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第三十四話 はじめての休日

 ピンポーン! チャイムの音がした時、俺の緊張感は大気圏を突破し宇宙まで到達した。つまり端的に言って、緊張で吐き気がする。


「はーい」


 すぐに母さんの声が聞こえた。まずい、と感じて俺も身体を動かす。思いのほか、スムーズに反応してくれた。扉を開けた時には、まだ玄関にその姿はない。


「俺が出るから!」

「そしたらお願いね~」


 リビングの方は見ずに呼びかけた。とりあえず、さっさと扉を開けてあげないと。――ピンポーン。ほら、二度目のベルが鳴った。


「はいはい、お待たせいたしま――」

「ごきげんよう、大翔さん。今日はよろしくお願いしますね」


 扉を開けたら、そこには長袖のブラウスに裾が広がったスカートを身に着けたとてもお淑やかそうな女子が立っていた。彼女は深くたおやかに腰を折る。ふわりと、その赤茶色の髪の毛が揺れる。

 一瞬誰かわからなかった。いや、ちゃんと待ち合わせ時間通りに来たから、()()のはずなんだけれど。そう錯覚してしまうほどに、その服装は普段からして想像のできないものだった。そしてその謎の言葉遣いも。


 今日は土曜日だったので、俺の家で一緒に勉強をすることになった。『前来た子と同じ?』母さんにそれを伝えると、そんな答えが帰ってきた。それで、簡単に智里のことを紹介すると『よし! 今回はちゃんとおもてなしするわね』とはりきり始めたわけである。

 俺としては、あんまり彼女のことを知られたくはなかったのだが。こうなると、致し方なし。今はとにかく、さっさと部屋に案内しよう。後は、母の魔の手から智里を遠ざければいい。……ちなみに父は一人旅に出かけた。


「……おーい、大丈夫、大翔くん?」

 智里は俺の顔の前に自らの手をかざすと、そのままぶんぶん振り出した。

「ご、ごめん。ついぼーっと……」

「見惚れちゃったか~、仕方ないなぁ、大翔くんは」


 その通りだったので、俺は閉口することしかできなかった。正直言って、今のその装いはとても可愛い。いつもとのギャップも相まって、俺の心は崩壊寸前だった。

 

 そして――


「あ、あの、何か言ってくれないかな?」


 なぜか彼女はもじもじしている。いつもなら、アハハと快活に笑いだすはずなのに。そしてお決まりの「ジョーダン、ジョーダン」か「揶揄っただけ~」というセリフが続く。顔に赤みが差しているところを見るに、どうやら照れているらしい。


 なるほど、俺もそこで一つ察しがついた。あれか、服装のこと褒めてもらいたいんだろう。アニメとかでよくあるやつね。


「えーと、よく似合ってると思う。かわいいよ」

「な、な、なんてこと言うのよ! いや、そうなんだけど、そういうことじゃなくって……」


 より強く彼女は狼狽えてしまった。顔はもう本当に真っ赤。目を大きく見開いて、口元をただただあわあわしている。服の袖の先をぎゅっと掴み、上半身を傾けて強い抗議の意思をぶつけてきた。

 ……正直言って俺は困惑を深めるばかり。出会った時に私服を褒めるというのは、そのテンプレ的なアレだと思ったんだけどなぁ。女心とは難しいものだ。


「ちょっと大翔! いつまで玄関で話し込んでるの。お客さんが可哀想でしょ!」


 後ろから母さんの鋭い声が飛んできた。そのままこちらに近づいてくる足音が聞こえてくる。しまった、ちょっと時間をかけすぎたか。


「――あなたが、智里ちゃん?」


 当然の権利みたく、母は俺の横に立った。そして智里の姿を認めると、ぐっと身体を曲げてまじまじとその顔を見つめた。


「ううん、どこかで会ったことないかしら……」

「大翔くんと小学校が同じなので、たぶんその時に――」

「ああ! そっか、あの智里ちゃんか! がらっと雰囲気変わっちゃったから、気づかなかったわ~」

「覚えてるんだ、母さん」

「まあね。あんたと仲良くしてくれる女子なんて、珍しいし。ほら、そんなことより入って、入って」

「はい。それでは、お邪魔いたします」

 ようやく彼女が玄関に入ってきた。ふわっとした雰囲気を纏わせながら。


 それにしても智里、今日は猫を被ったみたいに大人しいな。まるで昔の頃に戻ったみたいだ。どこか釈然としないものを感じつつ、俺は彼女を連れて自分の部屋へ。


「あら、リビングじゃないの?」

 先頭の母さんが振り返って不思議そうに首を傾げた。

「どこの世界に親の前で、ともだ――」

「彼女!」

 背後から、ちょっと怒ったような声がした。


 親の前で取り繕うことさえ許されないらしい。さながら、ここは生き地獄と化していた。なぜこんな辱めを受けないといけないのだろう。顔が赤くなるのを自覚して、俺は思わず目を逸らした。


