173話 防衛隊のおでん屋慕情
若木コミュニティ。そのコミュニティは今は以前の生活に戻ったかのような風景が周りに現れている。
安全のために閉められたビルや家はもはやなく、人の住まない多くの家屋は解体されて更地となっている。
更地は都市計画に伴い区画整理ともいうべき開発が行われて、農業をやる者は素人なりにアドバイザーからの助言で苦労しながら田畑を耕しており、運搬やその他の床屋や家具作りといった職業に就く者もチラホラと見える。
そして人々は崩壊時を思い出す悲しい風景が無くなり、安心して外を歩けるようになったことで忙しなく出歩いている。そこにはたしかに復興がすすんでいる風景があった。
今は時間としては日没前、ちょうど買い物をしに人々が出歩く時間だ。
若木コミュニティには新たに商店街ができており、多くの人々が行き交っている。その人々へ店の主が声をあげて客寄せをしていた。
「おっ、そこのお嬢様、今日は蜜柑の良いのを入荷したよ! 甘くてほっぺたが落ちちゃうよ〜」
「おっと新鮮なサンマがあるよ〜。旬じゃない? お味を確かめておくれよ、奥さん」
「鶏肉、鶏肉の良いのがあるよ〜。今日は鶏鍋が良いよ!」
様々な呼び声を聞いて仙崎はその考えを否定した。
「いや、以前じゃないな。以前はこんなに活気がある商店街など見たことがない」
そう呟き苦笑しながら頭を振る。崩壊前はショッピングモールが幅をきかせて、商店街などシャッター街と言われていた。実際にシャッターだらけの商店ばかり。このような活気ある姿は見たことない。
騒々しい商店街を歩きながら、こんな風景は映画で見たのだと気づく。昭和時代の高度成長期の人々の暮らしを映画にした内容だ。そこではこんな感じの生活があった。
そこには人が生きていた。そう感じるぐらいに生き生きとしていた。そう、今のこの商店街のように。
「便利さも良し悪しか。昔は良かったと老人が言うほど良かったとは思わないが、こういう風景を見ると考えちまうな」
ポケットに手を入れてぶらぶらと歩く。そこには人々の営みがあった。騒々しい商店街を歩くのが楽しいと、崩壊前には思ったこともないことを考えながら、仙崎は商店街通りを通り抜けていくのであった。
騒々しい商店街をすぎると食べ物屋通りとなった。そこそこの数の食べ物屋が軒を並べている。復興した証拠でもある。物資が潤沢に存在しているからこそ、食べ物屋ができるのだから。
そこで目当ての店を目につけて歩み寄る。看板には水無月とレキのおでん屋さんと書いてあった。
ガラスの引き戸に板張りの壁に赤提灯がぶら下がっていて、一見古い作りに見えるお店だ。だが、この間リフォームしたばかりなので、わざとそういう作りにしているのだろう。崩壊前にも、わざとそういう作りにしている店はたくさんあったのを知っている。
ガラスの引き戸に手をかけると、中から騒がしい声が聞こえてくる。俺は少し緊張して、コホリと軽く咳払いをする。聞きたい声が聞こえたからだ。
別段当たり前に見える態度で、ガラガラと味のある音をたてて、ガラス戸を開ける。
中へと入ると騒がしい声が一気に耳に入ってきた。中で多くのお客が騒ぎながらワイワイと飲み食いをしていた。
俺を見て、店主たちが挨拶をしてくる。
「いらっしゃいませ〜」
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」
「ん、いらっしゃい」
水無月姉妹と、珍しく朝倉レキがいるのが見えた。朝倉レキの横には荒須の養女もいる。4人とも忙しそうに働いていた。
見るとお客でいっぱいであった。そこには見慣れた同僚もいる。
この野郎たち、どこで情報を仕入れやがった?
