第三十九話 初デート
土曜日。朝十時の十分前。この街最大の駅、ということでその人通りは激しい。最後に来たのは小六の時まで遡る。あの時は駅ビルにある大きな映画館にユウと行ったんだった。
何もここで待ち合わせることはないのに。最寄りの地下鉄の駅は同じだから、いつものように彼女の家に俺が迎えに行くじゃダメだったんだろうか。
南口の少し目立たないところで、ぼんやりと人の流れを見つめながらそんなことを思う。人混みの多いところは正直あんまり得意じゃない。さっきからずっと気分が落ち着かない。
『どこいる?』
ポケットの中でスマホが震えた。見ると、智里からメッセージが来ていた。
画面から顔を上げて、きょろきょろとあたりを見回してみる。それらしい姿はどこにもない。とりあえず、返信することに。
『出口に向かって左手の手すりのところ』
直ぐに既読が付いた。返信はない。そのまま彼女ははこっちに来るつもりだろう。カバーを閉じて、再びポケットにしまった。
しかしいざ合流するとなると、さすがに緊張してきた。街に出るということだから、余所行きの恰好をしてみたけれど、場違いじゃないだろうか。
奇麗めな白いシャツに、ありきたりなベージュの下。それっぽい鞄はなかったから、ズボンのポケットに財布とハンカチとスマホを無造作に突っ込んできた。
念のために、余分にお金は下ろしてある。月々の小遣いとお年玉の集合体。特に使う用事もなかったので溜まるばかりだったから問題はない。
智里は結局今日のプランについては教えてくれず。『楽しみにしててね~』と直接聞いてみてもダメだった。これでいいんだろうか、こういうのって男の俺から――
「ハロー、大翔くん」
そんなことを考えていたら人混みの中から彼女が不意に現れた。右手を掲げて少し指をひらひらさせながら、軽やかな足取りで近づいて来る。
黒いトップスに、足首くらいまで丈がある白のロングスカート。そして小さめのハンドバッグを持っている。……派手派手した性格の彼女にしては控えめな格好だと思った。
「やあ、智里」
「それだけ?」
何かを期待するように彼女は上目遣いに俺を見上げてきた。そして首をちょこんと傾けると、スカートの裾を持って少しはためかせてくる。
「よく似合ってるよ。かわいい」
なんとなくその意図を察して、さらっと称賛の言葉を口にしてみた。
「むぅ、全く照れもしない……つまんな~い」
首を振って、ローファーで彼女は床を蹴り上げる仕草をした。
「そりゃ毎日のようにあれされてたらさ」
「あれって何? はっ、まさか変な意味じゃ……」
「違うよ……ってか、自覚があるんだ。からかわれてたら、って話だよ」
「ふうん。まあなんでもいいけど」
ちょっと不満げに彼女は膨れてみせた。ほんと一々子どもっぽい仕草が多いと思う。背も平均よりは低めだし、顔立ちも可愛めだから、見た目もそうか。
あの時とは真逆だ。小学生の頃は、彼女は誰よりも大人びて見えた。実際話してみても、落ち着いて控えめな話し方をする少女だった。
「どうかした?」
「智里もだいぶ変わったなぁって――もちろん、いい意味で、さ」
途中彼女から不穏な雰囲気を感じて、慌てて言葉を繋げた。
「……ねえ、大翔くんはどっちのわたしが好き?」
しかし、彼女はどこか物憂げな表情で首を傾げた。
「どんな智里のことでも好きだよ」
考えるまでもなかった。智里という存在が好きだった。それは告白の時も伝えたと思うけど、まだそんなことを気にしているんだな。ちゃんと俺の気持ちが伝わるように、ぐっと彼女の瞳を見つめる。
すると少しの間があって――
「……ぷっ。なによそれ、答えになってないじゃない」
智里はふき出すようにして笑みをこぼした。そのまま弾けるような笑みが顔いっぱいに広がる。
今も昔も、彼女が笑う姿は可愛いと思う。たぶん、この子に一番惹かれたポイントはそこだ。二人だけで話すようになって、その破壊力に気が付いた小学生のあの頃を思い出す。
「じゃあ行こうか」
「ああ、それはいいんだけど……どこに?」
「まずは映画を見ましょう!」
すると智里はぐっと俺の腕に絡みついてきた。そしてそのまま俺を引っ張るようにして歩き出す。恥ずかしかったけど、でも彼女のぬくもりがすぐ近くにあって、その気持ちはすぐに薄れて行った。
*
昼食兼映画の感想発表会をするために、俺たちは駅近くの喫茶店を訪れていた。少しわかり辛いところにあるからか、あんまり混んではいない。ただこの店のオムライスは知る人ぞ知る逸品らしい、智里が教えてくれた。……その割には、彼女はクリームパスタを注文していたけれど。
『ふっふっふ、わかってないなぁ、大翔くんは。こういう時は別々のものを頼んでシェアするのが基本なんだよ!』
