホラと見えており、我が事のように那由多代表も気にしていた。それらを払拭させてくれたと信じているよ」
そうして、ざわめく眼下の人々を見渡しながら、強調するように告げる。
「大樹のやり方を公開してくれという人々の声を最近よく耳にするが、残念ながらこの危険な崩壊した世界では、最後の守らなければならない一線としてやり方を公開はできない。極めて残念だが、それだけの価値はあるとこれからも貴方たちに思ってもらえるように、頑張っていくのでご理解頂きたい」
昼行灯から強い視線が感じられて、怖いんですけどとガクブルなおっさんは演技スキルに任せ、にこやかに胡散臭そうな笑顔を浮かべて
「その一環と言ってはなんだが、今日は祭りとしておおいに飲んで食べてほしい。それでは閉会としよう」
ちらりと司会へと目をやると閉会を始めるのであった。
わぁわぁと、祭りだ祭りだと、最近では久しぶりの祭りに人々は喜んで飲み食いをしており、北海道の避難民の人々も、前から住んでいる人々と会話をしながら楽しんでいる。
「ここはそんなに祭りが多いのかい?」
「あぁ、大樹は太っ腹だからね。毎回かなりの補助金を出してくれるので、大騒ぎさ」
「酒が50円、お菓子が10円なんてタダみたいなもんだよな」
「それじゃ、やっぱり抗議活動なんかしないほうが良いのかもな、普通の奴らじゃここまでのことはしてくれないよ」
「10万円、何に使おうかしら?」
ざわめく会話は大樹の良さを話している人も多い。まぁ、目の前で飲み食いできて、お金も貰っているのに悪くは言えまい。この技は以前に使ったが、単純ゆえに人々からの受けが良い。かつての政治家たちがバラマキ政策をするわけだよと実感する。
そして、以前からの若木シティの人々との交流の機会になり、今までの大樹のやり方も聞いているのだろう。まあまぁ好意見が多いかなと遥はのんびりと人々を見ながら思う。
「いやいや、やられましたよ。ナナシさん」
声がかけられるが、予想通りだねと振り向くと、苦笑しながら昼行灯が立っていた。
「まさかシティ全体への贈答品を配るとは考えもしませんでした。これで騒ぎを起こしてなかったことにすれば、悪者は私たちになってしまう」
「ふむ、そんな気はなかったのだがな。騒ぎなんか起きるわけもあるまいし」
ニヤリと笑いながら答える演技派遥に対して、昼行灯は肩をすくめて飄々とした感じを見せる。
「切れ者であるとは聞いていましたが、予想以上でした。しばらくは抗議活動もできないでしょうし、その間に下火になることは目に見えています。今回は引きましょう」
良かった良かったと、その言葉に安心する遥へと、少しだけ強い目つきとなり昼行灯はこちらの想定外のことを突きつけてきた。
「ですが、朝倉レキへの報奨はいつするのでしょうか? 私たち以上に人々を救い頑張っている少女はいつ報われるのですか?」
「………ふむ……レキは大樹本部の者だ。その功に報いていつかは大々的にやるだろうよ」
遥が遥に贈答品をあげる。壇上でそんな一人芝居をするのはタダの罰ゲームであるから、いつかはこないけどね。
「なぜ、そこだけは他人事なのですか? まるで彼女を気にしていない風にしか見えない。協力して復興をしているのでは? 彼女と話をしたことは? 顔を合わせたことはありますか?」
どんどんと痛いところをついてくる昼行灯に対して、鏡がないと顔を合わせられないし、話をしていたら意味不明になるよと言いたいし、必死な昼行灯に罪悪感を感じて、ついつい辛い表情を浮かべてしまう。
そんな表情に気づいたのか、訝しげな顔になる昼行灯へとひらひらと手を振って答える。
「会うことが必ずしも良いとは限らないのだよ。残念ながらね」
そう言って、もはや罪悪感に耐えられないとため息をつきつつ帰宅するおっさんであった。




