第三十五話 久しぶりの登校
俺と智里が一緒に教室に入った時、みんなが一気に静かになった。それは気のせいではなくて、確かに静寂の時間は存在した。
遅れて、たくさんの物言わぬ視線が飛んでくる。一々その感情を読み取ることはしない。気にしても無駄だ。おそらく同じ様に感じているだろう、智里も足を止めることなく先を行く。
果たしてこういう時、どちらがいいのだろうか。俺たちの今の席である一番遠い窓際最後列と、その辺の手近なところにある最前列では。
移動中、妙な雰囲気を感じずに済む、という点では後者が楽だろう。しかし、前者の最大の利点は武骨な眼差しを不意打ち気味に受けなくて済む、という点だ。後ろでひそひそされる心配はない。
今日は週が明けたばかりの月曜日。俺たちは三日ぶりの登校となる。同じ金曜日を欠席した身。そんな二人が共に教室に入ってきたんだから、余計な勘繰りをしたくなる気持ちもわかる。そして、それはおおよそ的外れではないんだけれど。
正確に事情を知っているのは二人。共通の友人河崎と、共通の知人綾川。三日前、二人はこれでもかといわんばかりに大量のメッセージを送りつけてきたからだ。
その内容は大まかにいえば、どうしてあんなことがあった二日後に二人そろって休むことがあるんだ、という至極まっとうなものだった。……あっ、一応戸田も心配してくれてるらしい。彼の連絡先は知らないけれど。
そして俺たちの返答はただシンプルに『月曜日説明するから待って』だった。それでようやく落ち着いた土日を手にすることができたわけである。
昨日はしばらくぶりに家で一人で過ごした。どこか不機嫌そうな妹の相手をしながらも、なんとか勉強に励んだ。土曜日、俺が智里にかかり切りなのを不満に思っていたらしい。……俺には彼女と一緒に居てそれなりに満足しているように見えたんだけど。
『さすがに毎日一緒にいるのはおかしくない?』俺がそう言った時、智里はこの世の終わりみたいな顔をしていたけれど。しかし、それ以上身が持つ気配がしなかったのだから仕方ない。
彼女の方も、後の残しているのは反復ののちの定着だから、一人の方が効率がいい、というもっともらしい理由もあった。そういうそれっぽいことを並べ立てて、ようやく休日を勝ち取った。代わりに、一定の間隔で彼女から連絡が来たが。
「おっ、来たかサボりコンビ」
席の方に近づくと、すでに登校してきていた河崎が声をかけてきた。にやにやと、少しいやらしい笑みを浮かべている。
適当に挨拶をして、俺と智里はそれぞれ自分の席についた。それでようやく、教室が騒がしくなり始めた。
「失礼ね。あたしは本当に風邪だもん!」
「その前の日のもそうなのか?」
彼の顔に薄い笑みが広がる。
「……そっちはねぼーですっ!」
なぜかキレ気味に答える智里。
「つまりサボりだよね?」
「あらあら、その言葉そっくりそのまま返しますわ、真柴君?」
すると、河崎の疑るような視線が今度はこちらに向けられた。どういうことだ、とその眼光は鋭く光っている。
「いや、それは――」
「おはよー、不破ちゃん、ましばっち!」
詳しく話し始めようとしたところ、楽しそうな綾川がこちらにやってきた。迷惑がられながら、机の合間を縫って進んでいる。
ようやく俺たちの前まで現れた時に、隣で智里が小さくため息をついたのを感じた。
「咲は朝から元気ねー」
「――あの、不破ちゃん。ごめんなさい!」
一瞬、変な間があった後に綾川はいきなり謝り出した。両手をピタリと合わせて、深く深く腰を折る。赤みがかったショートヘアが微かに揺れた。
「……ええと、いきなりなにかな?」
「ほら、先週の水曜日の放課後! 咲、つい余計なことを……」
綾川はちょっと落ち込んだ顔を見せると、そのまま俯いてしまった。そんなに深く彼女のことを知らない俺でも、少しその姿には違和感を覚えた。
そこへ――
「ほんとだよー!」
ペシ、っと智里が彼女の頭に軽い手刀を食らわせた。そして、曇りのない満面の笑みを浮かべる。
「でもゆるしたげる」
「え……ど、どうして?」
「あたしたち付き合うことになったから!」
ここぞとばかりに、智里は俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。あの、柔らかいものが当たってるんですけれど、智里さん?
