144話 おっさん少女は小笠原諸島に行く
海がザザンザザンと波打つ。海上にて高速航行中の揺れない不思議な船フォトンクルーザーに乗りながら、船にこうやって乗るのはいつぶりだったかと遥はのんびりと考えていた。
穏やかな光が灯されており、海の潮風ですぐに駄目になるだろうに、毛の長い高級感溢れる絨毯。そこに配置されている木目の美しいテーブル、クリスタルガラスでできた美しいグラスが入ったチェスト、備え付けの冷蔵庫には、何種類もの飲み物が入っている。中には高級そうなワインも入っていた。そして沈み込みそうな柔らかなソファである。それら豪華な家具たちはさすがレベル8で建造した船であると感じさせた。
あぁ、比較対象が間違っていたと気づく。船といえど、乗るのは観光船にフェリーがいいところである。それをクルーザーと比べる!愚か者の思考だと、ワイングラスに葡萄ジュースをたゆたせながら、可愛く口元を綻ばせて、ソファに沈み込むように、贅沢に身を委ねるセレブごっこを楽しむおっさん少女がここにいた。
そして、冷蔵庫のワインは入っていたので、間違い無い。既に過去形である。
ちらりと隣を見ると、一本数十万円、いや超常の力で作られたワインはもっと希少だ。それをボトルごと、ラッパのみをしている酒呑みがいた。
「キャハハハ、このワイン美味しいわ! どこで売っているの?これ大樹のお偉いさんの元クルーザーでしょ!」
飲めや歌えやと、一人で宴会を楽しむ女武器商人。ドンドコ冷蔵庫からチーズやらキャビアやらを出して食って呑んでを繰り返している。
そして、酔いながらおっさん少女にぎゅうぎゅうとしがみついてくるのだ。顔は真っ赤で呂律も怪しいが、美女である。胸があたって気持ち良い。しかし、この女武器商人は詐欺師やスパイに転職可能なステータス持ちなのだからして、油断はできない。
そしてウィンドウで無表情で、沈黙のまま睨んでいるナインも油断できない。後で怒られて、賠償をされそうだ。
「はい、はい。そろそろ寝たらどうですか? ベッドはフカフカですよ」
焦って、肩をぽんぽん叩きながら、おっさん少女から引き剥がして介抱する。おっさん少女は酔っ払いの介抱は何度かしているので、それに合わせて優しく寝かせようとした。
こんなに酔っぱらうと、お持ち帰りとかされないのかねと、おっさんならではの思考を巡らせる。そして行き着く先は美人局だ。
静香さん? 大丈夫ですか? と脳内シミュレーションの中ではゴリラ警官が介抱していた。このまま家まで送りますねと肩を貸しながら自宅まで送るゴリラ警官。これはお持ち帰りだと顔がニヤけている。
そして、家のドアをガチャガチャと開けようとしたところ!
庭の陰に置いていったタレットがタタタタと撃ち出す銃弾で、ギャーと叫び蜂の巣にされるゴリラ警官。そのゴリラ警官の最期を見て、ぽそっと静香は呟く。ここはスタッフオンリーなのよ……と。
この人なら大丈夫かと、予想シミュレーションを終了させた遥である。なんか美人局っぽくはないが、結果は同じだろうから別に良いだろう。最後に蜂の巣にされるのは決定事項なのだからして。
「あ〜、お嬢様。これはキャビアよ? 私はテレビでしか見たことないわ。でも、しょっぱくてあんまり美味しくないわね? 珍味という感じ」
キャビアの入った缶を蓋を開けたまま、ぶんぶん振り回して、キャビア用に置いてあった金のスプーンにたっぷりのせて、あ〜んと口を開けてパクリと食べての感想である。
「確かにキャビアって、珍味ですよね。私が美味しいと思う三代珍味はフォアグラぐらいで、トリュフは味がよくわかりませんでしたし、キャビアもそんなに美味しくないですよね」
あくまで個人的感想ですがと、話をしめる。ふぅ〜んと静香は聞きながら、金のスプーンをポケットに仕舞う。
自然過ぎて見逃す行動である。さすが貴金属に目がない静香だ。スプーンが入っていた箱を見ると、12本入っていたのだろうが、空きが5個もあった。
