161話 虚構の男
大勢の人々が集まる若木ビル前。祭りの雰囲気が漂い、人々は楽しげな表情で話し合いながら料理を運んでいた。
そんな楽しそうな雰囲気を漂わせている外を、元市長室の窓から見ながら思う。そろそろ雪が溶けてきた。溶けてきた雪が泥と混じり合いぬかるみが地面に出現している。そろそろ春が近くなってきたと。
「戦勝祝いか……。結構な日々を祭りにしているとは思わんか?」
振り向いて、後ろで部下へと指示を出していた蝶野へと声をかける。
報告書を持ちながら指示を出していた蝶野が指示を止めてこちらへと向き直る。
「娯楽も少ない世の中です。大樹もそこらへんを考慮しているんでしょう」
ニヤリと笑いながら伝えてくる。
「確かにな。通信もできなければ、テレビもネットも使えん。なんとかできんのか? 大樹は」
「さあ? 俺が思うにできるとは思います。だがコストパフォーマンスの問題もあるんでしょうが、他にも思惑が透けて見えます」
苦笑いと共に肩を竦める蝶野。
「ネットの利便性には支配側にリスクをもたらす。崩壊前はそのせいで政治は極めてしにくかったと素人でも理解できていたからな。よく考えていやがる」
大樹のやることは合理的だ。憎々しいほどに効率的でもある。インフラ関係、銀行や物資の取引、全てが支配を簡単にできるように上手いこと仕組みを掴んでいる。
儂は座ることはないと思っていた高級な椅子に深く座る。
体重の重さにギシギシと椅子が鳴るのを耳に入れながら
「そろそろ那由多代表の挨拶の時間か? 勝利宣言はまだ早いと思うがな。せめて関東全部の奪回が終わってからが良いんじゃないか?」
「まぁ、人々には希望が必要です。この勝利は強い希望を人々にもたせるでしょう。人類の反撃が始まったとね」
「そんなものかねぇ……」
「いやいや、難しく考えないで良いんじゃないですか? 大樹は自分たちの力をアピールできる。俺らはタダ酒、タダ料理をご馳走になれる、と」
隣で儂らの話を聞いて部下が口を挟んでくる。見るとそわそわしているのがわかる。
「……そうだな……。難しく考える必要はないか。祭りができると考えれば良いだけだな」
「ですね。俺たちはどうも難しく考える癖がついたみたいですな」
苦笑しながら蝶野が返事をするので
「ったく、この歳になって嫌な思考を持つようになっちまったぜ」
儂も苦々しく思いながら答える。まさか単純な思考であった儂が政治家のように裏を読みながら考える日が来るとは。
深く嘆息をする。パンと膝を叩き立ち上がり
「とりあえずモニターの前に行くとするか! 人々の前で頼り甲斐のある親父がいるところを見せないといけないしな!」
「了解です。せめてマトモな代表がいるとアピールしましょう」
「そうそう、強面を充分にアピールしましょう。豪族がこの若木コミュニティを支配しているとわからせないと」
移動を開始し始めた儂らにおどける部下。
「なかなか面白いことを言うじゃねぇか? それならば強面の豪族らしく、今日のお前は外の夜勤にしてやろうか?」
額に血管を浮き出させ、怒りの表情を見せてやる。そう言われた途端に焦り、素早く背筋を伸ばして敬礼する部下。
「代表! わたくしめはモニター前に行き代表のスペースを確保しておきますっ!」
手荒にドアを開けて、素早く走り去っていくのを見送りながら、ゆっくりと歩き始める。
「やれやれ、強面顔はわかっとる」
豪族と儂を名づけた少女を思い出しながら蝶野へと話しかける。
「………そういや今回の戦闘に姫様は加わらなかったな? お前、姫様の姿を見たか?」
その問いかけに首を横にふる蝶野。
「そういえば見ませんでしたね? どれかの車両を操っていたんでしょうか?」
「あの姫様が儂らの前に姿を見せずに車両を操作していた? おとなしく? 考えにくいと思わんか?」
顎に手をあてて考える。今回の戦闘で少女は戦場にいるところを見なかった。見たのは若木コミュニティで遊んでいた姿だけだった。
「ふむ……。なにか大樹での方針に変更があったんでしょうか? 彼女を使わない理由が」
「う〜む、わからんな……。兵器が完成したから、お役御免か? それならば子供が戦わないで良いんだが。そんな優しい理由を大樹が考えるか?」
モニター前に到着する。まぁ、今度ナナシに聞いてみるか。
モニター前に到着すると、すでに人々は待ちわびた表情で集まっている。
「お、百地さんが来たぞ。そろそろ那由多代表の演説が始まりますよ」
「演説後の乾杯の挨拶をよろしくお願いしますよ」
「料理が冷めないうちにお願いしますよ」
儂の顔を見て、様々な奴らが声をかけてくる。乾杯の挨拶はこの一年で何回やったことか。他の人間にまかせても良いのではないか?