「…………ま、まじ――」
「えー、ホントっ!? それはよかったねぇ~」
あの余計な一言の多い同級生は、驚愕の顔を浮かべる河崎を遮った。そして、彼女はなぜか感極まってその目の端に透明な液体を浮かべる。
だが、その声があまりにも大きくて、せっかく元の状態にクラスメイトが何事かと、俺たちの方を見てくるのだった。
*
その日の放課後のこと。朝の四人に戸田を加えて、俺たちは勉強会をしていた。あの水曜日と同じように、窓際最後列を中心に。
俺は綾川と戸田の面倒を見ながら。残りの二人は黙々と。しかし、時折芸能人の記者会見ばりに質問攻めに遭うんだが。
「あー、もうっ! 咲、うっさい!」
やがて智里が叫びだす。
「不破ちゃんがキレたー! 丸くなったと思ったのに」
「いや、そりゃ怒るのも無理ないぜ。根掘り葉掘り聞き過ぎだぞ」
「やれ『キスは?』とか、『土日は楽しい休日をお過ごしかしら?』とか流石にないわー」
戸田が首と手を一緒に横に振っている。
「少しも反省してないんだね、綾川さん……」
「うっ、ましばっち、キレッキレだね」
彼女は消え入りそうな声で呟くと、そのまま弱りきった顔でしゅんとしてしまった。やかましいくらいに元気だから、これくらいでちょうどいいと思う。
朝のホームルーム前、智里がいきなり真実を暴露するもんだから、その詳細な説明が求められた。
それが昼休みも、そして放課後の今も続いている。幸い、知られているのはこの三人だけだが。
「全く俺たちの心配を返せよな~。不破に続き真柴まで休むもんだから、気が気でなかったぞ? 連絡しても返事、寄越さねーし」
「いやぁごめん、ごめん。それどころじゃなかったというか……」
当たり前だが、あの雨の中の告白劇と、金曜日の不必要な看病の件は伏せてある。それまで話すと、なに言われることかわかったもんじゃない。
智里の方もそれは話しはしなかった。……土曜日のことは、雄弁に語っていたけれど。それで、綾川を除いて辟易とした反応をされた。
「ほんとだよ! 咲も責任感じて、なんど学校を抜け出そうと思ったか……」
先ほどまで凹んでいたはずの綾川は復活していた。
「その割には、さっきからやたらめったら口数が多いよ、咲?」
「アハハ、フワチャン。キノセイデスヨー」
目に見えて動揺する彼女を前にして、智里はため息を隠そうともしなかった。聞こえるようにわざとらしく大きく息を吐く。
「……でもさぁ、たまたま金曜日同じタイミングで風邪で休む、何てことある?」
またしても、彼女に元気が戻っている。へこたれないな、この人……不死鳥の生まれ変わりかもしれない。そして好奇心が蠢く瞳を、遠慮なく俺と智里に向けてきた。
「でも実際そうだから、ねえ?」
「そうそう。意外とあるもんだよ、そういう偶然」
しらっとした顔を見せてくる彼女に合わせて俺も強く頷いた。
「二人のメッセージが一言一句同じでほぼ同時にやってきたとしてもか?」
河崎がちらりと綾川の方を見た。そして、ぴったりと息を合わせてそれぞれスマホの画面を見せてくる。
男の方は俺とのやり取り。女の方は智里との。そして、交互に見比べると――
『詳しくは月曜日に!』12:47
「はぁ、すっごい偶然だなぁ」
それを見た戸田はニヤニヤしながらわざとらしく呟くのだった。