ジト目で静香のポケットを注視するが、どこ吹く風と返す様子は全く見えない。
「静香さん! ちゃんとスプーン戻してくださいよ」
「違うのよ? 盗んだわけではないの。やっぱり自分が使ったスプーンは自分で洗わないとと思ってね」
飄々と悪びれることもなくそう答えて、平然と新たな金のスプーンを取り出してキャビアを食べ始める静香。どうやら全ての金のスプーンをポケットに入れるまでキャビアを食べ続けるつもりらしい。
「後でボディチェックしますからね」
呆れた遥はため息をして注意するに留めた。多分巧妙な隠し方をしそうだと予想しながら。
そうして船旅の夜は更けていくのであった。
翌日、船はのんびりと進み目指す小笠原諸島の近くへと航行していた。狙い目である生存者がいる可能性のある場所だ。現在、島から20キロ離れた場所に停止中だ。
その中でも父島列島を狙い目として航行して見に来たのであった。船長室に集まり、レーダー反応を見ている皆。
「何人ぐらいが生き残っていると思う? お嬢様」
「う〜ん……。予想通りというか、予想外というか、全然生命反応が無いです」
返答に困る遥。気配感知では全く生命反応がない。あるのはゾンビにグール、オスクネーぐらいだ。半径30キロを解析できる3Dレーダーでも、それしか映っていない。
「そう………。的外れの考えだったかしら?」
「いえ、レーダーはまだ島端しか解析していません。ゆっくり一回りしましょう」
「そうね、わざわざこんなところまで足を伸ばしたんだから、何か成果は欲しいところね」
船長室にある3Dレーダーを見ながらの遥の提案に静香らは頷く。
「では、キュートナイン号発進せよ!」
羞恥で顔を赤らめながらミナトに命令を下す。
「照れるご主人様は最高です! もっと照れてください、カメラ目線でお願いします」
「マスター、私も照れますが嬉しいです。お帰りになられましたらご馳走を用意しておきますね」
ふんふんと鼻息荒いサクヤと頬をうっすらと赤く染めて照れるナインであった。船名を決めた元凶であろうナインが可愛すぎて、思わず羞恥を忘れそうになる。サクヤの方は、はいはい、美女だねで終わりだ。酷いメイド格差である。
「ミナト、了解です! お嬢様! 航行開始!」
ミナトが命令に従い船を発進する。軽く揺れて静かに航行を開始するフォトンクルーザー。ちなみにツヴァイたちからは、お嬢様呼びにさせている。司令呼びはさすがにおかしいので。
ゆっくりと航行して周囲を回っていた時に、レーダーに船が見え始めた。ここには似つかわない物だ。
「豪華客船とオイルタンカー?どうしてこんなところに?」
レーダーには豪華客船と、オイルタンカーが仲良く小さな港に突っ込んでいた。上手く停止したのであろう、喫水線が足りないから座礁した感じだ。あれでは再度の出港は無理と簡単にわかった。なにしろ埠頭に船首が乗り上げているので。
「ビンゴね! 多分エンジンが停止する前にここまで来られたんだわ。しかもオイルタンカー付きなんて、燃料には困っていなさそうね?」
やったねと、指をパチリと鳴らして静香が喜ぶ。
「どうでしょう? 重油ならアウトだし、軽油なら使いどころがたくさんあると思いますから、それ次第では?」
静香の真似をして、遥もパチリと意味なく可愛いちっこい指で音を鳴らす。
ふふん、私もできるのですよ? それぐらいと内心で思う。妙な対抗心を持つおっさん少女であった。
もちろん、おっさんなら、鳴りもしないし、つき指になる可能性が高い。なので、対抗心はレキぼでぃの時だけが持つのだ。おっさんは分相応という言葉を知っているのである。
そんなアホな対抗心等に気づかない静香は、僅かに興奮した顔で迫ってくる。
「さて、どうするのかしら? これから近づいてみる?」
その提案に正直迷う。もしも政治家が生き残っていたら、面倒そうだ。でも政治家もピンキリだしなぁと考察する。
