149話 おっさん少女は会社令嬢たちと朝食をとる
スイートルームは壁も床もどこかのテレビでたまに紹介されるような上品な作りであった。配置してある家具も高級感が溢れており、崩壊前なら壊すことを怖がり触ることも断ったであろう。
部屋も寝室も含めて複数あり、広さも昔に旅行で泊まったような小部屋ではなく、一般人であれば羨ましがるほどで、金持ちが泊まる部屋であると、強く二人に思わせた。
お値段一泊50万円らしい。都内のスイートルームでもないのに、強気の値段はここが観光名所だからと言いたいからなのか。
「アメニティは持って帰っていいのよね」
洗面台に入って、高級そうな綺麗なクリスタルのようなガラス瓶に入っている一人分の石鹸やらシャンプーを持って品定めをしている静香。さすがスイートルーム。アメニティも凄いわとか呟いている。
その言葉をソファに寝っ転がり、ゴロゴロしながら遥は同意見だと思いながら、今は世界有数か、世界一の金持ちであるのに、どこまでいっても、自分は小市民な考えとはさよならができないと苦笑いを浮かべた。
そして、昔に旅行の話のときにでたアメニティについての感想で、アニメの親戚かなにかと友人に聞いたことがある恥ずかしい記憶があるおっさんだった。
「静香さん、金持ちの演技をするんでしょう? 貧乏くさいことは止めたほうが良いと思いますよ。多分金持ちはアメニティを使うこともしないかも? 自分の持ち込みの石鹸一式を使うのではないかと」
遥がゴロゴロしながら答えると、両手にアメニティ一式を抱えて、静香が洗面台から出てきたところであった。
「金持ちこそ、貧乏くさいかもしれないわよ? もしかしたら一般人よりも」
るんるんと機嫌よく、遥へと返事をしながら、置いてあるリュックに入れていく静香。いくら入れてもリュックは膨らまないのが不思議だ。恐らくはゲーム仕様なのだろう。
遥は静香の返事にどう答えるか詰まる。確かにそうかもしれない。結局は崩壊後に金持ちとなった遥と静香では、普通の金持ちの暮らしなどわからないのだから。
「支払いが現金はおかしいのでは、ないでしょうか? 金持ちは普通カードですよね?」
ドサドサと万札を出して、遥は首を傾げて困る。アイテムポーチには999万まで入れておいたのだが、これを支払いに使うのはおかしくない? 大金を持ち歩くにもほどがある。
「フフフ、問題ないと思うわ。絶対に50万円の価値があるもてなしをホテルができるとは思えないから」
静香は自信タップリで、遥へ見せつけるように、小型の冷蔵庫を開けてみせた。
中はスイートルームにはありえないサービス。予想通り空であった。本来は酒やら、なにやらを保管しているだろうに何も無いとは酷い。
ふぅと嘆息して、うへぇとゴロゴロしながら、遥はがっかりとした。スイートルームだというから密かに期待していたが、その期待が打ち破られたのだ。
崩壊前は絶対にスイートルームなんか泊まれない。お金を出せば泊まれるだろうが、一般人の感覚なら一泊50万円なんか狂気の沙汰だ。そのお金があれば色々買い物ができるし。
「崩壊した世界なのに、綺麗なホテルに騙されました。期待していただけに残念です」
本当に残念だったのだと、再びため息をつく遥。ホテルの最高級フルコースとかも響きからして期待していたのに。
「マスター、帰ったら私が作ったフルコースを用意しておきます。マッサージからお休みまでお世話しますので、楽しみにしていてくださいね」
左のウィンドウから、にっこりと花のような可憐な笑顔でナインが慰めてくれる。それを聞いて、少し立ち直った遥。帰ったら絶対にのんびりしようと誓う駄目なおっさんである。
「ありがとう、ナイン。元気がでたよ。もう少しこの旅行を楽しむことにするよ」
「良かったです。ではお帰りをお待ちしています」