手を顔の前で軽くふりながら、頷いてモニター前に行く。
ふぅとため息をつく。意外と疲れているなと己の身体を思いながらモニターを見ていると、那由多代表が映し出される。ちょうど時間ぴったりに到着したようだ。
厳格そうな、傲慢であり、カリスマ性がある老年の男性、那由多代表が宣言を始める。時候の挨拶から始まり、皆が知っている今回の成果へと話は移る。ひと呼吸ついた後に周りを睥睨するように口を開く。
「諸君、今回の戦いの成果は私が語るまでもなく知っているだろう。ついに我らは人類の領土を一部とはいえ、取り返すことができた。今後は日本全体の確保を目指したい。恐らくは生存者はまだまだいることと私は考えている。領土を取り戻しながら、再び皆が集結して、力を合わせ文明が復興するために頑張っていきたい。今回の勝利と今後の戦いに勝利するために英気を養おうではないか。乾杯っ!」
長い演説と共に乾杯が行われる。カチンカチンとそこら中でグラスを合わせる音がして皆が飲み食いを始める。
「おいおい、儂の乾杯を待つんじゃなかったのか?」
心の中では、面倒な話をせずに済んだと安心しながらも、ぶすっとした顔で言う。
周りは少し慌てて、どうするかと顔を見合わせるが、今更乾杯の合図も間が抜けている。繰り返すこともない。
「仕方ねぇ奴らだ。明日からも戦いは続くんだ。英気を養っておけよ」
そうして儂は小さく笑い、グイと手渡されたビールを流し込むのであった。
しばらく飲み食いをした後に、儂は会議室を抜け出し、のんびりとビル内を歩いていた。少し前はオフィス部屋は避難民の仮住居となり、人の話し声や歩く音でうるさかったが、今は皆引っ越しをしており、静かなものだ。
遠くから馬鹿騒ぎをしている声が届くが、もうここがうるさくなることはないだろう。
「役所に人が住むなんざ、もうない方が良いんだが……」
それでも寂しいものがある。どこか閑散としてしまったビル。本来はこんなもんだろう。このビルの部屋を仕事場として使い切るほど人は生き残っていない。
会議室からくすねてきた日本酒を手にのんびりと歩く。やけに歩いている音が響くように感じるのは、自分が寂寥感に浸っているからだろうか。
屋上まで歩いていく。屋上に出てみるが誰もいなく、ここも閑散としていた。寒風が吹きすさび顔にあたる。寒さはまだまだ続くみたいだ。それでもだんだんと暖かくなっていく。
元は監視所として使われていた屋上。椅子やらなにやらが放置してある。
儂は頭をかきながら、監視所跡を見て崩壊時を思い出す厳しい生活を感じた。
「やれやれ、ここも片付けなければならんな」
やることはたくさんある。銃を片手に戦っていたほうが全然マシかもしれん。