「誰か重要人物が乗っていると思います? 静香さん」
判断がつかないので、静香に聞いてみる自己主張の無いおっさん少女。困ったら他人に責任を押し付けるのだ。さり気なく責任を被せて逃げることは得意なおっさん。繰り返すと会社の同僚から恨まれるので、サジ加減が難しい技である。
「そうね、逃げるにしても豪華客船はちょっと予想外ね。政府の要人がそんな船で逃げるかしら?」
「確かに。豪華客船で逃げるのは想像できませんよね」
「でもオイルタンカーが一緒にあるということは、誰か先見の明がある人物がいるというわけね。それが立派な政治家なら事故死するかもしれないわね。きっと大樹も残念がるわ」
首を捻りながら、迷い話し合うが静香は少し怖いことを言った。確かに立派な政治家は面倒そうだが、さすがにその通りですねとは、答えずに沈黙で答える。
「フフフ、楽しそうになってきたわね。金持ちなら貴金属をたっぷりと持っているだろうし、政治家なら事故死するかもしれないスリリングな展開ね」
「自分からスリリングにしないでくださいよ? それに有象無象の政治家など、面倒そうだと思うだけですよ、きっと」
なんだか自分から厄介事にしそうなので、遥の釘を刺す言葉に静香は腕を組み妖しく蠱惑的に微笑みながら返答する。
「もちろんよ。私は善良で誠実な女武器商人よ?」
「それはもう聞きましたよ。静香さん」
どうも静香と話すとハードボイルドな感じがして楽しいおっさん少女であった。
港まで近づいてと、ミナトにお願いして遥は静香とお昼ご飯を食べていた。ちゃんとマテリアル産和牛の美味しい肉を使った肉炒め。白米とワカメの味噌汁を添えてだ。
「この肉美味しいわね、良いもの食べ過ぎじゃない? お嬢様。太るわよ?」
パクパクと食べながら、箸を振って羨ましがる静香。最後に女が恐怖する一言を添えて言ってくる。
「大丈夫ですよ。私は太らないので」
状態異常無効は完璧である。肥満や痩身も無効にする完璧美少女なのである。女の敵でもあろう。
「あらら、世の女性が羨ましがる発言ね」
確かにと、もぐもぐ食べながら頷く。小さなお口なので、小動物が食べているような愛らしさだ。
「まぁ、私も太らないようになったのだけどね」
肩を竦めて平然とした声音で答える人類の敵であった。
「レキお嬢様、レーダーに反応がありました!反応から生命体ですね」
凪が興奮した声音で報告にルームに入ってきた。
コクコクと味噌汁を飲みながら、続きを聞く。
「生体反応は3人。いずれもこちらに指さしながら興奮した様子です」
負けず劣らず興奮した声音の凪。どうやら生体反応を見つけたからではなく、遥に報告して褒められるのが興奮している理由である模様。
マスキングされた好感度は上げないとねと遥もねぎらう。
「よく見つけました。では次の命令ですね。そうですね、港に停泊を……」
「ちょっと待って、お嬢様。ここは私に交渉させてくれない? お嬢様の会話は大体は拳で決めるでしょ?」
うっと怯むおっさん少女。確かに身に覚えがありすぎる。そして、その発言を聞いて司令が馬鹿にされたと凪が静香を睨む。
「だからね、ここは私に任せて頂戴。これでも交渉は得意なのよ」
ドンッと胸を叩いて自信満々の女武器商人。正直厄介事になる可能性が極めて高いと言わざるを得ない。
でも、自分だと確実に破綻するのだ。演技がそんなに下手なのだろうかと凹むおっさん少女。なんだかいつも大失敗している感じだ。
中身はいい歳をしたおっさんなのだがなぁと思いながらも、静香に任せるとことに決める。
「わかりました。最初はどうするんですか?」
尋ねるおっさん少女に静香は口元を微かに笑わせて答えた。
「まずは話し合いよ? お嬢様。港まで100メートルの距離で停船して」
静香の指示を聞いていいのか凪がこちらを見てくるので、コクンと頷いて了解する。
「では、静香さんの交渉術を見せてもらえますね」
小首を傾げて、不安を隠して可愛く微笑むおっさん少女だった。