「……と勉強する息子がいると思う?」

 濁しながら、言葉をつづけた。

「あらあら、二人ともそういう関係だったのね。それは失礼したわ。それじゃ、後でお菓子持っていくわね。それとも、大翔が取りに来る?」

「どっちだっていいよ、そんなの」


 捲し立ててくる母さん。そのお節介さが滲み出ていた。

 俺としてはいち早くその場を離れたかった。こんなのただの拷問だ。居た堪れなくて、俺は二度と母さんの顔を見ることなく自室の部屋の扉を開けた。


「おばさん、失礼します」

「はい、どうそごゆっくり。本当にいい子ね~、智里ちゃんは」

 なせかしみじみとしている母さんを遮るように俺はさっさとドアを閉めた。


 ……はあ。なんだかどっと疲れた。何とかして切り抜けようと思ったのに、まさかこんな形で出鼻をくじかれることになるとは。


 部屋の真ん中には小さな丸机が置いてあった。妹の部屋から拝借したものだ。あと、俺がいつも彼女とゲームをする時使うクッションも。


「へー、意外と片付いてるんだねぇ」

 智里は部屋をぐるぐる見渡しながら呟いた。

「君の部屋が汚いだけじゃないかな」

「……うっ! そ、それは言わないで」

「今度行くときには奇麗になってると嬉しいんだけどな~」

「それ明後日までにってことだよね? 大翔くんも意外とイジワルだ」

 智里はちょっと唇を尖らせた。


 ……あっ、そうか。朝迎えに行くから、そうなるのか。完全に頭からなかった。まあ訂正するのもアレだしいいだろう。

 

 とりあえず、彼女には床に座ってもらい、俺は自らの机に着く。いよいよ来週の木曜日には試験が始まるわけだから、真面目にやらなければ。


「そういえばおばさんにバレちゃったね、あたしたちのこと」

「バラした、の間違いじゃないかな、智里さん……」

「そーともいう。だって、友達だ、とか言うからさ。つい」


 そして、彼女が舌を出した姿を見て確信する。わざとだな。人の気も知らないで……俺もおばさんに言ってやろうかな、と一瞬思ったけれど、自分がダメージを負うだけだなとすぐに悟った。結局、女は強しということだろう。


「じゃあ何かあったら、声かけて」

「うん。わかった~」


 いつまでも話し込んでいるわけにはいかず、俺はくるりと机の方を向いた。


 だが――


「に、にい! ちょっと聞きたいことがあるんだけど!」


 バタン! 激しい音がして、妹が飛び込んできた。もう一度椅子を回転させる。


「優佳ちゃん! こんにちは」

「あ、えと、こんにちは。ともおねえちゃん……」

「で、なんの用だ、ユウ? 俺、これから勉強するんだけど」

「いや、あの、その……」


 勢い良く飛び込んできた割りにはすぐにその勢いが弱まっていく。いったいどうしたというのか。言いにくそうに、立ったままもじもじしている。


「ユウ?」

「あ、あのね、にいとともおねえちゃん、付き合ってるの?」

「い、いきなりなんだよ!」

「だって、さっき話してるの聞こえてきたから」

「いや、それは……」


 ちらりと、俺は智里の方を見た。角度的にその表情ははっきりと見えない。


「そうだよ。……でもおにいちゃんは独り占めしないから、安心して」

「ホント?」

「ほんと、ほんと。わたしのことも、本当のおねえちゃんだと思ってもいいんだよ?」

「……それはちょっと嬉しいかも」

 はにかんだように、にへらと笑うユウ。すっかり陥落してしまったらしい。


「そうだ! 優佳ちゃんも一緒にここにいたら?」

「え、でも、邪魔じゃあ……」

「全然そんなことないよ。大翔くんもいいよね?」

「ん、まあ、いいんじゃないか?」

 

 はっきりいって、まだ二人きりは荷が重いし。もしかすると、向こうもそうかもしれない。昨日、あのあとちょっと気まずい時間も続いたし。


 そのまま嬉しそうな顔で頷く妹。彼女が白いノートパソコンを持って、再び現れたのはこのすぐ後のことだった。

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