放置されている椅子の一つに座り、コップに酒を注ぎ、地上へと視線を向ける。
崩壊時には生存者たちが絶望感を持って眺めていた景色。ゾンビで道は溢れ生き残るための食料も少なかった。
「昔の話になっちまうんだろうな」
今の地上は祭りだと、人々が騒ぎ、騒ぎが好きな奴らが走り回っている。もはやゾンビの影も形もない。
少し離れたところでは、今日が祭りのために停止している15メートルはある蟻型の工作用重機が置かれている。何台もあり、ブルドーザーやクレーン車など話にならない万能さで次々とビルや家を解体して、上下水道を埋め立てし、新たなる上下水道を敷いている。
そのおかけで随分若木ビルの周りも更地が増えている。この景色も来年になったら、大きく変化していく。
「おいおい、俺の気に入っていた蕎麦屋がねぇじゃねぇか。更地にするとは酷い奴らだ」
崩壊前はちょくちょく食べに行っていた蕎麦屋の店舗がなくなり更地になっていることに気づき、寂しい思いをしながらも冗談めかして口にする。
そうして、しばらくこの景色を記憶に刻んでおこうと儂はのんびりと酒を飲みながら眺めていた。
しばらく飲んでいたら日が落ちて、そろそろ暗くなってくる。ビル内も少し離れたアパートや家から明かりがポツポツと灯っていく。
「寂寥感が消えないのは歳をとったせいなのかねぇ。どう思う? ナナシよ」
「破壊されていく町並みを見れば、寂寥感というのは誰しも湧くものだろう。まぁ、百地さんが歳をとっているというのは否定せんがね」
ドアを開けて、屋上にでてきたナナシは酷薄そうな微笑みをして、そんなことをぬかすのだった。
儂の隣に放置されていた椅子を持ってきてナナシが座る。
「隣、いいですかな?」
「へっ、座ってから聞くんじゃねぇよ」
肯定も否定もせずに儂は酒をまたコップに注ぐ。そしてナナシへも酒を勧める。
「おら、コップをだせ。持ってきているんだろう」
「百地代表自らお酌とは申し訳ないですな」
からかうような声音でコップを出してくるので、勢いよく注いでやる。溢れそうになるのをナナシは慌てもせずに眺めていた。
「珍しいじゃねぇか? こんなところに来るとはよ」
屋上にこいつが来るなんざ予想もしていなかった儂は疑問を問いかける。
ナナシはコップに口をつけながらこちらをチラリと見る。
「屋上は監視所であったと聞いたものでね。多少の興味があって、足を向けたわけだ。私も百地さんがいるとは思いもしなかったよ」
コップの中身を半分ほど飲みほして、肩をすくめて答えてくる。
「だが、使われなくなった監視所というのは、寂しいですな。地上の祭り騒ぎもあって寂しさが増す」
ナナシは珍しく酔っているようだった。こいつにしては珍しい。それだけ今回の勝利は大きかったのか?