俺は目つきを鋭くして同僚たちを睨む。
「お、仙崎さんも今日はおでんですか。俺もおでんな気分なんですよ」
「俺も染みた大根が食べたくなって」
「私は卵だな。たまに食べたくなる」
チッ、白々しい。目的は別にあるに決まっている。病院で声高に朝倉レキが話していた内容が、あっという間に噂として、広がったに違いない。だが、それを口にするわけにはいかない。なので、平然と平静な声音で答える。
「よ、よう。俺も今日はおでんな気分だったんだ。空いてる席はあるかい?」
口元が引き攣らないように注意しながら、店員の水無月姉妹に聞く。
朝倉レキがお皿を運びながら、俺の言葉に反応した。
「そうですね。仕方ないですね。私の席を譲りましょう。そこに座ってください」
相変わらずの子供にしか見えない朝倉レキは、小さな指を指し示す。そこは空いていた席だ。しかも俺に幸運の女神は微笑んだらしい。
「どうも隣を失礼しますね、イーシャさん」
隣には幸運の女神に負けない美しさの俺の女神が座っておでんを食べていたのだった。
防衛隊は生傷を負うことが仕事柄かなり多い。ビルの制圧に入り元はバリケードだったものをどかすときや、割れたガラスの破片や飛び出した釘。ゾンビたちの戦いではワッペンの力で傷一つ負わないが、最近は片付けと内部の確認のみである方が比率は高くなっているので、ワッペンを外していることが多い。
あれは高価な装備なので、関東半分が制圧できて、化け物の姿をめっきりと見なくなったので、危険区域が殆どなくなった今は戦時以外は外している。紛失したら困るというのが理由だ。
というのが、表向きの理由だ。本当は違う。ワッペンは当人が外すと思考して肩から取らない限り、外れることはない。紛失などあり得ないのである。
真実はというと、ワッペンの効力が強すぎるのだ。人に無敵感をもたせるほどに。万能感を与えるほどに。
あらゆる攻撃を防ぐ不可視のシールドは、倒れた衝撃すら防ぐ。受け身すら必要ない。しかしそれは本来の人間が持つ恐怖、痛み、警戒心を軒並み削っていく。それらが心から消えた人間など、兵士としても人としても終わっているのは明らかだ。なので、極力平時ではつけることを禁じられたというのが、裏の理由であった。
表向きの理由を意図的に噂として流して、化け物がいなくなったら、今度は費用のことを考え始めるとは随分余裕ができてきたと、皮肉を同僚と苦笑しながら話していたものだ。
そして自分は怪我を負った。野良犬たちの群れが襲ってきたので退治したときに噛まれたのだ。最近は普通の動物をチラホラと見る。その中でも野良犬は面倒な相手だ。油断はしていなかったが、チワワやポメラニアンが襲ってくるのを撃退するのはどうも抵抗感があった。我ながら間抜けである。
百地隊長はその報告を聞いて、俺に言った。
「ゾンビの次は普通の動物とはな……。まぁ、いい機会だ。ちょっとお前ら病院に行って身体検査してこい。狂犬病も危険だし、この一年で身体にガタがきていてもおかしくねぇだろ?」
その一言で俺は女神と出会うことができた。
真新しい病院に行き、味も素っ気もない柱型のドローンに案内されてメディカルスキャナーとかいうものが置いてある部屋に行って医者が来るのを俺は待っていた。
「百地隊長も大袈裟だな……。だが、いい機会かもしれんな」
当時は大樹から医者が1人派遣されてきたとしか聞いていなかった。なので、どうせ歳のいった老人だろうと予想していたので、部屋に置いてある椅子に座ってのんびりと待っていた。
老人が来ると予想していた自分。ドアが開いて中に入ってきた白衣の人を見て、呆然と馬鹿みたいに口を開けて呆けた。
「失礼しますね。こんにちは、仙崎さんでよろしいでしょうか?」
にっこりと微笑んで、うら若い美女がそこには存在した。
金髪碧眼の色艶の美しい髪をなびかせて入ってきたのは若い美女だったのだ。縁のないフレームレスのメガネをかけた理知的な女性。
だが、その微笑みは魅力的な可愛らしい微笑みだった。美しい美女であるのに、可愛らしい微笑みを見せる人だった。
「よろしくお願いします。私は医者のイーシャです。覚えやすい名前でしょう? ふふ」
小さく笑う姿は美しかった。名前もロシア系なのだろうか? 似合っている。
「仙崎と申します! よろしくお願いします!」
深々とお辞儀をして俺は挨拶を返した。
イーシャさんは空中に浮かぶカルテを見ながら話しかけてくる。
「今日は健診ですね。ではベッドに寝てください。スキャナー後に軽い問診をします」
「はっ! ベッドですか!」
何故か気恥ずかしくなり、椅子から立ち上がり直立不動になって大声で返事をした。
それを見て、キョトンとした可愛らしい表情を見せて、口元に手をあてて、クスクスと笑い
「ふふ、そうです。ベッドに寝てください。お願いします」
少ししてスキャナーの検査を終えた俺を優しい目つきで見ながら、イーシャさんは言った。
「ダメージを負っていますね。腕を犬に噛まれたのですか。ちょっと見せてください」
服をまくって腕を見せると優しい手つきで触りながら確認して
「まだ少しダメージが残っていますね。念のために薬を塗っておきましょう」
そう言って回復用の傷薬を塗ってくれた。その白魚のような美しい指での優しい手つきで腕に塗られると気恥ずかしくなり照れてしまう。
「狂犬病には罹患していません。他の病気にもかかっていない健康体です。さすが防衛隊のかたですね」