ナインへ可愛い微笑みを返す。この旅行も楽しむために来たのに、帰宅後ものんびりするおっさんはどこまで堕ちるのか。既に奈落行きは確実だ。
「というわけで、クレーム入れ放題なわけ。私なら10万円まで値段を下げる自信があるわ」
スイートルームの内装を確認するように、ウロウロしていた静香が自信ありげに伝えてくる。静香がそう言うなら値段が下がるのは間違いない。
そこまで計算していたのかと感心する。そういう計算を即座にできるところが、さすが詐欺師だ。
「では、明日の朝を待ちますか。今日はもう遅いですし、動きはないでしょうから」
「そうね。今日はゆっくりと休みましょう」
二人はゆっくりとスイートルームの柔らかなベッドに埋もれて寝るのであった。
朝になり、陽射しがカーテン越しに入ってきて、その明るさでおっさん少女はベッドの中で目を覚ました。
「なんか、家のベッドの方が良いな。ちょっと柔らかさと反発力が足りないな」
むくりと起き上がり、ベッドを可愛いおててでぽんぽんと叩く。もはやスイートルームのベッドでも、おっさん少女には物足りないベッドとなったのである。ゲーム仕様のベッドはどこか寝ていても心地よさが違うのだ。スイートルームに泊まる以前に既にセレブより贅沢な暮らしを気づかないうちにしていた遥であった。
起きてから、身支度を終えてリビングルームに行くと、静香が既に起きてのんびりとコーヒーを飲みながら待っていた。おっさん少女が起きてきたことに気づき、視線を向ける。
「おはよう、お嬢様。さっきホテルマンが来て、市井松のオーナーさんたちが来て、一緒に朝食をいかがですかって」
面白そうな顔をして、ニヤリと小さく口元で笑い、静香が言ってくる。どうやら楽しみにしているらしいことがわかる。
「もちろん一緒に食べましょう。面白そうな話です」
おっさん少女も小さく口元で笑い、眠そうな目で静香へと返すのであった。
朝食は摩耶の間という、広いレストランであった。白いテーブルクロスに包まれたテーブルがいくつもあり、その中で既に摩耶は座って待っているのが見える。隣には草臥れた感じのしょぼいおっさんが座っている。おっさんといっても遥ではない。
「ここのレストランの名前も摩耶なのね。どれだけ虚栄心が高いんだか」
静香がこっそりと近寄り耳元に小声で言ってくる。ちょっと耳がこそばゆいと思う遥。
「隣にいる人は父親でしょうか? なんだか疲れているようですが」
こくりと遥の言葉に頷き、静香も摩耶の隣にいるおっさんへと視線を向ける。
「まぁ、いいわ。とりあえず話を聞きましょうか」
妖しく微笑み足取り軽く摩耶のテーブルまで歩いていく静香を見て
「そうですね。楽しいことになることを祈っていますよ」
そう呟き、遥も静香のあとに続くのであった。
「お招きに与りまして。初めまして、ジュエリーを扱う五野コーポレーションのオーナーの娘。静香と申します。こちらは妹のレキですわ」
上品な仕草で頭を軽くさげて挨拶する静香。
「五野レキ、はっさ……」
元気よく受けを狙おうと、8歳と言おうとしたところ、物理的圧力を伴うような凶悪な視線を静香から向けられて、冷や汗をかくおっさん少女。どうやら余計な演技は必要ないと見える。
「五野レキです。よろしくお願いします」
べコリと小柄な身体で頭をさげる遥。可愛いことこの上ない。
「よろしくお願いしますわ。わたくしは市井松摩耶。隣がこのホテルのオーナーであり、市井松船舶の社長である父親です」
摩耶も静香に負けず劣らず、上品な仕草で手を父親に差し伸べて紹介する。
「あぁ、よろしく………。その、なんだ、なんだか大変なことがあったみたいだね………」