「はん、ここも近いうちに片付けさせる。この風景も何もかも変わってしまうだろう」
「そうですな。変わっていくでしょう。まぁ、変わらないものもありますがね」
そこで儂は先程思った疑問を聞いてみることにした。姫様が今回の戦いに加わらなかったこと。
「そういえば、今回の戦いでは姫様は見なかったな? 終始戦車やらヘリで片付けたが、もう姫様はお役御免か?」
その言葉を受けて、ナナシは寂しそうな哀しそうな表情でこちらへと視線を向けた。コップをもて遊びながら答えてくる。
「今回は私が主導した戦いだ。新型兵器の威力を確かめるためもあった。………レキの戦いは終わらんよ……」
ふぅとため息をしてナナシは話を続ける。
「信じられるか? 新型車両でも敵わない敵がまだまだいるのだよ。戦いに勝つにはレキが最前線にいくしかない。今は休暇中というわけだ」
その言葉に儂はなにか疑問を感じ取った。ナナシのその言い方にどこか愛情が隠されているように感じる。そしてまだまだあの姫様は戦いに行かなければならないのかと、感じ入る。
「そうか………。外はまだまだ危険な化物が山ほどいるというわけか」
気のせいかもしれないと、もう一つの疑問を口にすることに決める。どうせ酒の席での会話だ。とことん聞いてやろう。
「……お前さん、どうしてナナシなんだ? なぜ本名を名乗らない?」
財団当主まで現れた。もはや名前を名乗らない理由はない。このエリート様はなぜ本名を名乗らないのか、ずっと不思議に思っていたのだ。歴史に名を残すのであれば本名は必須だ。
顎に手をあてて、沈黙するナナシ。なにかを考えているが、なにを考えているのかはわからない。
ナナシは一気にコップの中の酒をグイグイと飲みほして、タンと乾いた音をさせて床へとコップを置いた。
「私はナナシで良いのだよ。それだけで物事は上手くまわるからな」
寂しさを目に宿して語るナナシ。
「あ〜ん? 死んでいくときにナナシだと困るだろうが。それともお前は死なないとでも?」
「死ぬ時は死ぬものだし、ナナシでも充分なのだが………」
こちらへと面白がるような表情で視線を向けてくる。
「まぁ、他人に言わないのであれば、百地さんには伝えようか?」
「おう、言え言え。儂だけは憶えてやっても良いぞ? 世話になっているからな」
ナナシはその返事に一瞬躊躇したが、口を開いた。
「私の名前は朝倉遥だ。ここでは誰も知らない名前さ」
その名前を聞いて、儂は瞠目する。聞き覚えのある名字だ。儂はもしかしたらという推測を口にする。
「………お前さん、娘とは仲良くしているのかよ?」
その問いかけに苦笑いをしてナナシは返事をした。
「いや、私はナナシと言っただろう? 娘なんているわけがない。もちろんいない娘と会える訳もない」
そう答えて、ナナシは立ち上がる。そうして屋上のドアへと歩いていき
「だから、まぁ、今のは忘れてくれたまえ。酔った際の戯言だ」
ガチャリとノブを回す金属音が聞こえて、そのままナナシは去っていった。
儂は去っていった男を見送り、コップに再び酒を注ぐ。なみなみと注がれたコップ越しに、地上を見てみる。
ゆらゆらとそれは幻想のようだった。
グイとひと息で酒を飲みほして
「そうだったのか……。そういうことだったのかよ……」
ナナシがどうして安全な大樹から出てきているのか。外での功績を求め続けるのがようやくわかったような気がした。全ては娘の支援をするためだったのだろう。今回の戦いは姫様を出すことはしなかった。ナナシはようやく娘を守れる一歩を踏み出したというわけだ。
「全部娘のためだったのか………」
娘が超常の力を持つ戦士として選ばれた時はどう思ったのだろうか……。本人にしかわかるまい。名前を捨てるほどの決意があったことは想像できる。
そしてあの姫様は父親がナナシと知っているのだろうか? 無邪気なる姫様のことを考える。たしか起きた時は既に崩壊後であったと言っていた。過去のことは覚えていないのだろう………。親のことも友人のことも全て忘れているのだろう………。知らなければ辛くはない。真実を知っている人間のみが辛いのだ。
「恐らくは知るまい………。そしてこれからもあの男は自分が父親だとは名乗るまい………」
あの男はそういう男だ。酷薄な笑顔の裏に親の心を持ってこれからも娘のために働いていく。
これから先も戦いは続く。日本を奪還するまで、少なくとも戦いは続くだろう。あの戦車でも敵わない敵がいると言っていた。ならば姫様は必要だ。今はまだ戦いに必要となってしまうのだ。
無邪気に戦う娘をどんな気持ちで見ているのだろうか。どんな気持ちで暮らしているのだろうか。
不器用な男が父親と名乗れる日が来ると良いと、儂は地上の灯りを見ながら酒を飲み続けた。