俺へと微笑みながら話してきたが、そこで言葉を区切り、真剣な表情となった。
「ですが、油断は禁物です。防衛隊は病気を治す薬はあんまり購入されていない様子ですし、見かけからはわからないこともありますからね」
そう言って腕に薬を塗り終わって、指を離して
「防衛隊の仕事頑張ってくださいね」
そう言われ、いたわるような優しさを感じる笑顔で微笑まれたときから、俺はイーシャさんに惚れたのだった。
当時を思い出していると、イーシャさんが返事をしてくれる。
「いいえ、こちらこそ。仙崎さん、一緒に美味しくおでんを頂きましょう」
綺麗な吸い込まれるような美しい微笑みを俺に向けて答えてくれた。
後ろからの、うまくやりやがってという溢れる同僚からの殺気と嫉妬、羨望を俺は浴びながら、残り物には福があるということわざを思い出していた。遅れてここに来たが、どうやらついていたようだ。
「どうもイーシャさん。今日は仕事の方は終わりなのですか?」
緊張気味に話しているのが悟られないか不安になりながら、イーシャさんに話しかける。
「ええ、今日はおしまいなんですよ。レキ様から美味しいおでんを御馳走してくれるとお誘いを受けましたので」
さらりと美しい金髪をかきあげなら、微笑んでくれる。この幸運に感謝をしながら答える。
「そうなのですか。ここのおでんは美味しいですからね」
その言葉に水無月姉妹の妹の方が首を傾げる。
「あれ〜? 今日は私たちの店を皆が褒めてくれるねっ。でも、常連さんじゃないよね………?」
首を傾げてまずいことを言ってくるので、口を慌てて挟む。
「いやいや、この界隈じゃ有名だよ? あまり通わないのは、いつもお客でいっぱいだから遠慮しているんだよ」
「おぉ! そうなんですか? そうでしょう、そうでしょう。水無月さんたちは頑張っていますからね。もちろん私も頑張っていますよ。たまに」
その言葉に食いついた朝倉レキが、こちらへと近寄ってきて照れて返事をしてくる。誤魔化すのにちょうど良いので笑って頷く。
何故か水無月姉の方が、口を押さえてクスクスと笑っていた。
「あ、イーシャさん。お酒がなくなりましたか。お酌をしますよ、ど〜ぞ、ど〜ぞ」
朝倉レキがイーシャさんのお猪口が空になったのに気づいて徳利を持ち上げる。
「これはどうもありがとうございます、レキ様」
イーシャさんがお猪口を持ち上げて、朝倉レキはそれを見て徳利を持ち上げて酒を注ぐ。
俺は目を光らせて言う。
「あ〜、姫様? お店が忙しいみたいだし、君は子供だ。俺が代わりに注ぎましょうか?」
そう俺が提案すると、何故かイーシャさんの目が鋭く光ったような感じがした。背筋が何故かぞくりとする。
だが気のせいだったのだろう。イーシャさんは美しく口元を緩めて微笑みながら
「ふふ、ありがとうございます。でも今日はレキ様が大樹の接待係なんですよね?」
それを聞いて、子供っぽく胸を張り朝倉レキは嬉しそうに言った。
「そうです。そうでした。なんかお店が忙しそうだから手伝っちゃいましたが、今日はイーシャさんの接待係なんでした。私が接待係に立候補したんです」
イーシャさんはそれを聞いて、朝倉レキの子供っぽい言動と態度を微笑ましく見ている。どちらが接待役なのやらと俺は呆れる。全く大樹はイーシャさんをいたわるのなら、もう少しまともな奴を連れてくればいいのに。いや、野郎だと困る。やはり朝倉レキで良いのだろうか。
「とおっ!」
朝倉レキはそう叫んで、イーシャさんの膝に乗る。そして箸を持って、
「何を食べますか? あ〜んしますよ」
皿に乗っているおでんを指し示してイーシャさんに聞いている。
それを見てイーシャさんが返答に困ったのだろう。迷っていると助け舟を水無月姉がかけてくる。
「駄目ですよ、レキさん。おでんをあ〜んしたら、お笑い芸人の熱々コントになりますよ」
「え〜。それがいいのではないですか。イーシャさん、私と熱々コントをしましょう。一度やってみたかったのです」
とんでもないことを言いのけて、湯気のたっている卵を箸で掴もうとするので、慌てて俺は朝倉レキの腕を掴んで止める。とんでもないことを言う娘だ。イーシャさんに対してなんということをしようとするつもりだ。発想が子供すぎる。
その子供すぎる朝倉レキへとイーシャさんは優しく微笑みながら嬉しそうに返事をする。
「ふふ、レキ様とコントも面白そうですね。卵ですか?」
優しすぎる女性だ。本当にやりそうなので、慌てて言葉を挟む。
「いやいや、姫様は接待役なんだろう? 接待役は相手を喜ばさないといけないんだぞ?」
「え〜? 楽しいと思うんですが………」
頬を膨らませて、自覚の無い朝倉レキだ。はぁ〜と嘆息する。どうやら朝倉レキはイーシャさんより立場上は上となっているらしい。なのでイーシャさんも断りにくいに違いない。優しい人だし。
だがそこは断固として止めなければなるまい。イーシャさんに熱々コントなぞ、させることはできない。
「他人から見たら接待役失敗となるぞ、姫様。それで良いのか?」
「むむむ……。そうですね。仕方ないですね。そこまで言うなら止めておきましょう。ならば普通の食べ物にしましょう。お新香を食べますか? あ〜ん」
イーシャさんの返事を待たずに朝倉レキはお新香を箸で摘んで、イーシャさんの口に運ぶ。
「あ〜ん」
イーシャさんは子供好きなのだろう嬉しそうに表情を輝かせて、小さな口を開けてお新香を食べた。くっ、羨ましいぞ朝倉レキ!