と、智里はどや顔で主張していた。
「大翔くん、一口ちょーだい?」
「ああ、いいよ」
俺はスプーンを持ち上げて、皿を彼女の方にちょっと押した。
しかし、彼女はちょっと機嫌の悪そうな顔を見せる。そのまま、半目で俺を睨んできた。
「そうじゃないよね」
「え?」
「――あたしの食べる?」
さっきの話はどこにいったのだろう。いまいち釈然としないながらも彼女の問いに頷いた。
すると――
「はい。あーん」
彼女はにっこりと笑って、パスタを巻きつけたフォークを差し出してきた。
「え!? い、いや、ちょっと」
「ほら早く! ソースが零れちゃうでしょ!」
俺は思わず周囲に視線を巡らせた。周りの席に人はいない。そして、ここは人目に付きづらい奥の席だった。ここから入口や賑わっている方は見えにくい。
「あ、あーん」
おずおずと躊躇いがちに口を開けて、それにぱくりと噛みつく。慌てて顔を引き戻しながら咀嚼。味なんかよくわからない。
「美味しい?」
「……あ、ああ」
それでも同意した。いやせざるを得なかった。そのままごくりと飲み込む。
「はい、わかったでしょ? ――智里、一口欲しいなぁ」
とてもわざとらしい口調で彼女はフォークを置くと、ちょっと前のめりになってみせた。何かを待ち望んでいるかのように、その瞳はとても輝いている。
なるほど、シェアってそういうことか。これを俺にやれ、と。……マジですか!?
沈黙の中、ゆっくりと唾が喉を通過する。スプーンを手に取った。緊張で手が震えている。
ふと、彼女の方を見ると、ニヤニヤした顔が目に入った。ふふん、とどこか勝ち誇ったような表情。俺の反応の全てを楽しんでいるみたいだ。
毒を食らわば皿まで、とはこのことを言うんだろうか。よくわからないことを考えながら、俺はオムライスの反対側の方を切り崩した。一口サイズをスプーンに乗せて、彼女の方へ。
「あ、あーん」
「あ~ん」
躊躇うことなく彼女はスプーンを口の中に入れた。そして、何度か可愛らしく口を動かす。
「うん、美味しい! ――はい、今度はこっちからね~」
……これを世間ではバカップルというのだろう。どこか恐ろしいものを感じながらも、俺は彼女のなすがままにされるのだった。
そんな風にお互いに食べさせ合いっこをしながら甘い時を過ごした。
今は料理をすっかり食べ終えて、食後のコーヒーを飲みながら談笑している。智里はミルクティーを片手にモンブランを食べている。
「はいあ~ん」
「いや、ちょっと……」
「なるほど、もうあたしには飽きたってことなのね。ぐすん」
わざとらしい泣きまねのおまけつき。
一旦俺の方に迫ってきたスプーンは、彼女の口の中に納まった。不機嫌そうに彼女は口を動かす。そのまま、サクサクとモンブランを攻めていく。
流石にさっきあれだけ繰り返せば、食傷気味というか。逆に智里はよく恥ずかしがらないものだと、感心すら覚えていた。
「でもさ、これくらいで怖気づいてたら、あのカップルに笑われちゃうよ? 向こうはもっとすごいことをしてた」
「それは映画の中の話だろうに……」
「ふふ、現実にしてあげてもいいのよ?」
彼女は意味ありげに唇を上げると、また一口ケーキを口の中に放り込んだ。
……いったい何が始まるんです? みたいな気分だった。楽しみというか、恐ろしいというか。
俺たちが見たのはこてこてのラブストーリーだった。甘々ながらシリアスあり。隣で彼女は涙を流していた。俺は映画の最中ずっと手を握っていたことが気になって、それどころの話じゃなかったけれど。
その後、あの部分はよかった、とか。あそこはちょっとリアリティが、とか。色々な感想をぶつけあった。基本的には彼女の言うことに、俺が賛同するという形だったが。智里はとても楽しそうだった。小学生の時同じ本を読み合って、今と同じことをしたっけな。
「さて、そろそろ出よっか?」
「ああ。そうだね」
時刻は三時になろうとしていた。彼女が伝票を持って先に進む。ここは俺が――ということは、さすがに高校生の身分ではできなくてしっかり自分の分だけ払って店を出た。
「それで次は何をするんだ?」
「うーんとねー」
彼女は顎に手を当てて、ちょっと上の方を見上げた。
「実はこれから行くところがあってね。十七時にまた集合! それじゃね」
すると彼女はくるりと身を翻して、足早に大きな通りの方に消えていった。そこに、何か言葉を浴びせる猶予は全くなかった。
「はい?」
これはデートじゃなかったんだろうか。智里の考えがあまりにも理解不能すぎて、俺はただただ途方に暮れるしかなかった――
次回最終話となりますが、よろしくお願いします。