元気がないおっさんである。上品なスーツを着ており、似合っているが、草臥れて疲れ切ったような表情だ。背丈は座っているが、小柄な身体っぽい。ちょび髭を生やしており目はおどおどとしている。摩耶と父親のどちらが力を持っているか丸わかりであった。左の手に古い英語か何かで書かれた古書を持っているのが印象的といえば、印象的だ。誰かちょび髭が似合っていませんよと教えてあげないかと遥は思った。
四人が座っているテーブルの周りの複数のテーブルには傭兵たちが座っている。何かあったら助けにこれるか、遥たちを何かするつもりなのかは、今のところわからない。
こちらに何かしようとしたら、パンチで終わりなんだけど、それじゃ楽しくないよねと遥は内心で思う。
「とりあえず朝食を楽しみましょうか」
摩耶の言葉とともに、朝食が運ばれてくる。スイートに相応しい朝食かと思いきや、パンは普通、他は缶詰だとわかる酷さであった。皿に工夫して盛り付けてあるが、味はどうしようもない。
それでも、このような食べ方をすることが余裕のある証拠である。
ここの秘密はなんだろうねと期待膨らむおっさん少女であった。
「ちょっと市井松の令嬢さん? ここの食事はちょっと酷くない? これでスイートルームの値段をとるのかしら?」
食事に手を少ししかつけずに、フォークで皿にのっている缶詰のサンマのかば焼きと思わしきものを、つんつんとつつきながら、つまらなさそうな表情で苦情を言う静香。どっかのおっさん少女とは違い演技派である。
むむ、私も私もと演技をしたかった遥であるが、すでにご飯は食べてしまっていた。缶詰といえどひと手間加えられているようで美味しかったし、高級そうなレストランでの食事であったし、躊躇なくパクパク食べてしまったおっさん少女である。
しょうがないので、お人形のようにちょこんと座り、この演劇を観賞することに決めた。黙って座っていると良いところのお嬢様にしか見えない美少女である。口をきかなければいいという典型的なキャラだ。どこかの銀髪メイドと一緒である。
静香の言葉を予想していたのか、にこやかに微笑みを浮かべ、よどみなく返答をする摩耶。
「五野さん、私はお父さまもいらっしゃいますし、摩耶と呼んでいただければ結構ですわ。食事の件は昨日埠頭でお伝えした通り、座礁したことによる事故の影響でして。貴方たちはさっさと帰ってしまいましたけど」
口元をひくひくと震わせて皮肉を言ってくる。昨日の逃げ方は大分頭にきたようである。
「あぁ、それならば安心ですね。すでに連絡はしておくように部下に伝えて、ここに遊びに来ましたので」
「本当に? 本土は何もなっていないのですか?」
静香の言葉に疑うように、身体を乗り出して静香の顔を見ながら聞いてくる摩耶。
「何もとは? 私の家の近くで何かあったかしら、レキ?」
「う~ん。最近はかまくらを作って遊びましたよ」
静香のパスに、最近自分がしたことを話す遥。他に何かあったであろうか、本気で可愛く首を捻って考える知力ゼロのおっさん脳。
「なるほど………。ここだけの現象というわけですわね」
静香はともかく美少女はアホっぽいし、素直そうで演技ができないと判断したのであろう。おっさん少女の返答がかまくら遊びという呑気な返答だったので納得した模様。
真剣な表情を浮かべ、真面目な顔になり摩耶は遥たちへここの現状をゆっくりと話し始めた。
「1年前ぐらいかしら。私たちは、豪華客船に乗っていて、ハワイの寄港を終えて東京へと移動する途中でしたの。父島列島を豪華客船上から観覧するというイベント中でしたわ。乗客の一人が突如として狂ったようになり、隣の人に襲い掛かりましたわ。その後は阿鼻叫喚でした………」
恐ろし気な表情で語る摩耶の話を聞き、ごくりとつばを飲み込んで続きをわくわく耳に入れるおっさん少女。もはや気分は怪談話を聞く子供である。見た目は可愛い美少女であるので、その姿も可愛い。