その後も懲りずにまたおでんを掴もうとする朝倉レキを止めつつ談笑をしながら、この間の話を尋ねる。
「要塞ダム戦ではお怪我を負うことはありませんでしたか? かなりの激戦と聞きましたが」
「はい。私は大丈夫でした。かなりの負傷者はいましたが、死者は出ませんでしたし」
そう。イーシャさんはこの間、危険な要塞ダム戦に行った。空中戦艦に搭乗して戦場に赴いたのだ。
若木コミュニティ唯一の医者にして、女神へなんということをするのだと憤ったものだ。怪我でも負ったらどうするつもりだ。休暇と称して呼び出されたので、俺たちは呑気にイーシャさんが骨休みができれば良いと言っていたから、尚更だった。
そのように考えている俺たちは空を航行する宇宙戦艦のような物体を見て度肝を抜かれた。そして若木コミュニティに常駐している大樹の要員が全て戦艦に搭乗していると後程聞かされたのだった。
俺たちは大騒ぎして、大樹へと抗議を入れたが、ナナシは当然そうに若木コミュニティへ出向している人間は大樹の軍属とも言える立場にいると、いつもの冷酷な顔につまらなそうな表情を浮かべて答えてきた。
軍属と言われたら拒否権はあるまい。俺たちは歯噛みしてその答えを受け入れたのだった。
「でも、レキ様も傷つきましたし、激戦でした。このようなことはこれからは無いと思いたいですが、きっとあるんでしょうね………」
優しい手つきで膝に座った朝倉レキの髪を撫でつつ、俯きながらイーシャさんは語る。優しい人だ。
「むむむ、たしかに強敵でした。まさか私と体術で渡り合う敵がいるとは想像もしてきませんでしたし。でも勝ちましたから問題ありません」
そう言って胸をそらして、得意気な表情でドヤ顔になりながら朝倉レキは答える。
俺は朝倉レキを傷つける存在がいることに驚きを覚える。この少女を傷つけることができる存在がいるとは考えられなかった。まだまだ外は化け物が多いようだ。
だが次からはこうはいかない。決意と共に立ち上がりイーシャさんへと真剣な表情をして視線を向ける。
「不肖、この仙崎が次回は必ずお供します! 命に代えてもイーシャさんを守りますので!」
背筋を伸ばして宣言する。次は必ずついていく。危険な場所に行くのはか弱い医者ではなく、俺のような戦いに慣れた者だ。そして絶対にイーシャさんを守ってみせる。
そう宣言したら、後ろからも声が続いた。
「不肖、この一寺も守ります」
「俺も守ってみせます! 数妻鹿にまかせてください! 安心してください!」
「傷一つ負わせはしませんよ! この岐路がね!」
後ろを振り向くと、いつの間にか同僚が整列して立っていた。そして真面目な表情でイーシャさんへと宣言して、俺の方へニヤリと笑顔を向けてきた。どうやら俺に抜け駆けはさせないというアピールのようだ。
「ふふ、ありがとうございます。その時はお願いしますね」
イーシャさんは口に傷一つない綺麗な手をおいて、ニコリと首を微かに傾げて微笑んだ。
よろしい、同僚たちよ。それに他にもいるだろうライバルたちよ。俺は絶対にこの戦争には負けん。
そう固く決意する仙崎であった。