港近くまで航行すると、目視で人々が見えてくる。10人に増えた人々。老若男女様々が集まっていた。
「ミナトが報告します。港まで100メートルに到着。只今停船しました」
ミナトが港でわかりにくいが、了承して隣にいる静香へと視線を向ける。
「見てよこれ。銃よね?」
静香がレーダーへと指を指す先には、こちらからは見えない角度で建物の陰に隠れている兵士が数人見えた。なんとアサルトライフルを持っている。
「好意的には、とてもではないですが見えないですね」
わくわくしながら、目を輝かせてレーダーを見るおっさん少女。まさかの兵士であるからして興奮度は倍増である。
「そうね、面白そうな人たちみたいね」
フフフと妖しく笑い、唇に人差し指をあてながら同意する静香。二人共面白そうなことが大好きなのだ。
停船して、これ以上は港に近づかないと判断したのだろう。港にいる人々の中から一人の女の子が歩み出てきて拡声器を持って話し始めた。
「そこの船! 私は市井松摩耶よ! 現在、船が座礁して困っているわ。助けたら謝礼をたっぷり出すから、港に停泊しなさい!」
凄い高飛車で甲高い声をかけてくる摩耶。見ると年齢は学生ぐらいだろうか? 髪型は肩まで伸びているふるゆわパーマの少女であると見て取れた。
「はぁ、なんというか凄い女性ですね。拡声器でゾンビたちが集まると考えないのでしょうか?」
その態度に呆れてしまう遥。まさか、現実であのような高飛車なのが存在するとは思わなかった。アニメや小説では、高飛車女、この指にと~まれと叫んだら、ぞろぞろ出てきそうな感じであるが。
「お嬢様、もっと重要なことがあるわ。彼女、停船しろとは言っていたけど、ゾンビについて一言も話していないわ。私たちはゾンビの存在を知っているから、拡声器を使って大丈夫か心配するけど、あの娘は私たちの安全について一言も言及していない。ゾンビについて報せる気がないんだわ」
真面目な表情で、先程の発言を考察して説明する静香。
「確かにそうですね。ゾンビがいるとわかれば、絶対に停船も普通はしませんものね」
普通はだけどと内心で呟く遥。普通ではないので、停泊したいのだ。
それを見て取ったのだろう。静香はニヤリと笑い注意してきた。
「まだ、暴れるのは早いわ。最初は交渉よ、お嬢様」
「むっ、わかっています。私も最初から暴れるつもりは無いですよ。でもあの兵士はなんですかね? 自衛隊でもないようですし」
頬を可愛くプクッと膨らませて抗議する。最後に暴れるのはボスが出てくるので仕方ないのだ。おっさん少女が戦いたいわけでは、少ししか無いのだ。多分、恐らく、メイビー。
それはともかく不思議な兵士たちだ。この日本でアサルトライフルを持った兵士? どこから来たのであろう。
反応が無いこちらに痺れをきらしたのだろう。再び拡声器を使用して怒鳴ってきた。
「私は市井松船舶の社長令嬢よ! お父様も一緒にここにいるわ。助けたら………。そう、100万の謝礼金を払うわ!贈与税抜きで!」
「………微妙にケチね? 確か市井松って、オーナー経営だと思ったけど」
もっとドカンと謝礼金を出すと思ったら、100万円と命の値段に対してはしょぼい内容だ。静香がケチそうな摩耶の発言に金になる可能性が少なさそうだと苦笑する。
「日本人ならそんなものではないでしょうか? 贈与税とか細かいことを言ってますし。というか、あの人は外の様子を全く知らないみたいですね」
「孤島に残されて、金持ちそうなクルーザーが来たら、外ではあの崩壊は一時的なものだと判断したのかしら? 兵士は念のため? でも、やっぱりあの兵士がどこからきたかわからないわね?」
迷う静香。色々難しい内容だ。おっさん少女なら迷わず謎の美少女を懲りずにやるのだが。
「とりあえず、第一声をかけますか」
楽しそうに妖しく嗤う静香を見て、これは楽しそうだと自分もわくわくしてきたおっさん少女であった。