「次から次へと食い殺される人々。護衛していた奥津たちがいなければ私たちも死んでいたでしょう。苦労して船長が操作して、この父島へと停泊。近くで航行していたオイルタンカーも同じ現象が発生したらしく、しばらくしておなじように停泊しましたわ。残念ながら座礁と相成りましたが」
そこで摩耶は遥たちの反応を窺うように話を止めて見つめてくる。遥も静香も豪華客船内での惨状かぁ、面白そうだねぇという感想しか持っていなく、恐怖の色は見えない。
信じられていないと思ったのか、ムッとする表情を浮かべ、さらに話を続ける摩耶。
「本当よ! ここの父島もおなじようにゾンビたちで溢れていて死体だらけだったのよ。それを退治しながら私のホテルに避難して救助をまっていたのだもの」
バンとテーブルを両手で叩いて強調する摩耶。ふぅ~んという感想しか抱かない遥と静香。だってそんな話は崩壊時にいくらでも聞いているので珍しくはない。それより気になることがある。たくさん気になることがある。
静香が口を切って、気になることを聞いてくれる。
「ねぇ、ここには何人ぐらい生き残っているわけ? その………。 なんだっけ? ゾンビ? ぷっ、ゾンビに襲われて」
笑いをこらえて摩耶へと聞く姿は、まったく摩耶の話を信じていないという態度である。その静香の信じていない姿を見て怒鳴るように摩耶も答える。
「本当なのよ! 少し北に行けばいくらでもゾンビはいるわよ! ここには父島に残っていた生き残り100人ぐらいと船から脱出した500人ぐらいね」
うぇ! 島の生き残りは100人しか生き残れなかったというのかと、内心で遥は驚いた。逃げ切れるほど広い島ではなかったというわけか。
「へぇ~。で、その600人で今日まで暮らしてきたの? それにしては随分と苦労はしていない生活に見えるけど」
口元を歪めて、馬鹿にするように言う静香。たしかに、この島だけでは600人を無補給で苦労なく暮らしていけるとは思えない。
その言葉に、ふふんと得意気に結構ありそうな胸をそらして、摩耶は答えを教えてくれる。
「このホテルの地下には1000人が2年間暮らしていけるように物資が用意されているのよ。もしも何かあった時は見つからないように閉じこもるためにね」
ん? なにそれ? シェルター? こんな辺鄙な場所に作るのはいいが、ここまで逃げてこられるのだろうか? いや、変なことを今言ったな。見つからないように閉じこもるため?
遥は得意気に話す摩耶の言葉に疑問を覚えた。おかしすぎるんじゃない? 今の返答。
その疑問はもちろん静香ももった。口元を薄笑いにして摩耶へと聞く。
「見つからないように? 何から見つからないよう? どういう意味なのかしら」
フフフと笑いながら、腕を組み摩耶の返事を待つ。どう答えるかとワクワクドキドキである。
「うっ! ………。もちろん、こ、これはシェルターなのよ。もしも核戦争が起こったときのためにね。ほら盗賊とかがくるかもしれないでしょ?」
ワタワタと手を振りながら動揺を見せて答える摩耶。何か後ろ暗いことをしていたのだろう。
「そう………。それならどうして護衛の傭兵はそんなに武器を」
続けて、ニヤニヤと意地の悪そうな微笑みを浮かべ静香がさらに問い詰めようとしたとき
ガタンと椅子が鳴る音がして、なんだなんだと見ると、ちょび髭のおっさんが椅子から立ちあがっていた。
「摩耶………。 吾輩はもう朝食を食べ終えたので部屋へと帰る………。 後は任せたぞ………」
そう告げて、どことなくぼんやりとした顔で大事そうに古びた古書を持ちながら、ふらふらとした足取りで歩き去っていくちょび髭であった。
歩き去る姿を見ながら、おっさん少女は思った。どう考えても、その古書はフラグだよね………と。




